第二十六章「決闘」
第二十六章「決闘」
ぽちゃん、ぽちゃん、と水の落ちる音が近くで聞こえてくる。
その音を耳に残しながら、セレトは目を開ける。
目を開いた先には、岩の天井が見える。
ここは、恐らくどこかの洞窟なのだろうか。
ふと、自身の今置かれている立場を思いだし、慌てたように起き上がろうとしたセレトは、自身の身体の様々な箇所が悲鳴を上げながら伝えてくる鈍痛によって、その動きを止める。
蘇生により、身体に負った傷は、現在治癒しつつあるようであったが、それでも、身体の各所から伝わる痛みは、セレトの動きを鈍らせるのに、十分な役割を果たしていた。
だが、そのような痛みを感じながらも、セレトには、確認をしないといけない事項があった。
聖女の安否。
自身と共に、ここまで落ちてきたはずの彼女の行方を求めて、セレトは、再び身体を起こそうとする。
「おや、目を覚ましたかい?でも、無理はしないほうがいいよ。命に別状はなさそうだし。」
そんなセレトの耳に、不愉快な声が聞こえてくる。
「無事で何よりだよ。セレト卿。」
そこには、自身の宿敵であるリリアーナが、ほぼ無傷のまま立っていた。
「いやはや、貴公が崖から落ちた瞬間、その間の抜けた顔に驚いたものだが、私自身もここまで一緒に落ちているんだ。人の事を言えたものではないな。」
傷の痛みを癒すべく、禄に動きを取らずにいるセレトを見つめながら、リリアーナは、洞窟の中を歩き回りながら、独り言か、それともセレトに聞かせているのかも禄に判別がつかないような声を出しながら言葉を続ける。
「そうかい。だが、貴公の部隊がもう少し練度が高ければお互いにこんなところに落ちずに済んだんじゃないのかね?あぁ、そういえば、ここはどこだい?」
そんなリリアーナが、言葉の合間に息をついた隙に、セレトは一気に口を開く自身の言葉を述べる。
少なくとも、こんな場所に落ちた原因である、リリアーナの部下の事を思い出し、セレトは嫌味を込めて言葉を放つ。
幸いにも、この身体は問題なく動かせそうではあったが、身体の節々に残った痛みがセレトに襲い掛かり、その不調が、セレトの言葉にとげを持たせる。
「だから、助けようとはしたんだけどね。ただ、貴公の動きが思った以上に悪くて失敗したわ。魔術師というのは、その身体に価値を置かないの?」
悪びれた様子もなく、リリアーナが言葉を返す。
最も、確かにセレトも、差し出された手をワザと取らなかったのは事実ではあったが。
「ここはどこだい?本隊とは合流できそうかい?」
話題を変えるように、セレトは、現状の確認をする。
痛む体に鞭打ち、上半身を起こして周囲を見回したところ、どこかの洞窟の入り口の近くであることが理解はできた。
「さあ?崖の下であることは、確かのようだけど、具体的な場所は分からないわ。そして本隊との合流も不明ね。落ちてきたのは結構急な崖だし、再度上るのは難しそうね。ただ少し行った場所になだらかな斜面はあったから、本隊と別れた地点からは、大分離れそうだけど、そこから上の方には戻れそうね。」
リリアーナは、落ち着いた感じで現況を説明してくる。
恐らく、セレトが気絶している間に、周辺の探索は、済ませていたのであろう。
「そうかい。なら、少し休んだら移動をするかね。どうせ、こんな場所に留まっていたところで、進展はないだろう?」
セレトは、身体を徐々に持ち上げながら、適当に言葉を返す。
痛みこそあるものの、ある程度の無茶はできそうであるし、呪術を放つことも、特に問題はなさそうであった。
「おや?思ったより身体は大丈夫なのかい?なら、ぼちぼち出発しようか。あぁ、私は気にしなくていいよ。上手く加護の法が働き、特段傷は負わなかったからさ。」
そう言葉を返すリリアーナは、余裕を持った動きで荷物をまとめ始める。
確かにその言葉が示すように彼女に傷らしい傷はない。
それどころから、腰には短刀や長剣といった武器をしっかりと身に着けており、もし今戦っても、十分に応戦が出来る用意が彼女にはあるように思えた。
一方、セレトは自身の周囲を確認する。
崖から落ちる瞬間に敗れたのか、自身の服は既にぼろぼろであった。
武器として携行していた剣も短刀も、崖に落ちている途中で無くしたようである。
他の第三者に妨害をされることなく、聖女を倒すということを考えれば、今は、その最良のタイミングであろう。
しかし、聖女と戦い、確実に勝つには、今のセレトには手持ちの武器は少なく、非常に高いリスクを負う賭けとなることであろう。
最も、そうはいってもセレトの腹は決まっていた。
こうなった以上、ここでリリアーナを何とか倒す。
そのための作戦を適当に練りながら、セレトは身支度を整える。
幸いにも、多少の食料と水は確保をできているようであった。
友軍との合流までに持つかどうかは賭けであったが、状況は、そう悲観をするほど悪くはないのかもしれない。
そう考えながら、セレトは、リリアーナの動きを負う。
ある程度の荷物をまとめた彼女は、手持ちの地図を睨みながら、何やら考え込んでいるようであった。
「なあ、貴公であればどう進むかい?」
地図から目を話さず、リリアーナは声をかけてくる。
「さあね。どちらにせよ、上に戻ることを優先してルートを組むのが定石だと思うけどね。」
自身の準備をしながら、セレトは適当に言葉を返す。
同時に、彼女にばれないように手に魔力を込め、徐々に術式をくみ上げていく。
「なら、さっき話したルートを使った上に進むべきかな。貴公は動けるかい?」
地図から顔を上げて彼女が問いかけてくる。
「あぁ。それでいいんじゃないかな。こっちは、もう大丈夫だ。」
セレトの手の中で組まれた術式は、込められた魔力に呼応して、少しずつその力を実体化させていく。
「そういえば、貴公は武器はあるかい?もしあれなら、余分な刀一本ぐらいであれば?」
途中までセレトに言葉をかけてきたリリアーナの表情が急に曇ったことをセレトは確認する。
その目線は、今、セレトが彼女にばれないように魔力を込めている術式へと向けられていることを確認すると同時に、セレトは術式を開放し、リリアーナに飛び掛かる。
右手に込められていた術式は、セレトの魔力に応えるように一振りの刀へと姿を変える。
同時にリリアーナが、セレトの突然の強襲に驚きながらも、手元の刀を抜くのが見える。
それを無視するように、セレトは一気に右手に錬成された魔力の刀で彼女に切りかかる。
勢いよく振り下ろされたその刃物は、彼女以外の相手であれば、その首をはねていたであろう。
それぐらいに完璧な奇襲であった。
しかし、セレトの攻撃にとっさに気が付いた聖女は、その反射神経を以てセレトの攻撃を抜いた刀で受け止める。
強襲に反応されたことに驚きながらも、セレトは左手を振るう。
その左手には、既に別の術式が組まれており、黒と緑が合わさった色合いの炎が、その手の動きに合わせて揺れ動いている。
毒と呪いが込められた呪術の一種であるこの炎を、このまま攻撃を受けてバランスを崩したリリアーナにぶつけようとした瞬間、セレトは腹に衝撃を受けてバランスを崩しながら、聖女から距離が離れる。
同時に、左手から放たれた炎は、見当違いの方向に飛んでいった。
そして遅れてきた苦痛に顔を歪めながらセレトが見たのは、左手を思いっきり正面に突き出した聖女が、驚愕の表情を浮かべながら、こちらを見ている様であった。
そこまで確認したセレトは、痛みを和らげるために軽く息を整え、反撃のタイミングを計ろうとした瞬間、目の前のリリアーナが驚愕の表情もそのままに、一気にこちらに向かって踏み込んでくるのが目に見えた。
「マジかよ。」
ぼやく様に言葉を漏らしながらも、セレトは、慌てて体勢を整えようとする。
だが、完全に虚を突かれたリリアーナの奇襲は、そんなセレトの緩慢な動きを見逃さず、一気に距離を詰めて、セレトが体制を整える前に強烈な斬撃をぶつけてきた。
「ちぃ!」
セレトは舌打ちをしながら、その斬撃に自身の左手をぶつける。
ぐちゃり。と音を立てて、セレトの腕に剣が突き刺さり、そのまま骨ごと断ち切ろうとするのを感じながら、セレトは、何とか身を反らして刀の軌道から腕を逃がす。
結果、左腕の肘から手にかけて、大きな切り傷を負うが、何とか振り下ろされた刀から身を遠ざけ、セレトは、そのまま距離を取る。
「あら。まだ生きているの?まあ、その腕じゃ禄に動けないでしょ。」
リリアーナは、距離を取ったセレトに武器を向け、こちらの様子をうかがいながら言葉を紡ぐ。
「さあねぇ。まあ死ぬほど痛むが、何、貴公には関係ないことだろう。」
セレトは、そんな彼女の言葉に適当に応えながら、距離を保ちつつ様子を見る。
最も、恐らく骨まで削られた左手は、もうしばらくはろくな使い物にならないであろうことは、明らかであった。
加えて、リリーアーナの油断のない目は、セレトが下手な動きをした瞬間、この両者の距離を一気につめて、セレトに切りかかって来ることは明らかであることを示しており、セレトは、ろくな動きが取れない状況にあることを察したのであった。
「ところで、これは何なのかしら。ここは、協力してさっさと本隊と合流するのが定石だと思ったけど。」
リリアーナは、セレトの動きを変わらない目線で見つめながら、更に言葉を放ってくる。
「何。私には、私の都合があってね。悪いがここで死んでくれないかい?」
セレトは、痛みで顔をゆがませながらも、笑みを浮かべながら言葉を放つ。
「あら?貴方に嫌われているとは思っていたけど、殺されるほどのことをしたかしら。」
リリアーナは、相変わらず落ち着いた態度で言葉を返してくる。
「さあね?」
短く言葉を返すと、セレトは、改めて武器を構えて、リリアーナに切りかかる。
「しつこいわね!」
そんなセレトの動きを呼んでいたように、リリアーナが自身の武器を構える。
このまま突き進めば、その刃は、一気にセレトの身体を引き裂いたであろう。
だが、セレトは、武器を構えた彼女の顔が一瞬で曇るのを見流さなかった。
彼女が注視しているのは、今、セレトを撃退しようと構えた自身の刀であった。
リリアーナが愛用しているのは、聖なる魔力が込められている名刀であったが、今やその刀には、黒い影がまとわりつき、その刀身を溶かしつつあった。
「これは?!」
そしてリリアーナが、驚いた一瞬のその隙、セレトは、自身の右手に握られた刀に魔力を込めて力を開放する。
瞬間、魔力によって作られた刀は、一気に砕け散りながら、黒い霧を放ち、聖女に襲い掛かる。
更に再度右手に魔術を込め、セレトは短刀を生成しながら、驚いた聖女の顔へと、その刀身を振り下ろすのであった。
第二十七章へ続く




