幕間73
幕間73
「どうぞ。こちらでお待ちください」
リリアーナが通された部屋は、狭いが贅を凝らした部屋であった。
「お飲み物を。何かございましたら、こちらの鈴を御鳴らし下さい」
執事は、一礼をすると部屋を出る。
一人残されたリリアーナは、それを見送ると、目の前のソファに腰を預ける。
ソファは、まるで何の抵抗も感じさせないようにリリアーナの身体を包み込んだ。
戦いの後、国に戻ったリリアーナを待っていたのは、傷を癒す暇もない程に多忙な日々であった。
リリアーナ自身、一応、この一連の騒動の被害者という立場であったが、ヴルカルという大物が関わっていた事件の関係者ということもあり、王国の多くの者達の関心を集めていた。
そして国内で一、二を争う規模の派閥の有力者の失脚。
結果それに伴い発生した政治的な争いの中に、否応なくリリアーナも巻き込まれることとなったのである。
「はぁ」
ため息をつきながら、リリアーナは目の前に置かれたグラスを持ち上げ、その中身を一気に身体に流し込む。
来客を迎えるために置かれていた物であったが、その中身は、それなりに高い物であるようであり、リリアーナをそれなりに満足をさせていた。
最も、酒の味を満足に楽しめない程、リリアーナの身体は疲れ切ってもいたが。
「お待たせしました。今、主人が参ります」
ノックと共に、先程の執事が部屋に入り声をかけてくる。
その言葉にリリアーナが会釈に応えると、再度ドアが叩かれ、一人の男が入ってきた。
「多忙なところ、すまんね。リリアーナ卿。まあ楽にしてくれ」
ドアが開かれて部屋に入ってきた男、フォルタスは、部屋に控えていた執事が退出すると挨拶もそこそこにリリアーナに語り掛ける。
「いえ、大丈夫です。それで、本日は一体どのような要件でしょうか?」
リリアーナは、フォルタスの言葉に白々しく応えながら姿勢を正す。
国内の有力貴族の一人であるフォルタス。
ヴルカルと同じ、古王派に属しているとされているが、他派閥との繋がりも強い男。
属している派閥も違い、どちらかと言えば軍部に近いリリアーナ自身も、直接の繋がりはなかったが、その名についてはよく知っていた。
「何、今の王国の騒ぎは知っているだろ?その件で、何件か話を聞きたくてな」
作り笑いを浮かべながら、フォルタスは、リリアーナに語りかけてくる。
「私が分かることでしたら、可能な限りは。と言いたいところなのですが、生憎とこの件については緘口令が出ておりまして」
そんなフォルタスに対し、わざとらしく申し訳なさを演じながら、リリアーナは応える。
実際の所、王国からもどこからも、口止めの指示は出ていなかった。
ただ、リリアーナは自身の経験から、弱肉強食の貴族の世界で余計なことを語ることのリスクをよく知っていた。
それゆえ、国王直属の調査隊に最低限の報告こそしたが、ここ最近の様々な勢力からの接触については、このような受け答えで乗り切っていたのである。
「そうか、そうか。そうであるなら、仕方がないなぁ」
フォルタスの声色は、わざとらしいぐらいに柔らかかったが、その表情は、怒りを抑えられないのか、小刻みに動いていた。
好々爺な大物を気どり演じているが、その本質は、思い通りに事が進まないことに怒りを感じている短気な小者なのであろう。
噂に違わないその様子に少々呆れながらも、リリアーナは、精一杯の謝意を示す表情を崩さずにやり過ごす。
「だがなぁ。そうは言っても、少し気になることがあってなぁ」
だが、そんなリリアーナに対し、フォルタスはそのまま言葉を続ける。
表情は読みやすいが、その権力自体は確かな物を持っている相手である。
何をぶつけられるか分からないが、最低限の警戒はすべきであろうと考えながら、リリアーナは、次の言葉を待つ。
「何、そう構えないでくれ。大した話ではないからなぁ」
フォルタスは、ゆっくりと言葉を続ける。
「そうそう、例えば、セレトは今どうしていると思う?」
こちらを探るような目を向けながら、フォルタスは問いかける。
[さあ。私との戦いで傷を負ってますし、どこかに逃げて傷を癒しているかとは思いますが」
まずは牽制。
その問いに、差支えのない範囲で応える。
「ふむ。彼が逃げ切れると思うかね?」
フォルタスは、相変わらずの表情で質問を続ける。
「どうでしょう。それなりの力はありますが、部下も後ろ盾もない今は、難しいのではないでしょうか?」
平静を装いながら質問に応える。
最もリリアーナの本音としては、自身との取引を知られる可能性がある以上、逃げ切ってほしいという思いが強かったが。
「そうだな。まあ実際は、我が国と碌に国交がないところに逃げられてしまえば、それまでの話だがな」
フォルタスは、ため息をつきながら言葉を続ける。
「そうですね」
フォルタスの言葉に応えながら、リリアーナは、どこか居心地の悪さを感じソファの上で身体を動かす。
目の前の、男が何を考えているのかイマイチ読めない現状が彼女に不快感を与えていた。
「ところでリリアーナ卿、セレトが本当に逃げられると思うか?」
急に言葉を強め、フォルタスは、改めてリリアーナに問いかけてくる。
「はて、どういうことでしょうか?」
この問答にじれったくなってきたのであろうか。
フォルタスの声色の急な変更に少々驚きながら、リリアーナは、平穏を装いながら応える。
「そうだねぇ、さてリリアーナ卿、セレトと何の取引をした?」
そんなリリアーナに対し、フォルタスは、急に立ち上がり強い言葉で問いかけてくる。
「取引?なんのことでしょうか?」
リリアーナは、飄々とした態度を崩さずに応える。
フォルタスの言葉は、ただの牽制であろう。
確固たる証拠もなく、こちらの反応を見るだけの言葉。
ガチャン。
そう思い、適当に言葉を返したリリアーナの目の前に酒瓶が叩きつけられる。
中身が空のため、液体はでないものの、四方八方に瓶の破片が飛び散った。
「ふん、お前は私が何も気づいていないと思っているのか?あいつの力を手元に置きたがる奴が多くいるのは知っているだろう?」
フォルタスは、怒りを見せながら声を張り上げる。
「心当たりがない話ですね。そして少なくとも客人に対する態度は褒められたものではないようですね」
リリアーナは、淡々と言葉を返しながら立ち上がる。
「お見送りは結構です。失礼致します」
そう言いながら、リリアーナは出口へと向かう。
「セレトの居場所を掴む方法があるぞ」
だが、その背中にかけられたフォルタスからの言葉で、リリアーナは立ち止まる。
「お前が何を言おうと、あいつ本人を捕えれば、全ては分かることであると、頭に入れておけ」
そういうと、フォルタスは口を閉じる。
その表情には、先程までの激昂のみでなく、どこか笑みのようなものが浮かんでいた。
そのフォルタスを一睨みをし、リリアーナは、部屋を立ち去った。
セレトを生かして逃がしたことがばれれば、確かに自分の破滅に繋がるであろう。
今、自分は王国には向かった魔術師の被害者であるが、その王国に仇名す男を術を使い手元に置こうとしていることが分かれば、多くの人達が手の平を返すであろう。
そのことに苛立ちを感じながら、リリアーナは屋敷を出る。
貴族達が自分を利用しようとして動き出している事実に立ち向かう意思を示すかのように、その手は、強く握りしめられていた。




