第十七章「敗走」
第十七章「敗走」
「セレト様。起きてください。」
部下であるアリアナに肩をゆすられ、セレトは目を覚ます。
「おはようございます。」
主が目を覚ましたことに気が付いたアリアナは、その可愛らしい顔で笑顔を形どり、セレトに声をかける。
セレトはそれを受け、寝ぼけ眼をこすりながら、辺りを見回す。
そこには、深い森の木々が広がっていた。
クラルス王国の追っ手から全力で逃げ、何とか敵の追撃を躱したのち、セレトは、改めて今後の方針を固めて行動を開始していた。
現在の作戦区域を急ぎ離脱し、クラルス王国へ侵攻を開始しているであろう本隊への合流を目指す。
それが、現在のセレトの方針であった。
ヴェルナード将軍や、オルネスといった敵軍の優秀な武将や、それなりの数の部隊を引き付けた。
つまり自身が命じられていた任の責任は全うしているとセレトは考え、そのうえで自身の生き延びる道を考慮して動き始めたのである。
最も、味方部隊の現在の具体的な侵攻状況は不明である。
それゆえセレトは、出兵前にクローヌに言われた合流地点へと、取り急ぎ進路を向けたのであった。
「ご指示を頂いたお時間になりましたので、お声がけをさせて頂きましたが、どう致しますか?」
アリアナが、セレトの顔を覗きながら声をかけてくる。
「あぁ。分かっているよ。とりあえず全員に集合をかけてくれ。出発をする。」
疲れ切った声でアリアナに応えながら、セレトは、自分の荷物をまとめる。
眠りはしたが、存分に疲れが取れた気はせず、むしろ、その疲れがより増したようにも思えた。
それが、戦場特有の緊張から来るものなのか、セレトの今の身体のせいであるのか、はたまた睡眠が悪いのか、その理由は、セレトにはわからなかった。
それでも、時間を考えると、時間を無駄にするわけにはいかなかった。
オルネス達との交戦後、無事に距離を置いて逃げ延びることにこそ成功はしたが、クラルス王国の追っ手は、まだまだセレト達をつけ狙っているはずであった。
それゆえ、無駄に時間をかけずに、急ぎこの区域を脱出することが、セレト達にとっては、何より優先すべきことであった。
「おや、大将。お目覚めですかい?部隊の進軍の準備は出来ておりますので、すぐに出発は可能ですよ。」
普段、何かと軽口をたたく傾向にあるグロックも疲れているのか、どこかやつれた顔で、必要な事項のみを伝えてくる。
セレトは、その言葉に軽く頷きながら、部下達に前に向かう。
ちょっとした広場のようになっている、森の空間に集まっていた部下達はセレトの姿を認めると姿勢を正し、指示を待つ。
もっともその顔には、一様に疲れが見えており、決して万全の状態とは言えなかったが。
ざっと見回した部下の数は、十三人。
別に三人が周辺で見張りを行なっているため、そこに自身とアリアナ、グロックを合わせると計十九人。
二十人にも満たない兵士が、今のセレトの戦力であった。
この数では、敵の小隊程度であればまだしも、ある程度の規模の部隊に遭遇した段階で、呆気なく全滅してしまうであろうことは、十分に予測が出来た。
セレトやアリアナ、グロックといった腕に覚えのあるメンバーだけであれば、多少の戦力差があっても、何とか逃げ切ることはできるであろうが、その先の戦いもあり、何よりこの戦において、やらなければならない仕事がある以上、戦力の損耗は当然に避けるべきであった。
そしてオルネスとの戦いで、身に刻んだ魔術を一つ使用しているが、今後、更に厳しい戦いや、場合によっては聖女との戦いもあり得ることから、セレト自身もこれ以上の消耗は避けたいのが本音であった。
「今、我々は、大体この辺りにいる。クローヌ卿に指示された目的地は、ここではあるが、味方部隊との合流を考えると、そこより少し手前、この地点を目指すべきだとは思う。」
出兵時にクローヌから渡された地図を広げながら、セレトは、部下達に今後の指針を説明する。
「最短ルートを抜けるとなると、一つ大きめの街がある。しかし、当然に街には敵の部隊が在留している可能性が高い。それゆえに、やや迂回路となるが、この森を抜けて本隊との合流を目指すのが定石だと思う。」
最も、この地図もどこまで正しいのか、セレトには判断は付きかねた。
そもそも、この地図は、以前にクラルス王国へ攻め込んだ際の情報等を基に作成をされているものである。
そこから時間が経った今、当然に地図の情報に変更がある可能性も高く、そもそも、戦時下の混乱のもとに作られた地図である時点で、その正確性には、大分疑問符がついてはいたが。
最も、そうであってもセレト達には、情報を得るための手段は、この地図しかないのも事実であった。
細かい差異はあるとしても、大体の方向性はあっているものと考え、この地図を頼りに先に進むしか道は残ってはいなかった。
「十分後、出発をする。見張りに出したやつらを戻してくれ。」
セレトは、最後に指示を出すと、その指示に従い動き始めた部下達を見渡しながら、自身の準備に取り掛かった。
「セレト様、少し宜しいですか?」
そんな状態のセレトに声をかけてきたのは、アリアナであった。
「うむ。」
疲れがセレトの口を重くしていたが、それでも彼女の話を聞く意思があることを伝えるように、セレトは、会釈をしながら返事をする。
「三名程、部下をお貸し頂ければ、十分に時間を稼ぎます。」
アリアナは、そんなセレトに対し、率直に自身の意見を述べてきた。
「恐らく、敵の追撃隊は、周辺で広く網を張っております。しかし彼らは、こちらの正確な位置を掴んでいるわけではありません。それ故に、どこかで大きく騒ぎが起きれば、そちらにその大部分を向かわせる可能性は高いかと思われます。」
そう言いながら、アリアナは、先ほどセレトが説明に使った地図を広げ、その一点を指さす。
「この街、恐らくこの規模を考えますと、この辺り一帯の主要拠点であることは間違いないでしょう。ここで何か騒動が起きれば、周辺の部隊は、そちらに対処をせざるを得ないはずです。」
アリアナは、セレト達が侵攻する予定のルートから、やや離れた場所にある街を指さしながら話を続ける。
「私がここで騒ぎを起こします。セレト様は、その隙に一気に本隊との合流を果たして頂ければと思います。」
彼女は、淡々と自身の考えを述べる。
確かにアリアナであれば、その呪術の腕前である程度の騒ぎを起こすことはできるであろう。
しかし、それだけでは、敵軍の注目を集めるにはまだまだ不足していることは、明白であった。
「我々を贄にして、魔獣を呼べば、十分な脅威として敵軍を引きつけられるかと思われます。」
そんなセレトに対し、アリアナは自身の考えを述べる。
つまるところ、彼女は殿として、そして囮として、この地で戦い抜きたいということであろうか。
そんな彼女の忠義心をセレトは感じながら、一瞬、目の前の部下と、自分達の安全を天秤にかけ、結論を出す。
「いや、事態はそこまで切迫としていない。むしろ今後の作戦を考えると、戦力の無駄な損耗は避けるべきだろうしな。」
セレトは、そう話しながらアリアナの作戦を却下する。
少なくとも、この程度の状況で、自身の手駒を無駄に失うことを考えたくはなかった。
「そうですか。了解しました。」
アリアナは、セレトの考えを聞くと、そのまま立ち去ろうとする。
確かに彼女の作戦は、この逃亡劇を確実なものにするために、魅力的な案のようにも思えた。
しかし、それだけのために今後も必要となるであろう、手練れの部下を切ることは、セレトには、とても選択はできなかった。
「そういえば、セレト様。」
ふと、立ち去ろうとしたアリアナが立ち止まり、セレトに声をかけてくる。
「夢見は、宜しくなかったのですか?」
そして、何の気なしに、セレトに雑談を振るように問いを発する。
「いや、何かあったのか?」
しかし予想だにしない質問にセレトは、答えに窮し、若干どもりながら彼女に問いかける。
「いえ、少々うなされて、寝言が出ていたようでしたので。失礼いたしました。」
そう応えると、アリアナは、そそくさと立ち去って行った。
セレトは、アリアナが立ち去るのを見届けてから、自身の出兵の準備を整え立ち上がった。
アリアナが何を聞いたのか、そして自身が何を口走っていたのかが、気になった。そしてそれを問いただすタイミングを完全に逃したようにも思えた。
自分の言葉に、何か彼女の疑念を掻き立てるような言葉が混ざっていたのだろうか。
それゆえに、アリアナは、殿を買って出るようなことを述べたのだろうか。
自身の主に疑念を抱き、そこから距離を置こうと、あるいは、何か別の考えの元、独自に動こうとしているのであろうか。
そもそも、アリアナを信頼しても大丈夫なのであろうか。
様々な考えが一瞬頭に浮かんだが、セレトは、それを強引に振り払う。
どちらにせよ、アリアナは自身の部下であり、今、失うべきでない人材であることは明らかでった。
そこに疑問を挟む必要はない。
戦いの疲れと、自身の抱えている秘密、任務のせいで、無駄に猜疑心が強くなってしまっている自分の考えを振り払いながら、セレトは、部下達の下に向かった。
部下達は既に出発の準備はできているようであった。
「では、出発するぞ。」
セレトの号令に従い、部下達は、一斉に動き出す。
見張りの話では、近隣では、特に敵が動いている様子もないようであった。
念のため、スケルトン達を陽動も兼て方々に放ち、セレトは目的地へと急ぎ向かう。
なるようにしかならないだろう。そう考えながら、セレトは馬を進める。
夜の森は、とても静かであった。
そのような中、セレト達はひたすらに先へと進んだ。
三日後。
セレト達は、特段の何の障害もなく、無事に本隊への合流を果たすこととなった。
最も、それは、次なる戦、そして任務の幕開けに過ぎなかったが、それでも、セレトの心に確かな安らぎをもたらすこととなった。
無事に生き延びれた。
そのことにある種の満足を覚えながら、セレトは、クローヌの元へと向かうのであった。
第十八章へ続く




