幕間2-29
幕間2-29
「それで、具体的には何が起きたんだ?」
リリアーナが逃げ出した方角から視線を逸らすと、ヴェルナードはそばに控えた部下に問いかける。
捕えたはずの聖女には逃げられたが、そのことに苛立ちを見せることはない。
いや、見せる余裕も無くなったというのが事実であるか。
「はい。本国は壊滅。王や側近達は逃げられたようですが、いずれにせよ我が国の戦力は半壊状態の模様です」
まだどこか信じられないような口調で、問われた部下はヴェルナードに報告をする。
「壊滅か」
どこか考え込むようにヴェルナードは言われた言葉を繰り返す。
「取り急ぎ本国からは、早急に立て直しを進めるためにも、将軍にも早期の合流を求めております。有力な将の犠牲も多く、優秀な方の力添えは特に必要なのです」
懇願するように部下はこちらに伝言を伝えてくる。
その言葉を聞きながら、ヴェルナードは短い一瞬で思考をまとめる。
ついこの間まで、ヴェルナードは過去の実績こそあれど、最近の失敗続きから、本国に何度も呼び出されている、非常に際どい立場にあった。
それが今では、向こうから力を貸してくれと懇願される立場へと変わっている。
最も、今度は、忠誠を誓った国の方が、沈む寸前の泥舟となっていたが。
「いずれにせよ、情報収集は必要か」
部隊を見回しながら、ヴェルナードは呟く。
コブルスでの戦い、ユノースによって仕掛けられた罠、黒い翼を持つ敵との戦いを得て、多くの部下を失い、残った部下の大半も傷を負っており、部隊の立て直しは必須な状況であった。
そうである以上、味方勢力との合流は、少しでも早いに越した事はない。
「よし。急ぎ合流地点に向かうとしよう。向こうからの指示は?」
そう考えると、ヴェルナードの決断は早い。
連絡用のスクロールを持つ部下に問いかけながら、すぐさま移動の準備を始める。
「えぇっと、ボルスン砦とのことです」
部下は、スクロールを見ながら慌てながら応える。
「ボルスン砦。か」
忌々しいその名前を口にすると、ヴェルナードは部隊をまとめて移動を開始した。
そして数日後、ボルスン砦に到着したヴェルナードは、その混乱ぶりに苛立ちを隠そうともしなかった。
数年前、ハイルフォード王国によって奪われたその砦は、何度かの攻防の末、今はヴェルナード達クラルス王国の支配下に置かれてはいた。
国境付近の要所という事もあり、本国も兵力を集中させており、それが幸いし本国の壊滅という事態があっても、それなりの軍事力が整った数少ない拠点となっていた。
最も、砦内は本国の壊滅以降、錯綜する情報によって混乱の極みにある、とてもじゃないが機能をしているとは言えなかった。
「ちっ!右往左往しやがって役立たず共が!」
怒りに任せてドアを蹴破りながら指令室に入室し、ヴェルナードは吠えるように怒鳴る。
「そうは言うがね。こんな事態を予測しておけというのは難しいのは理解してほしい物だね。あぁ歓迎するよ、ヴェルナード閣下」
荒々しく入ってきたヴェルナードに眉を背けながらも、どこか遠慮したように、こちらに声をかけてくるのは、ここを任されていた司令官であろう。
名前は憶えていないが、どこかの貴族の三男坊だかで、箔付の腰掛のためにこの砦に配属された無能であるという事はヴェルナードも何となくは覚えていた。
最も、こういう事態にならなければ、仕事を丸投げされていた目の前の無能の下に付けられた優秀な部下達だけで砦の運営は十分に対処はできたのであろう。
だが本国が壊滅という、明らかに彼らのキャパシティを超えた事態により、今やこの砦としての機能はほぼ停止していた。
「ふざけるな!」
最もヴェルナードにはそんな事情は関係がない。
そもそも情報が錯綜している中で、こんなつまらない言い訳を聞かされたことにより彼の我慢も限界に近づいていた。
「そもそもなぜ本国が壊滅をした?それにハイルフォードの馬鹿共が幸いにも攻めてきていないようだが、この砦の状況はなんだ?お前みたいなゴミにだって、最低限の仕事ぐらいはこなす脳味噌はあるだろう?」
感情に任せて、ヴェルナードのここ数日間分の怒りが吐き出される。
同時に、目の前の司令官の表情がどんどん青くなり、そのまま向こうも怒っているのか顔つきは険しくなっていく。
「はっ!貴公こそ、国の一大事にも関わらず本国の指示を無視して遊びまわっていたそうじゃないか。大体、ここでは私の方が上官だ!それを理解しているのか!貴様は?!」
若い司令官は、自身の傷つけられたプライドのままに反論をしてくる。
その家柄もあり、普段、自身に逆らう者も碌にいなかったのであろう。
そして、それは不運であった。
「黙れ!」
怒りと共に、ヴェルナードが振るった刀は、相手が反応をする暇もなく、その右手首から先を切り落とした。
「え?あ、い、いてええええ!」
突然、身体の一部を失ったことにより、男は、恥も外聞もなく泣きわめく。
「うるさい!黙れ!」
だが、その泣き声は、再度怒りの声を上げたヴェルナードの刀の切っ先が、その首先に向けられたことにより強引に抑えられた。
「一応利き手は勘弁してやったんだ。少しは感謝しろ。それで、本国で何が起きた?」
まだ痛みに震えて、押し殺した泣き声を上げる目の前の男に、ヴェルナードは、苛立ちを抑えた声で問いかける。
「あっ、あいつだ。オルネス。あの女が国を滅ぼしたんだ」
司令官は、子供のように泣き声を抑え何とか声を整えながら、ヴェルナードの問いに応える。
「オルネス?あいつにそんな力はないだろ。一体何があった?」
嘗ての部下の裏切りの報告に疑問を呈しながら、ヴェルナードは思考の中で現況を整理する。
ヴェルナードが知っているオルネスは、少なくても自分の国を裏切るような能力も思考も無い、ただの一武官に過ぎなかった。
また例え叛意があったとしても、彼女一人の力では、とてもではないが、この国を壊滅させられるような力はないはずであった。
だが、目の前の男は、ヴェルナードの言葉に首を振りながら言葉を続ける。
「あいつは、あれは、変体したんだ。ある時、眠っているあいつが、急に黒い翼を持つ化け物になって、本国を守っている屈強な騎士達も歯が立たない程強くて、そいつが好き放題暴れて、この国は滅んだんだ」
そして、その時のことを思い出したのか、大の大人ともは思えないよう泣き声を上げながら、一生懸命に応えていく。
「なるほど。それでお前は真っ先にここに逃げてきたと」
オルネスがこの国を滅ぼしたという事実に少々驚きながらも、平静を装いながら、ヴェルナードは尋問を続ける。
「仕方がなかったんだ!本国は機能不全。こうなると他国の侵略もありえる。大体、私は逃げたのではない!上からの命令に従って動いただけだ!まあ確かに無駄足だったかもしれないが、そんなことわかりはしないだろ!」
自棄になったように叫び続ける男を見ながら、ヴェルナードは、ふと気になる情報が耳に入ったことに気が付いた。
「無駄足?どういうことだ?ここはハイルフォード王国との国境だろ?」
本国がどうなろうと、ここは国境という最重要地点であることに変わりはない。
なのに、どこか気が抜けた要塞内の兵士達の様子。
当初は、クラルス王国建国以来の危機ともいえる、この状況の混乱からくるものかと思っていたが、この様子では、少々違うようであった。
そして目の前の男は、ヴェルナードの問いに驚くべき答えを返した。
「ハイルフォード王国が壊滅的な被害を受けているのに、国境なんて気にしている暇等ありますか?」
当たり前の常識のように放たれた言葉は、ヴェルナードに更なる混乱をもたらした。




