第三十二章「斥候から始める」
第三十二章「斥候から始める」
既に戦が終わったのか、クラルス王国内での進軍は何事もなく進んでいた。
敵に襲われることもなく、また共に歩む兵達も、どこか緊張感がない現状は、否応なく、この戦が終わっていることをセレトに知らしめてきた。
「さて、セレト卿。我々は、もうすぐ目的地に着くが、貴公はどうするかね?」
そんな中、部隊の中でも数少ない、セレトの事情を知っている隊長格の男が声をかけてくる。
「そうか。では、ここからはこの部隊から離れて適当に動くよ。」
セレトはその言葉に適当に言葉を返す。
「分かった。まあ我々も砦についたら、色々とやることがある。その隙にでも動きたまえ。」
その言葉を受けた隊長は、セレトと同様に適当に言葉を返す。
ルーサに雇われただけのこの男は、必要以上に踏み込むことなくセレトと相談を終えると、その足で他の部下達との打ち合わせに向かっていった。
それを見送り、セレトは改めて目の前に広がる、これから向かう砦、ボルスン砦を見つめる。
ルーサ達から集めた情報で、目の前の砦は、無事にこちらの勢力下に落ちていることと、現在、この砦に多数の主要メンバー達が在留していること、そして現在進んでいるクラルス王国との講和に当たり、この砦から多くの兵士達が本国へ戻るということは、既にセレトも確認をしていた。
だが、同時に自身が知りたいこと、自身が刃を向けたリリアーナは、既にこの砦に戻っているのか。そしてセレトが起こした蛮行は、どこまで知れ渡っているのか。
本国の方では、自身は、未だ何の罪にも問われてはいない様ではあったが、この場所では、既にお尋ね者となっているかもしれない。
それゆえ、自身がこれらかどう動くべきか。
セレトは、この制限をされた状況に頭を痛めながらも自身のとるべき方法を考慮しながら、歩を進めることとした。
「ルーサ卿の部隊ですな。こちらで確認をさせてください。」
砦の入り口で門番が、部隊の入場手続きを始めたタイミングを見計らい、セレトは、魔術で気配を消し部隊を離れた。
そのまま見張りの目線を避けられそうな場所に移動すると、自身が使役する使い魔を呼び出し、そりたつ砦の壁に一時的な穴を開けさせた。
セレトの魔力で空けられた穴は、セレトが穴を抜けて砦に入り込むと同時に、その術式が解除され元の壁に戻る。
見たところ、砦は広く、兵士が多くいることから、下手に動くことで自身が見つかる可能性も高い。
だが、今この場で見つかるということは、色々と面倒なことになるであろうが、ここで現況を把握する必要性を、セレトは重々に理解をしていた。
「お待ちしておりました。我が主。」
それゆえセレトは、砦に侵入して以降、自身の魔力を使い、自身の部下に呼びかけることにしたのである。
「あぁ。悪いな。」
目の前に現れた満面の笑みを浮かべたアリアナを迎えながら、セレトは周囲を警戒する。
「軽い認識疎外の呪法を展開しております。元より人通りも少ない場所ですから、恐らく大丈夫かと。」
そんな主に対しアリアナは、軽い調子で状況を話す。
最も、セレトは、そのような状況であっても油断はしない。
この砦には、それなりの実力者達も滞在をしている。
その者達が、この呪法に違和感を感じる可能性がある以上、状況の確認は速やかに済ます必要があった。
「さて、アリアナ。現況を教えてほしい。聖女様は、こちらに戻ったかね?」
セレトは、単刀直入に要件を述べる。
素早く今後の方針を決め、迅速な行動が必要なタイミングだからである。
「いえ、聖女様は、まだこちらには戻ってきておりません。行方不明の状態です。彼女の部下達は、現在この砦に残ってはおりますが。」
アリアナは、そんな主の意思に従うように、要点のみを応える。
「俺は、今どういう扱いになっている?」
そんなアリアナにセレトは、問いかけを続ける。
「聖女様と共に行方不明者の扱いです。クラルス王国との和平交渉が進んでいる状況下ですが、こちらからも探索部隊が出ているようです。」
アリアナは、そこだけを応えると、一瞬迷ったのちに言葉を続けた。
「ただ、今回の戦の状況の変動に伴い、ヴルカル卿、我々を初めとする彼の子飼いの貴族達とその部下の大半は、本国への帰還を命じられました。代わりのトップは、セレト様の父君と伺っております。」
何と、自身の父親がこの場に来ているのか。
そのことに驚きと感じながら、セレトは、状況を整理する。
いずれにせよ、自分が行ったことは、まだ露見はしていないのであろう。
また万が一、聖女が戻っているのであれば、目の前のアリアナを初めとした自分の部下達も、既に拘束をされているであろうから、そちらの点も、まだ大丈夫であろう。
そしてまだこの国内のどこかにいる聖女を秘密裏に潰せば、幾らでも切り抜けられる。
そう考えた末、セレトは、すぐに行動に移すべく計画を練り始める。
「私は今後どうしましょうか?」
目の前のアリアナは、不安そうな表情でセレトに問いかける。
連絡が付かなかった自身の主が、今急に目の前に現れた現状と、未だ聖女が生きているであろうことによる、自身と主の危機的状況を理解しているが故の不安を目の当たりにするが、セレトは、特段不安は感じていなかった。
「よし。私はこのまま外に出て聖女を仕留める。何、今の力ならあいつを倒すことぐらいできる。アリアナ。お前は、ここに残り、状況に動きがあったら使い魔を使ってこちらに伝えろ。」
行動方針を固めたセレトは、手早くアリアナに指示を出す。
「それと私の状況は、他の誰にも伝えるな。私の他の部下達にもだ。」
そして最後に一言を付け加える。
どこから話が漏れるか分からないこの状況下では、下手に情報を広めるのは決して得策ではない。
「分かりました。」
アリアナは、一礼をしながら答える。
そして、アリアナが頭を上げる前に、セレトは、そこから立ち去っていた。
「聖女と最後に戦ったのはこの辺りだったかな。」
アリアナと別れ、一人砦から離れた森の中で、地図を広げながらセレトは、独り言のように言葉を漏らす。
講和が進んでいるということだろうか。
自軍も、敵国であるクラルス王国の兵士達の存在も感じられない現状に、違和感を感じながらもセレトは準備を進める。
自身の魔力を集中しながら、雪が積もった地面の上に、術式を徐々に展開をしていく。
術式が組まれると同時に、黒い瘴気が漏れ出し、周囲を闇に染めていく。
その様を笑みを浮かべて見ているセレトの前で、完成した術式が発動をし、漆黒の球体を生み出した。
「さて、始めるか。」
漆黒の球体に向けて、手を向けたセレトは、そこに自身の魔力を注ぎ込む。
すると、漆黒の球体は、うねりを見せ、同時に影の様なものを地面に落とす。
地面に落ちた影は、しばらく形を定められないように動き回っていたが、徐々に人型を形どり始めた。
そして産み落とされた、人に似て、されども人に非ざる漆黒の塊は、立ち上がると、そのまま森の奥へと歩き出す。
影のように真っ黒でありながら、どこか人の様な形をしており、されど不格好で明らかに異質なその存在は、セレトの魔力に応じて、次々と球体に生み出される。
そしてその存在は、立ち上がると、そのまま森の中へと思い思い立ち去っていく。
だが、ただ歩くだけではない。
時折、森の生き物が近くを通ろうとすると、その身を変形させ、生あるものに襲い掛かり、その命を容赦なく奪っていく。
「まっ、まずは情報を集めるとするかね。」
そんな、漆黒の存在の行進を見ながら、セレトは一人満足そうに笑う。
唯々、生あるものを狩り尽くすだけの存在を召喚する禁術。
この存在が、聖女をあぶりだしてくれることを期待し、同時に、密かに和平が進みつつあるこの状況を、滅茶苦茶にしてくれることを期待しながら、セレトは、次の一手を考えるのであった。
第三十三章へ続く




