第四十六章「墜とし児」
第四十六章「墜とし児」
コンコン。
扉をノックする音が部屋に響く。
「入って」
気怠そうな声でリリアーナは応える。
「体調はどうですか?リリアーナ様」
オルネスが笑みを浮かべながら部屋に入ってくる。
「最悪。の一言で済ますには、複雑な気分よ」
自分の治療に務める相手に、体の不調が残っている八つ当たりするように、不機嫌そうな声を出す。
最も、そんな声を出したところで、何の意味もないことは十分にリリアーナは理解していた。
「おや。でも、アレの動きは大分大人しくなったのではないですか?」
リリアーナの不機嫌そうな声を受け流し、機嫌良さそうにオルネスが応える。
その言葉に、リリアーナは応えることは無かったが、自身の様子を見れば、その答えは明らかであっただろう。
オルネスが治療に入って以降、リリアーナの身体を襲う痛みは大分和らいできた。
未だ強い気怠さ自体は残っており、身体を動かすことに多少の苦痛は感じるが、それでもこの身が確実に回復に向かっていることは、リリアーナも十分理解していた。
ただ、そんな安らぎも、自身の身体を見下ろした瞬間に全て吹き飛んでいく。
自身の体内を何かが這いずり回る感覚。
明らかな異物が体内にあるという恐怖。
「大人しくはなっていても、この穢れた魔力は、収まらないわね」
それらを押し殺しながら、精一杯悪態をつく。
あの呪術師が、戦いの最中、自身の身体に残した呪い。
その正体に気づかず、いや気付きながらも、直視をできず、見て見ぬふりを続けた結果。
その集大成がこれである。
歪に膨れ上がった自身の腹部。
そこから放たれる魔力により、日に日に蝕まられ、やせ細りつつある四肢。
自身の身を餌に、成長を続ける、奴の分身とも言うべき存在。
ただ奴の呪術が自身に与えた身体の変化は、彼女を日々、徐々に追い詰めつつあった。
「大丈夫。所詮呪術、即ち魔力の固まり、ただのアストラル体に過ぎません。消し去ることは十分に可能ですよ」
オルネスは笑いながらリリアーナに、ここ数日聞かせてくる説明を繰り返す。
一見すると、こちらを安心させようとする慈愛に溢れた様な笑み。
だが、彼女は元々敵国の人間である。
それゆえにか、その笑みにある裏の表情が見え隠れし、リリアーナは猜疑心に苛まれた。
最も、彼女がセレトを嫌っていることも明らかであったが。
「その言葉、信頼をしたいものだけどね」
そんな心に巣喰う疑いの気持ちを、強引に思考の奥にしまい込み、リリアーナは、惨めに膨らんだ腹部を撫でながら、言葉を返す。
いずれにせよ、もうできることはそう多くない。
何とか身体が持つうちに、この問題に対処をするしかない状況である。
「市井では、貴方を心配する声が溢れているようですよ。最も、救世主である貴方の不在を訝しむ声も多いようですが」
オルネスは、タオルを絞りながら、笑みを浮かべて口を動かし続ける。
その口から流れる言葉は、こちらを気遣い、どこか慈愛に溢れているような物であったが、その言葉の裏に、どこか毒があるようにリリアーナは感じていた。
「そう。それはありがたい話ね。じゃあ、さっさとこの問題を解決して、皆を安心させたいわね」
その毒に気づかぬふりをしながら、リリアーナは言葉を返す。
話していると気が紛れてきたのか、身体の痛みは、大分和らいできている。
「えぇ。王国も大変焦っているようですよ。なんせ、貴方が暗殺されたなんて、噂も流れているのですから」
オルネスは、そんなリリアーナに中々笑えない冗談を、観劇の内容を話すように面白そうに話す。
「それは、笑えない話ね」
さすがに不快さを感じたリリアーナは、少し表情を歪めて言葉少なく応えるに留める。
もっとも不快な気分に反し、身体の痛みはほとんど消え去り、今はむしろ、安らぎさえ感じている。
このまま、多幸感に包まれたような状況に、いつまでも身体を置き続けたいという欲望が心の奥から湧き出てくる。
「ねぇ、少し」
席を外して、と言おうとしたが、リリアーナの口から、その言葉は発せられなかった。
急に、それどころではない、悲鳴を上げることもできない程の苦痛が、身体中を襲う。
その痛みは、彼女の思考を飛ばし、声にならない叫びをあげさせる。
「あぁ。ようやく生まれますか」
そんなリリアーナの耳に、オルネスの声が、どこか遠い場所から聞こえてくる。
「一つ、貴方に嘘をつきました。貴方の身体の中にいるそれ、既に実体を得ていますよ」
意味が理解できない、ただ音だけでは耳に入り続ける。
「驚いてますね。何故知っているかって?私も同じものを産み付けられたのでね。それの苦しみはよくわかります」
そう言いながらオルネスは、こちらに憎悪の表情を向けながら、だが、これまでのような表面上ではない、心底楽しそうに、こちらを思いやるような優しい声をかけてくる。
「世界を救い、平和な治世を生み出したハイルフォード王国?そんな詐称、許される訳がないじゃないですか」
笑みが、憎悪が強く、強くリリアーナにぶつけられる。
「ある国の聖女を蹴落とした、汚らわしい聖女、そんな貴方も汚れてしまえ!」
そう叫び声が響いた瞬間、リリアーナの身体を、不快、快楽、様々な感覚が駆け巡り、彼女の身体から何かが抜け出た。
第四十七章に続く




