最終章『魔術師は嘲笑の中を、聖女は泥の中を足掻き続けた』
最終章『魔術師は嘲笑の中を、聖女は泥の中を足掻き続けた』
「はあ!」
リリアーナが振るった刀は、兵士の訓練用の刀を弾き飛ばす。
「おらあ!」
その隙をつき、二人の兵士が両脇から彼女に切り掛かる。
「無駄よ!」
だが、その二人の攻撃を呼んでいたかのように、素早く彼女は詠唱をし、光の盾を展開する。
「うわぁ」
二人の兵士は、展開された光の盾に弾き飛ばされ情けない声を上げる。
「そこまで!」
審判役である兵士の一声で、この実戦訓練は終わった。
「大分力は戻ったようですね」
訓練を終え、喉を潤しながら休憩をしているリリアーナにオルネスが馴れ馴れしく話しかけてくる。
「身体の方は、問題ないわ。前より調子がいいぐらい。でも魔力はもう駄目ね。以前よりも大分弱まっている」
そんな彼女に対し、リリアーナは淡々と身体の状況を応える。
あの日、自身の力を出産という形で、セレトに奪われてから8年。
あれから、セレト達の行方はようとして掴めず、そしてハイルフォード王国周辺の治安も安定してきたため、リリアーナは、ただ訓練を続けているだけであった。
そしてそのような日々が続く中、リリアーナの怒りは、心の奥底で燻り続けるものの、徐々に薄れていきつつあった。
「なら朗報になるかもしれませんね。セレト達らしい者の情報が入ってきましたよ」
だがオルネスが発したその一言は、彼女の心の奥底に潜む、怒りという感情を再度燃え上がらせた。
「どこで?」
そんな怒りを抑えつつ、冷静を装いながらリリアーナはオルネスに問いかける。
怒り狂うわけには行かない。
まだ、情報を得てもいない。
「旧クラルス王国領内にある寒村の一つで、今、ある宗教が流行っているようです。その教祖、年は、まだ幼い子供のようですが、明らかに高い知恵と、強大な魔力を持っているとか」
笑いながらオルネスは、報告をしてくる。
「寒村?」
怒りを抑えながら、疑問を問いかける。
「あのあたり、もう国の管理が及ばなくなりつつあって、見捨てられたような場所がたくさんあるんですよ。彼は、その一つにうまく入り込んだようですな」
オルネスの笑顔は、どこまで明るい。
自身の祖国の出来事であるのに、何も感じていないようである。
「証拠はあるんでしょうね」
最も、今聞いている範囲の話では、特段セレトが関わっていると断じるだけの証拠にはならないであろう。
この八年間、リリアーナは、オルネスが持ち込んだ情報で、少なくても七回は全くの外れ情報を掴まされており、内三回では、全く関わる必要がない面倒ごとに巻き込まれることになっていた。
それゆえ、目の前の女は、自分をうまく使うためにセレトの存在を利用しているのではないかと疑いたくもなっていた。
「えぇありますよ!」
だが、そんなリリアーナの懸念を消し飛ばすように、オルネスは勢いよく応えると、自身の服をまくり上げ、その腹部を見せてきた。
そこには、紫色に変色をした渦のような紋章と、縦一列の切り傷が刻まれており、紫色の紋章は、不気味に光りながら微かな鼓動を見せていた。
それは、何年も前、セレトと戦い呪いを受けた際に、彼女の身体に刻まれた呪印である。
「その村に立ち寄り、教祖と呼ばれる存在に近づいた時、何年も痛まなかったこの傷が痛み、呪印が脈動を始めました!これこそ、奴に近づいた証他ならないでしょう!」
狂ったようにオルネスは叫び、不気味に脈動する自身の身体を見せてくる。
傍から見ると狂った女が、聖女に襲い掛かろうと詰め寄っているにも見える。
だがリリアーナは、その狂気に満ちた表情で詰め寄ってくるオルネスのその眼を正面から見つめ返した。
「そう、なら当たりかもね」
そう静かに言い、リリアーナは拳を強く握った。
リリアーナの身体の異常について、異様に詳しかったオルネス。
その理由は単純で、彼女もセレトによって呪術を受け、その呪いに苦しんでいたからであった。
その呪いは、オルネスの身体を蝕み続けただけではなく、セレトの魔力を感じると、再度活性化をし、彼女を苦しめ続けた。
それゆえ、オルネスが、その呪いを見せ、こちらを説得してきたセレトの居場所は、どこか今まで以上の信憑性を感じられたのも事実であった。
そしてその日の夜、リリアーナは、オルネスと共にハイルフォード王国を旅立った。
その村は、非常に寂れていた。
街道から離れた場所にあるためか人の往来も少なく、国家の経済網から弾かれた立地にあった。
村人も少なく、その数少ない村人にしても若者の数に対し明らかに老人の数が多い歪な状況となっており、滅びるのは時間の問題化のように思えた。
だが、その村は、そのような状況にもかかわらず、非常に活気があった。
多くの村人が、どこか恍惚と、幸せそうにしている。
そんな異常な村の真ん中に、その建物はあった。
このような村では珍しい、レンガ造りの教会。
だが、本来村人達が集まり、祈りをささげる場であるはずの教会には、今、限られたもの以外の出入りはなく、多くの村人は、その建物には必要以上近づかず、避けるように日々の生活をしていた。
まるで、その中に居る者の怒りを恐れるように、だが、その者達に感謝と尊敬の意を見せていた。
「お前は、いつまでここに籠っているつもりだ?この間、逃がした女の件もあるだろ」
そんな教会の中、寒村では珍しい皮が張られたソファーに座りながら、ユノースは目の前にいる少年に問いかける。
「あぁその件か。何力が戻るまでだよ。もう少し、後少し戻れば、僕は、俺は、この力を最大限に使うことができるはずなんだ」
声変わりをしていない少年特有の甲高い声で、少年には似つかわしくないような重々しい雰囲気を見せながら、祭壇の上に立つ少年、セレトは応える。
「わかっているのか?その身体、もう数年もすれば約束通り、ヴルカル様に提供をしてもらうぞ」
ユノースは、呆れたようにセレトに問いかける。
「何度も聞いたから覚えているよ」
つまらなそうにセレトは言葉を返す。
「ぐっ、おお、こ、うぉおおお!」
そんな二人の言い合いを止めるように、どこか深い地鳴りのような音が教会の奥から聞こえてくる。
「ちっうるさい野郎だ。さっさと鎮めてくれないかな。村人たちが怯えてしまう」
奥の部屋に向けて苛立ちを隠そうともせず、セレトはユノースに言葉をぶつける。
「黙れ!」
ユノースが同じく苛立ちを隠そうともせずに怒鳴り、そのまま奥の部屋に向かう。
その様子を眺めながら、セレトは、深く溜息をついた。
八年前、リリアーナの魔力を奪い、新しい肉体を得て再構成された自身の身体は、一見、以前よりも強力な力を宿しているようであったが、その実体は、相反する力同士が体内でぶつかり合い、中途半端な力だけを行使する欠陥品であった。
様々な呪いや封印をかけられ、碌に機能しない身体を捨て、新たに強力な肉体を得たつもりになっていたが、その結果は、ただの出来損ないの肉体を得るだけの徒労で終わったというのが正直な感想であった。
そして今の現状、この状況を打開するためには、時間をおいて何とか魔力を集め、強引に身体を目覚めさせるしかない。
そう考え、ひたすら魔力を集め続け、より効率的な魔力の収集のためにこの寒村を拠点に活動を始めただけであった。
だが、国家の目が届きづらい寒村というのは、秘密裏の活動こそできるが、早急な成果というのを得るには、あまりに不向きな場所であった。
故にここ数年、セレト達は碌な成果を挙げることは出来ず、細々とした活動を続けているだけであった。
最も、それでも時間さえかけられれば、嘗ての肉体をセレトは取り戻すことができるはずであった。
しかし、奥の部屋で唸っている、あれのせいで、セレトには、そのような時間の余裕は無くなってしまったのであった。
「ご気分は如何ですか?ヴルカル様」
ユノースは部屋の奥で唸っている異形の生き物の汗を拭き取りながら、優しく声をかける。
そんなユノースの献身に、気のせいか、唸っていた化け物の声は、少々おとなしくなってきた気がした。
「いやはや。呪いの副作用とはいえ、そこまで堕ちた主に未だ忠誠を捨てないとは、貴方も大したものね。くくくく」
そんな彼を見ながら、部屋の隅でユラが笑っている。
「黙れ」
そちらの方も見ずに、ユノースは殺気を込めて一声発する。
「くくくく。おぉ怖い怖い」
ユラはそう言いながら、気配を消していた。
ヴルカルの様子は、日に日におかしくなっていった。
当初は残っていた理性のような物も、日が経つにつれて徐々に無くなり、今やほとんど残っていないようであった。
主を助けるためには、少しでも早くセレトの肉体が必要であった。
計画を早めるか。
そう考えながら、懐に手を入れ、肌身離さずに握っている、赤色の宝石が埋め込まれた短剣をぎゅっと握る。
これを使えば、セレトのあの肉体を、我が主に与えることができる。
そう考えた瞬間、外で爆発音がし、彼の思考を中断させた。
「おやおや。まさかもうこの場所がバレるとは。予想外だったよ。聖女様」
襲撃の知らせに、飛び出してきたセレトを待っていたのは、こちらを強く睨んでくるリリアーナと、どこか楽しそうに笑っているオルネスの二人組であった。
「ようやく、見つけたわ、セレト。その身を、このまま滅ぼされなさい!」
そう言い、リリアーナは武器を構えて、セレトに切り掛かってきた。
「あぁそうかい!あくまで、僕を滅したいか!」
迎え撃つセレトは、身体を黒と金の霧に変え、リリアーナを迎撃する。
ガキン。
二人の剣がぶつかり、霧化を解かれたセレトと、武器を振り下ろそうとするリリアーナの表情が交わる。
あぁ、やはりこいつは美しい。
黒い呪術士は、一瞬そう考え、そのまま自分の剣を投げ捨て、身体を再度霧化させて霧散させる。
「逃がしたか」
リリアーナは、舌打ちをして、霧が消えた空を見上げた。
「おやおや。押し切れそうでしたのに、残念でしたね」
オルネスが笑いながら、声をかけてくる。
「さあ、どうかしら」
つまらなそうにリリアーナは、言葉を返した。
最後の一瞬、明らかにセレトの刀の方が早く、彼女の首を切り飛ばせた。
その一閃が、なぜか止まり、セレトはそのまま消えてしまった。
これは、情けをかけられたのか、なぜなのか。
「さて、とりあえず残った残党を潰しますか」
疑問は止まらないが、今は目の前の出来事に取り組もう。
騒ぎを聞きつけ、飛び出してきたユノースを視線に捕えると、リリアーナは、再度刀を構えて、切りかかった。
「あぁ。やはり無理か」
霧化を解き、森の中を走り抜けながらセレトは、一人呟く。
あの金髪、聖女の表情を見た瞬間、なぜか自身の刀は止まり、勝利の機会は失われた。
彼女を切れない。
彼女をこの世から殺すことができない。
彼女の魔力を得たからか、それとも、元々彼女への執着が変化して生まれたのか、今、セレトは、リリアーナを強く思っていた。
そしてその思いは、彼女をこの世界から失わせることを拒んでいた。
彼女の魔力を奪い、逃げてからの間、ずっと一体化した身で、彼女の魔力を得てしまったが故の弊害か。
そう思い、セレトは、ため息をつく。
だが、彼の心と思考の中では、必死に否定しているが、もう一つの可能性を示していた。
元々、ハイルフォード王国で共に戦っていた時、嫉妬と共に感じていた、彼女への強く熱い思い。
それが、彼女の魔力を得たことにより、より強く感じるようになってしまったが、元を正せば、それは、元々あった彼女への強い執着に起因するということ。
あぁ自分は、変質しながらも、彼女への強い思いだけを軸に足掻き続けてきていたのであろうか。
「あぁなんて、世の中は儘らないものなんだろうか」
そう、一人呟き、魔術師は、また足掻き続けることを決めたのであった。
終劇




