表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夏夜の鬼 語り残し  作者: 真鴨子規
7/48

「で、こう見えて結構面食らっている私だが。まさかチリ君、いやいや、君がそんなにモテるとは知らなかったよ」

 しばらく、笑いを堪えて下を向いていたミキが、ようやく顔を上げてそう言った。

 いつもの黒い部屋。いつもとは違う、けれどいつも通りの黒いドレス。最近はほとんど毎日、この光景を見るようになっている。

「よりにもよってさ、ねえ。信じられるかい? ともすれば、アオでさえ予測できなかったんじゃあないのかな? 異性との愛なんて春夏秋冬種を植え続けても芽が出ない、そんなモテない概念の塊のような君が、あの黒川女史とのデートとはね」

「どこのバカだ、コイツに漏らした考えなしの大バカ野郎は」

 などと言いながら、しかし、諸悪の根元が明確に存在していることにはすぐに気が付いた。そうだ、口の軽い猿を二匹、うっかり野放しにしてたんだ。失敗である。

「こらチリ君、クラスメイトに対してその陰口は感心しないな。彼らは彼らなりに気を使っているんだよ。女性に対しては、ほら、色々と前科のある君なんだし」

「まるっと筒抜けじゃねぇか」

 奴ら――というか、学校の連中と話をするときは、隣にミキがいるつもりで話をした方が良さそうだ。完全に妖怪であるこの女。壁に耳ありどころか、壁そのものが集音装置なのではないか。怖すぎるだろ。

「まあね、華ちゃんの件はたしなめておいたよ、あまり茶化さないで欲しいとね。彼女の心変わりについては、私も無関係ではないのだし」

「…………」

 分かってる。

 あのことで被害者面をしていていいのは、綾辻だけだ。ミキでなければ、俺でもない。

 ミキが言うには、綾辻も納得した上での選択だったという。それは多分、本当のことなんだろうけども。

 それが正解だったなんて。俺には、とても思えなかったから。

「まだ、納得できていないという顔だね、チリ君」

「そりゃあ」

「あまり、考えすぎるのもどうかと思うね」

 ミキは物憂げに、腰掛けた黒いソファを指先で撫でた。

「あれは、あのときの君にも私にも彼女にも、どうしようもないことだった。まして、今の君にできることなんて何もない。最強の鬼使いと称され、人類にとっての災厄と成り果てた鬼姫――三嘉神みかがみの 朔弥さくやでさえ、過去を変えることはできなかったんだ」

 ミキは、長い睫毛を伏せる。俺の知らないその故人の顔を、思い浮かべるように。

「無駄は省いていこうよ。互いに、そこまで余裕があるわけでもないだろう」

「…………」

 変わったな、と人から言われて。いちいち戦々恐々としていた俺だけど。

 多分、そんな俺以上に。目の前で笑うこの女は、変わってしまったんだろう。

 それが、いいことなのか悪いことなのか。俺には全く分からない。分かりたいとも思わない。

「まあ、そうだな。だいたい、そんな話をするために、わざわざ訪ねてきた訳じゃない」

「え、愛しい私と他愛ない話をしたかったんだろう?」

「ちげぇよ」

 意識的に避けていても、ミキの長話には付き合わされる羽目になるのだ。なぜ自分から飛び込んでいかなければならないのか。

「昨夜の仕事の件だ。報告と、報酬の受け取りがまだだったろ」

「ああ、その件か」

 そう言えば、と。ミキはドレスの襟元を摘まむような仕草を見せた。

 そして、いつの間にかミキの手には、茶色の封筒が収まっていた。種も仕掛けもある、おぞましい手品である。

「お疲れ様。今回もまた、少し毛色の違う相手だったようだね」

「違わない毛色の相手ってのが未だに分からねぇんだけど」

 投げてよこされた封筒を確認する。いつも通りの額だ。夏からこっち昇給はないが、回数が増えているので実質増額している。

 ――まあ、使い道なんて、生活費以外にはほとんどないんだが。

 ともあれそのおかげで、夏にはギリギリだった金銭面の問題には、今のところ余裕を持てている。

「どこまで知ってる?」

「概ね全部。君が追い詰めた銃使いの彼には色々と教えてもらった。黒猫の伝言というのも含めてね」

 ミキは得意げにそう言った。ちょっとウザいほどの笑みで、しかし殴りたい欲求はまったく浮かばないのが狡い。マツイさん相手だったら思わず手が出ていた。

 まあ、それはそれとして。

「銃使い――そう呼ぶと、なんか」

 格好良いな。

 水鉄砲なのに。

 水鉄砲のくせに。

「どうなったんだ? あいつ」

「まあ、無事に行方不明になってもらったよ。安易に放逐するわけにはいかない」

 そうか、と。ミキも俺も、なんでもないようにその顛末を受け入れる。

 ――心が鈍化している。

 あの男も、別に悪い人間じゃなかっただろうに。ままならない世の中に不平不満は漏らしつつも、どうにか真っ当に生きてきた部類だったろうに。

 もしかして、拷問とか受けたのだろうか。

 かわいそうに。

 最後に見させてもらえば良かったのに、動物番組。

「目的は? っていうか、どこの誰だよ、あれ」

一内いちうち はじめ。一内は、かつては主要十家ゆかりの精鋭だったが、今ではほとんど廃れている。その中で、彼は暗部に属していた人間だ」

「暗部……」

 あんぶ。

 なんというか。いや、『機関』なんてものがいる世界でなにを今更という気もするけれど。

 八十年代か、そのセンス。

 もう世紀跨いでんだぞ。

「伊達や洒落でそういう名前なワケじゃあないんだよ、チリ君。彼らの任務は暗殺だ。機関においても決して罪人ではない、しかし生かしておいては面倒な人間は都度現れる。それらを秘密裏に処理する汚れ役、掃除屋、トラブル処理班。それが彼らの仕事なんだ」

 暗殺向きだと、そう言えば黒猫も評していた。音もなく、痕跡を残さず、静かに退場させることができる。無警戒ならば脅威的だっただろう。

「私からすればこれで二度目だ。長兄との抗争に紛れて、突然襲われたんだが」

「ひでえな。お前それ何歳の時の話だよ」

「さて。十は越えていなかったと思うがね。まあ、それについてはどうでもいいよ。おかげで油断してくれて、対処しやすかったというのもあったのだから」

 要するに、子どもだと油断して返り討ちに終わったわけだ。アホである。一内とかいうあの男の印象と並べると、機関とやらの間抜けさがイタいほどに伝わってくる。実は脅威でもなんでもないのではないか。

「しかし今回は違うだろう」

 俺の心を見抜いたように。ミキは強調して警告する。

「若輩を理由に手を抜いてはくれない。一内 一にしたって考えなしではなかった。まずはチリ君を狙って来たんだからね」

 そうかも知れないが。新入りだ後輩だと、それはそれでかなり甘く見てきていたあたり、やはり迂闊だったとしか言えないだろう。ぶっちゃけた話、一撃で終わってしまって、一番驚いたのは俺自身なのだ。

 え、終わり?

 あれだけ無駄にキャラ立てておいて?

 とか。噴飯ものである。

「それに、口も堅かった。仲間のことを聞き出すのは諦めたよ」

「仲間がいることは確定なのか」

「まあ、機関の末端が単身飛び込んでくる訳もないさ」

 どうせ八剣の駒だ。

 困ったように笑って、ミキは白い髪を弄ぶ。

「君の勘では、何人だと思う?」

「勘、っていうか。機関なら、二人か四人か八人だろ。その三択なら、四人」

 二人じゃ少なすぎる。

 八人じゃ目立ちすぎる。

 単純な予想だ。

 こちらが二人で、ぶつけるのが四人。頭数だけ見れば倍の戦力だ、普通なら、戦う前から勝負は決している。

 まあ、そのせいで慢心していたようだけど。

 やはり人間、数字では何も語れない。

四象陣フォーマンセル、ああ、そんなところだろう。ではあと三人、刺客がやってくるかも知れないわけだ」

「大した話じゃないだろ、あの程度のが三人なら」

「ふん、言うようになったねチリ君。でも知ってるかい? 最初に戦う四天王は最弱と相場が決まっている」

 なんだ、四天王って。

 ミキが愉快そうなので、深く突っ込まないことにした。

「油断もあったろうし。ともすれば仲間に引き込めるかも知れないと、期待半分で君を見ていたんだとすれば。次からが彼らの本領だろう。ねえチリ君。そういう、いつどこで襲われるかも分からない生活というのは、どんな気分だい?」

 どんな気分、とか言われても。

 いつどこで狙われるか分からないってことは、どうしようもないってことだろ。

 どんな気分でいるのが正解なんだ? いつも通りにしてる以外、何かあるのか?

 ミキ的には、仲間が増えて嬉しいのだろうか。

 命の危機だってのに、ウキウキしたように身体を揺らす彼女を見ていると。何もかも、どうでもよく思えてしまうのだ。

「残念だよ、チリ君。私はもう、外敵に怯えて、情けなく喘ぐ君を見ることができないんだね」

「そんなこと残念がってんじゃねぇよ、諸悪の根元が。お前が最初、アオけしかけて鬼ごっことかやったもんだから、耐性付いたんだよ」

 それはもう、芯の芯まで。

 いや、あれは怖かった、本気で怖かった。しばらくアオが直視できないくらいにはトラウマものだった。

「ふん、それは失策だった。春の私はどうにも、まだ加減というものが分からなくてね」

「まるで今は匙加減完璧みたいな言い方してんじゃねぇよ」

「そうだね、だからこそ。君には感謝しているんだよ、チリ君」

 なんだそりゃ。

 なんでそこから感謝に繋がる?

「不器用な私も受け入れてくれる。認めて、側にいてくれる。そんな君が、私は心底堪らない」

 ぎゅっと。細長い両腕で、ミキは自分の身体を抱いた。

 気持ち悪いと思いました。

「第一目標がこんな有り様で。なんかもう、その暗部だかが可哀想に思えてきた。いや、八剣か?」

「八剣の刺客であり、暗部でもある。或いは混成チームなのかな。その辺りの面子はまだ分からない」

 流石に、宗家直々ということはないだろうがね、と。ミキは眉間を指で摘まみながら言った。

「八剣も一枚岩ではない。今まではそこに可愛げを感じていたが。しかしね、こうも露骨に邪魔をされるのは困りものだ。いま私がやろうとしているのは、正真正銘、一点の曇りなく、機関側の仕事だというのにね」

 迷惑な話だ。ミキは控えめに溜め息を吐く。

 それでも表情は楽しげで、困っている気配もないのがまた、相手からしたら憎たらしいだろう。

「お前がやろうとしている――この町に来た本当の目的、ってやつか」

「そうとも。多発する擬獣、覚醒した二人の能力者、最悪の災厄『十戒』の出現。この夏臥美町を脅かした原因を、完全に取り除くこと――階層が両儀から四象に至る前に。この町を去るにあたって、私が成すべき最後の仕事だ。春から根回しをしてきて、やっと目途が立ったんだ。余計な手出しは無用だと、一臣かずおみにはくれぐれも言っておいたんだがね」

 最後の。

 そんな風に言われたら、少しだけ気持ちが傾きそうになる。

 ミキには色々としでかされた。これで最後で、別れられるのならば清々すると、そう思ったことは確かなのだが。

 別に、嫌いな訳じゃないのだ。

 みかづきの悪影響もあるけれど、これは俺自身の感性として。

 ミキの声は、昔から好ましくさえあった。

 その言葉は、その音色は、だって。綺麗だと思ったのだから。

 黒の背景に、白髪が強調される。

 どこからともなく注がれる淡い光に、それは上質な絹のようにきらめいて輝く。

 その髪が。その声が。涙に濡れた、あの夜を思い出す。

「俺に」

 気付いたら、口を開いていた。

 急いで。慌てて。せっついて。

 すがるような気持ちで、言葉を探した。

「俺にも仕事は、あるんだろ?」

 もちろん、と。ミキは微笑んだ。

 最後なのだから。最後の大仕事だというのだから。

 俺だって、何かをしてやりたい。

 俺が俺であることを祈って、泣いてくれた、彼女のために。

 そんなことをしてくれたのは、だって。これまで生きてきた中でも、たった二人しかいなかったのだ。

 とっくに死んでしまった、最初の一人の分までも。

 きちんと、筋を通してやりたいと。

 そう、思った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ