第七十二章「鏡の襲撃」
第七十二章「鏡の襲撃」
「アリアナ、そこに居るのか?」
安宿屋特有の固いマットが敷かれたベッドから起き上がり、セレトは、ドアの外に語り掛ける。
その表情は、眠りから覚めた者特有の寝ぼけ眼が浮かんでいる。
だがセレトの問いかけに応える声はない。
いや、そもそも宿屋内にアリアナの魔力の気配がなかった。
セレトは、眠気を振り払うように頭を振りながら、テーブルの上の酒瓶を掴むと、その中身を口に流し込む。
そのまま酒瓶を片手に、アリアナが置いていった偽の旅券を確認する。
眠りにつく前、アリアナが外出をしていたことを思い返しながら、セレトは、酒瓶の中身を空けつつ書類の確認を続ける。
コンコン。
そのような中、セレトの集中を乱すようにノックの音が響く。
「誰だ?」
ドアの叩き方、その気配から、アリアナではないようである。
そのことを警戒しながら、セレトは、ドアの外に語り掛ける。
「ブルーク様。お連れの方から、伝言を預かっております」
ドアの外からは、宿屋の従業員が、セレトの偽名を呼ぶ声がする。
「わかった。今そちらに行く」
その声にセレトは意識を向けながら、寝心地の悪いベッドが与えた身体の痛みをほぐしながら立ち上がる。
そして机の上に広げられた書類に目をやると、舌打ちを一つすると同時に書類をまとめて懐に仕舞う。
ただの宿屋の従業員相手であるが、無駄にリスクを背負う必要はない。
ブルークとは違う名前で作られた偽造の書類を目につくところに置いておくのは、余計な詮索と危険を招くだけである。
書類を仕舞い、姿見で軽く服装を整えると、待たされていることに苛立ちを感じているような足音がする方向に身体を進める。
先の戦いで受けた傷もまだ完全に治りきっておらず、身体も本調子ではない。
それに眠る前に空けた安酒が、身体の怠さを更に加速をさせていた。
そのような状態で、若干ふらつきながら部屋の出口へとセレトは向かう。
アリアナが、どのような伝言を残したのか、頭の片隅で考えながら、一歩、一歩と部屋のドアへと近づく。
そしてドアノブに手を触れ、そのまま扉を開けようとした瞬間、違和感を感じ、セレトは慌てて一歩後ずさる。
あくまで直感での行動であったが、その判断が誤っていないことは、目の前で一気に魔法陣が浮かんだ扉の様子で分かった。
「ちぃ!」
突然の襲撃で舌打ちをしたセレトの前で、目の前のドアから大量の黒い刃が生える。
その刃は、距離を置いたセレトには届かなかったが、一気に膨れ上がりドアを破壊する。
その様子を視線の片隅に置き、急ぎ周囲を見回しながら、セレトは考える。
ここは建物の二階の一室。
後ろの窓から、飛び降りて外に逃げ出すことは可能であろう。
だが、恐らくこちらの状況を見て襲撃を仕掛けてきている相手のことである。
きっと、こちらのその程度の考えは、とっくに見通しているだろう。
そう考えたセレトは、今まさに術が発動をしているドアに向かって一気に距離をつめる。
虚を突いた正面突破。
それがセレトが出した答えであった。
ドアに刻まれた魔法陣や特性を見る限り、相手は、こちらと同系統の呪術をメインに使っている模様である。
そうであれば、こちらにもやりようがある。
そう考え、目の前にあるドアを、解呪の術式を込めた自身の足で、そこで発動をしている術ごとおもいっきり蹴飛ばす。
ガコン。
蹴飛ばされたドアは、解呪の術でそこで発動している術を打ち消されながら廊下側に倒れる。
そのままセレトは一気に部屋の外に飛び出す。
左右にそれぞれ一人ずつ、ローブを被った刺客が立っている。
一人は、術を発動しているためか両の手をドアの方に向けている。
もう一人は、少し離れたところでナイフを構えて、こちらの様子を見ている。
二対一。
だが、相手はセレトがこちらに飛び込んでくることを予測していなかったのか、反応が遅い。
「おらよ!」
そんな様子を見ながら、セレトは離れて立っているナイフを構えた刺客に黒霧による拘束術を放つ。
そのままその術の結果を確認せず、一気に目の前に立つもう一人の刺客に飛び掛かる。
「あら!」
後ろから、こっちの放った術に対応する刺客の声が聞こえる。
その声が女性の物であることに多少の驚きを感じながらも、それを無視して一気に目の前の刺客に向けて呪術を発動する。
目の前の刺客は、こちらに身体を向けながら、何らかの術を発動しようとしている模様である。
発動しようとしている術の詳細は分からないが、自身が得意としている系統の術であり漏れ出ている黒霧の様子から大体の術の傾向は分かる。
そのまま、相手の術を霧散させる術式を込めながら、相手に腕を突き出す。
「…」
無言のまま、目の前のローブの刺客はこちらに術を放ってくる。
黒霧が槍に代わり、こちらを貫こうとしてくる。
「無駄なんだよ!」
だが、セレトが突き出した腕に触れた瞬間、黒槍は霧散する。
黒霧の術は、単純な魔力の塊の指向性を持たせただけのものである。
その原理さえわかれば、簡単に打ち消すことは可能である。
術を打ち消した手は、そのまま刺客の両肩を掴み、一気に相手を突き倒す。
ドン。
相手の身体を下にクッションとしながらも、衝撃がセレトの身体を走る。
だが、セレトは、そのことを気にせずに相手に馬乗りになり、一気に片手を振り上げる。
その手には、相手の結界術を解除する術式が込められた短刀が握られている。
この一撃により速攻で一人を倒す。
そう考え、ローブに隠れたい相手の顔に向けて短刀を振り下ろす。
だが、その短刀は、相手に触れた瞬間一気に溶解する。
魔力による障壁ではなく、サモンマジックによって現れた毒素の壁。
魔力による結界術ではなく、それとは違う物理的な壁によってセレトの攻撃は塞がれていた。
ドシュ。
相手の予想外の反応に驚いたセレトだが、瞬間、背後から放たれた何らかの術の音が耳に入る。
背後にいた、ナイフを構えていた刺客が体勢を立て直したのであろう。
そこから放たれた一撃を避けるため、セレトは、一気に横に飛ぶ。
倒していた相手の拘束が解けてしまうが仕方がない。
そのまま相手の攻撃を避けたセレトは、体制を整え、相手の方へと向き直る。
位置関係が変わり、正面に刺客が二人。
前面には、先程まで抑えつけていた刺客、その少し後ろには、ナイフを構えているもう一人の刺客が徐々にこちらに向けて歩いてきている。
セレトの背後には、廊下が続いており、このまま逃げることは、十分に可能であろう。
だが、セレトは下手に逃げの一手は取らない。
いくら何でも敵の数が少なすぎる。
恐らく、まだ周囲に多数の敵が潜んでいるのであろう。
相手の全容が分からないうちに、下手に逃げ、無防備な背中を晒すのは、避けたい選択肢である。
しかし、まだ本調子ではないが、強引に再生を使い逃げの一手をとるのも一つの方法である。
「くくく。何を考えているのですかねぇ。けけけけ」
だが、そんな思考を続けるセレトに対し、目の前の刺客の一人、ナイフを持った方が、聞き覚えのある特徴的な笑い声をあげてローブをまくり上げる。
そこには、嘗てのヴルカルの部下、ユラが笑みを浮かべて立っている。
「おや、お前だったのか。この裏切り者が!」
吐き捨てるように、セレトは、目の前の存在に応える。
「裏切り者?いやはや。それは心外ですなぁ」
ユラは、いつもの様子で笑いながら、こちらに語り掛けてくる。
その様子を見ながら、セレトは、次の一手を考え続ける。
もう一人の刺客は動く様子もなく、こちらへローブの奥から視線を向けてくる。
一人は、ユラ。
もう一人の正体は分からないが、自身と同系統の魔術師であるようである。
いずれにせよ、二対一は、望ましい状態ではないであろう。
「お前の相手をしている暇はないんだよ!」
そう考えたセレトは、二人に黒霧の刃を投げつけ、そのまま一気に反転をし、逃げの一手を取ることにする。
「おや?逃がしませんよ!」
だが、そんなセレトに、笑い声を混ぜながら、ユラが語り掛けてくる。
瞬間、目の前にもう一人の刺客が回り込んでくる。
こちらに気づかれぬ方法で一気に前に回った相手に驚きながらも、セレトは、そのまま一気に刀を引き抜く。
逃走は、囮の行動。
この行動に釣られた相手を討つため、セレトは、最速の動きで刀を振るう。
ザシュ。
最も相手もこちらの動きを読んでいたのか、強引に身体を曲げてセレトの一撃を避ける。
だが、その切っ先は、目の前の相手のローブを切り裂く。
「?!?何?」
そのまま追撃をするチャンスであったが、しかし、セレトの動きは止まってしまう。
目の前、ローブが破られたもう一人の刺客の顔がよく見知った顔であったのである。
そこには、先程も鏡で見た自身の顔が、こちらに感情のない目を向けていた。
第七十三章へ続く




