幕間70
幕間70
「全く面倒な話だな。そう思うだろ?」
グロックは、心底嫌気がさした声で後ろに控える部下達に愚痴を言う。
その声に対し、彼の部下達からは、ちらほらと賛同するような声が上がる。
最もその声は、グロックの機嫌を損なわないように、恐る恐るとした態度の物だったが。
その様子を見て、グロックは、更に嫌気がさしたように息を吐き、このつまらない仕事を命じた男への恨み言を声にならない言葉で発する。
セレト達を逃したグロックに与えられた次なる任務。
それは、近隣国家へのセレトを始めとする逃亡者の探索任務であった。
最も、あのセレトやヴルカル達の事。
これだけの時間があれば、既に遠方に逃げ切っていることは間違いないであろう。
勿論、この任務を命じた者も、王国内のお偉いさん達も、そのことは重々に承知している。
それでも、こんな無駄になる可能性が高い任務を命じてきた理由は、一つに立場が弱いグロックを任務失敗の見せしめにしつつ、万が一、セレト達がこの辺りに潜んでいる場合の見逃し防止に他ならなかった。
だがグロックの心に怒りを渦巻かせているのは、このような無駄な仕事に駆り出されてるということのみではなかった。
自身にこの仕事を命じたのが、セレトの父親であるクルスであることが、グロックの怒りを倍増させていたのである。
彼が現在、主として認めているのは、ネーナただ一人。
それ以外の者が、自身の主面をして指示を下している現状は、非常に腹立たしいものであった。
クルス。
彼は、自身の仮の主であったセレトの父親であり、現在の自身の本当の雇い主であるネーナの主である。
主の主であるクルス。
その点においては、彼には、一定の敬意を払う必要があることも、その指示に一定の正当性があることについても、グロックは理解はしていたつもりである。
また自身の主であるネーナも、クルスがグロックに指示を出すことについても、出された指示についても否定はしていない。
つまり、クルスからの命令にグロックは従うべきではあるのであろう。
だがグロックにとっては、本来の主ではない男からの一方的かつ傲慢な命令は、最低限の義務として従いこそすれど、そこに忠義も忠誠も示す義理はなかった。
『セレトを探してこい』
その一言が、クルスがグロックに出した最初の指示であった。
その場で「お前の指示に従う義理はない」と言えれば、どれほど楽な話だったか。
だがグロックは、その言葉に不満げな表情を見せながらも、何も言わずに頷いた。
それは、クルスという権力者からの命令であったからではなく、心の中に一つ、セレトとの決着を望んでいる自分の気持ちもあったからである。
『お前の探索エリアは、このエリアだ。部隊編成を終え次第、すぐに出発しろ』
しかしその思いは、クルスがペンで地図に乱雑にエリアを書き込みながら放った次の言葉で一気に霧散した。
クルスが示したのは、セレトが立ち寄る可能性が低そうなエリア、あるいは立ち寄ったとしても、既に離れている可能性が高いエリアばかりだったのである。
あくまで念のための保険のよう探索。
本来であれば、グロックのような腕に覚えがある者ではなく、新平や新米指揮官に経験を積ませるために振り当てられるようなエリアであった。
故にグロックは、当然のようにこの任務には納得をせず、探索エリアの変更、可能であれば自身の自由裁量でのセレトの探索をさせてほしいとクルスに食って掛かった。
『ふん。お前のような信念もない傭兵風情がそれを求めるか?信頼もできんお前が?』
そんなグロックの言葉を、鼻で笑い飛ばしならクルスは応える。
『これは、あのバカの腹心だったお前に与えてやるチャンスだ。せいぜい信頼できる成果を上げてくれ』
そのままクルスは一方的に言葉を発すると、エリアを記した地図を机の上に残し、そのまま立ち去った。
その背を見送りながら、グロックは、今すぐに刀を抜き、切り掛かりたい衝動を抑えていた。
何とか、クルスへの殺意を視線だけに抑えたグロックだったが、その胸中は、すぐにこのまま飛び出し、一傭兵団としてやり直したいという気持ちに溢れていた。
だが、その気持ちは、報告を受けたネーナの、クルスの指示に従うようにという言葉によって、再度抑えられることとなった。
そして今、グロックは部下達ともに、セレトの探索任務にあたっていた。
今、グロックが到着したのは、指示された探索範囲の中で、最も王国から離れている、砂漠の中の一大都市、ウバラン。
この場所を真っ先に訪れたのは、グロックの中で一種の賭けであった。
元々、ハイルフォード王国や、他の複数の国家に囲まれているウバランは、ハイルフォード王国との国交こそあるものの、その支配下にあるわけではなく、またハイルフォード王国と敵対をしている国家との交流もある、非常に不安定な地域であった。
国内においては、中立地帯であるが故か、複数国の諜報員が活動をしており、当然その中にはハイルフォード王国の者もいる。
そしてそんな都市故に、よそ者が入ればすぐに各国に知れ渡る場所。
そんな潜伏に向かない都市に、わざわざセレト達が訪れる可能性は当然に低く、また訪れたとしても、すぐに出立をし、すでに何の有益な情報も仕入れられないであろうことは、グロックも当然に予測をしていた。
だが、探索を命じられた他のエリア、そのほとんどがハイルフォードのお膝元と言えるような、逃亡者が全く潜伏している可能性がないような選択肢であるならば、少しでも可能性がある場所に、その確率を少しでも上げるために早々のタイミングで向かうことは、決して誤ってはいないであろう。
そう思いながら、ウバランに部下達ともに入国をしたグロックであるが、入国後、探索を始めた早々のタイミングで、その賭けに負けていることを薄々と感じつつあった。
ウバランは、近隣で最近あったハイルフォード王国とクラルス王国の戦いの関係等、何もないかの如く平穏であり、セレトやヴルカル達、逃亡者たちの情報等、何も得ることができない様であった。
やはり、ハイルフォード王国に近すぎる場所などに、何らかの足跡を残すようなヘマはしないのであろう。
そう思いながら、嘗て、敵として出会いがらも共に戦い、そして今、再度敵対をしている、自身の仮の主であるセレトの事を改めて考える。
元々、一傭兵団として様々な戦地で戦っていたグロックは、汚い作戦もこなしながら、着実に名を上げていった。
だが、ある時、そんな自分の立てた作戦。
貴族達が最も嫌う、騎士道に基づかないような策で攻め込んでいた時、そのすべてを一人で壊した男がいた。
そしてそれがセレトであった。
策を破られ、部隊と部隊と戦いでは、練度も数でも勝てない状況だったグロックは、最後の賭けとして、敵の将であるセレトに一騎打ちを仕掛けた。
一介の魔術師一人ぐらいであれば何とかなる。
そう思い、一気に距離を詰めてその首を刎ねようとしたグロックであったが、その身は、あっという間に、独特の剣術と魔術を組み合わせたセレトによって組み付されることなった。
その時の戦いの結果は、グロックの中に消えない屈辱としいて残り、同時に自身が決して勝てない存在として、恐怖と共にセレトの事が印象付けられることなった。
時は過ぎ去り今、その後、何の星のめぐりあわせか、グロックは、セレトの下について戦うこととなり、そして今、再びセレトと敵対をする立場になった。
今であれば、セレトを倒すことができるかもしれない。
グロックは、そう思いながら、今一度、この屈辱、セレトに敗れた記憶を払拭するための探索を続けていた。
最も、その気持ちは、一向にセレト達に関する情報が手に入らない状況によってすり減っていっていたが。
「しっかし、この間の馬車の客は変わってたぜ」
だからこそ、そんな状況のグロックが、その言葉を耳にできたこと。
それは、偶然でもあったが、同時にセレトの事を考えながら歩いてた彼だからこそ、気が付けた言葉であった。
「身に着けてる物は、大分高級そうな男と女の二人組だったんだが、まあどっちも服もボロボロで小汚ねえことこの上ないってやつよ」
話しているのは、乗合馬車の御者らしい男で、馬車が出発する前の一時を、他の同業者たちに語り掛けながら時間を潰していた。
話自体は、他愛もない、変な客を乗せたという話。
だが、高級そうな服を身に着けながらも、小汚い男女の二人という言葉は、グロックの興味を引いた。
「なんていうか、女の方はそれなりに整った顔をしてたが、男はなんか陰のある感じでな。駆け落ちか、それとも奴隷商の類なんだか」
語り続ける御者。
彼の話をここまで聞いて、確定的な情報はなかった。
だが、グロックの中では、ある種の確信めいた直感が、その男女に対して警戒のベルを鳴らしていた。
「おい」
そして、その直感はグロックの身体を動かし、結果、周囲の部下や、話している御者達に驚愕の表情を浮かばせる。
「その男女って、どこの客だい?」
驚愕の表情を浮かべている御者を、力強く肩を掴んでこちらに振り向かせながら、グロックは、懐から金貨を取り出して問い質していた。




