第七十四章「次への敗走」
第七十四章「次への敗走」
「どけ!」
セレトは、目の前のユラ達に牽制の影の炎を飛ばし、一気に突っ込む。
勿論、飛ばした炎を高く評価するわけではない。
しかも、相手はこちらが取れる手を全て網羅している存在がいる。
正面から戦えば、こちらがジリ貧になるだけである。
故にセレトは、まずは逃げの一手を取る。
「くくく。無駄ですって」
態勢を立て直したユラがわざとらしい笑いを浮かべながら話すと同時に、彼女の横にいるセレトの分身が動き出す。
そして相手が手をこちらに向けた瞬間、影の炎は、音もなく消滅する。
自身が放った術に対する反対呪文。
魔力を霧散させ、こちらの術を無効化する術。
セレトの放った術の性質を完全に理解しているからこそ取れる手段であった。
術を打ち消されたセレトは、そのまま目の前の二人に無防備な姿を晒すこととなる。
ユラ達が、迎撃のために動き出す。
このままでは、あっという間にこちらが制圧をされる結果となるであろう。
だが、セレトは、ニヤリと笑って見せた。
それは、目の前のユラに対する強がりもあった。
同時に、この状況に対する怒りを押し殺す意味もあった。
そして、ここから逃げ出す算段が整ったことによるものであった。
「そのまま、倒れていなさい!ひひ」
ユラが放った術は、こちらの足元に黒い影の沼を呼び出すもの。
影の沼は、セレトの足を取りこみ、その動きを封じようとしてくる。
セレトの分身は、動かずにこちらの出方を見ている。
恐らく、セレトが何かしようとした瞬間、その動きを封じようという考えなのであろう。
「無駄だ!」
セレトは、足元に魔力を込め、身体の動きを封じる影の沼を強引に吹き飛ばす。
同時に、そのまま足元から大量の影の手を呼び出す。
攻守逆転。
こちらが放った影の手は、四方八方に展開し、一気にユラ達に襲い掛かる。
「おやおや。怖いですねえ。ひひひひ」
最も、ユラも余裕の表情を消さない。
そして彼女の言葉が終わるか終わらないかの内に、ユラ達の周辺にも同じように大量の影の手が展開され、セレトの放った手を強引に抑え込んでいく。
セレトが放った術は、封じ込まれ、次の術を放つには時間が必要である。
一方、目の前には自由に動けるユラ。
そのユラが笑みを浮かべながらこちらに腕を上げ、手のひらを向けてくる。
無防備な今の状態では、このままユラが放った術を防ぐ術はない状況である。
勝利を確信したユラの笑みが強くなった。
「今だ、やれ!」
だが、セレトは、そのまま叫び、一気に前に突き進む。
ユラの術の展開が終わり、その術が放たれようとする。
「ぐえロおおおおおおおおおお!」
瞬間、叫び声が宿中に響く。
魔力が籠った金切り声は、ユラ達の動きを一瞬ひるませる。
「なに?!」
ユラが驚愕の表情を浮かべ、周囲を見回そうとする。
ドカン。
それと同時に、セレト達が宿泊していた隣の部屋のドアが破壊され、中から何かが飛び出してくる。
「ジュろううううウおおお!」
飛び出した存在は、この世のものと思えない声を出しながら、ユラ達に飛び掛かる。
「?!なにこれ?」
ユラが思わず驚きの言葉を口走る。
それを無視して、飛び出してきた存在、多量の触手と腕が付いた異形の獅子は、ユラ達に飛び掛かる。
「ほらよ!」
追撃の一手。
セレトは、再度影の手を放つ。
「防いで!」
ユラが叫ぶ。
同時に、影の手が先程同じように展開されて、セレトの攻撃を防ぐ。
だが、これでセレトの分身の動きは封じた。
「止まりなさい!」
ユラが叫ぶと同時に、異形の獅子の足元に黒い沼が展開され、その動きを止めようとする。
「ぐるるルウルルルウウウウうううう!」
獅子は、叫びながらその拘束を解こうとするが、うまく動くことができずにいる。
だが、その動きを封じ続けるためには、ユラは魔力を流し続ける必要がある。
刺客二人の動きを封じた。
この機を逃す理由はない。
そしてセレトは、一気に宿屋の廊下を駆け抜ける。
「逃げられませんよ、セレト卿」
そんなセレトの背中にユラの声が届く。
「貴方の分身は、どこまでも貴方と繋がり続ける!またいつか、会うことでしょう!ひひひひひひ」
ユラの笑い声と共に、肉を刻むような音がする。
同時に、異形の獅子が苦痛の声を上げているのが聞こえる。
恐らく、セレトが離れたことにより、動きを取れるようになったセレトの分身が、攻撃をしているのであろう。
最も、こちらが放った異形の怪物。
あれもそれなりに強力な生命力を持っている。
そう簡単に倒されることもないであろう。
少なくとも、こちらが一度逃げて立て直しを図るぐらいの時間は充分に稼げるであろう。
そう考えセレトは、宿屋を飛び出し、街の中心部へと向かう。
いざという時に備えて隣室に設置をしておいたのは、魔力に反応して異界の生物を呼び出すゲート。
その存在に気が付かなかったユラ達を奇襲し、この場を凌ぐことはなんとかできた。
いくら自身と同じような存在であっても、事前に準備が必要な召喚術までは、対応をすることが難しかったのであろう。
だが、セレトはこれで手札を一つ使うこととなった。
異界の存在は、そう何度も呼べる存在ではない。
そして、最後にユラが放った言葉である。
あの自身の分身とも言える繋がりがある存在がいる限り、どこに逃げようとこちらの動きが向こうに漏れ続けることなるであろう。
ならば、ここで決着をつけるしかないであろう。
だが、自身の分身とも言える存在が向こうにいる限り、こちらの放つ手は、全て封じられてしまう。
更にユラまでもいる。
自身の動きが封じられている状況で勝てる相手ではない。
あの二人と戦うには、少なくともアリアナと合流して戦う必要があるであろう。
そう考え、セレトは、アリアナを探すことにする。
そう思い立ち上がった瞬間、セレトが呼び出した異形の獅子との魔力の繋がりが消えた。
少し早いが、ユラ達に倒されたのであろう。
同クラスの存在を呼び出せるほどの魔力は、早々準備はできない。
アリアナとの合流を急ぐべく、セレトは四方八方に偵察用の影の塊を放つ。
周囲にユラ達以外の敵がいる様子は見受けられなかったが、セレトの心には、若干の焦りが生まれつつあった。
第七十五章へ続く




