第七十一章「八つ当たりの逃避行」
第七十一章「八つ当たりの逃避行」
コンコンコン。
一定のリズムで宿の部屋のドアを叩く音がする。
「入れ」
セレトは、ぶっきらぼうにドアの外に声をかける。
決められたリズムで叩かれてはいるものの、ドアの外にいる存在が必ずしも自身が思い描いてる存在とは限らない。
それゆえ最低限の警戒は解かずに、目の前のドアが開くのを眺める。
「お待たせしました。セレト様」
そんなセレトの一抹の不安を拭い去るように、開いたドアの向こうからアリアナが現れる。
「ここでその名を呼ぶな」
バタンとドアが閉められたのを確認すると、少々不機嫌そうな声でセレトはアリアナに語り掛ける。
「はっ、はい。失礼しました」
焦ったような声でアリアナは、謝罪をする。
最も、セレト自身、謝罪を求めてたわけでもなく、またアリアナに対しても、その声が与える印象程い、苛立ちを感じているわけではない。
ただ、セレトは焦っていたのである。
そして焦りは、彼の気持ちを苛立たせ、それは新たな焦りと怒りへと繋がっていった。
「これが、頼まれていた物です」
セレトの機嫌を窺うように、やや及び腰の態度でアリアナは、羊皮紙を取り出す。
「うむ」
適当に頷きながら、セレトはそれを受け取る。
「偽造屋には、注文通りの内容で作らさせました。ルムース公国からの巡礼者である、商人の娘とその下男。一時滞在を目的に入国を希望する」
羊皮紙の中身を確認するセレトの目線に合わせなら、アリアナは説明を行う。
「あぁ。大丈夫そうだな」
一通り羊皮紙を確認し、最後の一枚に押された公国の印を照らし合わせながら、セレトは応える。
「ただ、なぜ一時的な滞在の許可証で作らさせたのですか?」
アリアナは、恐る恐るという体で問いかけてくる。
その態度に一瞬苛立ちを感じながらも、すぐにその理不尽さに気が付きセレトは少々反省をする。
アリアナの態度は、最近、現在置かれている状況に対するストレスもあり、必要以上にアリアナに当たり散らすような態度を取っていた故の弊害であろう。
「簡単な話だ。一度国内に入り込んでしまえば、後は何とでもなるからな。そういう意味では、審査もゆるい一時滞在の許可証の方が都合がいいだろう?」
手に持った羊皮紙を振り上げながら、セレトは、アリアナに応える。
「なるほど。それと私が商人の娘ということですが…」
セレトの言葉に頷きながら、そのまま不安そうな声で、アリアナは、次の質問を投げかけてくる。
「フリーラスは、商人の出入りが多いからな。その関係者という方が、多少は警戒も緩くなるだろ」
そう言いながら、セレトは、机の上においてある酒瓶を取りその中身を口の中に流し込む。
「わかりました。ありがとうございます」
恐らく、まだ他にも問いたいことは多々あるのであろう。
アリアナは、若干、不服そうな表情を浮かべていたが、そのままセレトに一礼をすると、ドアへと向かう。
「アリアナ」
そんな彼女の背中に向けて、セレトは、声をかける。
「は、はい!」
慌てた様子でアリアナは足を止めて、こちらに振り返りながら、声を上げる。
そんな彼女に、自身は何をしようとしたかったのか。
労いの言葉を与えたかったのか。
それとも、他に指示を出したかったのか。
あるいは、心の奥底にへばり付いているストレスの捌け口にしたかったのか。
頭の中に、様々な考えと思いが渦巻いたが、こちらに向けられたアリアナのどこか疲れ切った表情が見えた瞬間、セレトの頭の中にある全ての物は、どこかに流されていった。
「いや、二日以内にここを出て出発をする。身体を休めておいてくれ」
結果、セレトの口から出たのは、素っ気無い態度で放たれる命令とも労りともとれる、中途半端な言葉であった。
「わかりました。夕食まで、少々街を散策しております」
どこか引き攣ったような表情を見せながら、アリアナは、セレトから逃げるように部屋を出ていった。
そんな彼女の様子を見ながら、セレトは若干の後悔を感じるが、それを振り払うように再度酒瓶を傾けて、中に入った液体を流し込む。
強いアルコール特有の喉を焼く感覚が、そのまま身体中に広がっていく。
その感覚に身を任せながら、セレトは、自身の苛立ちを振り払おうとする。
リリアーナに敗れた今、セレトは、再起を図り動いているつもりではあった。
だが、その思いと裏腹に、自身がやっている行動は、落ちぶれたまま、ただ逃げの一手だけである。
しかし、今の自分では、リリアーナを倒すことは出来ないであろうことは、セレトは、重々に承知をしていた。
単純な力だけの話ではない。
いや、むしろ自身の保持している力を最大限に使えば、リリアーナを倒すことは充分に可能であろう。
だが、先の戦いでリリアーナがセレトに刻んだ刻印により、セレトは、今、リリアーナに手を出すことができない状況である。
この他人に生殺与奪の権を握られてる感覚。
そして今、哀れに全てを失い逃げ続けている状況。
国境を越え、裏をかいてるつもりではあるが、未だにハイルフォード王国の影響がある地域に留まっていることを考えると、ここも決して安全が保障された場所ではない。
今追手が、自身に刻まれた刻印に干渉ができるものが現れたら…。
いや、刻印に干渉が出来なくても、先の戦いの傷も癒えておらず、魔力も回復しきっていない今の自分では、それなりの使い手であれば、十分に捕えることはできるであろう。
そして部下も地位を失ったセレトに、未だに付き従っているアリアナも決して万全の状態ではない。
これらの要素が、セレトに底知れぬ敗北感と恐怖を与え、同時に彼の精神を不安定の物にしつつあった。
ふと窓の外を見ると、アリアナが宿を出て、街の方に向かっていくのが見えた。
その様子を見て若干の不安を覚えるが、セレトは窓を開けて声をかけることはしなかった。
アリアナも多少の傷は負っているものの、その強さは折り紙付きの魔術師である。
早々遅れをとることもないであろう。
いずれにせよアリアナに言ったように、後二日以内にこの街を出て、フリーラスに潜り込む。
それまでの、束の間の休息を楽しむぐらいの資格はあるであろう。
そう自問自答とも言い訳とも言えるような思いを巡らせながら、セレトはベッドの上に横になる。
目指すは、フリーラス共和国の中でも、最もよそ者が多いとされている、商業都市、ポロル。
まずは、ここに潜り込み、今一度再起を図るしかないであろう。
頭の中を駆け巡る、ストレスによる頭痛を、酒の力と、自身の計画の成就への思いで吹き飛ばしながら、セレトは、徐々に眠りにつく。
その眠りの闇の中、セレトは、自身の部下の声が、どこか遠くから聞こえた気がした。
第七十二章へ続く




