第百六話:レインボープラン
1943年8月15日ソルディエゴ湾
コメリア合衆国海軍の重要拠点が点在するソルディエゴ湾は西に延びるコロナダ半島によって守られ、半島の先端には湾の入り口を守る要塞であるシタデル・ロナが存在する。
南側はメキシカ連邦共和国との国境に沿っており、東側は軍施設とソルディエゴ市の中心部であるダウンタウンに接し、コロナダ半島より西側は太平洋岸に沿っており大小様々なビーチが広がる。
北太平洋からの海流と気流により一年を通して温暖で気温の年較差が小さく過ごし易い、故に平時の夏のビーチや湾には多くの人が集まり行楽を楽しんでいる。
しかし戦時下で有る現在、ソルディエゴ湾には多くの軍艦が集まっており、その中に在って一際存在感を放つ2隻の巨大戦艦が悠然とソルディエゴ湾の眺望を眺めている。
その2隻の巨大戦艦は艦隊再編中の第六艦隊第68任務部隊に配備された最新鋭戦艦、モンタナ級一番艦のモンタナと同級二番艦のオハイオである。
このモンタナ級戦艦はアイオワ級戦艦を攻撃力、防御力共に凌駕する最新鋭戦艦であり、その全長は390m、全幅50m、最大速力は50ktを発揮し、主砲にMark-1・24In(61㎝)50口径三連装4基を備え、防御は自艦の主砲に耐え得る700㎜CP装甲が施されている。
速力こそアイオワ級の55ktに及ばないが戦艦としての完成度は圧倒的にモンタナ級の方が上で有る事は間違いない。
「《あれが私の指揮する部隊の旗艦ですか、実に力強く優美な艦容ですな》」
ソルディエゴの港湾施設から悠然と水面に浮かぶモンタナを眺めそう言うのは第68任務部隊の司令官に就任したばかりの『ガーロンド・S・メリル』海軍少将である。
「《そうだな、残り4隻も急ピッチで建造を進めている、10月頭くらいには6隻が揃う筈だ》」
メリルの言葉に発言したのは太平洋艦隊参謀総長『レスター・ウィル・ニミッツ』海軍大将であった。
「《我が合衆国の工業力は偉大ですな、しかし戦艦モンタナ……不思議なものです、この心躍る巨大戦艦は本来なら拝む事が適わなかったとは……》」
「《……そうだ、魔王の存在が無ければ空母を優先する為に建造中止となる筈だった、だがその魔王の存在によってこの艦は呪いを受けてしまったように思う》」
そう言うとニミッツは少し愁いを帯びた瞳で二隻の巨大戦艦を見据える。
「《……呪い、ですか?》」
「《そう、勝てないと分かっている戦いをせねばならない呪いだよ……》」
「《なっ!?》」
そのニミッツの発言にメリルは目を見開き思わず上官であるニミッツを怪訝な表情で睨んでしまう、だが然も有ろう、これからこの最新鋭艦を率い魔王を沈めようと言う意気込みを錨を上げる前にへし折られたのだ、その位の無礼は許されるだろう。
「《メリル提督、これからあの艦隊を率い魔王と戦わねばならない君には申し訳無いが、是だけは言わせて欲しい、魔王と真正面から戦ってはならない、あの艦では真正面から魔王と撃ち合っては到底勝てないのだ……》」
「《……っ!》」
そう言うとニミッツは真摯な瞳でメリルを見据えて来る、メリルは言葉を失い強張った表情のまま固まっている。
「《サウスダコタ級とアイオワ級の結果は良く知っております、しかしモンタナ級は閣下御自身が主砲の換装をご指示されたと聞き及んでおります、そのモンタナ級でも勝てないと!?》」
ニミッツの発言を受け言葉を失っていたメリルで有ったが、気を取り直した彼は声を張り上げ捲くし立てる。
「《4000mだ……》」
「《……は?》」
突如ニミッツの口から出た数字にメリルは理解が追い付かず疑問の声を漏らしてしまう。
「《モンタナ級に搭載されているMark-1・24In50口径砲で魔王の装甲を貫徹出来る可能性のある距離だ、言っておくが過剰装薬で、だよ?》」
「《……》」
ニミッツのその発言にメリルは再び言葉を失う、400m級の戦艦が4000mの距離で戦うなど肉眼で直に撃ち合うのと変わらない、当然そんな距離ではモンタナの700㎜CP装甲ですら装甲の体を成さないだろう……。
「《まぁモンタナ級の主砲はアイオワ級の物とは違い過剰装薬で砲身が破裂する等と言う事は無いだろう、アレは軽量化に拘った海軍省の失策だったからな、だがそもそも砲身が保たなくなるまで撃てるかどうかと言う問題だよ》」
アイオワ級の主砲身が過剰装薬の発砲で破裂したのは同級に搭載されていた砲身が重量削減の為に軽量化され耐久力に問題が有る物であったからだった、これは大型護衛艦として空母に追従する設計思想によって速力を重視した弊害であった。
対してモンタナ級の主砲身は過剰装薬の発砲でも砲身が破裂する等と言う事にはならない、但し砲身の摩耗は加速するため破裂はしないものの命中精度が大幅に落ち使い物にはならなくなるだろう。
だが、そもそも砲身が摩耗するまで撃ち続けられるか、即ち生き残れているかと言う事である。
「《だが、真正面から撃ち合わなければ勝機は有る、その道筋はリー提督が示してくれた、それは到底合衆国海軍最新最強の戦艦の戦い方では無いが、聞きたいかね?》」
「《無論です! 合衆国軍人として名誉は確かに大事ですが、それは勝てばこそです!》」
彼我の戦力差に言葉を失っていたメリルで有ったが、突如ニミッツの口から齎された言葉にパッと表情が明かるくなり覇気良く応える。
「《うん、先ずカギを握るのは随伴する第51……む? 第51特務部隊の艦が居ないな?》」
ニミッツは本来ソルディエゴ湾に停泊している筈の第六艦隊第51特務部隊の艦艇の姿を探し湾を見渡すが、その姿を確認する事は出来なかった。
ソルディエゴ湾内は縦に長く広いが、それでも一個艦隊の艦艇が1隻も居なければ見れば分かる。
「《ああ、第51特務部隊ならレインボープランの実証実験で沖に出ている様ですな》」
「《……! 一個艦隊を実験の為に動かしたと? 私はそんな報告など受けてはいないが、キンメル長官か……》」
メリルの言葉にニミッツは怪訝な表情で忌々しげに言葉を零す。
第51特務部隊はインディペンデンス級護衛空母6隻にボルチモア級重巡洋艦2隻、軽巡2隻と駆逐艦14隻を擁する中規模の艦隊であり、更に再編中の艦隊でもあった。
その艦隊を参謀総長で有るニミッツに何の相談も無く動かす事は例え司令長官と言えども有り得ない事であった。
「《そのようです、同艦隊に配属されている同期に聞いたのですが、キンメル長官の厳命で同乗している女科学者にかなりの裁量が与えられ、艦隊が彼女の言いなりに任務外の行動を取らされている、と……》」
「《……エレーナ・フォン・ノイマンか……一度会った事が有るが、掴み所の無い底知れない何かを感じさせるレディーだったな……彼女を使って何を企んでいる、キンメル長官?》」
言葉の最後に圧を強め、後ろを振り返ったニミッツは目を細め眼光鋭く視線の先にある太平洋艦隊司令部を、その中に居るであろうキンメルを睨み付ける。
レインボープランと改められたフィルデルフィラ計画、キンメルの側近と子飼いの技術者達によって行われているとされる秘密実験。
ニミッツも大まかな情報は掴んではいるものの、詳細な内容は分からず憶測と推測の域を出ていない。
駆逐艦エルドリッジの損害は公式にはゲイル軍のUボートの毒ガス魚雷によるものとされ、アルティーナ達ウルキア人達への扱いも、本人了解の下に試験機に搭乗している以上ニミッツに口出しをする権限は無い。
しかしニミッツはキンメルが人道に悖る行いをしていると薄々気付いており、確証を得る為に密かに探りを入れている。
そんなニミッツの思惑を他所に第51特務部隊の艦艇はソルディエゴ沖80km海域に展開していた。
第51特務部隊は巡洋艦と駆逐艦が3隻の輸送船を取り囲む様に展開している。
一見すると輸送船を守っている様に見えるが、艦と艦の距離が異様に近く双眼鏡で覗けば人の顔すら判別出来そうな距離であった。
通常、軍艦がこの様な距離で陣形を敷く事は無く、有るとすれば観艦式や広報用の写真撮影時くらいであろう。
勿論今は観艦式でも撮影でも無い。
更に輸送船の甲板上には各300人以上の人間が集められているが、その周囲には機関銃で武装した兵士が内側に向けて配置されている。
つまり軍艦も兵士も輸送船を守っているのでは無く、輸送船を、正確には輸送船に乗っている日系人達を逃がさないように展開しているのであった。
彼等彼女等は日米開戦以前は普通のコメリア国民として暮らし、開戦以降は危険分子として収容所に隔離された者達であった。
そう言った不遇の日系人達に待遇改善を条件として今回の実証実験に協力させているのである。
そんな彼等には軍から(正確にはエレーナから)様々な事前指示が出されており、収容所に残る家族の為に或いは自分自身の為に皆が真剣な表情で臨んでいる。
そんな日系人達の乗る輸送船から離れる事数十キロの空域に、白い戦闘機が1機飛行している。
『《インディペンデンスコントロールからピクシー01、針路そのまま、TCSを起動し速度155mi(時速約250km)で指定の輸送船上空を3280ft(約1000m)で3分間飛行せよ》』
『《ピクシー01了解、TCSを起動し速度155miで輸送船上空を3280ft(約1000m)で3分間飛行する》』
母艦に応答したアルティーナは即座に機器を操作し光学迷彩システムを起動させる。
するとスラスターの噴出口の形状が変化し駆動音が抑えられ、そして XFAF-01の機体が蒼空に溶けるように消えて行く。
『《目標に到達、これより上空を旋回する》」
アルティーナは眼下に停泊する3隻の輸送船を中心に旋回を始める、そこには3隻合わせて1000人程の人間が甲板上に集められている様子が見て取れる。
その様子を重巡ボルチモアの艦橋に立つエレーナが微笑をたたえながら見つめていた。
「《さぁ、ピクシー01の姿が見える純粋な心の日系人は居るかしらぁ?》」
「《ふん、蛮族の日輪人に純粋な者など居らんと思うがね……》」
エレーナは嫋やかな仕草で頬に指を当て熱のこもった視線を輸送船の上空に向ける、その横では技術将校が冷ややかな視線で鼻を鳴らす。
そんなエレーナ達の後姿を司令席に座るスプルーアンスは胡乱な目で見ていた。
「《はぁ、艦隊再編中のこの忙しい時にまさかこんな実験に付き合わされる羽目になろうとはね……》」
「《ああ、全く同感だよ、けれど上官の命令は絶対だから仕方無いさ、それがどんなに間の悪い命令でもね……》」
椅子の肘掛けで頬杖をつきながら愚痴るスプルーアンスに副官のノートン・L・デヨ少将も肩をすくめながら賛同する。
その後、アルティーナは光学迷彩の効果が切れる前に離脱し、リキャスト後、光学迷彩を起動すると言う行動を6セット程行い実験は終了する、この実験に費やした時間は(休憩を含め)実に4時間に及んだ。
そして各輸送船から実験結果が書面で送られ、それはエレーナに手渡される。
「《ど、どうだった? 実験結果は如何だったのだ!?》」
静かに報告書を読むエレーナを技術将校が落ち着かない様子で急かす、この実験結果如何ではプロジェクトの功績が半減しかねないのであるから当然と言えば当然であった。
無論、フィルデルフィラ計画から始まったこのレインボープランの本題はステレス技術で有るから、副産物に過ぎない光学迷彩技術が頓挫しても本来なら問題は無い。
しかしプロジェクト遂行の過程で色々と改竄や揉み消し等を行っている為、副産物とは言え功績は増えるに越した事は無いのである。
特にこの技術将校のように替えの効く人材にとっては……。
「《……1000人中、反応したのは約10名、内5名が明確な反応を示す、と有りますわね》」
「《つ、つまり……?》」
「《この実験結果だけで算出するなら日輪人には0.5%から1%の確率で光学迷彩を見破る能力が有る、と言えますわね》」
「《1%……》」
「《ええ、それを低いと捉えるか高いと考えるか、それは海軍省のお偉方次第ですわね》」
「《……っ!》」
言葉の最後に嫋やかな満面の笑みを見せられ技術将校は絶句する、100人に1人、1万人に100人、10万人で1000人……保守的な海軍省が無視するリスクだろうか、と瞬時に考えたのだ。
「《……明確な反応を示したのは0.5%、なのだろう?》」
「《はい?》」
突如ぼそりと言葉を零す技術将校にエレーナはきょとんと小首をかしげる。
「《レディ・エレーナ、貴女は先程0.5%から1%と言っただろう? 日輪人が光学迷彩を見破る可能性は0.5%から1%だと!!》」
「《……え、ええ、そう申し上げましたけど?》」
「《し、しかし、明確な反応を示したのは0.5%なのだろう? ならばキンメル長官や海軍省に提出する報告書には『日輪人が光学迷彩を見破る可能性は0.5%である』と記載しても虚偽報告にはならん、と言う事では無いかね!?》」
「《……まぁそうですわねぇ? 貴方様がそうなさりたいのであれば、私は別に構いませんわ。 上層部への報告は貴方様のお仕事ですもの?》」
自分に都合の良い解釈を思い付いた技術将校は興奮気味にエレーナに詰め寄る、それにエレーナは笑顔は崩さず眉だけを下げそっと距離を取ると満面の笑顔で技術将校の意見を肯定する、暗に全ての責任は貴方に有るけどと添えて……。
だが技術将校は我が意を得たとばかりに花の咲いたような笑顔で一方的な握手をすると飛ぶ様な勢いで自室へと走って行った(自室はインディペンデンス艦内で有る為、この後実際に部屋に戻るには結構な時間が必要だったが……)
「《くふふ、お可愛い事……さて、私も新しいモルモットちゃん達を使ってプロジェクトを進めませんと、ね?》」
そう言って妖艶な笑みと共に怪しい光沢を放つエレーナの瞳には1000人の日系人達の乗る三隻の輸送船が映っていた……。




