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不便なことはいくらでもあった。
筆記試験で『なんとなく』張った山が大当たりしたり。誰かの失くし物を『なんとなく』探したら一発で見つけたり。『なんとなく』当たりそうだからと福引に挑んだら、蟹を背負って帰る羽目になったり。
そもそもに、目立つことを好むタチではないのだ。他人の視線が気持ち悪い。親しくもない誰かに、名前を呼ばれるだけで寒気がする。関わりを持つ相手が少し増えるだけで、俺の中の許容量はあっさり限界を迎える。
浅く広い交友関係を築くというのは、実はとんでもない才能だと思うのだ。浅く狭い交友関係しかない俺には、眩しいほどに映るのだ。家族なんていうものに憧れていた俺にとっては、本当に、目が潰れてしまうほどに。
俺は、そんなだったから――いや。今はもう、それだけの話ではなく。
秀才だと褒められても。まるで探偵だと称されても。信じられないほどの豪運を羨ましがられても。
それは断じて、俺の力ではないのだ。
誰かに与えられた力。誰かに拾わされた力。人様に恵んでもらった摩訶不思議な力で何かを成したところで、俺に残るのは違和感だけだった。
気味の悪い異物感を受け入れる気にも、誇る気にもなれなかった。それはきっと、今後何年経とうとも、変わることはないだろうと確信できた。どれほどの偉業を果たそうと。何人、何十人という誰かを救い、幸福に導くことができたとしても。変わることのない事実として。
だから――
「だから、こんなもん寄越されても知らねぇって」
俺の学童机の上にバラまかれた書簡の数、およそ十三。粗雑なものから几帳面なものまで多種多様、見る人間のことなど欠片も考慮されていないのが明らかな、それは依頼書の山だった。
「そんなこと言われても。俺だってウンザリしてるんだ、暇なわけじゃないんだし」
俺はお前の秘書じゃないんだぜ、と。夏の日焼けが未だに残る顔をくしゃりと歪ませた、アイカワが言った。
アイカワは俺の席の前に立ち、恨めしげな視線を送ってきている。
「俺が頼んだわけじゃない。というか、それはそれとして、冬の野球部なんて暇なだけだろ?」
「バッカお前、冬の基礎練舐めんな。これだから万年帰宅部は物を知らない」
「サチウ先生も俺と同じこと言ってたろ」
「そうだよ! だからクラス委員の仕事もやたら回されて忙しいんだよバカヤロー!」
じゃあ辞めればいいのに。
こんな雑用も、学級委員長なんてお役目も。
俺などはそう思うのだが。春から見る限りにおいて、このお人好しなスポーツマンであるアイカワには無理な相談なのだろうと、考えるまでもなく分かってしまう。
真面目なのだ、本質的に。公正というか、愚直というか、義理堅いというか。大人しく面白みがないことの言い換えとして使われる『真面目』とは違う、本当の意味で。だから、彼は周囲から非常に好意的に見られている。その結果、何かと頼られてしまうのだろう。
「失くし物探しの依頼ねぇ」
積まれた書簡の一つを、ひょろりと骨張った手でアズマが拾い上げた。
「まあ秋頃、ワタベっちゃんの財布と生徒会長の手帳を、チリが一挙に見つけたアレは結構話題になったよなぁ。ミキさんも褒めてたし」
そのせいで噂が全校に知れ渡ったことを俺は知っている。よく知っている。なんなら春にも同じようなことがあった。
「偶然だ、そんなもん。たまたま行った先に落ちてただけなんだから。頼まれたからって、何でも見つけられるとか思われたら困る」
「そうか? いや、そうかも知んないけど」
アズマはしげしげと、訝しげな顔で俺を見つめてから、
「なんか、変わったよな、チリー」
男のくせに鬱陶しい長髪を揺らして、そんな核心をついてきた。
「は。どこが」
内心怯えながら、けれどそれを気取られないように、問いかける。
問いかけておきながら、けれど答えを欲してなどはいなかった。
変わってない。
変わってない。
俺は、俺のままで。
変わってなんて、いないんだから。
「どこっていうか、ねぇ」
「なあ」
アズマとアイカワが、煮えきらない表情で首を傾げあっている。何だこいつら。
「気持ち悪いな。要するに気のせいなんだろ。言い掛かりはやめろよ」
「いや、でも確かに、夏に――」
アズマの口から、その言葉が出た途端に。
今年の夏に起きた、いろいろなことが、脳裏に浮かび上がる。
連続で焚かれるフラッシュとともに。
ドロドロの少女が。
赤目の影が。
同じ顔をした二人が。
おぞましいピエロが。
両目の潰れた、青い鬼が。
忘れたいような。忘れてはいけないような。燃え上がるように過ぎ去った、ひと夏の思い出が――
「失恋してから、人が変わったみたいだよ」
アズマが同意を求め、アイカワが頷いた。
「ん?」
うん?
なんだって?
は?
「はァ?」
混乱した。
何を言われているのかよく分からなかった。
こんな気持ちは久しいが、別に待っていたわけではない。来ないなら来ないで何ら問題はなかったのに。
「思わせぶりな少女Aにコクったらフられたんだろ? ごめん、俺があんなこと言ったばっかりに」
「誰だよ。告っても振られてもねぇよ。頭下げてんじゃねぇアズマ」
「野球部のマネジが言ってた、思春期は色々あるからほっといてやれって」
「そのマネジ連れてこい殴るから」
なにか、恐ろしい噂が流れているようだった。
嘘だろ。
なんだそれ。
もう何度目かも分からない不登校の危機だぞ。
「噂ってお前……。ミキのトンチキ談話にも出てこなかったろ、そんな話」
「いや、だってこのクラスだけの割とローカルな話だし。ていうか、みんながみんな、その少女Aの側がガチで惚れてると思ってたから」
「いいクラスメイトだなアズマ。ええ?」
泣けてくる。
気付いてないのは俺だけだとか、誇張表現じゃなかったのかよ。
酷い話。
酷い話だ。
その噂は勘違いも甚だしいが、けれども完全な的外れではなくて。
覚えてる、はっきりと。忘れたくても覚えてる。
綾辻 華は、確かにあのとき。
俺への興味を、完全に失ったのだから。
それが俺にとって、一つの転機になったことは、どうしようもない事実だったから。
だから。
「無理やり強引に迫って嫌われたって噂もあったけど、やんわりと否定しておいたぜ」
「アズマァ? なぜやんわり言った。そこは断固として否定しろよ」
え、違うのか? と意外そうな顔をするアイカワの脛を蹴り飛ばす。
笑い話ではない。どんな尾ひれが付いているか分かったものじゃない。大丈夫か。これ本当に大丈夫か。
「でもさぁ」
アズマが、なだめるように笑って言う。
「別に、悪評ってワケじゃあないんだよ」
ねぇ、というアズマに、ああ、とアイカワが応える。まったく信用できない。
「前より、こう、なんていうか。柔らかくなったよ、チリ」
「柔らかい?」
「話し掛けやすくなったよな。まあ、噂はともかくとして」
曖昧なアズマの言い分を、アイカワが律儀に引き継いだ。
「目つき悪いしさ、お前。睨みつけてるみたいで、みんな怖がってたんだぜ、入学当初」
「人の地顔にケチつけてんなよ」
とっつきが悪い。近寄りがたい。何を考えているか分からなくて、判断できないから、怖い。
情報量が少なければ、評価は下されずフラットになるだろう。目立たず静かにいれば、良くも悪くもならないだろう。かつてのそういう考えが誤っていたことは、今では確かに理解できる。
行動は変えていない。変えていないはずだ。
だが、理解できたというだけで、何かが変わって見えたのかも知れない。
それは、成長と言っていいのか。
時間経過により、クラスに馴染んだ結果だと、言っていいのだろうか。
それとも。
それとも――
「あれぇ?」
手紙を漁っていたアズマが、突然素っ頓狂な声を上げた。
「なあチリ、これさぁ」
「なんだよ」
「探し物の依頼じゃなくない?」
そうして、一枚の封筒を受取る。
それはキラキラした白地に、淡い桃色のラインが引かれていた。可愛らしい雰囲気の封筒に、ずいぶんと達筆な、恐らく万年筆か何かで、送り主の名前が書かれていた。
黒川 知世鈴。
その人は三年、つまりは春に卒業を控えた先輩であり。
元生徒会長である。