幕間19
幕間19
司令部まで、呪術師を送り届ける。という任務を終えたアランは、そのまま周辺の警戒にあたりながら一息をつく。
本隊と合流した呪術師、セレト卿を司令部まで呼びに行く伝令と指示されたのは、つい先ほどの事であった。
呪術師のセレトといえば、この国においてはある種の有名人であり、アランも直接会ったことこそないが、その噂は色々と聞いていた。
曰く、戦乱のどさくさで成り上がった成金貴族、汚らわしい呪術を使う呪われた存在、多くの貴族から蛇蝎の如く嫌われている男。
そして、彼と敵対した者は、その呪術で報復を受ける。
ほとんどが噂をベースとした、あまりにも信憑性が低い情報ばかりであったが、先程実際にセレト本人と会ったアランには、この噂の多くが、どこか真実であるかのように思えた。
こちらを興味なさそうに見る明らかに侮蔑しきったような目や、貴族らしい立ち振る舞いの中に見られる育ちの悪さだけではない。
セレトの周囲にいるだけで確かに感じる、謎の不快感。
どこか身体が震えてしまいそうな感覚。
そしてそのような感情を抱かせる何かを常時発しているような気がする、セレトという存在。
彼は明らかに、何かを持っているようにアランには思えた。
その何か分からないが、アランが感じた感覚は、きっとセレトに出されている多用な噂の根幹をなす要素なのであろう。
そのことをアランは、強く実感していたのである。
少なくとも進んで近づきたい人物ではない。
そう考えながら、先程までのセレトの事を思い返す。
司令部は、早急且つ速やかにセレトを連れてくるように指示をしていた。
噂では、セレトは、秘密の任務に就いていたらしいが、その報告、成果にどれぐらいの価値があるのかは、たかが一兵士に過ぎないアランには、想像が出来なかった。
ただ、今噂となっている本国からの援軍の件を考えると、司令部がセレトに重きを行く理由は何となく想像はついた。
順調に進軍を続け、現在、敵国の中枢に近づいた自軍に対し、本国から更なる援軍が送られてくることは、既に正式な発表としてアランも聞いていた。
しかし同時に、その援軍を率いる将が、今後この侵攻軍の実質的な指揮を執る可能性も高いことも、噂レベルではあるが、自軍内に浸透をしていた。
それ故に現司令であるクローヌは、今後の本国からの援軍に対して優位性を保つためにも、何らかの成果を欲しているというのが、現在この戦に参加している多くの者達の共通認識であった。
具体的には、近々予定されている敵国の主要拠点の奪取と、そこを軸とした進軍ルートの確立。
これらを援軍の到着を待たずに成功させることで、今後の指揮権の存続と、今回の戦の立役者としての栄誉を得ようとしているという噂は、アランも知っていたし、同時にここ最近の多少の無茶を感じさせる進軍は、多少なりともその噂が真相を帯びているようにも思えたのである。
そう考えていると、ふとした瞬間、アランは、どこともない虚しさを感じていた。
元々、たかが一兵士である彼にとって、戦というのは、ただの仕事であり、日々の糧を得るための一つの手段に過ぎなかった。
それゆえに、この仕事について必要以上の思い入れを持つつもりはなかったものの、一兵士としての責務は持っているつもりではあった。
しかし、その実態は、自分達が日々行っている戦いとは別の、政治的な駆け引き等で大きく左右されてしまう程度の物でしかないことを感じた瞬間、何とも言えない虚無感がアランを襲ったのである。
先程、自身が送り届けた男、セレトは、例え周りからどのような評価を下されようとも、そして如何に周囲か嫌わていようとも、そのような戦を左右できる方の立場に立っている。
そのことを実感した瞬間、アランは、無性に虚しさを感じたのであった。
ふと気が付くと、本来の自身の持ち場からやや離れた位置に移動していたことにアランは気が付いた。
考え事に夢中になりすぎていたのであろう。
慌てて自身の持ち場に戻ろうと、来た道を戻る彼の耳に、突如、爆発音が聞こえた。
一瞬、足を止め音がした方へ視線を逸らす。
すると、先程自身がセレト送り込んだ場所、司令部の天幕の方で火の手があがり、何かが暴れている様子が見て取れた。
緊急事態だ。
何かが分からないが、司令部に異変があったのは間違いがないようであったし、自身の周りにいた兵士達も、慌てた感じで各々の武器を持ち司令部に向かうのが見えた。
アランもその流れに乗り、先程まで自身が向かった司令部へと足を速めた。
「それでどうなったんだい。」
野戦病院のベッドで寝転ぶアランの脇でユノースが口を開く。
最も、その言葉は、ベッドの上のアランではなく、その横にいるユラに向けられていた。
アランの額に手を当てているユラは、同僚の言葉に頷くと、再度魔力を練り直しアランの記憶を探り出す。
「そうね。そのまま化け物、青い皮膚を持ち、複数の手足が生え、まるでオオカミのような顔をした魔獣と遭遇したようね。」
ユラは、何の気なしに述べながら、アランに当てているのは別の手で、ユノースの手を握る。
アランが相対した化け物のイメージが、ユノースに伝わったのであろう。
ユノースは、顔をしかめると、同僚がよこしたイメージに対しぶつくさと文句を述べる。
「面妖な化け物だな。こいつが司令部を壊滅させたのか。」
ユノースは、ユラの手を振りほどくと彼女にそのまま問いかける。
「そうみたいね。中々高位の多様な魔術を放っているわね。この魔獣。司令部に集まった兵士達は、各々の武器で精一杯抵抗したようだけど、多少の傷では動きを止めることなく暴れまわっていたようね。」
アランは、朦朧とした意識の中で、その言葉を聞いていた。
いや、意識は多少なりともはっきりとしていた。
自身は、あの後司令部に駆け付け、急に司令部に現れた敵と戦っていた。
しかし、その敵は強く、同僚達もどんどんとなぎ倒されていく中、アランは、偶々運がよく、何とか生き延びていた。
それでも途中で強い衝撃を受けて倒れてしまい、意識が飛んで、気が付いたら野戦病院に送られていたのである。
その後、何度か医師と問答をし、自身が無事に生きていると実感した後、この二人が突然やってきたところまでは覚えていた。
しかし、今、改めて意識は戻ったものの、身体は動かすことはできず、頭の中はどこかぼやけており、目の前の二人の話を断片的に聞きかじるしかできない状態であった。
「あら。この子、化け物が自爆した瞬間を見ているようね。この様子を見るに、マナの暴走かしら。無理に色々な魔術を放った反動で体内の魔力を制御できずに自壊したみたいね。」
ユラは、ケラケラと笑いながら、アランから読み解いた記憶を語る。
そう、あの化け物は、最後に自爆をした。
そしてその衝撃で、自分の意識が飛んだのであった。
そういえば、化け物が自爆した後、何かが一瞬見えたようにも思えた。
そうそれは。
「あー、この子見ちゃってるわね。あの化け物の核、やはりセレト卿だったみたい。」
ユラは、呆れたように言葉を発する。
「ふん。元からあの警備の中に、敵軍の刺客が簡単に入れるわけがなかったからな。やはりあの呪術師風情が関わっていたか。」
ユノースは、鼻を鳴らして不快感を示す。
そう、化け物が爆発して消え去ったのち、その場所に、先程自分が送り届けた男、セレト卿の顔がふと、見えた瞬間があった。
あれは、なんだったんだろうか。
アランは、自身の働かない頭を何とか働かせようとしながら、必死に記憶を探る。
「まあいい。我が主からは、この件については、既に報告が上がっている以上のことは求めていない旨は聞いている。あの呪術師を助けることとなり気分が悪いが、まあ今回は見逃してやるしかあるまい。」
ユノースは、心底残念そうにユラに話しかけると、そのまま病室から立ち去る。
「そいつの始末は、お前がやっておけ。」
部屋を出る前にユラにそう指示をすると、ユノースは、機嫌が悪そうに病室のドアを閉めて立ち去った。
「はいはい。はぁ、貴方も災難ね。折角生き延びたのに余計なものを見ているなんてね。」
ユラは、多少笑みを抑えた顔で、わざとらしく神妙そうに言葉を述べるとアランの顔を見た。
「あら、多少意識が戻っているの?思ったより魔術に対する抵抗力があったのかしら?」
そんなユラの言葉を聞きながら、アランは、徐々に覚醒してきた自身の思考で、現状に気が付き始める。
そう、突然やってきた二人、正確には、今目の前にいる謎の女がこちらに手を向けた瞬間、アランは急に意識を失い、自身が数日前に体験した、司令部の壊滅までのことを思い返していたのである。
そして今、ある程度意識が戻ってきてはいるものの、身体自体は全く動かすことが出来ず、ただただ、混濁した意識の中、目の前の女の声を聴き続けるしかできない状態にあった。
「しかし、セレト卿の使った呪術は気になるわね。魔獣をその身に宿す術の存在は聞いたことはあるけど、身体の一部ならまだしも、あそこまで強大な存在を顕現させながら、再度自身を再構築するなんて、普通じゃ考えられないし。」
ユラは、アランの額に当てた手に魔力を込めながら、ぶつぶつと言葉を述べている。
回復しつつある意識が、また混濁に飲まれていくのを感じながら、アランは、何とかこの状況を脱しようと身体に力を入れる。
しかし、身体は指一本も動かすことはできなかった。
「何かトリックがあるのかしら。別の処から贄を調達したのか。それとも、そもそもあれは魔獣の召喚ではないのかしら。あー、ごめんなさい。貴方にはどうでもいいことよね。」
ユラは、ふと強い視線でこちらを見ているアランの目に気が付いたのか、そちらに顔を向けてくる。
「貴方がもっと、現場に近いところに居ればよかったんだけどね。まああれ以上近くにいたら、マナの暴走に巻き込まれて生きてはいなかったかしら。」
ユラは、適当に言葉を発しながら、アランの身体に魔力を流し込む。
「まあ、しょうがないわね。今は、あの事件の真相がわかったことと、彼の手の内を一つ明かせたことを丸とするしかないでしょうしね。」
アランは、意識の混濁が強まり、徐々に目の前の光景が歪んでいくのを実感する。
「でも最後の瞬間、貴方が見たセレト卿ってなんだったのかしら。だって、あそこで見えたのは、顔、」
そんなユラの独白を耳にしながらアランの意識は、途絶えていった。
後日、アランは、戦いで負った傷が原因で死亡した旨が発表された。
運び込まれた時は、まだ息はあったものの、その後、急激な体調の悪化が見られ、手を下す暇も無かったのである。
当時、実際に任務に当たった者の生き残りのメンバーから作られた報告書は、次のように記している。
『このように突如司令部に現れた魔獣は、司令部近隣で暴れまわり、最終的には何らかの事情で自壊した。しかし、その自壊の際の衝撃で、司令部近隣にいた者達はほぼ全滅。セレト卿を初め、数名の生存者は確認できているものの、当時意識を失っていた等の事情により魔獣の自壊は目撃していない模様。なお、当該魔獣の侵入経路、方法等は、現状不明である。』




