第百七話:神皇の勅書
1943年8月17日 夢島群島 人工洞窟潜水艦基地
「お初にお目に掛かる、私は大日輪帝国海軍艦政本部第六技術研究所所長代行、木手英治郎技術少将である、本日は神皇陛下の勅命により、インドラ洋に置ける対価であるウルキア人120名の身柄を引き取りに参った!」
威風堂々、勅書を前面に掲げ声を張り上げたのは名乗りの通り第六技研から来たと思われる壮年の軍人であった。
その木手と名乗った壮年の軍人と相対するのは黒服を身に纏った2名のゲイル軍人である。
此処は人工洞窟内の倉庫を改装したウルキア人収容施設であり、2名の黒服のゲイル軍人は当然だがウルキア人を見張るSS(親衛隊員)である。
木手は彼等に向けて威風堂々と口上を述べたが、ゲイル人達は日輪語が分からないため木手が何を言ったのか理解していない様であった。
しかし木手の横に立っていた通訳の口から迎訳を聞かされた瞬間、彼等の眼光が鋭くなる。
「《……閣下、何やら勘違いをされている様だが、この施設のウルキア人死刑囚達は誘導兵器技術の実演の為に連れて来たものでアナタ方への対価の品では無い、以ってウルキア人を使った技術提供は行うがウルキア人単体を引き渡す事は出来ない》」
親衛隊員は眼光こそ鋭いものの、表情は真顔のまま変わらず機械的で冷淡な口調で言い放った。
「……これは異な事を申される、伊号901潜にて持ち帰られた誘導兵器技術の資機材は英極東艦隊撃滅とダマルガス攻略支援の対価で有る筈だが? そして貴国がその対価として提供を約束した誘導技術はウルキア人無くして意味を持たないのだろう? ならば提供する資機材の中にウルキア人が付随しないのは付属品の揃っていない商品を押し付ける様なもの、それは契約の不履行ではないかね?」
その木手の言葉(正確には迎訳)に親衛隊員は眉を顰め歯噛みし、その表情から僅かに動揺が見て取れた。
因みに木手はウルキア人を資機材と見なしている訳では無くSSの連中に分かり易い言い回しをしただけである。
「《……先程も言ったがウルキア人達は誘導兵器技術の実演の為に連れて来た死刑囚だ、我々はその利用方法を日輪に教授する為に来ている、それをアナタ方の勝手な都合で連れて行かれては困るのだ!》」
新鋭隊員は動揺を抑え込み、機械的で冷淡な口調で言い放つが、その語気は最初より明らかに強くなっている。
「……勝手な都合? 我々は貴国の技術者達から手渡された資料を独自に研究しウルキア人の脳を取り出す事無く、その能力を利用する方法を立案している、故にその技術確立の為にウルキア人の引き渡しを要求しているのだ、その技術資材の引き渡しを拒否するのは、それこそ貴官の勝手な都合では無いかね?」
「《……っ!! く……三等人種風情が……詭弁を……っ!》」
憮然とした態度の親衛隊員に木手は一歩も引かず毅然と言い放ち、それに言葉に詰まった親衛隊員は通訳に聞こえない声量で悪態を吐く。
「《貴様は下がれ……。 閣下の仰りたい事は理解した、然し我がグロースゲイル第三帝国が成し得なかった事を日輪が成せるとは到底信じ難い、閣下の言葉が真実ならば、ウルキア人を殺さず利用出来る技術とやらを是非とも拝見させて頂きたい》」
小声のゲイル語で通訳にも聞き取れ無かったとは言え、態度と口調で大体把握されてしまう、流石にこの差別発言は拙いと感じたもう一人の親衛隊員が悪態を吐いた仲間を制し、木手に技術開示を要求する。
だが、その親衛隊員も自分の態度と言葉が不遜で有る事に気付いていない。
「ははは! 最初から使い捨てる事しか頭に無ければどんなに技術力が高かろうが何も成し得る事は出来るまい、そして更に異な事を申されていたな? 支援の対価である技術提供に何故我々の技術を開示する必要が有るのか? その見返りは如何に? 一将校に過ぎない貴官の裁量で納得の行く対価を示して頂けるのかな?」
「《ぐ……っ!》」
不遜で無礼な親衛隊員達に木手は口角を上げ不敵に笑いながら言い放つ、その言葉に親衛隊員達は完全に沈黙する。
因みにウルキア人を生かしたまま利用する方法は技術的な目途が立っている訳では無いが木手は立案していると言っただけなので嘘は言っていない。
その言葉と訳をどう受け取りどう解釈したかは親衛隊員達の勝手である……。
「理解されたなら道を開けて頂きたい、これは大日輪帝国神皇陛下の勅命である!!」
木手は再び勅書を掲げ腹の底から声を張り上げ、それを合図に陸戦隊員が控え銃の態勢のまま一糸乱れぬ動きで一歩前に出て圧を強める。
その威圧感に新鋭隊員達は思わず後退るが、騒ぎを聞き付けた親衛隊員1名と6名のゲイル兵が何事かと銃を手に飛び出して来る。
だが外に出て来たゲイル兵達は一触即発の状況に困惑し、またSSが何かやらかしたのかと表情を曇らせた。
「《……あの? 一体何がーー?》」
「《ーー黙れ!! 何も問題は無い!! 日輪軍に死刑囚を引き渡し我々は此処を引き払い技術団と合流する、さっさと撤収作業に入れっ!!》」
「《り、了解です!!》」
恐る恐る親衛隊員に声を掛けたゲイル兵で有ったが親衛隊員は間髪入れず兵士に怒声を浴びせ、こめかみに血管を浮き上がらせながら足早に立ち去って行った。
「ふぅ、何とか折れてくれたか……。 よし、連中の気が変わらない内にウルキア人達を保護するとしよう、工兵は天幕の設営を開始、衛生班は救護活動に移れ!」
親衛隊員が立ち去った事を確認した木手は小さく息を吐き安堵の表情を浮かべる。
若しゲイル側が木手の言葉に納得しなかった場合、神皇の勅命を受けた木手は引き下がる事が出来ない為、強行突破……即ち武力行使を行わなければならない所であった。
無論、気位の高い親衛隊員もそれを理解していたからこそ理屈が尽きた末最終的に折れたのであろう。
「さて、行こうか」
「え? あの、閣下は此方でお待ちになられた方が良いのでは? 恐らくは衛生的な場所では無いと思われますので……」
衛生班が合流した事を確認すると木手が収容施設に入ろうとした為、護衛の陸戦隊員が慌てて止めに入る。
ウルキア人達が此処に収容されて1ヶ月以上、基地司令の指示で綺麗に清掃した上でゲイルに貸与された収容施設だが、その後は親衛隊員が日輪兵を中に入れなかった為、今現在内部がどうなっているか分かったものでは無かった……。
若し中に入った木手に何か(伝染病などの感染)有れば非常に拙い事になる……。
「そ、そうかね? 衛生班の邪魔になっては拙いし此処で待つ事にしようか……」
不衛生と聞いて尻込みする木手は潔癖症の気が有る男であった……。
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程なくして首輪に鎖を付けられたウルキア人達が衛生班と陸戦隊兵士に付き添われ収容所から出て来る。
周囲には木手の部下の工兵達によって複数の軍用仮設テントが張られている。
だがここで問題が起こった、女性を優先にテント内に移動させ診察する算段で有ったのだが、ウルキアの首には鉄の首輪が着けられており、その首輪には鉄の鎖が通され10人毎に繋がれている。
そして体力の有る男性だけが逃げ出さない様に男女と子供が混ぜられて繋がれていた。
「む? 何故首輪と鎖が付いたまま何だ? 中で外せなかったのか?」
その状態を見た木手は眉を顰め衛生班の責任者を見る。
「それが……首輪は簡単に取り外せる構造にはなっておらず、鎖を止めている南京錠の鍵の場所は立ち会っているゲイル兵に聞いても知らない、と……もしかしたら本国に置いて来たかも知れないとも言ってました……」
「……はぁ……やれやれ、工兵に鉄切り鋏を持って来させろ、せめて鎖だけでも切ってやらねば……」
衛生班の責任者の言葉に木手は呆れたように息を吐くと部下に工具を持って来るよう指示を出す。
勿論木手が呆れたのはゲイル人のウルキア人への扱い対してである。
尤も、ゲイル人からすれば脳を取り出して殺す腹積りなのだから取り外す事を考える必要は無かった、と言う事なのだろうが……。
「むぅ、しかし酷い臭いだな……」
「はい、かなり劣悪な環境でした、防疫の為あの建物は取り壊した方が良いでしょうね」
ウルキア人達の身なりはかなり汚れており、蒸し暑く不衛生な場所に鮨詰めにされていた彼等からは筆舌に尽くし難い悪臭が漂っている。
しかし衛生班員達はそれを表情に表す事無く真摯で丁寧な対応を行っている。
「……子供も、居るのだな……」
「はい、男性70名、女性50名、内12歳未満の男子18名、女子14名です」
「外道共め……」
木手は材料として連れて来られたウルキア人の中に年端もいかない子供の姿が有るのを見て歯噛みする。
その後、木手の部下によってウルキア人達を繋いでいた鎖は断ち切られ、女性と男性に分けられると女性達はテント内に案内された。
最初は怯えていたウルキア人達で有ったが、日輪人の手厚い看護を受けるうちに徐々に緊張が解けたのか僅かに笑顔を浮かべる者もいた。
そして簡易的な治療を受けたウルキア人達は工兵の手によって丁寧に首輪が分解され、日輪軍が用意した仮設浴場で汚れを洗い落とし湯上りには清潔な衣服と冷たい飲み物に食事は氷入りのソーメンが用意されていた。
ヒドゥラーゲイルによって迫害されて来たウルキア人達にとって温かい風呂や美味しい食事など数年ぶりで有ったらしく、嗚咽を漏らして嬉し泣きする者が後を絶たず、子供達は満面の笑みでソーメンを頬張っている。
その後、人心地付いたウルキア人達は兵員輸送用のトラックに乗せられ基地内の軍病院で本格的な診察と治療を受けた後、同病院内の病棟で二、三日の間経過を観察する事になった。
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ウルキア人達を病院へ送り届けた木手は基地司令部に来ていた、彼が基地司令部のエントランスホールに足を踏み入れると、そこには基地司令官と伊901潜の別所司令に外交官の吉村達が立ち話をしていた。
「おお、戻ったか! 報告は既に受けている、ご苦労だったな木手技術少将!」
ホールに入って来る木手の姿を見付けた基地司令が満面の笑顔で彼を出迎える、その横にいる別所中将も木手を笑顔で出迎えるが外交官である吉村は浮かない表情で有った。
「ええ、本当に……。 私は技術者であって交渉や外交は畑違いですよ……」
「ははは! すまんすまん、連中が技術的な事でいちゃもんを付ける可能性も有ったし、何か有った時その場に私や吉村公使が居るのは色々拙かったのだ、許して欲しい!」
すこしゲンナリとして恨み言を言う木手に基地司令は悪びれる様子も無くカラカラと笑い軽い謝罪をする。
彼の言う何か有った時とは、当然、武力衝突が起こった場合の事を指し、その場に自分や吉村公使が居ると実力行使に基地司令部と外務省も関わったと見なされ仲裁や交渉すらままならなくなる。
故に基地の最高責任者である基地司令官や外交のプロで有る吉村を今回の件に使う事は出来ない、もし木手が揉めてもそれはあくまで技術部門同士の摩擦であり国家間としての交渉の余地を残そうと考えての事であった。
尤も木手は神皇の勅書を携えて事に及んでいる為、そのへ理屈が通じたかどうかは不明であるが、ゲイルとしても現在の情勢で日輪を敵に回す事は好まないだろう。
故に最終的に奴隷の100人や200人はくれてやろう、とゲイルは判断するだろうと見越しての行動でも有った。
ただ勅書には【決定的な決裂を招こうとも日輪の名に恥じぬ威光を以ってウルキア人を救出すべし】と神皇の御意が記されていた事から、神皇が既にグロースゲイル第三帝国を敵と認識し始めている事が窺え、長年対迎交渉に腐心して来た吉村はその事実に頭を悩ませているのであった。
とまれ、 夢島群島人工洞窟潜水艦基地だけに限れば、目下の重要課題で有った対迎ウルキア人問題が解決した事になる。
対して関係修復にせよ距離を取るにせよ、外務省と外交の最前線に立たされる吉村公使達の地獄の行進はこれからで有るが……。
「まぁ、上手く行ったから良いですがね……それで、ウルキア人達の経過に問題が無ければ3日後には移送出来るみたいですが、流石に私の乗って来た伊号潜ではかなり手狭ですな……」
「ああ、だから我々の伊901潜で浜須賀まで送る手筈となっている。 無論、君も乗って行くだろう?」
「おお! 伊号901は第六技研にとって我が子も同然ですからな、是非お願いしたい!」
別所が木手を見ながらニヤリと笑いそう言うと、木手は満面の笑みと力強い言葉で応じた。
こうして120名のウルキア人の命は救われたが、日迎の関係には決して浅くない溝と亀裂が広がった。
この神皇の勅命による日輪の行動がどのような結果を齎すのか、今はまだ誰も知る由は無かった……。