幕間26
幕間26
「それで、こちらの屋敷に立ち入るだけの根拠をお持ちなんですか?」
今、ラルフの目の前で、厳しい目つきでこちらを睨んでいる、ネーナというメイドは、物腰は丁寧に、されど高圧的な言動で言葉をかけてくる。
「あぁ。一応、それ相応の権限は与えられているよ。」
だが、ラルフは、それには一歩も引かずに言葉を返す。
「この屋敷への立ち入り調査を命じる旨の上層部からの命令書だ。貴方達にも、協力するようにという要請書が届いているかと思うが。」
そういいながら、紙の束を振り、ラルフは言葉を続ける。
「そもそも、あの事件が起きてから、もう一か月以上経っておりますが、今更屋敷に立ち入りたいと?」
ネーナの呆れたような声を聴きながら、ラルフは唇を噛み苛立ちを抑える。
たとえ嫌われ者であろうと、腐っても貴族であるセレトの屋敷に立ち入る事等、本来一介の警備兵であるラルフには、中々荷が重い作業であることは確かであった。
加えて、今回の案件は、自身の属している組織の上層部も、同僚も忌避をしているような厄ネタでもある。
慕ってくる一部の部下達の助けを借り、何とか調査を続けてきていたが、近いうちにこちらの打つ手が無くなるのは火を見るより明らかな話であった。
だが、今のラルフにとって、最早そのことは関係ないことであった。
今、ラルフが手に持っている紙の束は、王国の上層部、自身の上司達よりもはるかに上の立ち位置にいる者達より、直に送られてきたセレトの屋敷の調査を命ずる書面であった。
恐らく、セレトと敵対をしている、どこかの貴族の思惑が多分に含まれているであろうことは、明らかであったその書面は、しかし今のラルフにとっては、悪魔と取引をしてでも手にしたい武器であった。
本来、貴族達と、ラルフのような王国直属の兵士達は、全く違う指揮系統に位置しており、そこに明確な上下関係はないはずであった。
しかし現実には、ある一定以上の地位にある者達はまだしも、ラルフのような一介の兵士にとって貴族達とは、明らかに上に位置する存在であり、現にその特権と力により、ラルフは、セレトの屋敷の調査を完全に止められていたのである。
だが、そこに風穴を開けるように、今ラルフに指示が下されていた。
貴族、セレトの屋敷で起こった殺人事件の現場の調査と、その結果報告の要求。
それと同時に、現在、屋敷の管理を任されているネーナに対しても、ラルフの調査への協力の要請が入っており、現状の打開を目指すラルフのために、万時が進んでいるような状況ではあった。
「あぁそうだね。貴方が言う通りに、あの事件から大分時間は経っておりますがね。だがね、それでも、この屋敷の調査を命じられた以上、私には、それを為す責任があるし、そのためには、それなりの覚悟もしているつもりだよ。」
そう話しながら、ラルフは、腰の刀に軽く手を伸ばす。
ラルフのその仕草を見て、ネーナの周囲に待機していた屋敷の兵士達も武器に手を伸ばし、それに呼応するように、ラルフの部下達も武器に手を添え、両者の間には一瞬の緊張が走る。
最もラルフは、そのような状況を気にしない様な態度で、今一度目の前のメイドに視線を向ける。
目の前のメイドネーナは、周囲で起きている状況等、意に介さない態度で、何かを思案するように考え込んでいたが、やがて頭を上げてラルフへと視線を移した。
「良いでしょう。我々も、我らの主も、この国の臣下である以上、その責務を果たすべきでしょう。」
そう話すと、周囲に控える自身の兵士達に合図をして武器を収めさせたメイドは、淡々と言葉を続ける。
「自由に調べなさい。どうせ、何も出てこないでしょうから。」
捨て台詞か、あるいは本心からか、ネーナは、苛立ちが混ざった口調で言葉を吐き捨てると、一歩後ろに下がり、ラルフ達に屋敷へと入るように指し示す。
「ご協力を感謝するよ。何、なにも出なければ、すぐに終わる話だ。」
ラルフは、彼女にわざとらしい笑みを浮かべながら声をかけ、待機している部下達に合図をして屋敷の中へと向かった。
前に屋敷に入った時は、すぐに追い出されたこともあり、禄に周りを見ることはできなかったが、今回、ゆっくりと屋敷内を歩きながら周囲を見渡すと、セレトの屋敷は、一見、貴族の屋敷らしい格調の高い家具や調度品が置かれた落ち着きのある空間であるように思えた。
しかしよく見ると、その実態は、見栄を張った成り上がりらしい、非常に歪な物であることにラルフは気が付いた。
派手なだけで二束三文な二流、三流画家の美術品等は、まだましな方であり、中には、大衆用に売り出されているような安物の調度品等もチラホラと混ざっている。
最も、得てして下流の貴族等は、そういう物である。
万年金がなく、そのような中でも見栄を維持するために、四方八方手を尽くそうとした結果、歪な空間を作り上げる。
先の戦や各所で手柄を立てているセレトであったが、その地位は決して高くなく、また家柄や出自も、決して歴史がある一族でない以上、この辺りが限界なのだろうと、ラルフは、一人考える。
最も、この屋敷の歪さは、そのような要素だけではなかった。
屋敷の隅々に見えるちょっとした埃や汚れ。
無造作に置かれている多様な家具。
まるで管理が行き届いていないかのようなその在り様は、とても一貴族の住居とは思えず、ラルフを非常に困惑をさせた。
「戦時下ということで、屋敷の人手が不足しており、お見苦しいところをお見せして申し訳ありませんね。」
ラルフについてきたネーナが、その視線に気が付いたのか、言い訳じみた口調で述べる。
あの事件が発生する前から、この屋敷では、不穏な噂が流れていたが、事件発生後、それを契機に一気に使用人たちが暇を申し出たという話はラルフも聞いていた。
そう言われると、屋敷内にいる人の数もどこか少なく、働いている人間にも活気が見られないように、ラルフには感じられた。
そのまま屋敷内を歩きながら、ラルフは真っ先に殺害現場へと向かう。
事件があった時、禄に調査も出来なかった事件現場は、既に片付けられ、あのような事件があった事など、微塵も感じさせない状況となっていた。
「こんな状況で、何か分かるのですかね。」
後ろについてきたネーナが、嫌味のようにつぶやく。
「そうですね。ここだけでは、何もわかりませんので、屋敷内の様子を見回らさせてください。」
ラルフは、そんなネーナの言葉に、淡々と言葉を返し、そのまま屋敷の奥へと進んでいく。
ネーナが、こちらに不満そうな顔を見せてくるが、ラルフは、命令書の束をこれ見よがしに再度振り回し、彼女を黙らせる。
この場において、既に主導権は、ラルフが握れるだけの状況となっていたのであった。
しかし、その後、部下達を連れて、ラルフは一通り屋敷内を見て回ったが、特段、おかしい箇所はなかった。
セレトという男は、倹約家だったのか、室内には余分な調度品はなく、外からの人間が、早々訪れないような箇所に至っては、余計な飾り気もない状況であった。
そんな屋敷内を見回っていると、ふと、ラルフは、目の前のある部屋のドアが気になった。
それは、何の飾り気もない、一見普通のドアであったが、彼の直感的な何かが、その部屋の中にある物が、無性に気になったのである。
そのままドアノブに手を伸ばして、開けようとするが、そこには鍵がかかっていた。
「この部屋の鍵はあるかね?」
ついてきたネーナにラルフは、声をかける。
ラルフの部下の質問に答えていたネーナは、こちらを見ると、ポケットを漁りながら、こちらへとやってきた。
「ただの倉庫ですよ。そちらは。鍵は、これでよかったかしら。」
そうボヤキながら、ネーナは、一本カギを出すと、鍵穴に差し込む。
「散らかっておりますが、どうぞご自由に。」
ガチャリ。と音を立てて鍵が開くと、ネーナは、ドアを開けて、入るように促す。
そしてラルフが部屋に入ったのを確認すると、ネーナは、ラルフの別の部下に呼ばれて、そちらの対応へと向かっていた。
部屋の室内には、様々な物が乱雑に置かれていた。
刀や銃のような武器、恐らく季節に合わせて入れ替えているのであろう絵画のコレクション、シーツや調理器具。
様々なものが所狭しと置かれているその場所は、確かにネーナが言うように、ただの倉庫の有様を示していた。
だが、一見ただの散らかった倉庫に見えながらも、ラルフの直感は、この部屋に何かがあると告げていた。
確証があるものではなかったが、きっと何か探らないといけない物が、この場所にあると、ラルフの心に囁き続けていたのである。
最も中には、これといった物も見当たらない。
そもそも、何かがあるのであれば、あのメイドももう少し反応するであろう。
自身の直感を信じするか、どうするか。
ラルフは、頭を悩ませながら、様々なガラクタが並べられている、この部屋の中を見回していると、ふと、部屋の奥の洋服ダンスに目が行った。
人の背丈程の大きさの年代物であろうかという、その立派な洋服ダンスは、それ相応の埃をかぶりながら部屋の隅に置かれていた。
ただ、その古ぼけた状態にもかかわらず、取っ手の部分には埃が積もっておらず、ここ最近、誰かが定期的に開いていた様子が見て取れた。
ふと外の様子を見てみると、ネーナは、ラルフの部下達と共に、別の部屋へと入っているようであった。
そのことを確認し、再度、洋服ダンスに視線を移す。
目の前に広がる、木製の扉と、埃が積もってない取っ手が、ラルフの直感を強く刺激をしていた。
そのまま意を決し、取っ手を掴み、戸を開く。
まず最初に目についたのは、様々な古着であった。
使用人達の作業着に、セレトや部下達の個人的な私服のような物。
その次に目についたのは、古着の奥に見えたもう一つの扉であった。
明らかに人目から隠すようにつけられた、人一人が通れるような扉は、ラルフに大変な興奮をもたらした。
再度、外の様子を伺うと、メイドと、その部下達は、まだ別の部屋にいる模様であった。
部下達を呼ぶか、どうするを一瞬考え、このまま一人で進むことをラルフは決める。
下手に動くことで、この屋敷の人間達を刺激したくなかったのである。
洋服ダンスに入り、その奥の扉に手をかける。
重そうな予想に反し、扉は、少し力を入れただけで開いた。
扉の奥には、狭いが、大人が通ることも出来るぐらいの大きさの、下り階段の通路が広がっていた。
明かりもない暗い通路は、どこかラルフを誘っているようにも思え、同時に、この下に、何か大きな秘密が眠っていることをラルフは感じ取っていた。
手元の武器を確認する。
少なくとも警備に必要な剣と銃はあった。
何かとであっても最低限、戦うことは可能であろう。
そう考えたラルフは、階段へと足を延ばし、そのまま地下へと下って行った。
少なくても、何もないということはないであろう。
ラルフの心は、今追い求めていた、セレトの何らかの罪の証拠へと近づいている高揚感から、非常に興奮をしていた。
ただ同時に、この下にある何かに対し、そしてそこに近づいていくことについて、一抹の不安と恐怖が残っていることを感じていたが、それでもそれを心の隅に追いやり、一歩、一歩と進んでいったのであった。
しばらく歩くと、階段が終わり、平坦な通路が続いていた。
そのまま禄な明かりも無いような場所を、ゆっくりと歩いて行くと、広い空間へとラルフは出た。
所々照明が付いたその空間は、様々な荷物が粗野に置かれた、先の倉庫の延長のような様を見せていた。
それらを見渡しながら、ラルフは、力が抜けていくのを感じた。
思わせぶりな隠し戸の奥にあったのは、ただの物置に過ぎなかったことに、失望を感じながら、改めて部屋内を見回すことにする。
中には、多用な荷物、食料、服、武器等といった様々なものが乱雑に広がっているだけの様子が見て取れた。
そのような状況に失望したラルフが、部屋を出ようとしたその瞬間、ガチャンと、後ろで何か金属製の物が落ちる音がした。
慌ててそちらへと振り向いたラルフは、目の前に布切れにくるまった何かがいるのが見えた。
恐らく、ガラクタに紛れ込んでいて分からなかったのであろう、そいつは、ボロボロの布で身体を覆い、立ち上がってこちらを見ている。
そして布の合間から見えている刀を握った手が、その中身が人間であることを示していた。
それは敵か、何なのか、分からぬまま混乱していると、そいつは、こちらへと武器を構えて一気に距離を詰めてきた。
襲い掛かってくるそいつに、慌ててラルフは、武器を構えて迎撃の姿勢を取る。
自身の直感の正しさを感じながらも、現状に混乱しつつ、今ラルフにできることは、目の前にいるこの敵と戦うことだけであった。




