幕間23
幕間23
ヴェルナードは、ため息をつきながら部隊の損害を確認する。
先の戦いにおいて、負傷者こそ多かったものの、自軍における損害自体は決して大きいものではなかった。
敵部隊の出方を確認するためにも、自身の親衛隊でもある精鋭部隊は敢えて温存してぶつかってみたが、敵部隊が積極的な反撃をしてこないこともあり、そこまで損害は出ずに戦は進んでいた。
それゆえヴェルナードは、隙を見て自身の主力部隊を敵の中枢にぶつけ、一気に戦の流れを支配しようとタイミングを見計らっていたのだが、その目論見は、予想外の出来事により崩れることになる。
「くそ。」
足音も荒く、機嫌が悪そうにヴェルナードは口汚い言葉を吐きながら、その予想外の出来事の元へと向かう。
辿り着いたのは、負傷者達を集めている一画。
その奥の簡易テントであった。
テントの前に立っていた兵士達は、ヴェルナードの姿を認めると、軽く一礼をして彼を中に迎え入れる。
「おい。どうなっている。」
中に入るなり、ヴェルナードは、そこ控えている衛生兵の一人を捕まえて怒鳴り散らす。
「すでに峠は越えており、恐らく大丈夫かとは思われますが、傷が深いのでしばらく無理は禁物でしょう。」
ヴェルナードの剣幕に押されることもなく、その兵士は淡々と言葉を返しながら、患者の方を示す。
戦時下の簡易的な物であったが、それなりに作りがしっかりとしているベッドの上に、その悩みの種、患者、オルネスが眠っていた。
『あの部隊は、私にやらせてください。』
先の戦場で、ヴェルナードの様子見を前提とした作戦に対し、目の前で眠るオルネスは、斥候の報告を聞きながら、自身の希望を伝えてきた。
別段、部隊全体の総指揮こそヴェルナードが執っていたものの、元々オルネスは、自身の直属の部下ではない。
その行動が、軍事行動全体に影響を及ぼすようなものでない限り、オルネスの方から特段制限をかけるつもりはなかった。
それゆえ、彼女の要望に従い、敵の二部隊の内、一部隊は、オルネスの部隊に任せることにして戦は開始となった。
元々、敵の様子見を第一目的としてヴェルナードは、オルネスに対し、作戦の本旨、タイミングを見て自身の部隊をぶつける旨を伝え送り出した。
そして戦は、敵部隊を崩すことこそできていなかったものの、先遣隊として送った各部隊は、しっかりと敵部隊の動きを抑えながら戦線の維持に努めていた。
オルネスの方は、やや深入りをしているようであったが、敵の将らしきものを上手くおびき出すことに成功をしているようであった。
このような戦の状況の中、ヴェルナードは、温存をしていた精鋭部隊の導入のタイミングを図りながら刻一刻と変わっていく戦の流れを見つめ続けていた。
『オルネス卿が負傷!左翼方面が押されております!ご指示を!』
だが、遂に自身の部隊の投入に最適のタイミングが来たと考えたヴェルナードが、今まさに指示を出そうとした瞬間、伝令に当たった兵の言葉で、その指示は、口の外に出ずに終わることとなった。
『敵の左翼方面の部隊が、オルネス卿の部隊を押し返しかねない勢いを取り戻しております!』
部下の言葉を聞きながら、慌ててオルネスの方面を見ると、先程までの優勢はどこへやら、部隊の大将である彼女は負傷し、そのことに動揺した部下達によって左翼方面が切り崩されているのが見て取れた。
『我が軍の右翼方面の戦線が崩れかけております!』
そして、左翼方面の敗北が広がったのであろうか。
先程まで戦線を維持していた右翼方面の部隊も、徐々に敵部隊に押し戻されている様子が見て取れた。
急ぎ、自身の主力部隊を援軍としてぶつけるか否かを一考するが、ヴェルナードは、すぐにそのことの無意味さを悟る。
敵部隊への奇襲としてならいざ知らず、現状の勢いづいた相手の部隊に、自身の虎の子の部隊を、消費することもあるまい。
そう考えたヴェルナードは、すぐに待機部隊に、各部隊への援護を指示しながら、撤退の段取りをつけて、戦場から去ったのであった。
「くそ。役立たずが。」
目の前で眠るオルネスを見ながら、ヴェルナードは吐き捨てるようにぼやく。
歴戦の将であり、それなりの実力もあったオルネスの敗北は、あの時の戦場において、呪いの言葉のように広く広がり、一気に部隊の勢いを止める結果となった。
これが、そこいらの凡将であれば、まだここまでの影響は出なかったであろう。
事実、オルネスの敗北は予想以上の影響が出ており、今現在も、部隊全体に動揺を走らせ、その士気を下げさせていた。
そして命こそ取り留めているものの、オルネスの容態も決して良い物ではない様であった。
わき腹から切り裂かれた彼女の傷は、武器に毒が呪術が込められていたのか、単純な切り傷以上の作用を与え、今現在も、オルネスは寝込み続けていた。
当然、そこから出るのは、部隊の士気の減少である。
このことに言葉では表せぬ苛立ちを感じながら、ヴェルナードは、もう一度言葉にならない言葉で、呪詛を吐く。
ふと、周りを見ると衛生兵は、次の患者の下に向かったのか、テントの中にはヴェルナードと寝込んでいるオルネスの二人だけとなっていた。
目の前のオルネスは、多少の苦しみはあるようであったが、比較的整った寝息を立てながら、すやすやと眠り続けている。
そのことに、言い知れぬ失望と怒りを感じながら、ヴェルナードは、ふと自身の懐にしまってある短剣に手を触れた。
いっそ、このまま目の前のこの女をこの短剣で殺してしまうか。
士気が極限までに落ちたオルネスが率いていた部下達のことを思い浮かべながら、ヴェルナードは考える。
どうせ士気が落ちて使い物ならない兵士達であるなら、最悪、目の前の自分達のリーダーが死んだとなれば、弔い合戦ということで、今より少しは条件を好転させるだろうか。
オルネスの身体には、何らかの毒か呪術が回っているらしいことは聞いていた。
ヴェルナードは、短刀を懐からのぞかせ、少々自身の魔術を込める。
魔力を感知した短刀は、淡いピンク色の光を見せながら、呪印が刻まれていく。
腐敗将軍の蔑称に違わず、ヴェルナードは、腐敗や毒の呪術に精通をしていた。
そして今、この場でこの短刀を刺し、彼女の身体の中の呪術やら毒を暴走させても、その下手人として決して疑われない自信もあった。
衛生兵の話では、オルネスが負った傷は、予想外に体の内部を食い荒らしているようであり、彼女は意識が戻っても、すぐには使い物にならないであろうという見立てであった。
そんな負傷兵に存在価値等あるのだろうか。
自身の作戦を、失敗へと導いた目の前の女の顔を、今一度見ながらヴェルナードは自問する。
元々自身の直属の部下でもない存在である。
そんな立場の人間が一人いなくなることで、部隊全体の士気を上げることができるなら、それは決して悪くはない話であろう。
部隊の隊長の死を基に、その部下達を奮い立たせる自信が十分にあったヴェルナードは、今一度自身の考えを正当化しながら、呪術を込めた短刀を持ってオルネスに一歩近づいた。
「将軍!大変です!」
だが、外から慌てたような足音が聞こえ、間髪を置かずにテントに入ってきた兵士によって、ヴェルナードは、短刀を懐にしまう。
「どうした。騒々しい!ここには病人がいるんだぞ。」
オルネスを気遣うように、厳しい口調でありながらも、大分声の大きさを落としてヴェルナードは兵士を叱責する。
叱責をされた兵士は、慌てたようにオルネスを見つめると、頭を下げながらも、自身の将に報告を伝える。
「先程、ボルスン砦が敵部隊に落とされました!」
その言葉に、ヴェルナードは眩暈を覚える。
自軍の重要拠点として、そして今回の出兵の防衛拠点であった砦の陥落は、すなわちヴェルナードの敗北を位置づけるものであった。
「本当か!それで状況は?」
そして同時にその拠点を失ったことで、この戦場の状況が一気に変わることとなる。
「はい。敵部隊は、取り急ぎ砦に入ったようです。ただ、同時にこちらへの追撃部隊も組織して追撃には当たっているようです。我が軍の砦の残存部隊は、砦を破棄して撤退を開始しているようですが、詳しい状況は不明です。」
つまり、この戦場では、いま味方と呼べるような援軍は、期待できない状況となったのである。
「すぐに動くぞ。各部隊長を急ぎ集めろ。」
目の前の兵士に指示を出しながら、ヴェルナードは急ぎテントを出る。
テントを出る前に、オルネスが入ったベッドを再度眺める。
彼女は、このような騒ぎも耳に入らなかったかのように眠り続けていた。
そんな彼女を一瞥すると、ヴェルナードは、今後の作戦を考えながら歩を進めるのであった。




