第三十章「方針」
第三十章「方針」
「どうしてですか?」
よくわからないという顔をしたまま、目の前の若い男は、ボヤキながらその場に倒れ込む。
状況をよく理解していない若い兵士に対しセレトが放った呪術は、向こうが何をされたか認識をする前に効果を発し、その動きを封じた。
そんな様子を眺めながら、セレトは、今一度周りを見渡す。
周囲では、特段変わった動きは見られず、騒ぎにもなっていない。
目の前の若い兵士は、一人でこの辺りを歩き回っていたようであった。
気絶をしている若い兵士の様子を見ながら、セレトは一息をつき、隣に立つ兵士を見る。
倒れている男に、ラルフ隊長と呼ばれていた男は、目の前の状況に興味もないように、どこか遠くを見つめる目をしながら、立ち尽くしていた。
「まあいい。こいつを引っ張ってこい。」
そんな状況を見渡しながら、セレトは、魔力を込めながら、立ち尽くしている男に声をかける。
その言葉に反応するように、立ち尽くしていた男は、セレトの命に従い、倒れている男を肩に担ぎあげる。
この一連の作業を、満足げな様子で見たセレトは、そのまま兵士に背を向け、歩を進めることにした。
どの選択肢を取るにしろ、この場所に居続けることは、自身にとって決してプラスに働かないであろうことを、セレトは理解していた。
それゆえに、少しでも早くこの場所を離れるべく、そして次の行動に移るべく、セレトは、目的地に向かってその一歩を踏み出した。
パン。
しかし、そんなセレトの耳に乾いた破裂音が届く。
同時に、自身の身体を衝撃が襲い、一瞬遅れて痛みが左肩を襲った。
負傷した箇所を庇いながら、セレトが後ろを振り向くと、拘束から逃れた若い兵士が、こちらに銃を向けている様子が見て取れた。
驚いたセレトが、何か言葉を発する前に、目の前の若い兵士が引き金に力を入れる様子が見て取れた。
同時に、銃口が火を噴き、セレトの右足に強い衝撃が走る。
結果、バランスを崩したセレトは、その場に倒れ込む。
混乱をしているセレトに対し、兵士は、武器を構えてこちらを牽制しながら口を開く。
「第三警備隊、隊員のセリスです。セレト卿、貴公は、ラルフ隊長の現在の様子について色々とご存知のようですな。事情を聞くためにこのまま動向を願いたい。」
年齢に見合わない、落ち着いた態度でしっかりと武器を構えているセリスという男に対し、セレトは、ぶしつけな視線を向けて一望をする。
セレトが、一時的な手駒としている男、セリスが言うところのラルフ隊長は、セレトと同じように地面に倒れてピクリとも動く様子はなかった。
試しに魔力を込めてみるが、ラルフが特段動く様子を見せることはなかった。
恐らく、セレトの視線が離れた隙をついて、セリスという男が、魔力の遮断等の何らかの方法で、ラルフの動きを封じたのであろう。
隙を見せた自身に、腹立たしさを感じながらも、セレトは、同時にその頭で次の一手を考える。
銃で撃たれた傷は、すぐに自身の蘇生の呪法により癒えるであろう。
だが、体勢を崩した自分に対し、セリスと名乗った若い兵士は、隙が無い姿勢で武器を構えてこちらの一挙一動を見逃さない様子を見せていた。
下手にセレトが動いた瞬間、その銃口は、的確にセレトの身体を撃ち抜くの明らかであった。
それゆえ、セリスの表情には優位な立場に立っている者、特有の驕りが見えており、同時に、セレトは、そこに活路を見出す。
「さてセレト卿。貴公には、聞きたいことがたくさんある。ラルフ隊長がどうなっているのか。そして、本来は、クラルス王国に出兵しているはずの貴公がなぜここにいるのか。」
優位に立った余裕だろうか、セリスは、隙の無い姿勢を見せ続けながらも、その口を動かし続ける。
「警備隊である私に対し、一方的な攻撃を加えた理由はなんだ?まあ何にせよ、貴公みたいな下級貴族であっても。」
だが、喋り続けるセリスの言葉は、セレトにとって、非常に不快なだけであった。
だから、セレトは、その口を閉じるべく込めた魔力を開放する。
「動くな!」
途端、セリスが構えた銃の引き金を引き、銃口が跳ねるのが見える。
同時にセレトの右肩が熱くなり、一瞬遅れて痛みが身体を駆け巡った。
だが、セレトは、それを一切気にせずに自身の魔力を放ち続ける。
「何をするつもりだ?」
目の前で起こっていることを理解できず、混乱しているセリスが叫ぶように声を出す。
だが、その答えをセレトがいうことはなかった。
「えっ?」
驚いたセリスの声が聞こえる。
セリスの胸は、ラルフと言われた男の口から飛び出た黒い影の槍に貫かれていた。
そのことに驚きながら、混乱をしているセリスを無視して、セレトは、自身の魔力を再度集中をする。
胸を貫いた黒い槍から、毒素が回ったのであろう。
セリスは、一気に苦しそうなうめき声を立てながら、その場に倒れ込んだ。
その様子を満足そうに見ながら、セレトは立ち上がる。
槍を吐き出したラルフという男は、先程同じく焦点の合わない目で遠くを見つめているようであった。
だが、その体をよく見ると、背中の辺りに軽い切り傷が入っているのが見える。
恐らく、セリスは何らかの解呪の術式を埋め込んだ武器をラルフに打ち込み、セレトの術を解こうとしたのであろう。
結果、半端に術を解除されたラルフは、セレトの支配下から逃れることとなったのであった。
だが、そんなラルフが目に入らないようにセレトは振る舞う。
セリスという予想外の相手との遭遇により、使うつもりもない手を一つ使うこととなったことに、若干の憤りを感じたが、今は、そのようなことを気にしている暇はなかった。
「もういい。そこから出てついてこい。」
ぼやく様にセレトが話すと、ラルフの身体より黒い霧が溢れる。
霧は、しばらくの間、所在なさげに広がっていたが、しばらくすると一か所に集まり、一対の塊となりセレトの後をついてきた。
ラルフの身体に埋めつけておいたのは、セレトの召喚術によって生み出された存在、先程、ラルフと戦っていた手駒たる存在であった。
予想以上の損耗をしており、このままだとこちら側で存在を維持できなかったため、取り急ぎの策で、ラルフの身体に入れ、回復を待っていたのであったが、その計画も予想外の出来事によって崩れることとなった。
先程、セレトが自身の屋敷から抜け出すときのように、魔力のゲートを使って、急ぎこの場を離れたかったが、その術の担い手は、ラルフの身体から追い出され、ろくな魔力も残っていないこともあり、すぐの移動は難しそうであった。
ならどうするべきか。
セレトが現状恐れているのは、自身が今、戦場から遠く離れた、自分が本来いるはずのない、王都にいるということが、大々的に広まることであった。
そして、あの時止めを刺せなかった聖女。
彼女が今後、どのように動くかは分からなかったが、セレトが襲い掛かった旨の証言は、決してセレトにとって有益な物にはならないであろう。
それゆえ、セレトは今一度、隠密に、出来る限り早くクラルス王国へと戻る必要があった。
そして、今一度、聖女リリアーナと刃を交わし、彼女を倒すしかないであろう。
先の戦いでは、偽りの身体で合ったがゆえに敗北を喫したが、本来の身体に戻った今、彼女を倒すことは十分に可能であるはずであった。
そう考え、セレトは、自身の身体に力を籠める。
「纏われ。」
セレトの言葉を聞いた黒い霧は、その言葉に反応し、セレトの身体に纏わりつく様に集まり、ローブのようにセレトの身体を周囲から覆い隠す。
いずれにせよ、ここから再度の戦いが始まるのであろう。
その戦いに勝ち抜くため、同時に今この場の状況を好転させるため、セレトは、足早に立ち去ることにした。
第三十一章へ続く




