幕間49
幕間49
「ちっ、もう少し西側か。」
ユノースは、手元の羅針盤を見ながら、苛立ちを吐き出す。
目の前でその針を振っている羅針盤は、ヴルカルから緊急時の合流場所への道標として以前より預かっていたものであった。
木製の丸い箱の中にある赤と黒で塗られた矢印が、目的地への方向を指し示してくれる代物であったが、正確な位置は分からず、ユノースの苛立ちは強まっていた。
それでも必要以上に体力の消耗を抑えるために、余計なことは考えずにユノースは、手元の羅針盤に魔力を込める。
込められた魔力に反応をしながら、羅針盤は、ユノースの行くべき方角を指し示す。
「くそ。」
脇腹の傷の痛みにユノースは、腹立ち紛れに怨嗟の声を上げる。
倒したと思っていたアサシンに不意打ちを喰らい負った傷は、見た目ほど深くはなく、専門外であるユノースの簡単な治癒魔法で応急措置こそ終えたが、それも完全ではなく、またアサシンの武器には、毒か何かが塗られていたのか、未だにユノースに痛みによってその存在を訴えていた。
あの後アサシンは、ユノースが放った一撃によってすぐにユノースと距離を置いた。
「きひひ。ここは一旦引かせてもらいますか。」
そう捨て台詞を残し、そのまま影のようにユノースの目の前から消え去った。
最も、周囲のどこかに未だに潜んでいる可能性は高い。
そのためユノースは、周囲の警戒を続けながら目的地に向かっている。
痛みは、ユノースに苛立ちを与え、同時にアサシンの存在は、彼にやりようのない怒りを感じさせた。
「まったく、こいつは、俺をどこに連れていくつもりなんだ。」
ぼやきながら、手元の羅針盤に視線を落とす。
羅針盤は、先程とは、また別の方向に針を向けていた。
魔力を込めれば、目的地に誘導をし、その場所に着いた時、そこに至るためのカギとなる。
そうヴルカルに説明された、この道具は、しかしいつまでも魔力を貪り食うだけで、いつまでも目的地にユノースを連れていくつもりであるようには思えなかった。
特にアサシンの襲撃で傷を負ったこともあり、この状況は、ユノースにより苛立ちを感じさせた。
だが例えそうであっても、、ユノースは、この羅針盤を手放すことはできなかった。
元々の出自を知っていながらも、自身を取り立ててくれたヴルカルからの信頼の証ともいえるこの道具は、今のユノースの進むべき道だけでなく、全ての行動をも導く指針となっていた。
それに、ここですべてを投げ出したところで、ユノースに行先の宛などなかった。
むしろ、移動することをやめた瞬間、あっという間に追手に追いつかれ、あっという間に屠られてしまうであろう。
この道具の行く先は、ヴルカルが所有しているセーフティハウスの一つであるとは、事前にヴルカルから聞いていた。
通常の方法では行くことができない隠れ家。
このような緊急事態における最後の逃げ場所へのカギを預けられたというヴルカルから自身への信頼は、最早ユノースを縛り付ける呪いとも枷とも言えるほどに、彼の中で肥大化をしていた。
一方、羅針盤が指し示す行く先を目指しながらも、ユノースの不安も、同様に心の中で肥大化を続けていた。
そもそも、ここに向かうのは最終手段であるということを、ユノースは、ヴルカルから十分に聞いていた。
だが、当初の合流地点に着いた時には、ヴルカルはおらず、代わりにアサシンの襲撃があった。
それを何とか切り抜けた後、ユノースは、味方と合流することもなく、ただただ先に進むだけである。
ヴルカルもそれなりの部下を引き連れて脱出をしたものの、現状、ヴルカルだけでなく、彼の率いていた部下の誰とも出会うこともなく、死体すら見つからない状況である。
このような状況ではあったが、ユノースは、疑問を飲み込み、ただただ羅針盤が示す先に進み続けていた。
羅針盤の針の揺れ方、移動距離、そして羅針盤が握る手を通してユノースに訴えてくる感覚では、そろそろ目的地は近いはずであった。
いずれにせよ、まずはヴルカルと急ぎ合流し、今後の方針を急いで固めていく必要がある。
その思いが、ユノースの歩みを徐々に速めていった。
「ここか。」
そしてユノースは、そこからそれほど移動することなく目的地に着く。
羅針盤は、針を一か所をさしたまま動かず、同時にユノースが込めた魔力に反応してか、白く光ってる。
同時に、周囲の空間が徐々に捻じ曲げられているような感覚がユノースの身体に流れてくる。
「なるほど。これがカギということね。」
ユノースは、羅針盤を眺めながらぼやく。
その言葉に従うかのように、ユノースの手の中の羅針盤は、空間を開くように魔力を開放していく。
それは、既にねじ曲がった空間を通し、入り口ともいえるような小さな穴を生み出しつつあった。
「さて、これで一安心か。」
そうユノースは、ぼやき一呼吸をつく。
弟のロットや、他の追手達から無事に逃げられたという安堵と、自身の主と合流し、再び仕えていけるという気持ちのゆるみが、ユノースの気持ちの張りを緩めてくれた。
「というには、少々早いかもしれませんな。」
だが、その気持ちは、耳元に呟かれた一声であっという間に中断をされる。
「何奴?!」
そう叫びながら、ユノースは、背後に思いっきり足を振り上げて蹴りを放ち、同時に、前方に全力で飛び込んだ。
「ひひひ。危ないですな。」
正に間一髪。
ユノースの首があった場所に、ナイフによる一閃が入る。
声に反応し、後ろを振り向いていたら、今頃、ユノースの首は、ゴミのように地面を転がっていたであろう。
「お前は!」
距離を取り、後ろを振り向いたユノースの目に入ったのは、先程、自分を襲ってきたアサシンが、こちらにナイフを向けて立っている様子であった。
「おやおや。血気盛んなことで。」
アサシンは、そう言いながら、ユノースが振り向くと同時に投げつけてきた刀を、影のような動きでよけながらこちらに語り掛けてくる。
最も、ユノースは、その言葉を耳に入れることはない。
アサシンの言葉は無視し、ユノースは、自身の武器を構えて一気に切り掛かる。
「おっとと、危ない、危ない。」
そう言いながら、アサシンは、ユノースの一撃、一撃を紙一重でかわしながら、紙のようにひらひらと舞いながら、距離を取ろうとする。
だが、そんなアサシンを仕留めようと、ユノースは、全力で刀を振るい続ける。
既にヴルカルから渡されたカギは、回されたのである。
そのカギが開く扉の先の場所へ、この危険分子ともいえる敵を、通すわけには行かなかった。
「けけけけ。さすがにお強い。」
そしてアサシンは、ユノースの斬撃を避けながら、こちらから距離をとる。
こちらの攻撃をかわし続けるアサシンであったが、不意打ちが失敗した今、向こうも、こちらを倒す術を持っていないようであった。
「まあ、また会いましょう。ひひひ。」
そう笑うと、アサシンは、ユノースの攻撃を避け、一気に黒煙へと変わり、この場所から姿を消しさった。
「逃したか。」
肩で息をしながらユノースはぼやく。
いずれにせよ、近くにアサシンが潜んでいる状況には変わりがないのである。
このままヴルカルに会いに行くことのリスクが頭を悩ませたが、そんなユノースの前で扉が開こうとしていた。




