第六十五章「愛憎の反転」
第六十五章「愛憎の反転」
「おらあ!」
もはや術を唱える余裕すらないセレトは、ローブの中に潜ませてた短剣を魔力で弾き飛ばす。
「無駄よ」
リリアーナは、そんなセレトの放った短剣を手に持った刀の一振りで弾く。
だが、それは予想通り。
リリアーナの刀が振り上げら、彼女の注意がセレトの放った短刀に向けられた隙をつき、セレトは一気に飛び掛かる。
「?!小癪ね!」
そんなセレトの動きに気が付いたリリアーナは、振り切った刀をセレトの身体に向けて強引に振り下ろす。
明らかに出遅れているであろうリリアーナの太刀筋であったが、傷を負い、動きが鈍ったセレトの動きでは、その一撃を避けることすら厳しい。
そしてリリアーナの刀は、そのままセレトの身体に向けて降ろされる。
「おらあ!」
セレトは、そんなリリアーナの刃に向け、自身の腕を向ける。
両手が断ち切られた、その腕には、当然何も掴まれておらず、ただ腕の断面が振り下ろされた刀に向けられる。
ガチン。
だが、そんなリリアーナの斬撃は、セレトの腕によって止められる。
複雑な術も何も放たれていない。
ただあるだけの魔力が強引に込められたその腕は、リリアーナの斬撃がぶつかる同時に爆発し、彼女の刀をへし折り、その斬撃を止める。
同時に、セレトの身体中に爆発による痛みが広がるが、それを耐えて、セレトは、そのままリリアーナに飛び掛かる。
「くっ!この化けも…」
爆発による衝撃で、弾け飛んだ武器に一瞬苦々しい表情を浮かべながら、リリアーナは、セレトに向けて何か怒声を上げようとするが、その言葉は途中で止まる。
その眼は、自身の目の前に迫ったセレトの顔に向けられており、その表情には、驚愕と焦り、恐怖が入り混じっていた。
セレトは、そんなリリアーナの顔を互いの唇が触れるぐらの距離で見つめながら、そのまま口を開く。
すでに身体に力を入れることも叶わず、爆発による衝撃と、ただ慣性だけで、セレトは、リリアーナに近づく。
リリアーナの驚愕の表情が、徐々に近づく。
ガブリ。
そうして、一気に距離を詰めたセレトは、リリアーナの首筋に正面から齧り付く。
「ひっひぃぃ!」
リリアーナの悲鳴が頭の上で響き渡る。
そんな悲鳴を無視するように、強引に噛り付いた首筋に向けてより力を入れて歯を立てる。
既に両手を失い、魔力もほとんどなくなったセレトに残された一手。
残った魔力を自身の口に込めて、噛みついた箇所から、リリアーナに毒素を込めた魔力を流す。
「くっ、この、この、死にぞこないが!」
明らかに異質の戦い。
人ではなく、獣のような戦い方をするセレトに対し、怒気を含んだ声で怒鳴ると同時に、リリアーナは、何度もセレトに殴りかかる。
だが、彼女の攻撃は、覚悟を決めたセレトを身体から引き離すことはできない。
そして洗練された貴族の戦いとはかけ離れた、互いの生と死だけを求めた戦いという状況は、武器を失い多くの傷を負ったリリアーナを錯乱させ、彼女の判断力を奪っていた。
セレトの口の中には、リリアーナの血が流れ、その味が広がる。
同時にセレトが送り込んだ魔力により、リリアーナの身体の自由を徐々に奪い取っていく。
このまま、リリアーナを殺しきるため、セレトは、残る力をすべて注ぎ込む。
リリアーナの身体は、魔力による毒素により、徐々に力が抜けていく。
その感覚に、セレトは勝利を確信する。
このまま一気にリリアーナに止めをさすべく、残った魔力を一気に注ぎ込む。
「っう、く」
既に力をほぼ使い切ったのか、リリアーナの身体は力が抜け、最早こちらを殴ることもせず、ただその口から息の漏れる音に混ざって、声にならない声が漏れ聞こえるだけであった。
あと少し。
グサリ。
だが、セレトが勝利を確信した瞬間、セレトの背中に衝撃が走る。
同時に、腹部と背中に強い痛みが走る。
「ぐおお!」
その突如身体を襲った苦痛に耐えかね、セレトは口を開き、リリアーナの首筋から離れてしまう。
そして、そのまま彼女の身体から離れる瞬間、セレトは自身の身に突き刺さる物を見る。
それは、光の槍。
リリアーナの両手から魔力によって生成された光の槍は、セレトの背中を突き刺し、そのまま彼の腹を貫いていた。
「はぁ、このまま死んでくれれば嬉しいんだけどね」
リリアーナは、息も絶え絶えにセレトに語る。
その表情、身体は、セレトが流し込んだ毒素の魔力により、所々黒ずみ、既に限界を迎えているようにも見えるが、両手を失い、最後の力を振り絞った一撃を防がれたセレトより、十分に余裕があるように見えた。
「くそ、詰めが甘かったかな、聖女様?」
打てる手は、全て打った。
それでも、届かなかったという事実を受け入れ、セレトは敗北を認める言葉を吐き出す。
今、自分の腹を貫いている光の槍に、彼女が魔力を込めれば、そのままこの身体は、一気に灰となるであろう。
魔力もほぼ使い切っている以上、そんな彼女の攻撃を防ぐこともできず、また身体の再生もしばらくはできない。
つまり、セレトは、もうリリアーナに抗う術はないのである。
ただ、憎しみが込められていたセレトの心は、死力を尽くした今、どこか安堵の色が混ざりつつあった。
このまま、全てが終わる。
それだけが、セレトの望みでもあった。
瞬間、自身のリリアーナへの感情が変わりつつあることも感じる。
彼女への深い恨みは、全てが終わる今、自身の人生に大きく関わり続けていた存在であることを実感させてくれる。
同時に彼女への愛憎混ざった感情は、これまでの憎を弱め、同時に愛のような感情を強めてくれる。
この憎しみに満ちた人生の終焉、それを実感させてくれる状況。
そのことにどこか、安堵を感じ、セレトは笑みを浮かべる。
「何が可笑しいの?」
リリアーナは、槍を握りながら、セレトの表情を見て問いかける。
あぁそうだろう。
彼女には、理解できないであろう。
少なくとも、殺し合い、心底憎みあってきた存在に、今、正にその命を絶たれようとしていながら、歓喜の色を見せている自分は、きっと滑稽にも見えていることであろう。
「何、自分の人生に満足をしただけさ」
セレトは笑いながら応える。
リリアーナは、その答えに、納得をしたのかは不明だが、曖昧に頷く。
後は、彼女が魔力を込めることで、この戦いは終わるであろう。
残された時間は、後一瞬。
その瞬間、セレトの口は自然と開き、言葉がこぼれる。
「あぁ。ありがとうリリアーナ。感謝するよ」
恨みもある。
彼女への憎しみも消えていない。
だが、同時に彼女の存在があったからこそ、自身の今がある。
その気持ちが、彼女への感謝への言葉となる。
まだ色々と後悔も心残りは残っていたが、この言葉を話せたことで自身の心の中の、そのほとんどなくなった気がしていた。
さあ、後はリリアーナが魔力を込めるだけで、この身を失い全ては終わる。
そうしてセレトは覚悟を決めて、リリアーナへと視線を向けた。
「馬鹿臭いわね」
だがどこか呆れた様にリリアーナはぼやく。
そしてリリアーナは一瞬、光の槍に力を入れたが、何もせず、光の槍を消失させた。
驚くセレトに向けて、リリアーナは、口を開いた。
「それで貴方は、これからどうするの?」
彼女は、どこか投げやりにセレトに問いかける。
セレトは、言葉が出て来ず、何も答えられずにいる。
「まあいいわ。なら、私と手を組まない?」
リリアーナは、そんなセレトに対し手を伸ばし、そう問いかけてきた。
第六十六章へ続く




