第百五話:白銀《しろがね》の剱
1943年8月12日 サントコペア周辺海域 天候快晴
この日、日輪第十三艦隊は航空機の模擬戦闘と発着艦訓練を行なっていた。
参加艦艇は戦闘機を有する信濃、大鷹、冲鷹、大和、武蔵、出雲の6隻であるが、周囲には軽巡九頭竜と米代が率いる水雷戦隊が護衛として展開している事から実質艦隊総出の訓練となっている。
第十三艦隊には攻撃機は配備されていない為、訓練は目下制空戦闘のみを実施している、昨日一日整備庫内で模擬訓練を行っていた立花は今回の訓練でようやく実際に剱を飛ばせる為かなり張り切っている。
「よーし、良いぞ! 上げろ上げろ!!」
空母信濃の整備庫で軍艦に不釣り合いな高い声を響かせているのは剱丙型整備主任である原純子技術特尉である。
彼女のかけ声と共に中央エレベーターで迫り上がって行くのは立花蒼士の乗る信濃剱隊三番機の剱丙型であった。
中央エレベーターは整備庫と格納庫だけを行き来する下段昇降機と整備庫から格納庫と飛行甲板を行き出来る上段昇降機の二面が備わっている。
下段昇降機は艦内部のみで稼働するため厚みは最低限の強度を維持するに留まっているが、上段昇降機は未使用時は甲板装甲を兼ねる為かなり厚く作られている。
立花機が乗っているのは、その上段昇降機であり整備庫から格納庫を経由し飛行甲板へとせり上がる。
立花の視界には空母信濃の広大な飛行甲板が広がり遥か前方の射出機には僚機である大友機と龍造寺機が今まさに発艦せんとしていた。
『こちら信濃航空管制、現在速力30kt、進路上に障害無し、剱隊発艦どうぞ!』
『了解した、信濃剱隊一番機大友、出る』
大友が覇気も抑揚も無い声でそう言った次の瞬間、大友機が一気に前方へ押し出され瞬く間に蒼空へと上がって行く。
『よぉし続くぜぇ!! 信濃剱隊二番機龍造寺兼政、出るぞぉっ!!』
龍造寺は大友とは対照的な覇気に満ちた柄の悪い声で叫び、一気に押し出される急激な加速を物ともせず蒼空へと飛び出して行く。
その少し後に甲板作業員に誘導された立花機が射出機まで自走して来ると作業員が手早く射出作業を熟してゆく。
そして甲板作業員が旗を振ると信濃航空管制から発艦許可が下りる。
『信濃剱隊三番機立花蒼士、行きまぁーすっ!!』
B29への体当たりを強いられたルング防空戦での邂逅から、ずっと憧れ続けていた銀翼の戦闘機、その剱に乗り蒼空を駆ける、それが間もなく適う事に高揚を抑え切れない立花は今までで一番溌溂とした声を張り上げた。
そして射出機に押し出された立花機は一気に加速すると剱の鋭い機首と主翼で大気を切り裂きながら蒼き大空へと舞い上がる。
『凄い、加速も安定性も瑞雲とは段違いだ……!!』
剱の性能に感嘆し目を輝かせる立花、そこに大友機と龍造寺機が両翼に並走して来る。
『おう立花、剱の乗り心地はどうだ?』
『素晴らしいです、最高ですよ!!』
無線から聞こえる龍造寺の問い掛けに興奮気味に答える立花、それは完全にお気に入りの玩具を買って貰った子供のそれであった……。
『まぁ……生産性度外視の専用機みたいなものだから高性能なのは当然だな……』
『あー剱1機で陽炎型駆逐艦が1隻買えるらしいからな、笑えるぜ!』
『えっ!? く、駆逐艦と同じ値段ですかっ!? 全然笑えないですよ……』
大友の抑揚の無い言葉を龍造寺が快活に拾い、立花はその内容に愕然とする。
陽炎型駆逐艦は現代の価格で約1100億円であり零戦五型は約50億円となる。
つまり剱は単純計算で零戦五型の22倍の価格と言う事になるのだ……。
しかもこれは剱乙型と丙型の価格であり、剱甲型の価格は乙型の2倍以上とも言われている……。
『……間違っても墜落させる訳には行きませんね……』
そう言う立花からの無線には彼が生唾を飲み込む音が聞こえていた、恐らくさっきまでの笑顔も消え去っている事だろう……。
『なぁに、値段に見合う戦果を挙げれば良いいだけの話だ、お前の腕前なら恐れる事ぁ無ぇだろ、少年撃墜王!』
『龍造寺さん、その少年撃墜王って言うの止めて下さい、恥ずかしいですよ……』
『クハハハハ!! 照れんな照れんな!!』
いつしか通り名の様になってしまっている少年撃墜王と言う称号は立花本人には受け入れられていないようであった、しかし龍造寺はカラカラとガラの悪い声で笑うだけで止めるつもりは無いようである。
その後、剱隊は3時間の習熟訓練を行った、そこに母艦からの通信が入る。
『信濃航空管制より信濃剱隊各機へ、これより模擬戦闘を実施する、剱隊各機は警戒状態で待機せよ』
『お、来た来た! さぁて獲物はどいつだぁ?』
『何が相手でもこの剱なら……!』
航空管制からの指示を受け龍造寺は歯を剥き出しに獰猛な笑みを浮かべ、立花も期待に満ちた笑みを浮かべている、大友だけは表情が全く変わらない……。
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『来ねぁなぁ……』
『剱の対空電探だけに頼らず目視の確認も怠るなよ、機械類に絶対は無いからな』
『了解です!』
演習空域で待機して10分、今だ演習相手は姿を見せておらず信濃剱隊は上空で旋回しつつ電探と目視で周囲警戒を行っている。
剱には約100kmの探知距離を持つ空対空四号電探が装備されており、早期警戒に置いて絶対的な優位性を持っている、その信頼性は高いのだが大友は空対空電探の性能を過信してはいない様である。
何故ならこの時代の戦闘機には日米英を問わず電探を装備している戦闘機はほぼ存在しない事から戦闘機搭乗員の電探を扱う技術と知識が低く錯誤や誤認が懸念されていたからだ。
特に日輪軍の戦闘機は運動性能を重視している為、機体の大きさや強度を極限まで削る傾向が強く電探を設置する為の余力を確保出来なかった、そのため対空警戒は基地や艦船の対空電探に任せる方式を取って来た。
実際問題として音速を超える機体の存在しなかったこの時代に置いては間違ったやり方ではなく、十分に対応出来ていたと言えるだろう。
しかし自機が超音速で飛行し、基地や艦船の補助範囲から外れて単独で行動出来る剱には電探を用いた航法装置と対空電探は必要とされた。
零戦五型や紫電改で不可能であった電探の装備を可能としたのは剱の大きさと推進機構に有った、全長21m全幅15mと言う大型の機体に燃費度外視の主推進機と複数の補助推進機を備え力業で運動性能を保持する剱にとって電探の重量は大した問題にはならなかったのである。
『っ!? 方位2.0.2(南南西)距離100kmより接近する機影有り、その数4!!』
『此方でも確認した、各機迎撃態勢を取れ』
『よっしゃぁっ!!』
『了解です!』
電探に敵機(役の友軍機)を補足した剱隊は敵機に機首を向け加速する。
その時、剱の電探から新たな探知音が鳴る。
『っ!? 方位0.4.5(北東)より更に6機接近中!!』
『ハハッ! 10対3かよ、期待され過ぎだなぁおい!!』
南南西の敵機に向かっている所に北東からの新たな敵機の出現、それはつまり挟撃の危険性をはらんでいるのだが、剱隊の3人は殆ど動じてはいなかった。
『楽観視するなら零戦(五型)10機と思いたいが、恐らくは紫電改4機に瑞雲6機だろうな……』
『前方に敵機4機視認、紫電改です!!』
『ハハッ! この距離で判別出来んのかよ、立花ぁ…お前視力いくつだぁ?』
大友が覇気も抑揚も無い声と顔で戦力分析をしていると、立花が前方の敵機を紫電改と判別する、しかし龍造寺と大友の目には小さい点が辛うじて見える程度であった。
『そうだな……立花、紫電隊はお前1人で相手をしてくれ、その間に俺と龍造寺で後ろの6機を片付ける、頼めるか?』
『了解です、任せて下さい!』
大友の指示に応えるが早いか、立花機は一気に加速し紫電隊と思われる敵機に向かって吶喊する。
加速して僅か数秒で最大速度に達する立花機は機体が空気の壁を突き破るような振動を受ける。
そして超音速衝撃波をその身に纏いながら紫電隊に急接近する。
先に撃ったのは紫電隊の4機であった、しかし立花はその攻撃を最低限の機動で難なく躱すと引き金を引き30mm強装薬型回転式薬室機関砲が火を噴いた。
次の瞬間、紫電隊の1機の複数箇所に黄色い花が咲く。
それは立花機の放った模擬弾が弾着した印で有り、即ちその機体の撃墜判定を意味していた。
『なぁっ!? くそ、やられた……っ!!』
『あの距離から正確に当てて来ただとっ!?』
『ま、まぐれだろ!?』
『くそぉっ! 散開しろっ、挟み撃ちにするんだっ!!』
会敵から僅か数秒で二番機が撃墜された紫電隊は慌てて散開する、自分達が撃ったのは数によるまぐれ当たりを期待したもので到底狙って当てられる距離では無いと思っていた。
然し相手は僅か数発の射撃で的確に当てて来たのだ。
それをまぐれ当たりだ囀った所で散開指示に即座に反応した事がそれが負け惜しみに過ぎない事を物語る。
散開し三方向に分かれた紫電隊は剱を挟撃するべく展開しようとするが、剱は驚異的な運動性能を発揮し紫電改に背後を取らせない。
原技術特尉は紫電改を『重いだけの機体』と評したが、大きく強化された動翼(エルロンやラダー等)によって制御される紫電改の運動性能は重戦闘機としては決して低くは無く、米国のF6Fヘルキャットに勝るとも劣ってはいない。
若し対戦相手が同レベルの搭乗員が操縦する零戦五型やF6Fで有れば紫電改はその性能を遺憾無く発揮した事であろう。
然し、残念な事に彼等の対戦相手は米国をして《魔剣》と畏怖される零式制空戦闘機剱を《死神》と称される天才搭乗員が駆っているのである。
その立花の操る剱は下部と背面、そして 主推進機の上下に備わっている補助推進機が小刻みに駆動し噴射する度に機動が急激に変動する。
『ぐぅっ!! くそ、やられた……っ!?』
『ちいっ! 何て機動を描きやがる……本当に人間が乗っているのかっ!?』
立花機の鋭利な機動に追い縋り何とか包囲しようと躍起になる紫電隊であったが、紫電改の運動性能で剱と格闘戦をしたとて敵う筈も無く、四番機が撃墜判定を受ける。
立花機は最初の急接近時以降は速度を180kt(時速約980km)程度に抑えているが、それでも紫電隊は剱の加速力と運動性能に翻弄されている。
立花が速度を抑えたのは格闘戦をやり易い様に紫電改に合わせたのと、最大速度で剱の運動性能を発揮しようとすれば、さしもの立花でも気絶してしまう危険性が有ったからである。
しかし、その立花の行動は紫電改の搭乗員達には自分達が舐められていると感じたようで、躍起になって立花機を猛追する。
『くそが舐めやがって!! 墜ちろ墜ちろぉおおおっ!!』
眉を吊り上げ機銃を乱射する紫電隊三番機であったが、その攻撃は立花機にあっさりと躱されている。
『落ち着け、一人で突っ込むな!! 奴と真面に格闘戦をしても此方が不利だ、交差機動に持ち込んで仕留めるぞ!!』
紫電隊一番機の搭乗員が言った交差機動とはコメリア軍のサッチ少佐が対零戦機動戦術として編み出したサッチウェーブの事である。
日輪陸海軍も零戦や一式戦の優位が失われていく中でその原因を分析し応用していたのである。
『き、来たっ!! 食い付きましたっ!!』
『よし、援護に入る、墜とされるなよ!!』
紫電隊の三番機が立花機を誘うと立花機はそれに食い付くようにその紫電改に照準を定め追撃を開始する、それを受け紫電隊一番機と三番機は互いに交差する様にS字旋回を繰り返し始めた。
『今だ、食らえっ!!』
交差機動によって僚機を追撃する立花機の背後を取る事に成功した紫電隊一番機は必中の構図で射撃する事に成功する、内心勝ったと思った一番機搭乗員で有ったが、刹那、立花機が視界から消えた。
『消えたっ!? ど、どこだ……っ!?』
紫電隊一番機の搭乗員が周囲を見渡しながら焦り叫ぶ、その次の瞬間、僅かに突き上げる鈍い振動が機体に奔り刹那、白銀の光が下から突き抜ける。
『はは……あんなのに勝てる訳無いだろ……』
引きつった笑みでそう言葉を零した紫電改の搭乗員の視線の先には、天に向かって飛翔し日の光を受けながら白銀に輝くの剱の姿が有った。
その紫電隊一番機の機体下部には撃墜を示す黄色い花が咲き乱れている……。
残された紫電隊三番機は必死に機体を捻り反撃に転じようとするが鋭利な機動で反転して来た立花機にあっさりと背後を取られ敢え無く撃墜判定を受けて終了した。
『紫電隊全機撃墜を確認、大友さん達は?』
紫電隊を片付けた立花は即座に電探を確認する、その画面に戦闘中と思しき数機の機影を確認すると推進機を最大推力で噴射し向かって行く。
そこには大友達と戦う大和隊の瑞雲の姿が有った。
しかし既に徳川機と羽柴機は撃墜判定を受けており機体を黄色く染めて空域を離脱して行くところであった。
残った大和隊も防戦一方で有り、立花の眼前で斎藤機が龍造寺機に、織田機が大友機に撃墜判定を受けた。
毛利機と伊達機は何度も剱隊の攻撃を躱し反撃に転じるなど善戦したものの、圧倒的な機体性能の差を覆す事は適わず、程なく両機とも撃墜判定を受け模擬戦闘は剱隊の圧勝に終わった。
『早かったな立花、そっちも問題無く終わったようだな?』
『はい、剱の性能のお陰で特に苦戦する事もありませんでした!』
大友の抑揚の無い言葉に立花は少し興奮気味に答える。
『くはははは!! そりゃぁ良い、早く信濃に戻ってお前を馬鹿にしてた連中の吠え面を拝んでやらねぇとなぁ?』
『いや、そんな……勝てたのは剱の性能のお陰なので、僕の力と言う分けでは……』
『なぁに言ってやがる、この剱の性能を引き出せてる事がお前の実力だろうが、誇れ誇れ、くはははは!!』
『お前達、無駄口はその辺にして帰投するぞ、付いて来い』
龍造寺と立花の浮き足立っているやり取りを大友が抑揚の無い冷静な声で制する。
龍造寺は少し不満げに、立花は申し訳なさそうに了解の意を伝え、3機の銀翼の戦闘機は蒼空を切り裂きながら母艦に向けて飛び去って行った。




