第十一章「帰省」
第十一章「帰省」
クラルス王国への出兵を間近に控えたある日のこと、セレトは自身の領土に戻っていた。
現当主である父親、クルスより、昨今の本国における状況等の確認も兼ね、一度帰省をするようにと指示があったのである。
正直な話を言えば、わざわざ父親に会うために帰省等をしたくはないというのがセレトの本音であった。
ある程度の軍備も整い、物資の調達はできており、出兵の準備自体はできているものの、最終的な調整は必要であり、また、王都から距離を置くことで聖女の動きが掴みづらくなることも、彼の不安を掻き立てたのである。
それでも、セレトが帰省を選んだのは、一つは、それを拒むことで父、クルスが独自で動き出してしまい、結果的に自身が現在関わっている事柄に悪影響を与えかねない可能性がある点と、今回の出兵に辺り、多少なりとも支援を引き出せればという考えがあってのことであった。
そのような思いを抱きながら、乗馬をした護衛の数名の部下と、ネーナ、アリアナを引き連れたセレトは、自身は馬車に乗り、父の屋敷の前へ到着した。
門の前には、お飾りのような二人の門番が立っている。
あまり治安が良いとは言えない辺境の地ではあるが、二人の門番は気が抜けた態度で職務に臨んでいた。
もっとも、いくら治安が悪い地域といえど、領土内でもっとも兵力が集まっている領主の屋敷周辺でトラブルを起こそうとする愚か者は、そう多くはないのも事実であったが。
門番の一人が、セレトに気が付くと、セレトが近づく前に門を開け、中に入るにように声をかけてきた。
セレトは、その門番に礼を言いながら差し入れに用意をしておいたワインを渡すと、そのまま屋敷の中に入る。
「坊ちゃん。ありがとうございます。」
自身も馬車から降り、下馬をした部下達と共に屋敷に向かうセレトに向かって、機嫌のよさそうな門番の声が聞こえてきた。
セレトは、このだらけている門番達が嫌いではなかった。
自身が幼い頃には遊びに付き合ってくれ、色々と教えてくれた大人の男達。
年を重ね、彼らの平和ボケをしたような本質を悟っても、彼らに対する親愛の情は、些かも揺るがなかったのである。
屋敷の前には、父の執事として家中を取りまとめている眼鏡をかけた初老の男性がセレトの到着を待っていた。
「これはこれは、坊ちゃま。お早いお着きで。父君もお待ちしておりましたよ。」
訪れたセレトに対し、執事、ハイルソンは、にこやかに応える。
もっとも、その眼鏡の奥の目がほとんど笑っていないことに、セレトは気が付いていた。
「いや、多忙なところ、わざわざ出迎えてもらってすまないね。ハイルソン。私は、大丈夫だから、もし差し支えないなら、父に早速お目通りを願いたいのだが。」
ハイルソンは、セレトの言葉に優雅に一礼をすると、自身についてくるように指示をして、屋敷の中にセレトを通した。
同時に、ネーナやアリアナを初めとするセレトの部下達には、旅の疲れを癒すようにと別の案内人を手配し、ゲストルームへと案内する。
その手際の良さを眺めながら、セレトはハイルソンの後をついて行く。
ヴルカルと同じように、年齢を感じさせない動きを見せるハイルソンであったが、彼がセレトをそこまで好いていないことは、セレト自身、薄々と感づいていた。
セレトが生まれる前より、クルスの懐刀として仕えていたハイルソンにとって、他の兄弟達と違い、家に従順な態度を見せず、自身の思うがまま、自由に生きているセレトの生き様は、自身の築き上げてきたものを全否定するような、不愉快な物であったであろう。
現当主であるクルスが、常々述べている心構え。
「王国への忠誠のみを考えろ。」
これは、流れ者だった自分の先祖を拾ってくれた王国への忠義のみを考えるべきという、代々家に伝わっている言葉。
しかしその言葉は同時に、貴族社会での政治闘争から距離を置くこととなり、それは孤立を生み、自分達の出世も望めず、今でも辺境で燻ることしかできない結果を突き付けていた。
そんな状況を変えたいと思い、様々な戦場に出兵し、貴族社会の中での出世を考えているセレトの生き様は、結果として現当主達が望む生き方を否定するものとなってしまっていたのである。
今日の父との会談は、そのことに対する嫌味もあるのかもしれない。と、セレトはやや重い気持ちでハイルソンについて行く。
そのように考え事をしていると、父であるクルスの部屋の前に到着した。
ハイルソンがドアをノックして、戸を開き、セレトの方に向き直る。
「どうぞ。父君は中でお待ちです。」
ハイルソンは、にこやかに笑いながらセレトに声をかける。
セレトは、軽くうなずくと、憂鬱な思いを抱えながら室内に入っていった。
父親であるクルスは、小奇麗まとまった室内の書類机に座りながら書き物をしていた。
セレトが室内に入ると軽くその様子をみたが、そのまま手で近くの椅子を指さし、そこに座り待っているように示すと、書類仕事に戻った。
椅子は、ややクッションが固くなっている以外には、文句はなく、セレトは、そこに座ると寛いだ姿勢で、目の前の父親を観察した。
ハイルソンと同じく、初老の年代に入った父親であったが、未だに身体は鍛えられており、いざとなれば武具を身に着け戦場に立つことも厭わないように思えた。
もっとも、その髪には、白髪が交じり初め、顔に刻まれた皺は、彼の老いを感じさせはしたが。
しばらくすると、クルスがペンを机に置き、こちらを向いた。
その目には、父が子に見せるような親しみはなく、どこか冷え切った感情のみが見えていた。
「大分、勝手に動いているようだな。」
季節の挨拶もなく、問いかけるのではなく、決めつけるようにクルスはセレトに言葉をかけた。
もっとも、それはいつもの事である。
そんな父の態度を意にも介さぬ態度で、セレトも応えることにした。
「いやはや。王国は今、色々と苦難に溢れているようでして。常々仰られれるような、王国への忠誠を全うしようと、私も若輩ながら努力している次第ですよ。」
この言葉にクルスがどう感じたかは不明だが、彼は、言葉を受けても何も答えず、セレトを上から下へと眺めると少し考え込んで口を開いた。
「まあいい。お前が王家に忠誠を誓い、その任を全うしている限り、私から何も言うことはない。」
息子をお前呼ばわりするその声には、明らかに侮蔑の色が入っていた。
「分かりました。今後も、現当主の方針に従い、好きにやらさせて頂きますよ。」
もっとも、セレト自身も父を軽蔑している以上、お互い様ではあったが。
セレトの言葉を受けたクルスは、フンと鼻を鳴らすと、口調を少し変えて口を開いた。
「そういえば、王国では、クラルス王国への再出兵が計画されているらしいな。それはどうなっている?」
セレトは、その言葉を受けて少し考え込むが、素直に言葉を返すことにした。
「出兵は近いうちに確実に行われるでしょう。実際、私の下にも召集命令が来ております。」
常々、国への忠誠を口にしているクルスである。
その国への忠誠を示しているこの戦いへの参戦は、好意的であろうと考え、セレトは言葉を発した。
「ふむ。しかしその戦には深入りしないほうがいいかもしれんな。」
だからこそ、クルスが述べた言葉は、セレトにとって予想外の反応であった。
「どうも伝え聞いた話では、王国の首脳部よりも貴族達が主体となって計画している傾向がある。特に古王派と教会派だな。元々、前回の戦も無理な出兵が祟ってのあの結果だからな。あまり関わらないに越したことはないだろう。」
セレト自身、クルスの言葉の内容については、よく理解できていた。
元々、リリアーナの暗殺以外にも、この王国には様々な陰謀、政治的な駆け引きが溢れていた。
今回の、クラルス王国への出兵は、あの国が所有している鉱山資源の奪還がメインであったが、同時に、先のルムース公国との戦いで戦功をあげられなかった貴族達の立身出世、本国の政治闘争の代理戦争といった様々な要素が絡み合っており、王族への忠誠の戦ではなく、貴族達の都合による戦という色が強かった。
もっとも、クルスがそこまで調べているということは、セレトにとって予想外の出来事ではあったが。
「リオンから、送られてきた今回の出兵のための計画も見たが、私としては、できればそこまで関わってほしくはないのが本音だがね。貴族達の政治的駆け引きの舞台に、わざわざ全力で関わる必要はないだろう。」
リオンに命じて、先に送らせておいた、今回の戦の計画表を取り出しながら、クルスは言葉を続ける。
クルスは、王家に対する忠義はあるものの、貴族達の政治的な駆け引き等は嫌悪をしている人物であった。
それゆえ、そのような場からできる限り距離を置こうとしてはいることは、良く知っていた。
この調子では、クルスから支援等を引き出すことは難しいであろうことは明白であった。
「仰る通り、一部の貴族達の私欲も入ってはいる戦ではありますでしょう。ただ、王家にとっては、決して無視できないクラルス王国という存在を潰すということ自体は、決して王家に対する忠義から外れるものかとは思いませんが。」
セレトは、平坦な口調でクルスに言葉を返す。
支援を引き出せないにしても、裏で色々と進んでいるこの現況に、中途半端にクルスに介入されることを、セレトは可能な限り避けたかった。
「私自身は、王家への忠義を信じて、戦へは参加しますよ。それこそが我々に対し、王家が求めていることでしょうから。」
セレトの言葉を聞き、クルスは少々考え込むように黙り込むと、何も言わず、ベリを鳴らしハイルソンを呼ぶ。
すると、控えめなノックと共に、ハイルソンが入室してきた。
室内の状態を見ても何も言わず、自身の主を見ているハイルソンに対し、クルスは口を開く。
「息子が帰るようだ。外まで見送ってくれ。」
ハイルソンは、その言葉に一礼をすると、セレトに室外にでるように促す。
セレトは、めんどくさそうに椅子から立ち上がると、父親に一礼する。
「好きにしろ。こちらからこれ以上の支援は難しいが、お前に預けている兵達は自由に使ってもらって構わん。」
部屋を出ていこうとするセレトにクルスは、そう言葉をかけると書類仕事に戻った。
結局、父から碌な支援も引き出せない結果となったが、少なくともこの戦中に、無駄に介入をされることもないだろう。
それを、今回の帰省の成果と考え、セレトは王都への帰宅の途に就くことにする。
途中、兄弟や母にも挨拶をしようと思ったが、各々多忙なようで屋敷には不在ということだったので、セレトは、そのまま部下を引き連れ屋敷を後にした。
一人残されたクルスは、そんなセレトの様子を屋敷の窓から眺めながら見送った。
その口元には、疲れが浮かんでいると同時に、どこか憤りが感じられるようだった。
第十二章へ続く




