幕間20
幕間20
「彼の正式な配属が決まったよ。」
リリアーナは、テーブルの上に置かれた紅茶から口を離し、近くの机で書類仕事に励む副官のロットに声をかける。
紅茶自体は、普段屋敷で嗜む物と比べると、味も香りも薄く、とてもリリアーナの舌を満足させるものではなかったが、戦場においては、このような紅茶でも十分嗜好品としての価値はあった。
「そうかい。それは朗報じゃないか。」
対する副官は、テーブルの上の書類から禄に目を離さずに、彼女の問いに応える。
リリアーナは、そんなロットの様子を見ながら自分の手元に今しがた届いた書面を確認する。
そこには、次の作戦において部隊の増員を求めたリリアーナに対して、ヴルカルがセレトを配属することを決定した旨が記載されていた。
ご丁寧にも薔薇に囲まれた獅子というヴルカルの家紋まで押されたその書類は、犬猿の仲というには、生易しすぎる二人に協力し合うことを求める旨と、リリアーナの方を上官としながらも、セレト側にも一定の権限を与えるとする旨が達筆な文字で記されていた。
「しかし驚いたよ。君は、きっとセレト卿の加入を嫌がると思っていたからね。」
リリアーナは、皮肉を込めたような口調で、自身の副官に声をかける。
最も、その言葉は皮肉よりも驚きの方が強く込められていたが。
元々、ハイルフォード王国軍は、当該侵攻作戦の第一次作戦の締めとして、現在攻め込んでいる砦、捉えたクラルス王国軍の捕虜達が言うところの、ボルスン砦といわれる拠点の攻略を目指していた。
当該砦の占領に伴い、クラルス王国の首都への侵攻の足掛かりとすること。
そして、ここを拠点に、当初の目的である王国国土に眠る鉱山資源の確保に努めること。
それゆえ、現在取り組んでいる敵砦の奪取については、侵攻軍の今後、そして今回の侵攻作戦の成否そのものにも大きく関係することもあり、作戦に従事している部隊全体の士気は高く、その行動も活発的なものとなっていた。
しかし、戦いの勝利、作戦の成功が見え、士気がどれだけ高くなっていようとも、現在、自軍が置かれている立場は、決して楽観視はできない状況となりつつあった。
当初こそ、電撃的な侵攻作戦、強行軍により敵の虚を突き、ろくな反撃を受けることもなく部隊は、クラルス王国内を進んでいった。
だが、クラルス王国への侵攻を進めるにつれ、徐々に敵の反撃は激しくなり、結果、進軍速度は減少し、何とかボルスン砦近隣に部隊が到達するころには、クラルス王国の本隊ともいえるような練度の高い大軍との戦いを余儀なく行うこととなったのである。
それでも、当時の司令官であったクローヌは、ここが正念場ということをよく理解しており、援軍等の要請を行いながらも、すぐに砦奪取のための作戦を立案し、実行に移した。
そして、その中で、リリアーナに下されたのが先の特別任務、敵の援軍を潰す別動隊としての役割であった。
現在、自分達がいる場所は、クラルス王国領内であり、相手は、各地から続々と援軍を集め、それを以て、クローヌが率いるハイルフォード王国軍の侵攻に対抗をしていた。
しかし自軍が砦を攻めている中、敵軍の援軍による四方八方からの攻撃は、その変幻自在の動きに対応できないハイルフォード王国軍の力を的確に削り、侵攻作戦全体の最大の障壁として現在立ちはだかっている状況であった。
最も、戦況は明らかにハイルフォード軍が優勢の状況であることには変わりはなかった。
素早い侵攻により、一気に攻め込まれたクラルス王国は、現状、ろくな迎撃態勢も取れず、侵攻軍の為すがままにされている状況であり、この状況をひっくり返すには、少々の援軍程度では、とても難しいはずであった。
そのような状況でより確実な勝利のために組織されたのが、リリアーナ達が率いている遊撃部隊であり、事実、彼女は、その求められている役割を十全にこなしては来ていた。
だが、ハイルフォード王国軍のその目論見は、徐々に崩れつつあった。
一つ目のつまずきは、謎の怪物による司令部への襲撃であった。
未だに、当時の正確な状況の把握すらできていなかったが、この襲撃により、ハイルフォード王国軍は、クローヌを初めとする多数の犠牲を出し、司令部も一時期の不全に陥るという有様であった。
このままでは、司令官不在のまま軍隊の統制すらままなら無い状況であったが、前々から要請をしていた援軍がこのタイミングで無事に到着し、援軍を率いていた将軍、ヴルカルをクローヌの後釜に据えることで、ハイルフォード王国軍は取り急ぎの危機を凌ぐことはdけいた。
元々、一軍人として戦功を多々上げていたヴルカルは、貴族の派閥を超えた尊敬の念を集めており、加えて、彼の迅速な指揮により部隊は、特段大きな問題はなく戦闘の継続を進めることが出来たのであった。
しかし、そのような喜びもつかの間。次なる問題、敵の援軍という問題がハイルフォード王国軍に襲い掛かることとなった。
そして、その問題は、リリアーナも直接関係する問題ということで、彼女にとっても頭痛の種となっていたのである。
敵の援軍。それ自体は、前々からあり、その都度、ハイルフォード王国軍は、上手く対処を続けてきていた。
所詮、一介の将が率いる部隊による援軍など、一国を落とすために準備をされた精鋭部隊にとって、赤子の手を捻るように対処をできる存在にしか過ぎなかったのである。
しかし、その均衡は突然に崩されることとなる。
『不敗将軍ヴェルナード』。
敵国であるハイルフォード王国にも、その名を轟かせている名将の登場によって、戦況は急激に傾くこととなった。
いや、ヴェルナードだけではない。
彼の到着とともに現れた謎の女性将軍が率いる精鋭部隊。いや、それ以外にもこれまでとは兵の練度も規模も違う部隊がハイルフォード王国軍に襲い掛かったのであった。
所詮は、敵も寡兵に過ぎず、決して戦況を大きく変えられるような数でこそなかったが、その巧みな用兵と、兵の質の高さにより、ハイルフォード王国軍の穴を的確につき、多大な損害を残していった。
結果、一見の状況こそは、未だハイルフォード王国軍の優勢は続くものの、それは、あくまで見せかけの状態に過ぎない、砂上の楼閣ともいえるような脆い状況に過ぎない物へとなっていた。
そしてそのような状況が続く中、敵の援軍。特に質の高い、敵の精鋭部隊を潰すべく、戦場を駆け巡っていたリリアーナは、先日、遂に敵の主力部隊、ヴェルナードが率いる本隊との遭遇を果たした。
敵の数は決して多くはなかったが、その練度の高さと、ヴェルナードの指揮力の高さもあり、下手な一個大隊以上の力を持っていることは明らかであり、またリリアーナも遊撃部隊ということで、決して大部隊を率いているわけではない状況下での遭遇戦であった。
結果としては、リリアーナは、その指揮力の高さで相手を上回り、何とか相手の部隊にそれなりの痛手を与え、撤退へと追い込むことが出来た。
しかし、リリアーナの部隊も多数の死傷者を出すこととなり、加えて相手の有力の将、特にヴェルナードに至ってはほぼ無傷で逃すような結果であった。
このような痛み分けという状況に終わった戦いであったが、リリアーナ自身、部隊の有力な多くの兵士を失った以上、その補填は必須ともいえる状況であった。
それゆえ急ぎで部隊の再編成のため、戦力の補充を願い出た所、話に出たのが、先日、特別任務より帰還した、セレトと彼が率いる部下達の編入であった。
勿論、彼女もセレトのよくない噂は多数耳にしていた。
一説には、セレトは、クローヌが襲撃される直前まで司令部に滞在しており、当該司令部の襲撃にも関わっている可能性が高いということも彼女は知っていた。
しかし、それでもリリアーナは、補充部隊としてセレトの部隊を選ぶこととした。
元々、別の戦場で、彼の多くの功績と実績を見てきた彼女にとって、彼の力は、この戦において非常に借りたいものであった。
加えて、リリアーナにとって、セレトの生き方、自分自身のためだけに戦い続けるという信念は、ある種の羨望を抱くものであった。
元々、教会派の有力貴族の娘として生まれ、聖女というシンボルで他者の望むままに生き続けてきた彼女は、間近で自身と正反対の生き方をしているようにも思える、その男の生き方を見てみたいという気持ちがわいていたのである。
もちろん、加えて司令官暗殺を初めとする、多数の黒い噂を持つ彼を、監視の意味で見張っておきたいという気持ちもあったが。
だが、セレト自身がこの話に乗るかどうかは別の話であった。
彼自身も、先の任務で多くの部下を失ったようであったが、それでも、彼はリリアーナを非常に嫌っている男である。
それゆえ、このような話に乗らない可能性も十分に考えられた。
加えて、リリアーナの部下達の問題もあった。
元々、呪術を中心に戦い、黒い噂も多いセレト、そしてその部下達は、リリアーナや彼女の部下に限らず、王国中の嫌われ者ではあった。
果たして、そのような者達を迎え入れることに対し、皆が承諾してくれるであろうか。
リリアーナは、そのような不安を抱きながらも、副官であるロットに相談をすることにした。
この副官は、事あるごとに、このような呪術師に彼女が関わること自体を嫌悪し、苦言を呈していた男であった。
それゆえ、このような話には乗らないであろう。というのが彼女の見通しではあった。
しかし、彼女のそのような考えにもかかわらず、話を聞いたロットは、彼女の提案を呆気なく承諾をした。
セレトを部下に迎え、部隊の一員となることについて、ロットは、むしろ乗り気な態度で彼女の提案を受けれいたのである。
「何故だい?」
リリアーナは、何気ない態度で今一度ロットに言葉をかける。
「何がだい?」
副官は、身内に対する親しみを込めた声で彼女に言葉を返す。
「いや、セレト卿を迎え入れることについて、君が賛成したことだよ。」
だって、君は彼を嫌っていたじゃないか。と、リリーアーナは、言葉を続けようとして、口をつぐむ。
ロットが、彼女の言葉を受けて、すぐに口を開いたからである。
「別段、賛成はしていないよ。彼の危険性は重々承知しているからね。」
ロットは、つまらなそうな言葉で彼女に返答をする。
「なら、彼を迎え入れなくてもよかったのではないんじゃないかい?戦力の補充については、他にも宛はあったんだし。」
リリアーナは、ロットに対し更に疑問を投げかける。
この副官の自身に対する忠誠は、疑う余地もなかったが、同時に、自身にすべてを曝け出してくれない面があり、それがリリアーナの心に引っかかっていたのである。
「だが、君は彼の力が必要と感じていたんだろう。それなら、彼を手元に置くのも悪くはないんじゃないかい?」
だが、ロットは、質問に質問で答える。
その言葉には、彼の真意が込められていないことは明らかであった。
「そうだね。確かに彼の力は欲しいと思ったよ。私達の任務は、大部隊より少数精鋭である方が望ましい。その役割に、彼は特に合致しているからね。」
リリアーナは、何気ない感じで言葉を発しながら、目の前の副官を見る。
副官は、リリアーナの言葉を聞きながら、書類に目を通すのをやめる様子はなかった。
「なら、それでいいじゃないか。確かに君の言う通り、彼の力は、この任務に向いている。それ以上でもそれ以下でもないじゃないか。」
ロットの目は書類に向けられたままであったが、その視線は、リリアーナに向けられているようにも思えた。
「君は納得をしているのかい?」
そんな副官に、リリアーナは、何気なく問いかける。
その自然な言葉に、ロットは自然に言葉を返す。
「いや、納得はしてないさ。だが、彼は利用できる。それでいいんじゃないかい。」
そんなロットの言葉を聞きながら、リリアーナは、今一度、自身の判断の是非を問うように考え込む。
いずれにせよ、既に賽は投げられているのである。
自身が選んだ選択肢がどの目を出すのか、それは、今ここで判断すべきことではないのであろう。
「そういえば、話は変わるが、すごい数の援軍じゃないか。あの中には君の兄弟も居たようだが。会いに行ったのかい?」
話を変えるように、リリアーナは、ロットに言葉をかけた。
「いや、腹違いということもあって、特段、そこまで親しくはないからね。用もないのに会いには行かないよ。」
ロットは投げやりに言葉を返す。
そんな彼の言葉を聞きながら、リリアーナは、カップに入った残りの紅茶を一気に口に含んだ。
薄いお茶の味と香が口の中に広がったが、その中身はしっかりと冷めきっていた。




