第百四話:艦上の剣
1943年8月10日 サントコペア沖 時刻09:35 天候快晴
サントコペア沖に錨を降ろし停泊する戦艦大和と武蔵、その甲板上には白い天幕が張られ、天幕の下で休む者も居れば甲板を掃除する者も居て走り込みをする者、木刀を振る者、野球を楽しむ者など様々に過ごしている。
また艦内でも訓練室で身体を鍛える者や散髪屋や売店、医療施設を訪れる者、遊戯室で遊ぶ者など様々であった。
そんな大和艦内の士官室で一人静かに手紙を読んでいるのは戦術長の八刀神 正宗海軍大尉である。
『よぉ、八刀神いるかぁ?』
突然のノックの後扉の向こうから聞こえて来る軽薄そうな口調、この大和に置いてそんな口調で喋るのは一人しかいない。
「戸高か、入って良いぞ」
正宗は軽く溜息を付きながら入室を許可するとドアが開きへらっとした軽薄そうな表情で戸高 竜成海軍中尉が入って来る。
「お、嫁さんからの手紙か? 邪魔しちまったかな?」
「……いや、今読み終えた所だ、返事は後で書くから良い。 で、何の用だ?」
「ちぇっ、揶揄い甲斐の無い奴だなぁ……」
によによと目元と口元を緩ませる戸高の表情と発言内容には触れず、冷静にあしらって来る正宗に戸高は口を尖らせる。
「……揶揄いに来ただけならもう良いな? さっさと出て行け」
「いやいや、流石にそれだけで来ねぇって! 予定だと今日中に信濃が艦隊に合流するだろ? そしたら海軍兵学校の4人が同じ艦隊に集まるって事だからよ、半舷休暇とか利用して皆で会えねーかなと思ってよ!」
正宗は呆れた様な溜め息を吐きながら怪訝な表情で戸高に退出を促すが、戸高は良い笑顔で兵学校時代の同期四人で集まれないか提案して来る。
「……ふむ、確かに大和の俺と戸高、武蔵の柴村、そして信濃の班目が同じ第十三艦隊に集まる事になるな、分かった、確約は出来んが調整してみよう」
「おう、宜しく頼むぜ! けど最近は哨戒任務ばかりだし今なら割と簡単にいけんじゃね?」
「如何だかな、信濃が合流した時点で何らかの作戦が開始される可能性も有るし、米艦隊もいつ動くか分からん状況だから楽観視は出来んだろう」
「はぁ……そうなるとまた戦いの毎日か、ならそうなる前に皆で集まってパァッと騒ぎてぇな!」
そう言って快活な笑みを浮かべる戸高に、正宗も僅かに口角を上げながら「そうだな」と一言呟いた。
7月に実行された日輪第九潜水機動艦隊によるコメリア東海岸奇襲作戦以降、日輪海軍では目立った軍事行動も無く8月に入って10日が経過していた。
これは米大統領が倒れた事による米国側の混乱とニューカルドニアの安定に手間取っている日輪側の問題から生まれた空白期間であった。
ニューカルドニアの情勢が安定しなければ豪州本土への本格侵攻もFS作戦の立案もままならないからである。
その為、日輪海軍は制海進出を一時停止し艦隊の増強と再編成に注力した、その一環として今や精鋭部隊として名高い第十三艦隊に装甲空母信濃の合流が決定している。
無論それは第十三艦隊が更なる激戦に投入される可能性を示唆していた……。
そして同日14:50、第八艦隊に護衛され装甲空母信濃と軽空母沖鷹が艦隊に合流する、この沖鷹は大鷹型の三番艦でありパヌアツ沖航空戦で喪失した雲鷹の代艦である。
第八艦隊には第七艦隊から編入された瑞鳳型軽空母千歳と千代田が配備されており基地航空隊と第十三艦隊に補充する為の航空機を搭載している。
その第八艦隊はパヌアツには長くは留まらず、信濃と沖鷹を送り届け航空機を引き渡したら即座にルングに向けてトンボ返りしていった……。
第十三艦隊の大和と武蔵以外の艦艇は周辺の哨戒任務に従事している為、今サントコペア沖に停泊しているのは大和と武蔵に信濃と沖鷹と大鷹だけで有る(海防艦や輸送艦は居るが)
とまれ無事第十三艦隊に合流した信濃と沖鷹は大鷹と共に第四戦隊に組み込まれ、航空隊の再編を行なっている。
また、その一環として大和隊と武蔵隊の搭乗員には補充と移動が発生していた。
「本日付けで第八航空戦隊大和隊に配属となりました、石田一成一飛曹です、宜しくお願い致します!!」
大和の格納庫内に響く溌剌とした声を発したのは利発そうな青年で有った、年の頃は18くらいであろう。
その後は毛利主導の下、織田機、斎藤機、徳川機、伊達機の各搭乗員達の自己紹介が行われた。
「オイラの名は羽柴藤四郎、階級は上等飛曹でお前の乗る機体の操縦士だ、ま、仲良くやって行こう!」
そう言って羽柴は人好きしそうな笑顔を石田に向ける、だが、この場に大和隊の撃墜王で有った立花蒼士の姿は見えない。
その立花はこの時、装甲空母信濃の艦橋に居た。
「立花蒼士飛行准尉、装甲空母信濃に着任致しました!!」
「ああ、よく来たな、私はこの艦の艦長を任されている柴村雛菊大佐だ、お前の噂は聞いているぞ、少年撃墜王」
そう言うと柴村雛菊は目を細め口角を上げる、その凛とした微笑みに蒼士は自分の頬が僅かに紅潮するのを感じた。
「い、いえ……僕……あ、いや自分は……」
「おいこら少年、何赤くなってんの! アンタにゃ雛菊は10年早い!!」
「え、な……っ!?」
雛菊を前に立花が浮ついていると雛菊の横に立っていた年端もいかない少女にズビシと指を差されて言い放たれ、立花は言葉に詰まる。
「はぁ……おい原技術特尉、立花准尉を揶揄ってないで自己紹介をしろ」
「え~? せっかく面白……まぁいいや、アタシは原 純子技術特尉だよ、アンタ達の乗る機体の専任技術主任さ、よろしくな!」
立花を揶揄う原に、雛菊は呆れた様に溜息を吐きながら自己紹介をするよう促す、原は残念そうに口を尖らせた後、快活な笑みを浮かべて自己紹介をする。
「え……技術主任!? 特尉!? 子供なのに?!」
「んなっ!?」
「ぶっ!……っくく!」
明らかに自分より年下の少女が最新鋭戦闘機の整備主任と聞き立花は目を丸くする、原はそれを見て頬を膨らましてむくれ、雛菊は吹き出してしまった。
「……い、言っとくけど、アタシは雛菊と同い年の二十歳だかんねっ!! アンタよりは間違いなく年上のお姉さんなの、分かるっ!?」
「えっ!? し、失礼しました特尉殿っ!!」
「ぷ……くく、見事な反撃だったぞ立花准尉……くく!」
頬を膨らましたままプンプンと怒りそっぽを向く原に立花は慌てて謝罪し、雛菊は涙目で笑いを堪えながら原と立花を揶揄う。
「い、いえ自分はそんな……」
「雛菊っ! あーもう! はいはい悪いのはアタシでござんすよっ!! ふんっ!」
「ふふ、まぁ確かに見た目は幼く見えるが、原は八刀神重工航空部門の首席技術者だ、航空機整備士としての腕前は超一流だから安心してくれ」
「いやぁそれ程でも……有るなっ! ふふん!」
「は、はい、宜しくお願いしますっ!!」
ふくれっ面からの得意げな表情、原純子と言う少女の様な女性はコロコロと表情が変わる、そして立花蒼士という少年は一貫して素直であった。
「んじゃ、そろそろ少年撃墜王を愛機の所に案内したいんだけど、良いよね?」
「そうだな、宜しく頼む」
「はいよ、んじゃ付いて来て!」
「えっ!? は、はい! 立花飛行准尉、退室致しますっ!!」
雛菊の了承を得た原は即座に軽やかなステップで移動しながら屈託のない笑顔で立花に手招きする、その原の行動に困惑しながらも艦長である雛菊に一礼して退室する立花、日輪帝国軍人として正しいのは当然立花の行動の方である……。
艦橋下部の階段を下れば直ぐに航空機格納庫が見えて来る、信濃の格納庫は大和の何倍も広い、当然格納されている航空機の数も多く40機近くが格納されているようである。
階段を降りつつ眺め見えるのは最新の零戦五型が殆どであるが、その奥に見慣れない数機の戦闘機が見て取れた。
「あの機体は、零戦……とは少し形状が違いますね」
「ん? ああ、あれは紫電改だね、局地戦闘機を艦上仕様にした最新鋭機さ」
「じゃあ、あれが僕の乗る新しい機体……!」
原から最新鋭機と聞き立花は紫電改を凝視する、先程原が言った通り、紫電改は陸上戦闘機である紫電を艦上戦闘機として再設計した機体である。
形状は双発で少し太めの零戦と言って差し支え無いが、見た目に寄らず最大速力は時速980kmを叩き出し、武装は30㎜機関砲を2門装備、航続距離も増槽無しで1100km、増槽装備で2500kmを確保しており、防弾性能と上昇下降性能は零戦五型を凌駕していた。
反面、運動性能は零戦五型を大きく下回り軽快な零戦に慣れた搭乗員によっては扱い難いと評する者も少なく無かった。
「おーい、他所見して無いで行くよ、こっちこっち!」
そう言われて立花が声の方向に目を剝けると原が格納庫より更に下の階段を降りていた、格納庫が目的の場所だと思い込んでいた立花は慌てて原の下に駆け寄る。
「あ、あの、僕の乗る機体ってあの紫電改じゃ……?」
「んん? あ~違う違う、あんな重いだけの機体じゃ少年の才能は生かせんでしょ、だからこそのあの子なんだよん!」
そう言い終わると原は階段を降り切り、上層の格納庫より更に本格的な設備の整った、正に整備工場のような区画に降り立つ。
そして軽やかなステップで少し移動すると全身を使ってとある方向を指し示した、そこには立花にも見覚えの有る銀色の大型戦闘機が格納されていた。
「ーーっ!! こ、この機体は、まさか、いや間違いない……っ!!」
原の指し示した機体を見た立花は目を見開き興奮気味に声を張り上げ、その銀色の大型戦闘機に、零式制空戦闘機・剱に駆け寄った。
「これが少年に与えられる新たな機体、新たな刃、零式制空戦闘機・剱丙型だよっ!!」
その原の言葉を聞いているのかいないのか、立花は目を輝かせながら剱を見つめている。
「凄いだろ? この剱丙型は乙型を元に艦上仕様に再設計された機体なんだ、着艦機構と主翼折り畳み機構の重量増加で乙型よりは多少運動性能は劣るけど、それでも他の追随を許さない剱の制空性能は健在だよ!」
原は剱を前に感動している立花の横に立ち自慢げに言い放つ。
剱丙型は原の言った通り剱乙型をベースに再設計された機体であり、基本性能は甲乙型と大差は無い。
しかし外観の違いは随所に有り、目立つ部分を挙げるならば主翼前方に付いている補助翼であろう。
これは着艦機構と主翼折り畳み機構の増設による重量増加と発着艦時の機体制動を考慮して取り付けられた物である。
因みに主翼の折り畳み機構は瑞雲同様操縦席から操作可能となっている。
「おいおい、何で帝国海軍の艦に外人のガキが乗ってんだぁ? それも秘匿兵器の前によぉ!!」
「まさか大和に沈められたコメ公の艦の捕虜かぁ? 駄目じゃねーか、捕虜が首輪も付けずに歩き回っちゃぁよ!?」
突如響き渡る声に立花は少し驚きながら振り向き、原は怪訝な表情で声のした方向を睨んでいる。
そこには四人の飛行服を着た航空機操縦士がニヤ付きながら立っており、それを見た立花は「またか」と言いたげなウンザリした表情になる。
「……アンタ等『紫電隊』の連中だね、此処はアタシ等『剱整備班』のシマだよ、とっとと失せなっ!!」
「ーーっ!?」
信濃の広大な整備区画の端から端まで轟く大声量の一喝、その声は少女のように小さな身体の原から発せられたものであった。
原は腕組みをしたまま眼光鋭く紫電改の操縦士達を睨み付ける、その小さな身体から発せられる迫力と圧力にニヤけていた紫電改の操縦士達の顔は引き攣り身体は硬直していた。
「ぐっ! こ、このアマーー」
「ーーよ、よせ、技術士官とは言え一応上官だぞ、楯突くのは拙いって!」
「……ちっ! くそが、覚えてやが……うぐっ!?」
「いやいや、お嬢と仲間にアヤ付けといてこのままケツ捲れると思ってんのか? あ゛?」
原の迫力の前に怖気付いた紫電改の操縦士達は捨て台詞を吐いて逃げようとするが、操縦士の一人が後ろから首を掴まれ苦痛に顔を歪める。
紫電改の操縦士の首を捻り上げているのは180cm程の細身の長身で体付きは良くガラはすこぶる悪い二十歳前後の青年で有った。
「お嬢、このままコイツの首をへし折っても良いよな?」
「ーー良い分け無いでしょっ!! アンタの馬鹿力でそれ以上締め上げたら本当に首の骨が砕けちゃうでしょ、さっさと放してっ!! 大友中尉も見てないで止めるくらいしなよ、隊長でしょ!?」
ガラのすこぶる悪い青年は悪びれる事も無く殺人宣言をした為、原が八重歯を剥き出しに怒鳴って止める、そして横で傍観していた青年にも苦言を呈するが「……悪いのはコイツ等だし俺は関係無いと思う」と覇気も抑揚も無い声で不介入の意志を表した……。
「ま、こんな雑魚共でも戦力は戦力か、とっとと失せて自分の機体でも磨いて来やがれ!!」
そう言うとガラのすこぶる悪い青年は操縦士の首を投げ捨てるように放した。
すると紫電改の操縦士は無様に床に転がり、捨て台詞を吐く事も無く退散して行った。
「あ、あの、ありがとうございます。 自分は本日より信濃に配属になりました立花蒼士飛行准尉であります!」
紫電改の操縦士達が退散した後、立花は即座に姿勢を正し敬礼しながら所属氏名階級を述べる。
改めて二人の青年を見ると一人は軍服を着崩した目付きの悪い男性で、もう一人は一見普通に見えるが、その目はまるで死んだ魚のようであった。
「おお、俺は龍造寺 兼政飛行少尉だ、お前の噂は聞いてんぜ、その歳で撃墜王なんだってな? ま、戦闘機乗りに歳も外見も関係無ぇ、腕の立つ奴ぁ歓迎するぜ!」
龍造寺と名乗った青年は覇気は良くガラは悪い声でそう言った。
「……そうだな、優秀な者と組めば勝率も生存率も上がる、容姿や年齢で拒む理由は無い。 俺は大友 頼直飛行中尉だ、俺達三人で隊を組む事になるから宜しくな」
大友と名乗った青年は死んだ魚のような目と感情も抑揚も無い口調で言う。
「は、はいっ!! ありがとうございます!!」
龍造寺と大友のその言葉に立花は弾む様な溌溂とした声でそう言った、内心また拒絶されるのかと思っていただけに安堵もひとしおであった。
そんな3人のやり取りを腕組をしたまま見ていた原は満足そうにウンウンと頷いている……。
「よっし、んじゃ親睦も兼ねて早速訓練飛行と行こうじゃねーか、俺達3人の剱でよ!!」
そう言いながら龍造寺は奥に在る愛機に歩み寄り、そして振り向くと歯を剥き出しに獰猛で邪悪な笑みを浮かべた。
「ーーっ!? は、はい!! 喜んでっ!!」
「……へぇ?」
その龍造寺の言葉に立花は意気揚々と即答した、それを見た大友の死んだ魚の様な眼が少し見開かれる、龍造寺のあの獰猛で邪悪な笑みに怖気付かなかった者は大友の知る限り自分と雛菊くらいで有ったからだ。
「え? 何言ってんの? そんないきなり飛行許可が下りる訳無いでしょ? 整備だってまだ終わって無いのに! 馬鹿な事言って無いでアンタ等は少年をねぐらに案内してあげなね?」
「おぉ……おお……」
「で、ですよね……」
「まぁ当然だな」
半目で呆れ気味な原の言葉に龍造寺は不満とも了解とも取れる声を漏らし、立花は分かり易く落胆し、大友はいつもの死んだ魚の目と抑揚の無い言葉を発した。
「はいはい、もうすぐ整備班の休憩が終わって戻って来るからアンタ等はねぐらに行った行った!」
そう言って原に追い払われた3人は仕方なく自分達の個室に向かって移動を始める、が、立花はふと立ち止まり振り向くと、期待に胸躍らせた眼差しを銀に輝く艦上の剱に向け、再び原に追い払われるまでその勇姿をジッと見つめ続けたのであった。




