第三十八章「二対一」
第三十八章「二対一」
悪夢。いや、これは夢でなく現実である。
セレトは、そのことを認識しながら、自身の武器を構え、次の一手を模索する。
自身の目の前にいる男、父クルスの部下、ハイルソン。
そして後ろで、こちらに刀を向けているのは、セレトの呪術を解呪した、聖女リリアーナ。
この二人をここで始末をできなければ、セレトは、反逆者として国家に断罪されるのは目に見えていた。
ただ、ここに現れたハイルソンの態度を見るに、自身の企み等、とっくに見抜かれているのであろう。
つまるところ、既にセレトは、詰んでいると考えるしかなった。
「やってくれたね。セレト卿。」
背後に立つリリアーナは、冷たく尖った声を発する。
「さて、どうしますかね。」
ハイルソンは、飄々とした表情で話しかけてくるが、同時に隙の無い目付きでこちらを見張ってくる。
セレトは、そんな両者の放つ殺気を感じながら、今一度覚悟を決める。
聖女リリアーナ、あるいは、ハイルソンの内、どちらか一人であれば、このまま倒しきることもできたであろう。
だが、今やそれも叶わず、手負いといえど、強大な使い手二人を相手に、これ以上出し惜しみをするわけにもいかなかった。
「くたばれ!」
聖女というには、あまりにも汚い言葉を発しながら、リリアーナがこちらに飛び掛かってくる。
「お覚悟を。」
ハイルソンは、落ち着いた表情で武器を構えてこちらに向かってくる。
完全な挟撃。
鍛えているといえど所詮は呪術師。
魔力で強化されている肉体といえど、本職の戦士二人を相手に、セレトが勝てる道理はないだろう。
この状況を抜け出すためにも、一つの切り札を切るべきであろう。
そのことを悟りながらも、セレトは、その切り札を切るべきか、改めて逡巡する。
だが、目の前に迫ってくるハイルソンは、その老齢を感じさせない動きで距離を詰めてくる。
後ろに迫ってくるリリアーナの刃と、光の魔力の感覚が自分の背中に近づいてくる。
この二つを同時に対処することは難しいであろうし、むしろ、その片方の攻撃すら今のセレトにしのげるかはわからなかった。
だから、セレトは覚悟を決めることにした。
「?!何これ。」
リリアーナの叫ぶ声が背中から聞こえる。
その太刀筋は、セレトの背中から展開された黒い腕が抑え込み防いでいる。
「おやおや。それはリスクが高いんじゃないですか?」
ハイルソンは、皮肉を交えた表情で言葉を返してくる。
そんなセレトは、今自身の暴走する魔力を抑え込もうと、その維持に必死な状況であった。
最も、勝手に放たれる魔力は、既にセレトのコントロールを離れ、自由に暴れまわり、同時にセレトの身体を突き破るような痛みを全身に襲わせた。
そもそも魔力というのは、肉体という器を通じてコントロールをされている力である。
だが、肉体という器があるがゆえの制限というものも発生してしまう。
だからこそ、セレトは、今一つの賭けをしている。
自身の身体を、魔力そのものと完全に融和させ、魔力の塊とすることで、魔力そのものを顕現させて攻撃をする。
肉体という枷を外れた魔力は、その強大な力を遺憾なく発揮する。
だが同時に、セレト自身の肉体は、魔力との一体化により徐々にその実態を失っていく。
魔力の暴走が、完全に自身のコントロールを離れたとき、セレト自身がどうなるかもわからないリスクの高い一手であった。
それでも、セレトはその手札を切った。
そうしなければ、今戦っている二人に勝つことはできないであろう。
すでに、ここまで状況が進んだ以上、この戦いで敗北するということは、そのまま自身の完全なる破滅となるであろう。
セレトの背後に現れた黒い実体、魔力の塊は、リリアーナに向けて腕のような形を作りながら襲い掛かる。
濃度が高い魔力の塊は、確実に彼女の身体を貫こうと暴れまわる。
同時に、セレトは目の前に迫るハイルソンにナイフを投げつけ迎撃する。
ハイルソンは、慣れた手つきでそのナイフを叩き落とすが、セレトは、その一瞬をつき距離をとる。
後ろのリリアーナは、セレトの攻撃を避けながら、光の矢を放とうと魔力をためている様子が見える。
そんなリリアーナに向け、セレトは、自身の魔力に方向性を持たす。
身体と混ざり合った魔力は、肉体の檻を無視して、黒い弓矢を生み出し、リリアーナに向けて放つ。
それなりの速度がある一撃であったが、リリアーナは、そんなセレトの攻撃をすでに魔力を籠めていた光の矢を放ち相殺を狙う。
ぶつかり合った、光の矢と闇の矢は、一瞬互いに鍔迫り合い、そのまま魔力を霧散させる。
リリアーナは、そんな様子を予想ていたかのように、すぐに次の矢を構えて放とうとする。
だが、セレトは、そんなリリアーナの先を読む一手を放つ。
ぶつかり合い霧散した、闇の弓矢の魔力をかき集め、離れた位置に自身の身体を再構成する。
すでに肉体の大半が魔力化した今だからこそできる荒業であった。
当然、こちらを見失ったリリアーナの攻撃は明後日の方向に飛んでいく。
ハイルソンは、こちらの移動先には気が付いたようだが、先の攻撃を外したタイミングで距離を取られすぎており、すぐにこちらに干渉できるような位置ではない。
そんな隙だらけの聖女に向かい、セレトは、すぐさま魔力を籠めて漆黒の刃、呪術を籠められた刃を錬成し、それを投げつける。
禍々しい気配を持ったその刀身が彼女の身体に潜り込めば、そのまま彼女の命を刈り取ることができるだろう。
最も、リリアーナとて無能ではない。
死角から飛び込んでくる、セレトの刃に気が付くと、すぐさま光の盾を生み出す。
そして、生み出された光の盾に当たったセレトの魔力の塊、漆黒の刃は、光の魔力に耐え切れず、その魔力を霧散させ消滅する。
だが、そんな様子を見ながらセレトは、すぐに次の攻撃に移る。
肉体という枷をなくした今の身体、既に黒い霧状になっているその身体は、セレトの意思、精神に呼応し、自身の思う通りの動きを放つ。
どこか自身の身体を形取りながらも、既に黒い霧となりつつある自身の身体、暴走を抑えつつもその魔力によって、徐々に実態を失っていく身体、だが、どこか心地よいその身体の感覚を味わいながら、セレトは、思うが儘の攻め手を実行する。
「化け物が!」
リリアーナは、そんなセレトの様子を見ながら、口汚く言葉を吐き捨て、聖刀を構えてこちらを迎撃しようと体制を整える。
その刀身に写る自身の身が、既に人をかたどった黒い霧の上半身と、消滅をしつつある下半身、もはや人外となりつつあることを確認する。
だが、そんなことを気にせず、セレトは、一気に飛び掛かる。
リリアーナの刀が、そんな自身の身を引き裂くが、セレトの身体に喪失感こそあれど痛みはない。
そして彼女の攻撃を受けながらも、セレトは、魔力の塊となった黒い自身の腕で彼女を殴り飛ばす。
その腕は、魔力の衝撃をそのままリリアーナにぶつけ、彼女を後方に弾き飛ばす。
「ぐは。」
聖女は、苦しそうな声色をあげて倒れこむ。
攻撃と同時にセレトが流しこんだ呪術の力により、身体の内部から魔力によって蝕まれているのであろう。
その様子を満足そうに見つめながら、セレトは、とどめを刺そうと武器を構える。
「はぁ!」
そんなセレトに対し、ハイルソンが気合を入れた声で弓を放つ。
放たれた弓は、セレトの身体を切り裂く。
肉体であれば致命傷となりうる、胸、心臓を貫くような一撃。
最も、魔力の塊となりつつあるセレトにとって、そのような攻撃は、身体を削られたことにより喪失感こそ与えるものの、その動きとを止めるほどの力はない。
「覚悟を!」
だが、ハイルソンは、そんなセレトを止めようと一気に距離を詰めて切りつけようとしてくる。
今のセレトに対しては、おそらく大した効果を発揮しないであろう一撃であったが、ハイルソンほどの男の攻撃である。
何かしらの付与もありうることを考え、セレトは距離を取りながら、削られ霧散している自身の身体の魔力を媒介に次なる術を唱える。
術の内容は、単純なサモンマジック。
宙を漂うセレトの魔力に呼応して、セレトの呼び出し応えた低級の魔物達が、ハイルソンとセレトの間に立ちはだかる。
ハイルソンは、苛立ちを隠さない表情で、そんなセレトが呼び出した魔獣達を切り刻んでいく。
その様子をしり目に、セレトは、聖女にとどめを刺そうと改めて武器を構える。
すでに呪術によって弱り切っている聖女の首を描き切るなど、赤子の手をひねる様なものであろう。
そう思い、振り向いたセレトの目に飛び込んできたのは、血だまり。
先程までそこに倒れていた聖女は、跡形もなく消え去っていた。
「ふふふ。無様ですな。坊ちゃん。」
そんなセレトの様子を嘲りも隠さずにハイルソンがからかう。
「彼女はすでにいませんよ。さてどうしますかね?」
セレトが呼び出した魔物の大半をすでに倒したハイルソンは、こちらをけん制するような態度を見せながら声をかけてくる。
最も、その本質は時間稼ぎであろう。
あの傷では、リリアーナは、そう遠くに逃げられるはずがない。
今すぐにでも、彼女を倒すために動くべきであった。
いや、もう手遅れであるか。
聖女と老執事。
この二人の内、一人を逃がした時点で、自分の負けは決まっていたのかもしれない。
「覚えておくよハイルソン。」
苛立ちを隠そうともせずに、セレトは、ハイルソンに話しかける。
「だが、この屈辱はいずれ返す。」
そう話し終えると、セレトは身体を黒煙に変え、その場から一気に姿を消した。
ハイルソンを倒すために、これ以上時間も魔力を消耗する余裕はなかった。
これ以上、無駄に時間を消費することで新たな横槍があるかもしれない。
姿を隠した聖女の動きも気になる。
状況は最悪。
だが、魔力化が進んだ影響であろうか。
セレトの気持ちは、どこか清々しく 希望に満ちていた。
魔力の暴走は止まることなく、身体を蝕んでいたが、身体は崩壊をすることなく、徐々にセレトの制御下に置かれつつあった。
すでに彼女を倒したところで、状況が好転することはないだろうが、この力を使えば確実に聖女を、今度こそ倒すことができるであろう。
この力を持ち、次はどこに向かうべきか。
そして何をすべきであろうか。
次なる目的を模索しながら、セレトは、自身の新しい魔力、身体が与えてくれる感覚を楽しみながら、移動を開始した。
第三十九章へ続く




