第九章「想定外」
第九章「想定外」
聖女暗殺未遂の犯人が捕まったという話がセレトの下に入ってきたのは、リリアーナが呪術に打ち勝ったという報告から、三日後であった。
その日、セレトは、リオンと食堂で軍備面と会計上のバランスについて相談をしている途中であった。
クラルス王国への出兵の件は、正式な発表こそないものの、水面下で各地に指令が回っており、国内のある程度以上の立場の者にとっては、もはや公然の秘密ともいえる状態であった。
そしてセレトの下にも当然のようにその密命は入っており、その出兵の準備のため、会計を仕切らせているリオンとの話し合いの席を持っていたのである。
聖女の暗殺の件もあり、昨今、セレトに遠ざけられれていることを感じていたリオンは、これ幸いにとセレトに対し、決して余裕があるとも言えない財政と、それを補うための軍事面の独自理論を熱を入れて説明をしていた。
そんな最中、慌てたようにドアが開けられて部屋に入ってきたネーナは、室内の様子を禄に確認もせず、セレトを見つけると、リリアーナの暗殺を企てた者が捕まったことを報告してきた。
「つい、今しがたのことになりますが、兵士達に連行をされていくのを確認しまして。」
ネーナは、息を切ったように話し出す。
そんな様子をみたリオンは、呆れたように言葉を返す。
「ネーナ様。確かに聖女の暗殺犯が捕まったのは大ニュースかもしれませんが、今、セレト様と私は軍議の最中でございます。聞けば近々出兵の可能性もあるとのこと。それを考えますと、こちらの話の優先度もご理解いただけるかと思うのですが。」
そんなリオンの言葉を聞いたネーナは、彼が先ほどから室内に居たことに気づき、自身を恥じたように頭を下げながら部屋を退出した。
リオンは、そんな様子を首を振りながら見送ると、彼女の退室を待ってこちらを振り向くと、話の続きを始めた。
もっとも、セレトは、そんなリオンの話をうわの空で聞き流すこととなった。
聖女の暗殺犯の逮捕。
それは、自身が、今まさに進めている計画、そして先日一度は決行した計画と同様の考えを持った者の末路。
この自身と同じ陰謀を企てた者が捕まったという事実は、セレトに多大な衝撃を与えていたが、同時に目の前のリオンと進めていた予算計画の話し合いも緊急事項であった。
特にリオンは、今回のセレトが進めている暗殺計画の外に置かれている人物である。
そのような男に、この暗殺犯の逮捕が持つ意味を知られることは、可能な限り避けたいことであった。
「先の戦の報奨もございますが、その時の被害の補填を考慮すると、やはり財政的には厳しいかと。つきましては、軍隊の編成を、このように大きく見直す必要があるかと。」
リオンは、そんなセレトの様子を知ってか知らずか、淡々と資料を出しながら説明を続ける。
セレトは、その返事にできる限り上の空模様が出ないよう気を付けながら、彼の計画を真剣に検討をするフリを続けるのであった。
「では、そのような形で、今一度、編成等を見直し計画を立てます。」
それから一時間後にリオンがようやく話を終えた瞬間、セレトは、ほっとして体の力が抜けたことを実感した。
「分かった。ある程度の権限は与えるつもりだから、最善と思う手段を取ってくれ。」
もっとも、そんな様子をリオンに悟られない様、セレトは言葉を返す。
リオンは、セレトの言葉を受け取ると、深く礼をしてそのまま部屋を退出した。
その様子を見送ったセレトは、改めて先程のネーナの報告を思い返す。
聖女の暗殺を企てた者が捕まった。
もっとも、それはヴルカルを初めとした、自身とつながりのある勢力のメンバーではないだろう。
もし、自身と繋がりがある者が捕まったのであれば、そこから実行犯である自分も、すぐに捕まるであろうことは、想像に難しくはなかった。
それがないということは、今回のことは、自身たちとは関係がない勢力が企んだ陰謀なのであろう。
だが、例え今時分に自身に関係がない話であっても、その矛先がいつ自分に向くか分からない話である以上、情報の収集はしっかりと行う必要がある。
そう考えたセレトは、現況を把握するために部下達に指示を出すのであった。
その晩、セレトは、部下達から受けた報告で今回の聖女暗殺犯逮捕の全容を把握することとなった。
ネーナが話していた逮捕された暗殺犯は、教会派の貴族の一人、レライアという男だった。
ここ一年あまり頻発していた聖女への暗殺者の襲撃の一部について裏で糸を引いていたことが判明しており、現在、彼を中心としたこの企みに関与していたメンバー達が次々と身柄を拘束されているようであった。
元々レライア自身が痕跡を残さぬよう細心の注意を払いつつ、表に出てこないように立ちまわり続けていたため、その存在は、聖女暗殺犯として上がることもなかった。
しかし、今回、リリアーナが呪術で倒れたという話が出回った際に、この千歳一隅のチャンスを確実に物にしようとしたレライアが、不用意に暗殺の計画のために動いたところ、聖女襲撃で気が立っていた王国と教会派の貴族達の捜査網に引っかかってしまたという話らしい。
動機は、教会派内の内ゲバ。
急速に勢力を伸ばしている聖女の勢力に危機感を覚えた、レライアを初めとする教会派の貴族達が、その動きを止めるために動いたというのが事実らしい。
報告書では、同時に関係していた他の貴族たちの名前がリスト化されていたが、幸いにも、セレトやヴルカル達に関係が出そうな名前は上がっていなかった。
どうもこの件は、現在セレトが進めている件とは、全く違う勢力が進めていた話であるようであるらしい。
そのことを確認したセレトは、安堵を覚えながら一息をつき、部屋内を見回す。
そこでは、ネーナ、アリアナ、グロックの三人が、それぞれ思い思いの姿勢で件の報告書を確認していた。
「それで、どうするんですか?」
自身に真っ先にこの件の報告をしてきたネーナが、一同を代表するようにセレトに問いかける。
「どうするも、この件は自分達と関係がない動きだからな。特段関わる必要もないだろう。」
それに対し、セレトは気のない声で返事を返す。
とにもかくも、このような状況下になったということは、しばらくの間は、下手にセレトも動かないほうが賢明であることは明らかであった。
下手に動いた結果、神経質になっている他の貴族を刺激し、自身も聖女の暗殺犯の一味として誤認逮捕されるということ程、愚かしいことはなかった。
特に、セレトの場合は実際に聖女の暗殺を企み、実行をしている。
叩けば埃が、いくらでも出てきてしまう自身であるからこそ、ここは慎重に立ちまわるべきであった。
「しかし旦那。ここで動かないと、もう出兵までそう日がないんじゃないですかい?このままじゃ、以前話していた戦場での味方の暗殺なんていう、リスクの高いことをやる羽目になりますぜ。」
グロックは、そんなセレトの言葉に応えるように、ぼやくような声で問いを発する。
セレトは、その言葉に返す答えを持ち合わせていなかった。
グロックが話していることは正論であった。
まだ正式な発表こそされていないが、既に多くの諸侯にクラルス王国への出兵の件は伝わっており、その実行までの日取りは決して長くはないのは明らかであった。
そして、恐らくその戦場にいる間が、ヴルカルが話していた聖女暗殺のタイムリミットであった。
もちろん、時間内に任務を達成できなかったとしても、自身の正体が割れぬ限り、ヴルカルは、セレトに利用価値を見いだせる以上、そう簡単に始末はしないであろう。
しかし、任務の失敗は、今後のヴルカルとの関係の構築にあたって、自身の失態を相手に提供することになり、それは結果としてセレトとヴルカルの今後のパワーバランスに悪影響を及ぼすであろうことは明らかであった。
既に聖女に対する襲撃を実行しているセレトは、このような状況から逃げることはできず、できることは、ただ自身に与えられた任務を的確に遂行することのみであった。
「私は、セレト様が望むのであれば如何様にも動きましょう。」
グロックの主を咎めるような発言が気に食わなかったのか、彼の方に軽く睨むような視線を送りながら、アリアナは主への忠誠の言葉を発する。
もっとも、彼女の目は、この状況を不安がっているようにも思えた。
四者は、自身が感じている不安を吐露するように各々の意見を述べ続けた。
もっとも、そうしたところで何の解決にはならないのは明らかであったが。
「いいさ。こうなったら次の舞台に進むしかないだろう。」
そんな意味のない話が続く中、セレトは、ぼやく様に声を出す。
「聖女は生きている。そして、馬鹿が捕まったおかげで、今、ここで動くことは得策ではない。」
ネーナは無表情のまま、自身の主が次に紡ぐ言葉をまっている。そこには、肯定も否定もなかった。
「ならば、ここは聖女の勝ちさ。そしてそうなった以上、安全な場所で、リスクなく事を進めることを諦めるしかないだろう?。」
グロックの顔には、諦めにも似たような表情が浮かぶ。もっとも、彼もセレトの言葉を否定するようなことはしない。
「次の舞台は準備されている。そこで俺は、やるべきことをやるだけさ。」
アリアナは、どこか歓喜を感じさせるような表情を浮かべながら、そして自身の主が示す、次の方針を理解していながらも、その言葉を待つ。
「クラルス王国で、全てを終わらせよう。」
嘲笑を受け続けた魔術師は、どこか疲れ切った顔で決意を示す。
しかし、その目は、野心に燃えたようにどこか不気味に光を発する。
自身の芽は、まだ消えたわけではない。
ここから全てを進めるつもりの魔術師の決意に対し、彼の部下達は、思い思いの表情を浮かべる。
しかし、魔術師はそれに気付かぬかのように、自身の次の舞台へ思いを寄せる。
「何とかなるさ。」
ぼやくように言葉を漏らす魔術師に対する三様の表情には、多少の差異こそあれど、各々の不安の色が出ていた。
第十章へ続く




