第二十一章「方位と指針」
第二十一章「方位と指針」
「久々だね。セレト卿。今日から宜しく頼むよ。」
目の前の女、聖女リリアーナは、いつものようなハキハキとした声でセレトに声をかけてくる。
最も、その声には、以前王都の祝賀会で見せたような不快さは感じられなかった。
「かの聖女様と共に戦えるとは、なんという栄誉。私もその期待に応えられるよう努力する次第でございます。」
結構結構。と内心考えながらもセレトは言葉を返す。
少なくとも、戦場というこの場所で、リリアーナと事を構えるつもりは、セレトには一切なかった。
「期待しているよ。セレト卿。」
リリアーナは、笑みを浮かべながら、セレトに応える。
そんな彼女の笑み、セレトも、軽い微笑を浮かべた会釈で応える。
場所は、ハイルフォード王国軍の駐屯地。
今まさに、侵攻作戦が開始されようとするその直前。
セレトとリリアーナは、再度の対面を果たした。
「さて、セレト卿には一時的に我が軍の指揮下に入ってもらい、今後、作戦を遂行してもらう。基本的に私の指示に従っていただくことになると思うが宜しく頼むよ。」
リリアーナは笑みを浮かべながら、言葉を続ける。
「いえ、こちらこそ、よろしくお願いいたします。」
精々好かれる軍人を演じながら、セレトは、リリアーナの言葉に応える。
彼女は、そんなセレトの言葉を受け、機嫌が良さそうに頷くと、出撃の合図を出し陣を離れる。
同時にセレト達も部隊を整え、そこに合流して進軍を開始する。
既にヴルカルが指揮をする大部分の兵士達は、現在の攻略目標であるボルスン砦へ進軍を開始しているであろう。
一方、セレトがリリアーナと共に向かっている先は、その砦とは、大分方角が西にずれた場所。
敵軍の別働部隊の目撃情報があった地点であった。
事前に受けた説明や収集できた情報によると、現在向かっている地点では、かの名将とされるヴェルナードとの交戦歴が残っている、恐らく敵遊撃部隊の主力がいるであろうことが推測されているエリアであった。
そのヴェルナードは、先の戦いでリリアーナの部隊と交戦し、大打撃を負っている事自体は間違いはないらしい。
つまり、この状況をうまく活用できれば、労せずして、敵の名のある将を討ち取るという栄誉を手にすることも可能であろう状況ではあった。
最も、セレト自身は、そこまでヴェルナードとの戦いを望んでいるわけではなかったが。
「セレト卿。ここから先のエリアでは、警戒も兼て貴公の部隊に前に出てほしい。我が部隊は現状人数も少なく、どちらかといえば支援に特化した部隊でもあるしな。」
本陣を大分離れ、森の奥深くへの進軍が開始となるタイミングで、リリアーナの副官であるロットが、セレトに指示を出してきた。
「構わんよ。」
肩をすくめるようにロットの言葉を聞き流すと、セレトは部下に指示を出し一気に前進を開始する。
ロットのこちらを見下したような発言は、セレトにとってかなり不快な印象があったが、現状の状況から離れられるのであれば、セレトとしては、その理由にそこまでこだわるつもりもなかった。
元々不仲であったセレトとリリアーナであったが、当然ながら、その部下達も互いに仲が悪く、現に今もお互いに殺気をぶつけ合いながら牽制をしあっているような状況であった。
そのような状況が続くぐらいであったら、多少なりともお互いに距離を取り合っていた方が、まだ望ましいよう点については、セレトも同意であった。
それゆえ明らかにセレトの部隊を囮にするような指示であったが、セレト自身は、そのことについて特段何かを述べるつもりもなかった。
そもそも軍人としても、国内の貴族としての立ち位置としても、リリアーナは、セレトよりも上の立ち位置の人間であった。
加えて、現状度重なる戦によって、その規模を減らしているといえども、リリアーナが率いる部隊は、未だセレトが率いる部隊より強大であり、現状は、向こうの指示にしたぐアのが得策ではある状況であった。
最も、リリアーナではなく、副官であるロットに指示されることについては、思うところがないわけではなかったが。
とは言えども、現状は大人しく指示に従い、従順なふりをするしかないであろう。
特にリリアーナ陣営のこちらに対する態度は、昨今の自身の主に対する多数の暗殺未遂事件に対する警戒感が強いようにも取れ、同時に、そのことについては、全く無罪と言い様がないセレトは、特段強く異議を唱えられるような立場ではなかった。
そう考え、セレトは、部下達と共に進軍を開始した。
「暇ですな。」
部下達をまとめあげながら、セレトと轡を並べているグロックがぼやいたのは、進軍が始まり一時間ほどが経過したタイミングであった。
事実、敵との遭遇もないなか、周囲を警戒しながら部隊を進めているだけの現状は、セレトにとっても酷く退屈な状況であった。
最も、セレト達に与えられている任務は、敵の遊撃部隊の牽制と、本隊への襲撃を防ぐための警戒であった。
そして敵部隊との遭遇地点を中心に、現在部隊を進めてはいるものの、現在の敵軍の正確な布陣や位置も分からぬ以上、現状についてはどうしようもないことも事実であったが。
そもそもセレトにとってこの任務は、体よくリリアーナに近づき、あわよくば自身の本来の任務、聖女暗殺の密命を達成するための手段でしかなかった。
それゆえに、必要以上に敵との遭遇を望んでいるわけではなかったが、如何せん、現状の段階では、動きを取りようがないことからも、どこかのタイミングで、敵軍との遭遇は、必要であることも事実であった。
だが、時折本来の戦場となっているであろう方角からの、爆音や銃声等がかすかに聞こえる以外は、ろくな物音一つもないまま、ただ無為に時間だけが過ぎ去っていくのみであった。
「セレト卿。どうするかね。」
後方より護衛と共に距離を詰めてきたリリアーナが声をかけてきたのは、そんな状況にセレトが飽き飽きとして、我慢の限界が近づいてきたタイミングであった。
「どうするとは、どういうことかね?」
リリアーナの言葉に、セレトは部隊の進軍を止め、周囲の警戒に当たらせると、リリアーナを迎えて言葉を返す。
最も、その答えはわかりきっている話であったが。
「何、このまま戦果がない状況が続くようであるなら、こちらも無理にこの辺りを探索し続ける理由もない。警戒任務を続けながらこのまま戦場へと向かう方がよいのではないかと思ってね。」
リリアーナは、こと投げに言葉を返す。
「だがそれは、任務放棄にならないかね。我々の第一目標は、あくまでも敵の別働部隊の襲撃を防ぐこと。無理に戦場へ向かう必要もないだろう。」
そんなリリアーナに、セレトは、まずは常識的な言葉で返す。
最も心の中では、セレトも彼女の意見に同意であった。
その考えには、大分彼女と剥離があったであろうが。
「何、ヴルカル卿からもある程度の自由裁量は頂いている。それに任務を放棄するわけではない。敵部隊の探索するエリアを変えるだけだよ。」
リリアーナは、相変わらずの馬鹿にしたような口調でセレトを諭すように言葉を発する。
「ふむ。貴公がそう述べるなら、私は貴公に従うだけだよ。では、そのように動こうではないか。」
セレトは、彼女の意見に肩をすくめるように同意をすると、その場で簡単な打ち合わせを行ない、部隊に指示を出す。
目標方角を、恐らく現在主戦場となっているボルスン砦方面に向けさせ、セレト達は、一斉に進軍を開始した。
「いいんですかい。旦那。」
急な作戦変更に合わせて、バタついた部隊に指示を出す合間に、グロックが、周りを憚りながら声をかけてくる。
「私は、どのように動きましょうか。」
同じく、自身の部下達に指示を出しながら、アリアナもセレトの近くにより声をかけてくる。
「何。構わんよ。戦場に近づけばその分、こちらも動きやすくなる。」
距離は取っているといえど、リリアーナの部隊が近くにいる状況ではある。
部下に指示を出す合間に、セレトは、二人の言葉に簡単な返答を行うのみ自身の動きを留める。
そう言いながら、セレトは、自身の魔力を練りあげ、その呪術を地面に落としながら移動を行なう。
歩を進めるたびに、戦場の音が徐々にはっきりと聞こえてくるようになり、その振動や火薬や血のにおいも少しずつ強さを増してきた。
戦場の様子が肉眼で見えるほどの距離に近づくまで、そう遠くもないであろう。
既にリリアーナの部隊は、先程、セレトが呪術を染み込ませておいた地点を通過し、ちょうど、呪術とセレトの部隊に挟まれるような配置で部隊を進める形となっていた。
仕上げとなる新たな呪術を自身が通過した地に刻み込みながら、セレトは、ほくそ笑む。
後は、戦場に到着し、戦いが本格的に入り次第、呪術を起動するだけであった。
戦いの様子が近づき、進軍を続けるセレトの部隊も、リリアーナの部隊も、どちらにも緊張が走る様子が見て取れた。
セレトは、そのタイミングを見計らい、自身の呪術を起動するための準備に入る。
後少し、部隊が先に進めば戦いが始まる。
その瞬間が勝負の時である。
そしてセレトがそのように考えながら魔力を込める。
戦場が先に見え、セレト達の部隊はタイミングを見て、動こうとする。
後方のリリアーナの部隊も、戦いに赴くタイミングを計るように武器を構え始まる。
そして全てのタイミングが重なり、セレトが動こうとした、その一瞬前のタイミング。
「全軍突撃!」
リリアーナでも、セレトでもない声が左方より響き渡った。
その声に慌てて、迎撃態勢を整えるセレトとリリアーナを尻目に、敵部隊が一斉にこちらに向かってくる様子が見える。
そんなセレトは、こちらに向かってくる敵の大将を確認し深いため息をついた。
セレト達の目の前の敵部隊の陣頭には、かの不敗将軍、ヴェルナードが立っていた。
だが、セレトは、この状況下での敵部隊の強襲に焦りを感じがらも、同時に自身にとってのチャンスが転がり込んできたことを実感した。
この戦いを利用して、自身の密命を果たす。
そのことを心の中で誓うと、周囲に巻いた呪術の起動を図りながら、セレトは、ヴェルナードの部隊を迎え撃つのであった。
困難の中、セレトの顔はどこか落ち着いたような表情を見せていた。
だが、その口許には、先程、リリアーナがセレトに向けた以上に、他人を小馬鹿にしたような笑みが見え隠れしていた。
最も、その笑みは、誰にも見えていない様であった。
第二十二章へ続く




