幕間21
幕間21
自身の屋敷の一部屋で、ルーサは、目の前の帳簿を睨みながら数字を叩く。
男爵という爵位につき、もはや一介の貴族という立場になり大分長い時間が経っていたが、商人時代の習慣故か、これだけは、他人に任せず自身で確認することをルーサはやめることはできなかった。
そして帳簿の最後の数字と、自身の計算結果に大きな差がないことを確認すると、ルーサは、先程従者が届けてくれた冷たい飲み物に口をつけ、カラカラとなった喉を潤す。
先のクラルス王国との開戦以来、少しでも商人とつながるのある貴族達は、多方面より様々な物資の調達の依頼が入り、目も回るような忙しさであった。
その中でも、ルーサは、これまでの実績、各商人との繋がり等を高く買われ、特に多忙な状況となっていたが、ルーサはその人脈を最大限に生かしながら、方々から入る依頼を順調にこなしている状況であった。
そして、自身の体力の限界に挑戦をするような、多忙を極めるような状況であったが、ルーサはこの状況をチャンスと前向きに捉え、自身の限界まで身体を動かし続けていた。
元々、ルーサ自身は、一介の商人に過ぎないような男であった。
だが、そこからうまく成り上がり、爵位を得て、一貴族という立場にまで登ることには成功していた。
もっとも貴族といえども、元商人であるルーサは、伝統と既存特権を愛する多くの古き良き貴族達に疎まれており、その莫大な資産を以ても、そこから上の立場へと進むことが出来ずにいる状況であった。
しかし、突然の開戦がもたらした戦争は、多くの貴族達に様々な負担を請求し、結果、これまで権威のみが武器であった古き良き貴族とされる者の大半は、その立場をとことんまで悪くすることとなった。
一方、ルーサは商人時代のコネクションと、自身も一商人として鍛え上げてきた実務能力、そして経験からくる感を以て、この難局を何とか乗り越えつつあった。
そして現在、このように失墜した多くの貴族達は、否応なしにルーサへの協力を求めざるを得なくなり、ルーサは、彼らに対しては過去の遺憾を忘れて、気前よくその力を振る舞うこととした。
いつかこの戦争が終結したとき、この時の貸しが、ルーサが現在求めている次のステージへの切符として、十分に機能するであろうことを見越しての判断であった。
だが、現在ルーサが一番重視しているのは、そのような食い詰めの貴族達ではなかった。
古王派の重鎮と目されている、大貴族ヴルカル。
ひょんなことから手に入った、その一大派閥との繋がりこそが、ルーサが今一番求めている物であった。
開戦した当初、ヴルカルは、秘密裏に、されど高頻度にルーサに様々な指示をよこしてきていた。
指示の大半は、優先的に支援をするべき貴族の情報であったが、時折密会場所と思わしき場所の提供等の指示も入ってきており、その全てに対しルーサは、満足できる結果を返してきた。
最もそんなヴルカルも、先日ついに出陣をすることとなり、この地を離れた。
そして出陣前に、細々とした指示こそ入ってきたものの、その多くは、重要性も高くない物であった。
だが、その中のいくつかの指示は、ルーサの目を引き付けた。
「聖女リリアーナ卿、呪術師セレト卿の両名に関する何かしらの動きがあった際に、すぐに連絡がほしい。」
ユラとかいう、ヴルカル卿の側近らしい、気狂いの女が、いつもの調子で笑いながら渡した羊皮紙には、そのように書かれていた。
王国内でも犬猿の仲ということで、広く知れ渡られている二人の貴族。
特にリリアーナは、未遂ではあるものの、何度も暗殺事件に巻き込まれていることは、有名な話ではあった。
そして、そのリリアーナへの暗殺を企てていると噂もあるセレト。
この二人に関係する王国内の動向を伝えてほしいという、ヴルカル直々の指令。
最も、既に両名とも戦場に出向いており、国内には一部の関係者達のみが残っているだけであったが。
羊皮紙に書かれたその文言を、ルーサが確認をすると、ユラは、その用紙を目の前で燃やし、そのままいつもの調子でケラケラと笑いながら立ち去って行った。
その様子を見ながら、ふとルーサは、ヴルカルと、セレト、リリアーナの三名の関係性について思考を始めたが、すぐにその考えを頭から追い出した。
このようなことを考えた所で、自身にとって何の利にもならないことは明らかであったし、自身は、ただこの自身にとっての栄光への切符となりうる話を、大切に活用することだけを考えるべきであった。
最も、ルーサが提供した場所を利用して、セレトとヴルカルが密会を繰り返していることも考えてみると、自ずと答えも見えてくる気がしたが、それ以上のことを考え、調べようとすることは、決してルーサにとってプラスにはならないであろうことは、火を見るより明らかであった。
その後、ルーサ自身は、普段の業務に加え、自身の方で取得した、セレト、リリアーナに関する王国内の情報を、戦場に出向いたヴルカルに定期的に伝えていた。
最も、その情報がどのような役割を持っているかは、ルーサには予想もつかなかったし、あえて踏み込む気も起きなかったが。
そのようなことを思い返しながら、休憩を取っていると部屋のドアが叩かれ、従者がルーサへの来客を告げた。
客人を、客間に通すように伝えると、ルーサは、身支度を整え始めた。
客間の扉を開けると、客人は、ソファーに座り、出された紅茶に舌鼓を打っている最中であった。
「お待たせして申し訳ない。リオン様。」
名前を呼ばれた男は、入室してきたルーサを一瞥すると、慌てる様子もなく席を立ち、軽く一礼をする。
「いえいえ。こちらこそこんなにおいしい紅茶まで頂いて。いや、大分寛げましたよ。」
初老に入ったようにも見えるリオンであるが、その見た目に反した若い年代の男であることは、ルーサもよく知っていた。
セレトの部下であるこの男は、月に何度か仕入れの関係でルーサの屋敷に訪れていたが、その都度、完璧な振る舞いを見せていた。
「いや、気に入って頂けたようなら何より。そういえば災難でしたな。」
そんな男と、ルーサはこれから軽い商談をする予定ではあったが、その前に軽く話を振ってみることにした。
先日、セレトの屋敷内で殺人事件があったことは、ルーサも軽くは聞き及んでいた。
最も、自身の下に入ってくるのは噂話程度の物にすぎず、具体的な内容については、全く調べ上げられていない状況であった。
それゆえ、もし可能であれば、目の前のリオンから、少しでも話を聞ければと思い、軽い雑談として話を振ってみることにしたのである。
だが、貴族の屋敷内の出来事、それも自身の主の不祥事にも繋がるような情報を、その雇い人がそうそう話す可能性も低いであろう。
箝口令が敷かれている可能性もある以上、ルーサとしては、軽い気持ちでの会話であった。
「あぁ。メイドの件ですか。いや、あれには参りましたよ。」
ところが予想に反し、リオンは、軽快な口調で言葉を発し始めた。
「屋敷内での殺人事件というだけでもめんどうなのに、殺された被害者の身元もイマイチはっきりしない。動機も不明。犯人像も不明。おまけに主もいない状況なのに、警備隊が屋敷の調査といって乗り込んでくる。いやはや、嫌になりますよ。」
どうやら、箝口令は敷かれていない模様のようであった。
所々に、あまり表沙汰にすることが望ましくないような内容を混ぜながらリオンの言葉は続いていく。
「加えて屋敷内に、なんか変な奴が潜んでいるらしいという話がありましてね。いや、こいつがメイドを殺したのかもしれませんが、まあ、如何せん目撃者もいない状況でして。ただ、屋敷内では一部の使用人達が怯えて仕事にまで支障が出始めていますよ。」
リオンの言葉は、愚痴のような様相を見せ始めてきていたが、ルーサの耳に、途中で気になる言葉が入ってきた。
「屋敷内に侵入者ですか?」
ルーサの疑問の言葉に、リオンは、笑いながら答える。
「えぇ。まあどこにでもあるような話ですよ。屋敷の中の幽霊とか、そういう類の話です。ただまあ、今回事件が起こってしまったので、そのような怪談の類が一気に広がってまして。どうも屋敷内に人殺しが巡回しているという話になってしまっているんですよ。」
リオンは、呆れたような感じで言葉を発する。
「ただ、メイド長のネーナが、それに類する存在を屋敷内で見たと言っているようでして、まあメイド長という立場の人間までが言っているということで、軽いパニックが起こってしまっているんですよ。」
最後に、馬鹿臭いと、吐き捨てるようにリオンは述べて目の前の紅茶を一気に空ける。
「まあ、それは災難でしたな。」
ルーサは、当たり障りのない反応で、言葉を返す。
「いや、おっしゃる通り。嫌になりますよ。と、話が長くなりましたな。本題に入りましょうか。」
リオンは、苦笑いをしながら、鞄から書類を取り出し始めた。
正直、もう少し目の前の若者から、話を聞き出したかったが、そのような空気でもなくなったことを実感しながら、ルーサは頷き、自身の書類を並べ始めた。
商談を終え、客人を送り終えると、ルーサは、自身の部屋に戻り、ヴルカルへの報告書を作り始めた。
セレトの屋敷の事件の続報として、リオンから聞き出した情報をまとめ、最後に少し悩んだが、屋敷内に何かが潜んでいる可能性について記載をする。
書面を書き終えて、改めて読み直すと、確かにリオンが言うような馬鹿々々しい話にも思えた。
殺人事件があり、それに対して変な噂話が屋敷内で流行って、それに対して嫌気がさしている。
そのこと自体、どこの屋敷でもあるような、与太話の類ではあった。
それゆえ、リオンも大したことがない話として、雑談のついでに、面識のある自分に話したのであろう。
だが、メイド長のネーナがその噂を広げているような話と、現に人が一人死んでいるという事実がある以上、これは、決して簡単に笑い飛ばせる話ではないと、ルーサの直感が述べていた。
大体、どこの屋敷も、上の立場の人間は、主のために余計なことは述べない物である。
メイド長のネーナといえば、セレトの忠臣の一人として知られている存在ではある。
それゆえ、そんな彼女が戯れに、そのような噂を広げることもないであろうとは、ルーサには思えたのである。
最も、その情報をどう生かすか、判断するかは、自身ではない。
そう考え、ルーサは書面に封をすると、ヴルカルに届けるための手配を取るため席を立った。




