第十章「払拭」
第十章「払拭」
聖女暗殺計画を企てた者達があらかた拘束された一方で、クラルス王国への出兵は、粛々と進められていた。
そのような状況下でセレトは、息をつく間もなく、自身の部隊の編成を行い、物資の買い付けを行う等、多忙な日々を送っていた。
教会派の貴族、レライアが聖女暗殺計画の主犯として拘束され、そのまま獄中で病死をした旨は、セレトの耳にも入っていた。
もっとも、その病死という点には、甚だ疑問符がついてはいたが。
セレトにとって、レライアとは、顔と名前を知っているぐらいの、ほとんど接点がない人物でこそあったが、自身と同じ企みを実行し、その失敗によって獄中で病死という結末を迎えた点で、今のセレトには、とても身近な存在へと感じられていた。
そしてその末路は、セレトにとって、自身の末路を無意識に暗示させ、言い様の知れない恐怖を感じさせてくるのであった。
もっとも、出兵が差し迫っているという現況の中では、セレトは、そのことばかりに気を取られている暇はなかった。
周辺国、特に出兵先であるクラルス王国に悟られぬように秘密裏に指示をされていた出兵命令は、今は、街中で噂という形で大っぴらに語られるレベルで広まっていた。
同時に各地で出兵の準備に向けた動きが活発化し、セレトの下にも他の貴族や商人達の情報が多数入ってくるようになっていた。
そのように、いつ出兵を命じられてもおかしくない状況下で、セレトは、グロックとリオンを連れ、ルーサ男爵が有する商会へ物資の買い付けに訪れたのであった。
ルーサ男爵という男は、貴族社会の中でその生まれと出自から嫌われがちなセレトに対して普通に接する、数少ない交友関係がある貴族ではあった。
もっとも、お互いに深い親交があるわけではなく、ただセレトを嫌わずに、必要な取引に適正な相場で応じてくれる。その程度の関係性でこそあったが。
セレト達が商会につくと、ルーサは留守ということであったが、代理の者が対応をするということで、客間に通されてしばらく待つようにと言われた。
その言葉に従い、各々客間で寛ぎながら相手が来るのを待っていると、商会で、何度かセレトと取引をしている男がドアを遠慮がちにノックをして入室をしてきた。
「お待ちしておりました。セレト様。」
疲れた風貌の中年男性は、セレトをねぎらう言葉を話すと、事前にセレト達が伝えていた必要な物資の目録を出しながら説明を続けていく。
「このところ、各地で同じように軍備の注文が多いようでしてね。やや相場が上がってはおるのですが、セレト様とは、前々からのお付き合いですから、先月のレートのままで結構ですよ。」
男は、こちらの機嫌を伺うような声で説明を続け、取引内容をまとめていく。
「それは助かりますね。ただ、こちらも色々と物入りでしてね。出来ればこちらの武器の目録の何点か、もう少し単価を下げて頂けないでしょうかね。」
そして、その言葉を受けて応えるのは、セレトではなくリオンであった。
このような取引の場においてセレトは、基本的に口出しをする気はなかった。
大まかな方針等は伝え、ある程度の内容は確認しておくが、それ以上の部分については、一番状況を理解しているリオンに任せることが、もっとも手っ取り早く、間違いも少ないであろうことを、理解していたのである。
「では、この内容で如何ですかね。」
中年の男性は、新しく計算しなおした目録をリオンに見せる。
「ふむ。私は問題ないかと思いますが、どうですかね。」
リオンは、書類を一瞥すると、隣に座っているグロックに書類を見せる。
グロックは、現場の人間の目で目録内容を一通り確認すると、リオンにその書類を戻しながら口を開く。
「大体においては、問題がない内容ですな。ただ、武器については、少々注文をつけさせてもらいたい。」
その言葉を受け、リオンとグロック、そして商会の男は、ひたすらに商談を続ける。
セレトは、その様子を退屈そうに見つめていた。
セレトにとって、軍備というものは、ただただひたすらに面倒な作業であった。
貴族の子弟ということで、そのような計算、考え方等についても学ばされたセレトであったが、この手の取引や計算が好きになれず、結果、専門家であるリオンの加入と共に、その手の作業をすべて丸投げをすることにしたのであった。
「では、これで進めましょう。」
話し合いが終わり、その内容にセレトが承認を示したことで、リオンは、取引の成立を相手に告げる。
「はい。では、頼まれたものは期日までには送り届けるようにいたしましょう。」
セレトは、そんな彼らの様子をどこか遠い目をしながら眺める。
現状、ヴルカルから連絡が入ることもなく、また聖女の暗殺についても、あの事件以降、リリアーナが領土から出てこなくなったことにより、セレトは、特に聖女暗殺について動くこともなく、日々戦の準備に追われていたのである。
だが、そろそろ戦が始まるというこの状況下において、セレトは、自身の計画の準備を進める必要性が強いことを痛感していた。
クラルス王国では、一つの部隊として参戦することとなる。
それはすなわち、自身の軍事行動を進め、敵部隊と対峙している状況下で、上手くリリアーナと接触し、始末をする必要があるということであった。
そのような状況下で下手な動きを取ることは、当然に自身の命取りにしかならないことを考えながら、セレトは、自身の立ち回りを熟考するのであった。
「そういえばセレト様にお客様がいらっしゃるのでした。どうぞこちらに。」
突然、目の前の商人の男に声をかけられる。
「私に客ですか?」
セレトは、慌てて目の前の男の言葉に反応をする。
男は、笑顔のまま頷く。
「私達はどう致しましょうか?」
リオンが、セレトの様子を伺いながら声をかけてくる。
セレトの客という存在に興味を示しながらも、余計な口出しはせずに主の命令を待っているようにも思えた。
グロックは、それに倣うかのように、興味はなさそうな表情で、窓から外を眺めていた。
「二人は、先に帰っていてくれ。用事が終わり次第、私も帰る。」
この状況下で、自分で会いたがる人物に興味を抱きながらセレトは、部下を先に返し、一人でそのもと会う意思を示した。
「ではこちらへ。」
そして男の案内に従い、セレトは、屋敷の隅にある小さな客間に通された。
「用が済みましたら、お呼びください。」
そう話すと、男は、一礼をして部屋を出て行った。
一人残されたセレトは、部屋の中を見回した。
そこには、成金趣味の男が好みそうな、派手な絵とやたら高そうな家具が乱雑に設置されていた。
「きひひひひ。セレト卿、お久しぶりだね。」
誰もいないかのように思える部屋の様子を眺めていると特徴的な笑い声が聞こえ、そちらの方にセレトが目を向けると一際高価そうなソファーの上にボロを着込んだ女、ユラが寝そべってこちらを見ていた。
「きひひひ。忙しいところすまないね。まあそんなに時間をかけるつもりはないから少し付き合ってくれよ。」
相変わらず、人を小馬鹿にするような笑みを浮かべながら、ユラは声をかけてくる。
セレトは、その言葉に無言のまま、彼女の対面の椅子に座ることで答えを返した。
「きひひ。機嫌が悪そうだね。ひひひ。まあいいさ。戦の準備は万全かい?」
ユラのその言葉に応える気もなかったが、早くこの場を去りたかったセレトは、重い口を開く。
「順調ですよ。今日の取引で、一通りは必要な物も揃いましたよ。」
「そうかい。ひひひ。それは順調だね。きひひひ。」
ユラは、そんなセレトの言葉をさぞ楽しいかのように受け止め笑い転げる。
セレトは、そんな彼女の様子をどこか冷ややかな目で見ながら、次の言葉を待った。
「きひひひ。まあいいよ。ヴルカル様から伝言を預かっているよ。」
ユラは、最低限の言葉しか発しないセレトを、相変わらずの笑い声で受けながら、言葉を続ける。
「ヴルカル様は、聖女の件、クラルス王国で決着をつけてほしいようだよ。ひひひ。」
セレトは、そんなユラの言葉を耳に入れながら、先を促す。
「きひひひ。そのために、必要な支援があれば可能な範囲で準備をするとのことだったよ。ひひひひ。」
相も変わらず、ユラの言葉遣いは、セレトを苛立たせるものであったが、セレトは、その苛立ちを顔に出さぬように気を付けながら、彼女の言葉を聞き続けた。
「きひひひ。あともう一点。ひひひひ。ヴルカル様は、頼みたいことがあるようでね。ひひひ。これを預かってきたよ。」
そう笑いながら、ユラは、セレトに薔薇に囲まれた獅子の顔が入った封筒を投げつけてくる。
ヴルカルの家紋が入った封筒を受け取ったセレトは、開けろと手振りで指示をするユラに従い、その封筒を破り、中の手紙を開いた。
『今夜、相談したいことあり。夜23時頃、再度この場に来るように。』
そこには、有無を言わせぬ内容で、ヴルカルからの次なる指示が記されていた。
「この詳しい内容は、聞いていませんかね?」
セレトは、手紙をユラの方に見せながら声をかける。
「ひひひ。私は、あくまで使いの者。主の考えなど微塵も分かりませぬな。」
ユラは、狂ったように笑いながら彼に言葉を返した。
セレトは、そんなユラをの様子を見つめながら、用事が終わったかを尋ねる。
「貴公には申し訳ないが、私も出兵のため、準備することが多い。もう宜しければ、ここで失礼をさせてもらいたい。」
そんなセレトの言葉に対し、ユラはいつもの様子で笑いながら、用事は終わった旨を告げる。
「きひひひひ。まあ、引き続き頼みますよ。ひひひひひ。」
最後まで笑い続ける、ユラの声を背中で受け止めながら、セレトは部屋の外に出た。
そして改めてヴルカルの手紙を見直す。
そこには、彼からの単純明快な指示が記されているのみであった。
ヴルカルからの指示の内容に思いを馳せながら、セレトは自身の家に戻ることにした。
動き続ける状況に、魔術師は頭を痛めながらも、その口元はどこか笑みを浮かべていた。
手紙が届き、このように指示が来るということは、少なくとも、ヴルカルは、まだセレト自身を必要としている。
そうのような状況である以上、病死をした、レライアのようには、まだならぬ可能性が高いのであろう。
そのことを考えるにつれ、最近乱れていた心が少々落ち着いていくことを、セレトは実感していた。
勿論、手紙の内容が偽りで、本当は、自身を暗殺するためにヴルカルが、自身を呼び出している可能性もあった。
しかし、セレトは、今はその可能性を頭の中からかき消していた。
それは、自身の直感によるものもあったが、同時にここで自身を殺すのであれば、先ほどのユラとの対談の時にでも、十分にチャンスがあったことが、セレトの頭の中からその不安を払拭していた。
そうして手紙を魔術で燃やすと、セレトは屋敷に向かって歩を進めた。
その口元には、不安と笑みが同居したような表情が宿っていた。
第十一章へ続く




