第百一話:迎国の思惑
1943年7月8日 時刻12:50
皇京湾南方100km、夢島諸島(群島)某所地下基地
エルディウム合金の梁で補強された人工洞窟内に建造されたその軍事施設は大部分が港湾設備で占められている、にも拘らず周囲は全て岩盤で覆われており艦船が通れる様な水路は見当たらない。
「司令、境域音波通信を受信しました! 【我、伊号901、『槍の穂先』ヲ入手セリ、門の開放ヲ求ム】以上です!」
「おお、ゲルマニアの誘導弾技術の入手に成功したのか! 直ぐに水門を開放しろ、救国の志士達の凱旋だっ!!」
地下基地司令室にて通信員からの報告を受けた同基地司令官は椅子を弾き飛ばす勢いで立ち上がり、嬉々とした表情を浮かべ門の開放を指示する。
その指示に従い司令室要員が大きなレバーを引き上げると洞窟内に重低音と共に振動が響く、一見洞窟には何の変化も無いように見えるが、この時海中では巨大な大門がゆっくりと解放されていた。
そう、この基地は可潜艦や潜水艦の為に造られた秘密基地であり港湾への出入り口は海中に存在しているのである。
暫く後、洞窟内の海面がもり上がりそして割れる、そうして姿を現したのは全長384m、艦体幅42mを誇る世界最大級の巨大潜水艦、伊号901潜であった。
その巨大な鋼鉄の鯨を心待ちにする港湾施設の作業員や兵士官、将官までもが総出で伊901潜を出迎え歓声を上げている。
いくら比類無き巨艦といえど潜水艦1隻に此の出迎えは普通ではない、これは偏に伊901の帯びた任務が迎国からの誘導弾の技術供与であり、伊901潜の艦内にはその誘導兵器技術が積み込まれているからである。
この技術が有ればコメリアの基地施設や車両、艦船などをアウトレンジから一方的に破壊する事も不可能では無くなる、戦術戦略ドクトリンを大きく覆す正に日輪帝国の希望となる夢の技術なのだ。
その為に日輪帝国海軍は貴重な空母を6隻もインドラ洋に投入し、ゲイルのダマルガス島進出に協力したのである。
伊901潜がゆっくりと接岸すると港湾作業員達が素早く専用のタラップを横付けし、甲板に出ていた伊901乗組員が艦にタラップを固定する。
そして基地作業員や将兵が見守る中、日迎の将官と共に日外交官と迎外交官が、その後に迎遣日技術団の技術者数名がタラップを降りて来ると周囲から歓声が上がる。
その歓声の中、日外交官と迎国人達は笑顔で応えているが、伊901の司令官である別所 浩道海軍中将と同行していた西郷 時盛陸軍中将は揃って無表情で有った
「吉村公使、我々は基地司令に話が有る故、迎国の方々の事をお任せしても宜しいか?」
「ええ、勿論ですお任せ下さい!」
外交官の男性が快諾した事を受け、別所と西郷は互いに頷くと歓待の輪を抜け迎えの車に乗り込むと基地司令部に向けて走り出す、その時二人は怪訝な視線を伊901に向けていた。
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「おお、よく戻って来たな別所、それに西郷中将も慣れない船旅は大変だっただろう? しかし是で我が国が米国に先んじて誘導兵器を手に入れられる、ヒドゥラー嫌いの陛下も流石にお喜びになられるだろう!」
「……その事なのだが、少し込み入った話が有る、人払いを願いたい」
「む……?」
別所と西郷が指令室に入室するや基地司令が歓喜に歩み寄って来る、しかし別所が開口一番発した言葉に基地司令は一気に真顔となり部下に目線で退室するよう促した。
「まぁ座れ、それで、何か問題が有るんだな?」
「ああ、積荷に問題有りだ……」
「積荷、だと?」
「……誘導兵器の……部品だ」
基地司令の問いかけに別所は終始歯切れ悪く、西郷は眉間に皺を寄せ目を伏せて黙している。
「不良品を押し付けられたと言う事か?」
「いや、そうでは無い、そう言う事では無く、その部品……その物に、倫理的な問題が有るのだ」
「倫理的な問題、だと? 話が見えんな、貴様らしくも無い、ハッキリと言え!」
煮え切らない別所に基地司令は苛立ち僅かに声を荒げる、すると別所は深い溜め息の後、改めて口を開く。
「……その部品とは、人間なのだ……」
「…………は? 今、何と言った? 私の耳には人間が部品だと聞こえたのだが?」
「そう言った、ゲイルの誘導兵器の基部には……人間が……ウルキア人の脳が使われているのだっ!」
「ーーっ!?」
僅かに強張った顔で聞き返して来る基地司令に、別所は苦悶の表情を浮かべながら絞り出す様な声で言い放つ。
それを受けた基地司令は強張った表情のまま絶句する。
「…………人間の……ウルキア人の、脳? 脳味噌……だと? 人間の脳味噌を、兵器の中に組み込んでいると言うのかっ!?」
何とか再起動した基地司令は強張った顔を紅潮させ怒鳴りながら机に拳を叩き付ける。
「……そうだ、奴らは文字通り、人間を兵器の部品としている」
「……まさか、我が国の希望となる筈の技術が、斯様な非人道的な物で有ろうとは……何という事だ、一体……如何するべきなのだ……」
別所の言葉を聞き、基地司令は愕然とした表情で頭を抱えて項垂れた、その様子に今まで沈黙していた西郷が重苦しい表情で口を開く。
「儂はこの件を陛下に上奏するつもりだ、しかし陛下が即動いて下さったとしても迎国との交渉は内側の干渉を含め難航するだろう、その間ウルキア人の処遇とゲイル人……特に黒服の連中への慎重な対処をお願いしたい」
「ふむ、難しい対応が必要だな……。 それで、ウルキア人達は何人で今どう言う状態なのだ?」
「物資格納庫の中に男女合わせて120名、手足と首に鉄製の拘束具が付けられ首の拘束具には鎖が通され10人毎につながれている……」
「ぬぅ……まるで奴隷だな、今直ぐにでも解放してやりたいが……」
西郷の言葉に基地司令は眉間に皺を寄せ唸る、若し今、基地司令部が明白にウルキア人の保護に動けば間違い無く迎国との外交問題に発展するだろう。
厄介な事に迎国は件のウルキア人達を政治犯の死刑囚としている。
即ち罪人で有るウルキア人達の身柄は迎国の法律に帰属し、日輪が彼等を保護する明確な理由が無いのだ。
つまり、仮に神皇がウルキア人の解放を迎国に要請したとしても、迎国が拒否すれば日輪には手の出し様が無いと言う事である……。
かつて樋口は脱迎して来たウルキア難民を保護し、東條もゲイル政府からの苦情を人道的配慮を理由に跳ね除けたが、今回の場合状況が全く違う。
今回のウルキア人達は日輪国の求めた技術提供に応じて迎国が用意した、正式な裁判で有罪の確定した死刑囚だと言う事である……。
勿論、実際はウルキア人と言うだけで裁かれる茶番なのだが……。
しかし主権国家足る迎国が正式な裁判と言い張れば、それを他国が覆す事は不可能に近い。
つまり日輪側が件のウルキア人達を保護すれば、それは罪人隠匿となり日輪側にその正当性を語る術は無い。
故に基地司令官に打てる手は限られており、一刻も早い『外交交渉』が求められるのだ。
「本来は誘導兵器の部品は陸軍の潜水輸送艦で浜須賀に移送する手筈になっていたが、是は儂が理由を付けて差し止めて置く、迎遣日技術団の者達には歓待と称して浜須賀と平京の観光をさせる故、一週間位は時間が稼げる筈だ」
「ふむ、つまり陛下の下知が有るまで当基地がウルキア人達を迎国との外交問題に発展しない範囲で手助けをせねばならんと言う事か……中々に難儀だな」
別所の言葉に基地司令が眉間に皺を寄せながら重苦しく言葉を発する、つまりウルキア人達の衣食住環境をSSに気取られぬ範囲で整えると言う事だが、その名目と信頼出来る人選が課題となって来る。
恐らくは日輪軍の将兵の中にもウルキア人の犠牲を是とする者が居る、これは士官の中にもヒドゥラーの著書を愛読し、その思想に傾倒する者が居る事からほぼ確実で有った。
「ああ、黒服(SS)の連中はウルキア人に張り付いている、我々の思惑に勘付かれれば技術供与と称して作業を強行しウルキア人達を殺すかも知れん……」
「うむ、それも我々と共謀してやったように見せる腹づもりで有ろうな、信頼出来る技術士官に迎技術団を探らせたのだが、如何やら奴等は将来的に我が国がハルベンに匿うウルキア人を使う事を期待しているらしい」
「成程、誘導技術を餌にハルベンのウルキア人難民を我々に殺させるつもりか……ヒドゥラーは余程ウルキア人を排除したいらしいな」
そう言うと基地司令はうんざりした様子で深い溜息を吐く。
「民族を根絶するなど正に狂気だ、斯様な鬼畜と同盟を結んでしまうとは、松岡外相には腹でも切って貰わねばな!」
そう言うと西郷は眉を吊り上げ鬼の形相となる、それを見た別所と基地司令は引き攣りながら苦笑する。
今頃、日迎伊三国同盟の立役者たる松岡外相はくしゃみか悪寒を走らせている事だろう……。
「さて、それでは儂は迎技術団を浜須賀に連れて行き、その足で皇京に向かい陛下への謁見手続きを申請しようと思う、この場はお任せするぞ」
西郷が重い腰を上げ立ち上がると、別所と基地司令も立ち上がり深く頷く。
西郷も改めて二人に深く頷くと踵を返しドアへと歩き出す。
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司令部の建物から出た西郷は日迎技術団の乗る車列と合流し、長いトンネルを抜けた先にある飛行場で車を降りた。
此処から大型の旅客機で浜須賀まで飛ぶので有るが、西郷達と技術団の乗る旅客機は窓が塞がれ潜水艦基地の有る島や経路が上空から見えないようになっている。
程なく飛び立った旅客機はわざと遠回りをし1時間半を掛けて浜須賀に到着する。
これは飛行距離で浜須賀から夢島までの距離を測らせない為の措置で有った。
浜須賀で日迎の技術団と護衛の士官に外交官を降ろした旅客機は、西郷を乗せたまま離陸し一路帝都皇京へと針路を取った。
そして皇京外縁の簡素な仮設空港に降り立った西郷は迎えの車に乗り、皇京都庁塔へと向かう。
「相変わらず復興が止まっているのだな、皇京は……」
土すら盛られずエルディウム外殻が剥き出しの大型浮体構造物を車の窓から眺める西郷がぼそりと呟く。
「はっ……! 然し、それでも丸之内霞ヶ関地区に聳える皇京都庁塔と高層ビルディングは帝都皇京の偉大なる象徴であります!」
西郷の言葉を拾った旧皇京生まれ新皇京育ちの若い士官は溌剌と声を張り熱く語る。
「帝都……か、神皇陛下の座さぬ都を果たして帝都と呼べるのか……」
西郷のその言葉に旧皇京生まれ新皇京育ちの若い士官は言葉に詰まる、それは紛れも無い事実で有るからだ。
且つて旧皇京で蒼燐核水晶の精製が実行される折、先皇と幼い皇女(現神皇)は理力の泉の源泉で有った皇居から平京の御所へと行幸(神皇が外出すること)した。
結果は蒼燐核水晶の精製失敗によって皇居は旧皇京諸共消滅してしまう。
その後、先皇は平京御所で崩御し現神皇も未完成の新皇京に還幸(神皇が行幸先から帰ること)する事無く現在に至っている。
しかし先皇も現神皇も遷都はしていない為、日輪の帝都は皇京のままとなっている。
簡単に言えば平京の別荘に行ったまま、皇京の本邸に帰って来ていない状態と言う事である……。
「閣下、間も無く都庁塔に到着します」
「あい分かった、さて……久方ぶりの伏魔殿か、鬼が出るやら蛇が出るやら……」
軽く溜め息を吐きそう言いながら西郷は横に置いてあったジュラニウム製のアタッシュケースを手に取った、そのアタッシュケースと西郷の左手首は手錠によって繋がれている。
中には宮内庁に提出する神皇への謁見許可を求める書類と神皇に渡す迎国技術団関連の書類が入っている為、他人には任せず自分の手で持ち運んでいた。
やがて車は都庁塔前に到着し、西郷は車から降り立つと全高333mを誇る都庁塔を見上げ、僅かに溜め息を吐くと表情を引き締め歩き出した。




