第二十五章「偽の追撃」
第二十五章「偽の追撃」
「急げ!今こそ追撃のチャンスだ!」
リリアーナの副官、ロットの号令の下、各部隊が進軍を進める。
指揮官であるリリアーナは、セレトに渡された羊皮紙の記号と、この地域の地図を見ながらルートを決定する。
セレトは、そんな彼女達の部隊の先頭に立ち、指示に従ったルートを進んでいく。
途中、確かに敵軍が通過したであろう痕跡も散見し、敵部隊への追撃は順調に進んでいるかのように見える。
されどセレトは、自身の思い通りに進んでいるこの状況に笑いを堪えていた。
「アリアナ。コースは大丈夫か?」
背後に控える聖女達に気取られぬに、側近に声をかける。
「上々です。既にルートは、ずれているかと。」
セレトにあわせてかアリアナは、小声で言葉を返す。
リリアーナに渡してある羊皮紙には、セレトが放った囮の行方が記されているのみである。
そのことに気づかない彼女達は、今、セレトの策略にはまり、徐々にその道を外しつつあった。
だが、ここまで自身の思い通りに進もうとも、セレトの緊張の糸は、未だに途切れず張りつめたままである。
このまま進もうと、どこかのタイミングでリリアーナ達に仕掛ける必要があるが、セレトの手持ちの戦力では、一つ間違えればこちらの壊滅にもつながる話であった。
事実、兵の練度も規模も、向こうの方が明らかに上である。
加えて、ターゲットであるリリアーナに至っては、恐らくこの場で一対一で勝てる人間等、そうはいないであろう実力者である。
普通に考えれば、この場での暗殺計画の執行は、愚策の極みでもあるように思えた。
だが、セレトは、この機会に彼女に仕掛けることを決めた。
そこに決して驕りはなく、ただ彼女の暗殺という任務に、これ以上のチャンスが、早々無いことを理解していたからである。
今後、戦が進んでいく中で激戦も進むかもしれないが、そのような中で、彼女と任務に着ける機会もそう多くはないであろう。
この戦争が終わり、王都に戻ってから、長い時間をかければ、また何かしらのチャンスは見えてくるかもしれないが、自身の依頼主であるヴルカルは、決してそこまでの時間を与えてはくれないであろう。
それならば、例え万全の状態でもなくても、この機会を逃さずに賭けてみるしかないと、セレトは考えたのである。
「敵の行軍は早いね。セレト卿。」
いつの間にか、近づいてきていたリリアーナが、羊皮紙を見せながらセレトに声をかける。
「こちらも結構飛ばしているつもりだが、全く追いつく気配がしないな。」
やや疑問の色が含まれているようなその声には、セレトへの非難も感じられた。
「仰る通りですな。私も、少々驚いておりますよ。」
そんな彼女の言葉に、セレトは、さも予想外であるかのような音色で言葉を返す。
「セレト卿。この羊皮紙は、正確なのかね?」
横から、リリアーナの副官であるロットが、嫌味を込めたような口を出してくる。
「最初の頃は、確かに進軍の跡も道々に見られたが、今や何の跡も見つからないじゃないか。我々が進んでいるのは、本当に正しい方向かね?」
その嫌味以外にも、少々怒りでもこもっているのだろうか。ロットの言葉には、こちらを詰るような響きが多分に混ざっていた。
「分かりませんな。その羊皮紙は、私の呪術が掛っている対象の方角等を映すのみですからね。」
セレトは、その言葉に投げやりに返答をする。
軍の序列にしても、貴族という身分制度においても、ロットのようなリリアーナの腰巾着如きに無礼な口を吐かれる筋合いは、セレトには当然になかった。
「だが、それにしても何の音沙汰もないのもおかしい話だろう。物見に出した者達からも特に報告は入らないし、これは追撃を失敗したと考えるべきじゃないのかね?」
最もロットとて、伊達にリリアーナの副官という立場に就いているわけではない。
身分差等に囚われずに、セレトの失態をつつく様な言動を強気で言い返すぐらいの度量は十分に持ち合わせていた。
「そうかもしれませんな。だが、今は追うしかないでしょう。」
一応、他所の部隊の副官という立場に免じ、セレトは下手に言葉を返す。
いずれにせよ、今は、こちらの希望する地点まで、リリアーナ達を誘導するしかなかった。
「そろそろ、宜しいかと。」
そうして、進軍を続けているセレトに、アリアナが報告を装いながらセレトに伝言を伝える。
部隊は、山道への進軍を開始し、行軍をするには問題こそないものの、片面は斜面が壁となり、反対側は深い崖となっている、決して広くはない道へと差し掛かっていた。
頷きながら手元の羊皮紙と、地図を見る。
件の作戦の実行地点まで、あと少しの距離となっていた。
一歩踏み外せば、そのまま山の斜面を転がり落ち、場合によっては崖底にも落ちかねないような道を進みながら、セレトは、唾を飲み込む。
背後を見て、リリアーナとロットら部下の位置関係を確かめる。
進軍により、少々伸びつつある隊列は、リリアーナを他の兵士達から、若干ながら遠ざけており、彼女の周辺にはロットを初めとする数名の側近のみとなっていた。
グロックに目配せをすると、彼は心得たかのように、徐々に部下達の行軍速度を上げて、リリアーナ達の部隊と距離を開き始める。
リリアーナ達は、まだ気が付いていない。
アリアナに目配せをすると、彼女は、こちらの意を汲み取ったことを目礼で示し、手元に魔力を込めて、周囲にばれぬように呪術を唱え始める。
今一度、羊皮紙を見る。
目的地点まで、あとわずかの距離となっていることが示されているのを確認し、セレトは行動を開始する。
「リリアーナ卿。少し宜しいですか?」
行軍のペースを少し落としながら、セレトは、リリアーナの近くに向かい言葉をかける。
セレトが近づいただけで、ロットを初めとした、付近に控えている彼女の側近達は、武器を構えて、セレトが必要以上に近づけないようにする。
「なんですか?セレト卿。」
リリアーナは、そんな部下達の様子も気にしないように、セレトに少し近づきながら言葉を返す。
「いえ、進軍の件ですが、おっしゃる通り未だに追いつけない。それで、少々相談がありまして。」
腰を低く、こちらのお願いを伝えるようにセレトは、わざとらしい声色で彼女に話しかける。
「ふん、今更なんだというんですか。ここにきて奴らに追いつけないなんていう戯言を言うつもりじゃないことを願いますよ。」
横から、ロットが騒々しい言葉で割り込んでくる。
だが、その言葉を無視してセレトは、リリアーナに近づく。
「実は、敵部隊に掛けた呪術の件で少々気になることがありまして。」
わざとらしい話題選びで相手の注意を引きながら、セレトは近づいていく。
「あれ、呪術をかけている敵にしか反応をしないものでして、もし万が一、呪術をかけられた敵兵が別行動をしていると機能をしなくなるなぁと思いまして。」
言葉を続けながら、アリアナの様子を見る。
既に準備は整ったのか、アリアナは、セレトに目線で合図を出す。
「それで、貴公はどうすべきと考えているのでしょうか。」
リリアーナが会話に加わろうと問いかけをしてくる。
「はい、それでですが。」
その言葉に応えるようにセレトが一歩踏み出した瞬間、状況は動き出した。
「敵襲!」
背後のリリアーナの部隊から大きな声が上がる。
「何だと!」
リリアーナや、ロット達側近が背後を見ると、山道の斜面の上から、急に岩が転がり落ちてきている。
その数は、決して多くはないものの、突然の襲撃にリリアーナの部隊は、虚を突かれた格好となり、混乱を巻き起こしている。
斜面の上には、複数の影が見えていた。
距離があり、リリアーナ達には、何なのか分からないであろうが、それがセレトがアリアナに作らさせた即席のグール達であることを確認し、セレトは、数歩リリアーナに近寄る。
すると、それを合図にアリアナが呪術を放つ。
瞬間、斜面の複数個所が爆発する。
爆発の振動で、セレト達が立っている道には、斜面から多数の落石が落ちてくる。
そして、それに加えて、セレト達が立っている道も、大きな振動と共に、各所に崩れが見え始めた。
「いけない!全軍警戒!道が崩れるよ!」
リリアーナが大声で叫ぶと、混乱をしていた部隊は、慌てて隊列を整えながら、少しでも安全な場所に向かおうと動き始める。
その混乱の最中、セレトは、足元に一つの呪術をこっそりと落とす。
それは、混乱をしているリリアーナ達の足元へと徐々に向かい。
一機の彼女の足元を崩した。
「きゃあ!」
この場に似つかわしくない悲鳴を上げながら、リリアーナは、バランスを崩し崖の方へと向かっていく。
「リリアーナ様!」
彼女の側近達が慌てて、リリアーナを助けようとするが、落石や地割れでうまく動きが取れずにいた。
セレトは、そのような様を、表面上は心配そうな表情を浮かべながら、心の中では舌を出しながら、見学をしていたが、瞬間、バランスを崩したリリアーナの部下の一人がセレトの方に向かってくるのに気付かず、その衝撃を思いっきり受けることとなった。
「うわっととと。」
衝撃でバランスを崩した体勢では、振動が続く道で踏ん張ることが出来ず、セレトは、アリアナやグロック、そしてロットやリリアーナの部下達が目を丸くしている中、一気にバランスを崩して崖へと転がりそうになる。
「セレト卿!」
ふと隣を見ると、自身と同じようにバランスを崩していたリリアーナが、何とか体制を整えながら、こちらを心配そうに見つめているのが目に入った。
光の加護を身に纏っているのか、リリアーナは、バランスを崩しながらも、上手くその場に留まれているようであった。
このままでは、自分だけが一人、間抜けに崖下に落ちていくだけになる。
そうセレトが思った瞬間、リリアーナがこちらに手を伸ばしているのが見えた。
既にバランスを崩しているセレトは、半分身体を空中に浮かせながら、その手を見つめる。
そして、その手に手を伸ばし、彼女の手を掴もうとしつつ、そのまま手を掴み損ねたようにしながら、身体を崖から投げ出す。
驚いたリリアーナや、周辺の兵士達を尻目に、セレトは、一つ賭けに出る。
先程、地面に放った呪術の残滓、既に術を発動した魔術の残りカスに、遠距離から再度魔力を込める。
細かい術式も何も込めずに、ただ単純に魔力を込めた呪術の残滓は、魔力に反応し、今一度小規模な爆発を起こす。
そして、その爆発は、セレトの目論見通り、リリアーナの足元を崩し、彼女を崖下へと投げやることとなった。
驚きの表情を浮かべたリリアーナが、それでも身に纏った光の加護を解除せずに崖を転がり落ちていくのが見える。
その様子を見つめながら、セレトは、一足先に崖を転がり落ちていく。
身体がどこかに当たるたびに痛みがセレトに訴えかけるが、それを無視して、セレトは、状況を整理する。
ダメージを受けているセレトの身体は、自身の身に刻まれた蘇生によって、恐らく壊れずに持たせることはできるだろう。
一方リリアーナも、このまま崖下に落ちてくるであろうが、その身は、加護の呪法によって守られており、致命傷を負うことはないであろう。
それならば、余人の目が無くなる崖の下で決着をつけるしかあるまい。
図らずとも、彼女を孤立させることに成功をした現状に満足をしながらセレトは、リリアーナを倒す算段を立てはじめる。
恐らく、彼女と軍力の差を考えずに戦える、これが唯一のかつ最大のチャンスであることを考えながら、自身の勝利のために動き出すことにしたのであった。
第二十六章へ続く




