第六十八章「反故」
第六十八章「反故」
「タオれろ!グオォオおおう!」
叫びながら、異形の者は、セレトに襲い掛かる。
「くそったれが!」
悪態をつきながらセレトは、その一撃を避ける。
「ゲガアアウ!」
一撃をかわされた化け物は、意味の分からない叫び声を上げながら、こちらへと向きを変える。
「こいつを解放しろ?なんの冗談だ?」
自身へと殺気を向けている怪物と向き合いながら、セレトは、リリアーナに問いかける。
「言葉通りの意味よ。彼、罠に嵌められてしまったようなのよ。助けてあげられない?」
化け物は、リリアーナに襲い掛かる様子はなく、それゆえか、少々余裕を見せながらリリアーナは、セレトに応える。
「彼?あぁあんたの後ろに金魚の糞みたいに引っ付いていたロットとかいう奴か。なるほどね。確かに何かに憑かれているようだ」
その言葉を受けて、セレトは、改めて目の前の怪物に視線を向ける。
複数の手足や翼が生えた異形は、セレトの目の前で佇みながら、更なる変貌を遂げてく。
その姿は、更に禍々しく、そして感じる力は、より強まっていた。
セレト自身、度重なる戦いで既に魔力も残らず、満身創痍ではあったが、無駄に時間をかける余裕はなさそうであった。
なら逃げるべきと、一瞬考えながら、すぐに首を振り、未だに目覚めないアリアナへと視線を向ける。
一人ならまだしも、彼女を連れてこの場から逃げることは難しいのは明らかであった。
だが彼女を見捨てることは、既に信頼していた多くの部下を失ったセレトにとっては、取ることができる選択肢ではなかった。
結論、セレトは、覚悟を決めて、今一度目の前の異形の怪物と化した、ロットと向き合うことにした。
「オォォオオ!」
叫び声と共にロットが、複数の腕を伸ばし、その先に生えた鋭い爪を向けて襲い掛かってくる。
「単調だな!化け物が!」
魔力は残り少ないが、その少ない魔力を絞り出し、セレトは黒煙へと姿を変える。
「グォラア!」
叫び声と共に振るわれるロットの一撃は、そのまま黒煙化したセレトの身体を捉えられず空を切る。
「馬鹿が!力を引き換えに脳味噌を失ったか!」
セレトは、黒煙化した身体のまま叫び、そのままロットに向けて召喚陣を展開する。
残り少ない魔力で生みだすのは、一振りの刀。
反発が強い闇の魔力を帯びたその武器を打ち込み、その力を以て強制的にロットの身体にまとわりついている力を吹き飛ばす。
異形の怪物と化したロットは、黒煙となったセレトを捉えられず、無防備な姿を晒していた。
セレトの魔力も残り少ないが、相手は力こそあるものの、知恵がない化け物一匹。
勝機は十分にある。
「ソ、コ!バラアア!」
だがそう思った瞬間、ロットの叫び声が響き、同時にセレトの身体に衝撃が走る。
「?!なに?」
驚きで声を漏らしたセレトの目に映ったのは、ロットの背から伸びている長い尾。
その尾は、こちらに伸びてきており、捉えることができないはずの黒煙化したセレトの身体を貫いている。
解呪の術式が込められた一撃。
そのことにセレトが気が付いた瞬間、身体中の力が抜ける。
同時に、セレトの身体の黒煙化と、展開した召喚陣の発動が解除される。
相手は、力しか能がない異形の怪物。
魔力を使うことができない。
そう考え、油断した自身が招いたこの結果に怒りと不甲斐なさを感じながら、セレトは肉体を再構成しながら地面に向かって落ちていく。
魔力が碌に残っていないこの身体で、このまま地面に叩きつけられれば、致命傷は避けられないだろう。
そう考えているセレトの目に、ロットがこちらに向けて次なる一撃。
その刀のように鋭くとがった複数の腕による突きを放とうとしている様子が映る。
このままぼろきれのように切り裂かれて終わるのか。
そう考え、セレトは、深くため息をつく。
「ディスペルアロー!」
瞬間、リリアーナの声が響く。
同時に、目の前のロットに無数の光の矢が突き刺さる。
「グろ?ウォォオオオオオおおおおぉオオオオオォ!」
そしてロットの叫び声が響き、その身体を光が包んでいく。
「悪いわね」
リリアーナは、笑いながらこちらに一瞬視線を向けると、地面に落ちていくセレトの身体を魔力の壁を作り受け止める。
そんな彼女の後ろで多量の矢に刺されたロットの異形の身体は、徐々に崩れ落ち元の人間の姿に戻っていく。
「どういうつもりだ?この化け物の相手は俺に任せたんじゃないのか?」
セレトは、リリアーナに対し恨みがましい目を向けながら問いかける。
「あら?助けてあげたのに、ひどい言い草ね」
リリアーナは、人間の姿に戻ったロットを介抱しながらセレトに笑いかける。
「はっ!俺を囮に使ったというわけだろ?」
魔力が切れ、傷ついた身体は碌に蘇生できず、地面から立ち上がることも儘ならない状況でありながら、セレトは、怒りを見せる。
「囮?君には契約のために一つの条件を出しただけだろ?」
そんなセレトに笑いながらリリアーナは応える。
「だから私は、それに則り彼を解放しただけだよ。彼を止めることができなかった君に代わってね」
そう言いながら、リリアーナは、動きが取れないセレトに一歩近づく。
「こんなお前と手を組むっていうのかい?腹立たしいな」
口では怒りを表しながらも、諦めた様な口調でセレトは近づいてくるリリアーナに言葉を返す。
いずれにせよ、ロットは助かった。
先の約束通り、二人で手を組む契約を締結する条件は整ったのである。
これ以上、余計な争いをする必要はない。
「あぁそうね。私には、貴方の力が必要だしね」
リリアーナは、地面に這いつくばりながらも強い視線を向けてくるセレトに笑いながら近づく。
「それで契約はどうするんだ?スクロールに互いに血判でも押すのか?」
近づくリリアーナに対し、セレトは、半ば自棄になりながら手を伸ばす。
このまま二人で契約を結ぶ。
その後のことは、アリアナの目覚めを待ち、ゆっくりと考えることにすればいい。
「契約?あぁそうね」
リリアーナは、セレトの伸ばされた手に同じく手を伸ばしながら語り掛けてくる。
「悪いけどそれは、破棄させてもらうわ」
だがリリアーナの伸ばされた手は、セレトの手ではなくそのまま彼の心臓へと向けられる。
「?!貴様!どういうつもりだ!」
一瞬、リリアーナの自然な態度に反応が遅れ、そのまま自身に触れた彼女の手からその意図に気が付いたセレトは、彼女から距離を取ろうとする。
だが、それは全て遅かった。
「スレイブ!」
リリアーナの詠唱と共に、セレトの心臓にリリアーナが抜いた短剣が突き刺さる。
「くそ!」
セレトは叫び、同時に術に抵抗をしようとするが全ては遅かった。
刺された短剣は、セレトに痛みを与えず、そのまま彼の身体に飲み込まれ、身体に呪印を刻んでいく。
「悪く思わないでね。貴方の力が欲しいのは本当なの。でも、だからこそ、こうしておきたいの」
聖女の術式が身体に広がっていく感覚に飲まれながら、セレトは、リリアーナの言葉を耳にする。
自身の油断が招いたこの事態に、セレトの心は絶望に堕ちていく。
「セレト様?」
だが、そんな絶望の中に沈んでいくセレトの耳に一つの声が届く。
それは、微かな声であったが、闇に堕ちていくセレトの心の中に一筋の光を与えた。
「?リリアーナ!お前、我が主に何を!」
アリアナ。
セレトの最後の部下の声が一帯に響いた。
第六十九章へ続く




