幕間6
幕間6
周囲の好奇に満ちた目を気にすることなく、ユラは人ごみの中を歩き続ける。
先程まで歩いていた歓楽街のエリアは、彼女のようなボロを纏った者も多く、そこまで目立つことはなかったが、今歩いている場所は、貴族たちが集まる高級な宿もある商業エリアであった。
さすがにこの場所には、彼女のようにボロを纏い歩き回る者はおらず、結果、彼女の特異な格好は大いに注目を集めることとなった。
そんな周囲の視線を意に介することもなく歩き続けたユラは、ある屋敷の前に立ち止まると、そのまま中に入ろうとする。
慌てた門番が、身分をわきまえずに建物に進もうとするユラを止めようと駆けつけたが、ユラの胸元にある獅子のメダルを確認すると、バツが悪そうな顔をしてそのまま持ち場に戻った。
ユラは、その様子を笑いながら見送ると、そのまま周囲の視線を気にすることなく屋敷の中に入り込んだ。
屋敷の中に入ると、一人の衛兵がユラの出迎えに訪れる。
衛兵は、ユラに手招きをし、自分の方に来るように指示をする。
ユラは、その衛兵に導かれるまま、屋敷の中を進んでいく。
そして、通されたのは屋敷の奥にある客間。
そこには、屋敷の主であるルーサ男爵が護衛と女を侍らせながら高そうなワインを嗜みながら椅子に腰かけ寛いでいた。
ルーサは、ユラが入室したのを確認すると、椅子に座るように身振りを示しながら、寛いだままの姿勢で口を開く。
「ヴルカル様は、まだ到着しておりません。到着次第、門番が知らせてくれますので、それまでどうぞお寛ぎ下さい。」
口調こそ丁寧であったが、その態度、顔には、ありありとユラに対する軽蔑と不満が溢れているのは明らかであった。
元々ルーサは、商人の出の男であった。
戦が続く中、物資の特需にうまく乗り、一獲千金を得て三年前に爵位を買取、一貴族として今を迎えている男であった。
それゆえに、貧乏な下級貴族が多くいる中「男爵」という爵位に不釣り似合いの程の莫大な資産を持ち、古くから王家に仕えている下手な貴族よりも力を持っているルーサであったが、彼には何の後ろ盾もなかった。
それどころから、急に力をつけ、元々はただの一介の商人であったルーサを疎む声は多く、彼の周りは敵だらけでもあった。
もちろん、ルーサもそのような状況に甘んじているほど無能な男ではない。
先の戦では、その財力に物を言わせた大部隊を編成し、また商人時代の伝手を使い物資の輸送等において、派手さこそないものの堅実な成果を残していた。
そしてその裏では、軍部や王族、貴族、行政を初めとした様々な方面に気前よく金をばらまき、何とか自身の基盤を生み出そうと四苦八苦していたのである。
そんなルーサであったからこそ、今回のヴルカルからの申し出、「自身が人と秘密裏に会うための場所の提供」という依頼は、逃すことができないチャンスでありすぐに飛びついたのであった。
貴族達の一派閥へ恩を売り、上手くいけばそこに取り入れてもらえる可能性。
それは、自身が接触できる範囲、そして金で解決できる範疇を超えた、次のステージへの切符であった。
そしてルーサは、自身の屋敷の客室にいる。
目の前にいるのは、事前にヴルカルからの使者、ユノースとかいう鼻持ちならない態度の騎士から聞いていた、「黒獅子のメダルをもった若い女」。
ボロをまとい、時折耳もちならない奇声を上げて笑い出す女を辟易とした目で見ながら、ルーサは、表面上は、そこまで礼を失しないような態度でヴルカルの到着を待つことにした。
「きひひひ。いや、綺麗な茶器ですな。花の模様が美しい。ひひひ。」
目の前の女は、出された紅茶を品もなく飲み干すと、受け皿とカップをマジマジと見ながら、その美しさを褒め称える。
もっとも、その笑みがこびりついた顔と、時折上がる空気が漏れるような奇声によって、その言葉が本気なのか、ふざけているのかルーサにはわからなかったが。
「紅茶のお代わりはいかがですかね?お嬢様。」
ルーサは、あえてその言葉を無視して、侍女の一人に新しい紅茶を用意させる。
少なくとも、何かを食している間は、この女の気味の悪い笑い声を聞かずに済むという考えがあったからである。
ヴルカルは、その女が屋敷に到着する予定時間から、それなりに時間をおいて屋敷に秘密裏に訪れるとは聞いていた。
それゆえルーサは、それまでこの不快な客人をもてなす必要があったのだが、少なくとも爵位を持つ人間としても、元々の商人であったときであったとしても、目の前の女のような薄汚い格好の者をもてなすということは、大きくプライドが傷けられていた。
それでもこの女が、ヴルカルとのパイプ役として重要な役目を果たす以上は、無碍にはできない。そんな二律背反に惑わされながら、ルーサの時間は過ぎていった。
もっとも、目の前の女は、特に何かをするわけではない。
出されたものを食しながら、時折無意味に笑いながら、適当に周りの者に声をかけるだけ。
そこには、周囲からの蔑み、同情、嫌悪、好奇の様々な目線も何ら影響を受けない、力強い意志が感じられた。
そんな女の様子を観察しながら、ルーサは、もしやヴルカルの私生児、あるいは戯れにかわいがっている妾の類か。と邪推をする。
貴族達が不出来の子供を表に出さず放任をしながらも子可愛さに秘密裏に援助する。あるいは、ゲテモノともいえるような趣味の女を戯れにかわいがる。
そんなことは、一介の商人であったころから、ルーサはよく見てきた。
ようやく、ヴルカルが屋敷についたという報告を聞いたとき、ルーサは、そんな彼女の相手に疲れ切っており、その救いの主の登場にほっとした顔を浮かべ、急ぎ客人を失礼がないように部屋に呼ぶように指示をし、自身の準備を始めた。
ヴルカルのワイン好きを聞いていたルーサは、このときのために、彼が好みそうな各地方の多様な種類のワインから特に高級な物を選別し準備をしていたのである。
これをヴルカルに出し、ご機嫌を伺いながら、覚えをよくしてもらう。
小さいことではあるが、ヴルカルのように金も力も十分に持っている男には、このような方法の方が効果が高いことをルーサは計算から知っていた。
しかし、そのような目論見は、あっという間に崩れることとなる。
ドアが乱暴に開けられ、ヴルカルと、伝令に来たユノースという騎士が客室に入ってくる。
ヴルカルの表情は、何時ものような好々爺の表情でなく、何の感情も込められていないような無表情であった。
「あぁヴルカル様。我が屋敷にお越しいただきありがとうございます。」
ルーサが挨拶の言葉をかける。
ヴルカルは、ルーサの方を振り向くと、いつものような好々爺のような面を浮かべ、ルーサに言葉を返す。
「あぁ。ルーサ男爵。此度は、私の無理を聞いてもらってすまなかったね。」
ヴルカルの言葉は、いつものような穏やかさを持っている言葉であった。
それゆえ、ルーサはほっと息をつき、そのまま自身の作戦を完遂させるために、言葉を返そうとする。
しかし、その言葉を発するより前に、ヴルカルが言葉を続けた。
「すまないが、席を外してくれないかね。何、そう長いことかかる用事ではない。」
顔こそ、好々爺のままであったものの、彼の言葉には、冷たい刃があった。同時に、その表情の目は、有無を言わさない強さがあった。
ルーサは、その言葉に気圧されるように、少し歩を下げると、周りを見渡す。
周りにいる自身の衛兵たちは、客人の命令を受けながらも、自身の主の命令を待つような、不安そうな目でこちらを見ている。
ヴルカルの護衛である、ユノースという騎士は、冷たい目のままで、ルーサに退室を促すように訴えかけていた。
そして最後に目線をそらし、客人である女を見て、ルーサは驚く。
先程までの奇声を上げていた女がいた場所、そこには同じようにボロを纏った女が立っていた。
背格好も同じ。
されど、その場に立っている女は、奇声も上げず、先程までのような笑みは消え、ただただ冷たい目をしてこちらを見ていた。
その変わりようと、視線に耐えられなくなったルーサは、慌てて部下達に退室をするように命じると、そのまま、ヴルカル達を部屋を残し、外に出た。
視線を感じなくなった瞬間、ルーサは、自分がすごい量の汗をかいていることに気が付いた。
その汗をぬぐいながら、客室から離れようと慌てて転びそうになりながら、ルーサは自室に戻っていた。
部屋の中では、ヴルカルがユラの報告を受けていた。
セレトが戦の前に聖女を排除しようと考えている事を聞いたヴルカルは笑みを浮かべ、ユノースは苦虫を潰したような顔になる。
「くそ。あの魔術師風情が。勝手に物事を決めよって。」
ユノースは、小声で毒づくが、ヴルカルは、そんなセレトの動きを意に介さないように報告を聞き続ける。
「それでユラ。セレト卿の力はどうかね。我等の大願、叶えてくれそうかね。」
ユラは、少し考えるように目線を落とすと、再度目線をあげて、口を開く。
「そうですね。彼の力の程は図れませんでしたが、その言葉には、彼の渇望が込められておりました。戦の前に事を為すと話したときも、そこには、虚言、妄言、強がり。そういった響きはありませんでした。」
ユラは、主に自分が見てきたまま、感じたままの事を話す。
「ふんどうだか。」
ユノースは、魔術師に対する悪感情を込めたような言葉でぼやく。
基本的に、主に望まれていないこと以外は、早々口に出さないユノースであったが、今回の事では、大分苛立っているらしい。
「ユノース様のお考えのように、彼が自身の力を見誤っている可能性もありえますが、少なくとも自身の力と相手の力は、冷静に判断している印象はございます。恐らくそう無茶はしないかと思われます。」
ユラは、ユノースの言葉に肩をすくめながら言葉を続ける。
ユラの言葉を聞き終わったヴルカルは、一度考え込むように目を閉じる。
そして、改めて目を開いたタイミングで口を開いた。
「ご苦労だったな。ユラ。引き続き、セレト卿との伝令、監視を続け給え。」
ユラは、その言葉に頷く。
「しばらくは、このルーサ男爵の屋敷に滞在したまえ。彼には、私からよく話しておくよ。ここからであれば、セレト卿の動きも見やすく、また私との繋がりも薄い場所であるからな。」
そう話すと、ヴルカルは、外にいる衛兵に声をかけルーサの下に向かっていった。
「ふん。精々自身の職務に励め。」
捨て台詞をはき、ユノースもヴルカルの後を追い、部屋を出た。
一人残されたユラは、先ほどまで座っていたふかふかの椅子に体を預けると、疲れを癒すように体を伸ばした。
「ふふふ。」
これまでの奇声を上げたような笑い声でなく、一人の女性が出すような落ち着いた品のある笑い声を出しながら、ユラは、ここから先に起こりうることに思いを馳せる。
一見すると、思慮深く、品のある女性に変わったように見えたユラであったが、その目だけには、どこか狂気の色が浮かび続けていた。




