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架空戦史・日輪の軌跡~~暁の水平線~~  作者: 駄猫提督
第一章:東亜太平洋戦争
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第百話:軍艦陸奥爆沈の謎

 1943年7月2日 


 浜須賀港沖2km、日輪第二艦隊群


 主力艦のほぼ全てが大破判定を受け、日輪全土の海軍工廠に散らばって修理を受けている第二艦隊は軽巡大淀(おおよど)を仮の旗艦とし旗下の駆逐艦9隻と共に浜須賀沖で待機していた。


 艦隊旗艦となった軽巡大淀(おおよど)は、水上機格納庫に本格的な司令設備が整備され第二艦隊司令部として機能している。

 その第二艦隊司令部の士官達が忙しなく業務を行なっている中、艦隊司令の執務机で分厚い報告書を怪訝な面持ちで睨み付けているのは第二艦隊司令西村(にしむら) 洋治(ようじ)中将であった。


 その西村提督の眼前には4名の海軍軍人が神妙な面持ちで立っている。

 軍服の襟元と胸元に付けられている階級章と勲章から彼らが少尉から中佐の技術将校である事が分かる。


「……敵潜水艦からの徹甲魚雷乃至(ないし)魚雷の艦底起爆による弾薬庫誘爆……?」


 西村提督は深い溜息を付いた後、分厚い報告書を執務机に置いた、その報告書には【軍艦陸奥沈没原因報告書】と書かれている。


「おかしいな、私の集めた情報とこの報告書の内容を照らし合わせると様々な矛盾が生じるのだが? 本当にこれが陸奥の沈没原因だと?」 


 西村提督の口調は落ち着いていたが、その眼光は鋭く技術士官達を射抜いており、技術士官達はバツが悪そうに視線を泳がせている。


「そ、その報告書の内容に多少(・・)の矛盾や不明瞭な点が有るのは事実ですが、起こった事象と結果を考慮すると、その報告書に記載されている内容でしか説明が付かないもので有りまして……」


 西村提督に睨まれたままの技術中佐がしどろもどろに説明するが、その明らかに挙動不審な態度に西村提督は椅子の背もたれに身体を預け呆れた様に溜息を付いた。


 西村の眼前で立ち尽くしているのは大日輪帝国海軍艦政本部技術研究所統括部が陸奥の沈没原因究明の為に立ち上げた査問委員会の者達である。


 査問委員会の技術将校達は当初、陸奥の沈没原因は潜水艦の雷撃によるものだと考えていた、長門(ながと)の艦長と同じ結論である。

 然し救助された陸奥の乗員達は雷撃の可能性を否定した。

 若し雷撃を受けたのであれば舷側に巨大な水柱が立ち上がる筈だが、誰も水柱を確認しておらず、問題無く射撃していた三番主砲塔が突然大爆発したと皆が口を揃えて証言したのだ。


 魚雷説が否定された査問委員会が次に考えたのは艦後部で発生していた火災の延焼による弾薬庫の誘爆で有った。

 しかし火災は陸奥爆沈時の少し前に鎮火しており、そもそも主砲弾薬庫は極めて強固に造られている為、他区画の火災が主砲弾薬庫に延焼する事は構造上まず有り得なかった。


 困った査問委員会は砲弾の自然発火説や傾斜による砲弾の落下等の仮設を立てたものの、様々な検証や証言からそれ等も否定される。


 困り果てた査問委員会が消去法によって再度持ち出したのが最初の見解で有る魚雷説、それを裏付ける為に用意されたのが『徹甲魚雷説と魚雷の艦底起爆説』で有った。


 即ち水柱を立てずに戦艦を撃沈出来る魚雷とはどの様な物か、と逆説的な条件で仮説を打ち立て考え抜いた結果が「装甲を貫徹し内部で起爆する徹甲魚雷か艦底で起爆した魚雷」と言うものであった。


 徹甲魚雷と艦底で起爆した魚雷、確かにどちらも可能性としては無いとは言えない。


 ワシントン軍縮条約以前の艦である長門(ながと)型戦艦は水中防御が考慮されていない為、速力80ktの徹甲魚雷で有れば喫水線下の外殻を貫徹し主砲弾薬庫に何らかの被害を与え得るかも知れない。


 だが若しそうで有れば三番主砲塔の爆発より前に被雷よる衝撃が陸奥を襲った筈である。

 然し生存者の証言は「問題無く射撃していた三番主砲塔が突然大爆発した」と言うものであった。

 

 更に魚雷が艦底で起爆したのならば、それこそ突き上げるような衝撃が有った筈である、だがそんな証言をした者は生存者の中に一人も居ない。


 つまり査問委員会が水柱の矛盾を説明する為に立てた推論は別の矛盾を生み出しただけであった。

 西村は事前に陸奥(むつ)の生存者と長門(ながと)の乗員達から情報収集を行なっていた為、報告書の内容に呆れ果て溜息を付いたのだ。


 当然の事として西村が矛盾だと分かる事が艦政本部の、それも技研統括部の技術将校達に分からない筈は無い。

 自分達の提出した報告書が到底納得に足らない物だと分かっているからこそ彼等は終始神妙な面持ちでバツが悪そうに視線を泳がせているのだろう。


「…… 矛盾や不明瞭な点が有るならば起こった事象と結果を説明すべき報告書として成立していないだろう? にも関わらずこの報告書には査問委員長である塩沢閣下の署名と承認印が押されているな? 実に不可解な事だ、一体何を隠している?」


 西村が目を細め技術将校達を眼光鋭く睨み付け問い詰める。

 査問委員長の塩沢は海軍大将で有り艦政本部長を務めた事も有る人物である、そんな人物がこの報告書の矛盾や問題点に気付かない筈は無い、にも拘らず塩沢はこの報告書に署名と承認印を押している、それはつまり矛盾や問題点を黙認してでも隠さなければならない真実が有ると言う事に他ならないのだ。


「……」


 西村の率直な指摘に技術将校の1人である技術大尉が視線を泳がせながら技術中佐に目線を送った後、おずおずと口を開く。


「……一つだけ、陸奥爆沈の謎を矛盾無く説明出来る確度の高い推論が有ります、然しそれは、決して公に出来無い内容でして……」

「ほう? 是非聞かせて貰おうじゃないか」


「……分かりました、実は長門(ながと)の乗員や陸奥(むつ)の生存者から聴取していた所、ある二等海曹が上官達から常習的に過剰なしごき(・・・)を受けていたとの証言が複数有りました、内容はかなり陰惨で矯正の範疇を大きく逸脱していた様です、そしてその二等海曹は知人と集まった席などでよく口にしていたそうなのです……『自分がその気になれば何時でも火薬庫に火を付けられる、そうなれば自分も死ぬが奴等(・・)も木っ端微塵に出来る』とーー」

「ーー莫迦なっ!! 乗員による付け火が原因だとでも言うのかっ!?」


 技術大尉の言葉を最初は怪訝な表情で聞いていた西村であったが、段々とその表情が強張り目を見開くと椅子を弾き飛ばす様に立ち上がり声を張り上げる。

 

「確証は有りませんが、件の二等海曹は三番主砲塔弾薬庫配置の下士官で有り、その役職から火薬庫に付け火をする事も不可能では無かったと考えられます……」

「莫迦な……日輪海軍の象徴たる陸奥(むつ)が乗員の付け火で沈んだ等と……そうか、その事実を隠す為に塩沢閣下は……」

「…左様で有ります、我々もそうでは無い事を願い様々な角度から仮説を立てて検証を行ったのですが、閣下の御慧眼の通り矛盾を取り除けませんでした、然し二等海曹に関する仮説は決して公に出来ませんので、止むを得ず斯様な報告書を作成するに至った次第で有ります……」


 その技術将校の言葉の最中、西村提督は力無く崩れる様に椅子に腰を落とし真っ青な表情で愕然としている。


 過去の事例に置いても艦内の虐め等が原因による乗員の凶行によって艦が破損や沈没にまで至ったケースは有った、その時も対外的には過失による事故として発表されている為、今回の査問委員会の対応も特に異例な事では無い。


「……信じられん、信じたくも無い……長く厳しい訓練を積み重ね、漸くその成果が発揮されようと言う舞台で、個人的な恨みによる付け火などと……」 


 西村は両手で頭を抱え机にうつ伏せたまま絞り出す様な声でそう言った、その西村の様子を慮りながらも技術将校達が口を開く。


(くだん)の二等海曹はこうも言っていたそうです、『自分が謂れ無き暴力と罵詈雑言を受けながら馬車馬の如く働き陸奥(むつ)が戦果を挙げれば奴等(・・)がその功績で英雄と持て囃される、そんな様を見せられるくらいなら陸奥(むつ)と心中した方がずっと良い』と、そう知人に洩らしていたそうです、その知人によると精神的にも肉体的にもかなり追い詰められている様子であったと……」


「……恐らくは追い詰められ自暴自棄になり、憎む相手が艦と共に功績を挙げ英雄となるのが許せなかった……その二等海曹にとっては同胞である筈の上官達が米英以上の敵と感じられていたのかも知れません……」


「……何とも、度し難いな……」


 技術将校達から挙がって来る情報に西村提督は辟易とした表情で一言そう呟いた、それが二等海曹と士官達のどちらに向けた言葉なのか或いは双方に対してなのか、それは計り知れない。


「全くもって同感です、ただ状況的にこの二等海曹が陸奥(むつ)の爆沈に関与した可能性は濃厚ですが、あくまで仮説の域は出ていません……真相は海の底、闇の中です……」


 技術大尉は同感と言っているが西村が誰に対して度し難いと言ったのか理解してはいない、彼はただ陸奥(むつ)の沈没原因を魚雷にしたい一心で場の空気を読んで同調しただけなのだろう。 


 西村は眉間に皺をよせ額を机の上で組んだ両手に乗せて沈黙している、その西村の様子を見て後一押しと感じた技術中佐は部下の言葉を捕捉する様に言葉を続ける。


「成ればこそ誰の名誉も傷付けない方便が必要であると考えその報告書を作成した次第で有ります、若し付け火の件が公になれば、無実の可能性も有る二等海曹の名誉は地に落ち遺族は迫害されるでしょう、そして二等海曹のへのしごき(・・・)に関わった可能性の有る者達の名誉も地に落ちます、陸奥(むつ)と共に海底(うなそこ)に沈み弁明すら出来無い者達の名誉が一方的に損なわれるのです、それを防ぐ為にも閣下の御承認を頂きたく存じます!」


 そう言い終わった技術中佐が直立不動の姿勢のまま西村に向かって御辞儀をすると後の3名も一斉に御辞儀を行う、一般人が見れば角度の浅い御辞儀に見えるが是は日輪陸海軍に置ける脱帽時の正式な敬礼である。


「ふむ……」


 西村提督は椅子にもたれ掛かり天井を仰ぐと腕を組み深く思案する。


 確かに如何に確度が高かろうが、確証が無い以上それは憶測と同義である。


 無実の可能性の有る者を晒す様な情報を公開するくらいなら偽りの情報を流布する方がよほど真摯な対応と言えるだろう。


 艦政本部と軍令部の本心が保身で有ったとしても、である。


 何より戦艦陸奥(むつ)の沈没原因が乗員の付け火と言うのは真実であれ偽りであれ非常に宜しく無い。


 陸奥(むつ)は姉妹艦の長門(ながと)と並び永く大日輪帝国海軍の象徴で有り国民に深く愛された(ふね)であった。


 それは戦艦大和(やまと)の存在が日輪国民に公表された現在も変わらない。


 日輪の領海を存在感と言う抑止力を以って20年の永きに渡り護って来た実績は、例え超戦艦大和(やまと)と言えど容易に上塗り出来るものでは無い。

 

 その陸奥(むつ)が敵に沈められたとて秘匿すべき大事であるのに、まして乗員の故意による自爆だなどと、決して公にする訳には行かない事は西村提督にも十分に分かっている。


 だが同時に不安要素が多過ぎる事も感じていたのである。


「……この矛盾だらけの報告書を公表したとて、一般市民はともかく有識者の納得を得られるものかね?」

「そ、それは……」

「……二等海曹の件が外部に漏れさえしなければ疑問が拭えずとも納得するしか無くなりましょう、聴取した者達には艦政本部権限で緘口令を敷いてております故、後は押し通すしか無いでしょうな……これが唯一絶対の真実で有ると……」 


「…… 例え神皇陛下の御権能で緘口令を敷いたとて人の口に戸は立てられんだろう、同胞や友柄を亡くした者達は矛盾の有るこの内容では決して黙っては居らんだろうよ……」


 そう言いながら西村は報告書を開くと無造作にパラパラと頁をめくる、そして最後の頁を開くと徐に筆を取り承認欄に自分の名前を記入する、そして引き出しから重厚な印と朱肉を取り出すと無言で朱肉を付けて力強く報告書に押し付けた。


「か、閣下……?」


 零す言葉とは裏腹な行動を取る西村に技術将校達は困惑している。


「とは言え、建艦に置いて日輪最高の知恵者の集団が出した結論だ、一群司令の私がとやかく言った所で建設的な結果は得られんだろう、以って陸奥(むつ)の謎は貴官等か若しくは後世の有識者に任せ、私は兎角この戦争を戦い抜き陸奥(むつ)とその英霊達に報いる事にするよ」


 そう言うと西村は報告書を閉じ、それを技術中佐に差し出す。


「ご理解頂きありがとう御座います閣下、早速この報告書と共に艦政本部に戻り、本部長に完了報告をさせて頂きます!」


 先程までとは打って変わり溌剌とした声でお礼を述べると技術将校達は一斉に御辞儀をした後、踵を返し司令室から退室して行った。


 この後、日輪政府から軍艦陸奥(むつ)の爆沈原因は敵潜水艦からの新型魚雷で有る可能性が濃厚と公式発表が成された。


 当然、この発表に疑念を持つ者は多く、有識者からは様々な反論が出され、そして西村提督の懸念通り件の二等海曹の話しは何処からとも無く漏れ各界で論争となった。


 更に戦後の話となるが、当該海域に置いて日輪戦艦を雷撃した連合軍の潜水艦の記録は無く、そもそも展開していた事実すら無かった事が発覚し、軍艦陸奥(むつ)沈没原因報告書の内容が全く出鱈目で有った事が露呈した、是によって論争はかつて無い程に紛糾する事になる。


 以後数十年或いは数百年に渡り軍艦陸奥(むつ)爆沈の謎は様々な軍事評論家や史学者が論争を繰り広げる事となるのである……。


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