幕間37
幕間37
ガタン。
荷物を机の上に放り投げた衝撃と共に大きな音が響く。
ネーナは、その音に一瞥を向けるが、特段反応も見せずにベッドにその身を投げる。
寝転びながら、ネーナは、これまでの状況を思い返す。
王都にあるセレトの屋敷を出発したのは一週間前。
自身の主に呼び出された彼女は、すぐさま準備を整え、必要最低限の引継ぎを終えると、秘密裏に王都を飛び出したのであった。
そして今、自身の主との待ち合わせ場所であるクラルス王国のはずれにある民家にたどり着いた彼女は、備え付けられたベッドの上で長旅の疲れを癒していた。
彼女の行く先を知っているのは、精々彼女をここに呼び出した自身の主ぐらいであろう。
戦の中、住人達に捨てられたこの古家は、自身の主が、魔力で自分たちにしかわからない識別の印を刻んでいる以外には、特段いじられておらず、結果、当然のように大分がたが来ており、どこか黴臭い臭いを放っていたが、最低限の状態は備えており、数日の滞在であれば何とか我慢できそうであった。
彼女の主には、特段理由も述べられずに呼び出されたが、ネーナは、おおよその要件は理解していた。
恐らく古王派貴族のヴルカルが仕組んでいる聖女暗殺の件であろう。
聖女という自身と敵対する派閥の象徴を倒すことにより、国内における自身の立場をより強固にしていく。
いかにも、貴族らしい権力争いの一コマであったが、同時にネーナにとっては、遠い世界の話であるはずであった。
自身の主の立場、メイドという自分の立場。
ネーナが関わることもない話であるはずであった。
だが今や彼女は、様々な因果の結果、この陰謀の一端に関わることとなった。
最も、そのこと自体、ネーナにとってどうでもいいことであった。
つまるところ、あの男が仕組んでいた聖女暗殺という企みは、自身の主にとって有益なものであったのか、それとも意に沿わないものであったのか。
いずれにせよ、自身は、主が望むまま、その望みを叶えるために動くだけであった。
約束の時間より少し早く着いたからであろうか。
いずれにせよ、自身の主が到着するまで、もうしばらく時間はありそうであった。
自身の主は、比較的時間にうるさいほうではある。
いずれにせよ、約束の刻限には、ここに到着するであろう。
聖女は、まだ生きているのだろうか?
ふと、ネーナは、そのような疑問が浮かび、考えこむ。
多くの手練れに命を狙われており、同時にヴルカルという有力貴族が直々に実力者たちを集めて暗殺に臨んでいるのである。
すでに殺されていてもおかしくはないのかもしれない。
だが、ネーナの耳には、まだ聖女の生死に関わるような情報は入っていなかった。
そのような状況で、あまり憶測を進めすぎるのは危険であることを、ネーナは重々承知をしていたが、自身の主が現れない中、暇を持て余した彼女は、ひたすらに聖女のことを考えていた。
いずれにせよ、彼女の生死次第で自身のこれから受ける任務の性質も大きく変わることであろう。
最もネーナにとって、聖女の生き死には、そこまで大切な要素ではなかった。
だが、ネーナにとって第一に重視すべき存在、自身の主は、彼女の生死をどこまで気にしているであろうか。
聖女という存在は、政治的にこそ重要な象徴であるかもしれないが、それ以外の面では、自身の主にとってどうでもいい存在であるかもしれない。
そうであるなら、そこまで聖女に関係がする用事でないのかもしれない。
だが、いずれにせよ、ネーナにとってやるべきことは、ただ一つ。
自身の主の命をこなすだけである。
そのように考えていると、小屋の外から足音が聞こえてくる。
おそらく自身の主であると思われるが、ネーナは、念のため気配を消し、様子を伺う。
ここが敵地である以上、万が一の敵との遭遇もあり得る。
警戒をするに越したことはなかった。
「待たせたかな。」
だが、そんなネーナの不安をかき消すように、彼女の主の声が響く。
「いえ、今到着したばかりです。」
そんな主に対しネーナは、落ち着いた声で応える。
最も、その手に構えたナイフを下すことはしない。
確かに主の声であったが、声の主が必ずしも自身の主とは限らないからである。
ネーナと自身の主の関係に気が付いた者、本日の会合を知った者であれば、魔術なり薬なりで声をかけて自信を欺こうとは当然にしてくるであろう。
「それはよかった。さて、時間もあまりないから手短に済まそう。」
だが、そんな彼女の不安を裏腹に、彼女の主本人が、小屋の中に入ってきた。
解呪の呪文を素早く唱え、目の前の存在が正真正銘の自身の主であることをネーナは、確認をする。
最も、その力強い声、歴戦の強者の風格は、魔術でごまかせるものでなく、それが自身の主であることは、魔術による確認を行わくても確実な話ではあったが。
「はい。貴方様の仰せのままに。」
ネーナは、そんな自身の主を頭を垂れて出迎える。
「お待ちしておりました、クルス様。」
そして述べられた彼女の迎えの言葉を彼女の主、クルスは、笑顔で受けた。
ネーナは、そんな主の懐刀としてふさわしい態度で、厳かにその命を待った。




