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それは男の慟哭で。
それは女の絶叫で。
それは赤子の喚きで。
それは老人の咽びで。
戦禍に巻き込まれた人里が、或いはこのような有り様になったかも知れないと。
三鬼 弥生は悲観する。
笑顔の下で歯噛みする。
夥しいほどの怨嗟。気が触れるような断末魔の連鎖。
地獄を体現したような世界に、ミキは内心、嘆かずにはいられなかった。
「――これほどとは」
反面、ミキはこの上なく感心していた。
眼前に映る、この地獄を生み出した少女に。
八坂 雅。
この能力下においては、あの恐怖も怯えも消え失せていた。
相手が何者であろうと、必ずや滅ぼし尽くしてみせるという、壮絶な覚悟の現れ。
ミキよりも更に若い身でありながら、老練の猛者さえ下してきたその経歴。
家柄だけではない。不遜な態度も、それを裏打ちする実力がある。
町一つ掌握するミキすらも脅かすその圧力はまさしく、あの八剣と並び立つに相応しい強者だった。
「お前はもう、巫蠱の壺に捕らわれました」
雅はゆらりと刀を振るう。
それに呼応するように、人外の咆哮が表層に現れる。
あるモノは、黒い川から這い出して。
あるモノは、山林の影から滲み出るように。
あるモノは、塞がった空から降り注ぐように。
人のようで。
獣のようで。
混じりあった異形の怪物が、生者の臭いに群がるように、ミキを取り囲みつつあった。
「擬獣――この町、この地方の思念を寄せ集めたか。いや、そんな数ではない。ため込んだものだよ、よくぞここまで」
それが、八坂 雅という少女の能力だった。
擬獣とは、死者の思念の集合体。
かつて生きたものの無念が、再び現世に形成した姿。
自然現象の一種ですらある擬獣の発生を。八坂 雅は、その刀のひと振りで操ってみせたのだ。
「十戒を打倒したお前からすれば、こんな雑魚を数十集めたところで無意味でしょう。ですけれど」
絹ほどに滑らかな髪の房を払い上げ、雅は不敵に、眼前の敵を睨めつける。
「それが何百、何千、何万という数となれば、話は違いましょう?」
その一言一句を呼び水とするように、擬獣は数を増していく。
森林に代わり、夜闇に代わり、視界を妨げる群となってそれらは蠢く。
たったの数瞬で、ミキは断崖絶壁の底にいた。
ミキは惚けた気分で、見窄らしいほど狭くなった空を見上げる。
その小さな空さえも、羽虫のような異物によって、今にも塞がれそうになっていた。
屋外にあって、まるで地底の底にいるような、閉塞した圧迫感に息が詰まる。
ミキを囲う四方、そして天地さえ。今や、その命を虎視眈々と狙う悪意に満ちている。
「擬獣を御する能力、で合っているかな、八坂 雅」
「従属させる力、ですわ。本来であれば憎き敵である擬獣を隷属する、これは選ばれし王の力。尊き血が可能にした、奇跡の行使に他なりません」
異論はない。その余地もない。
これほどに世界を塗り替える力。凡庸な者が、何かの間違いで発現させたなら。自らの力に呑まれ、心身ともに壊死していたことだろう。
少なくとも目の前の少女が、そのような致命的なリスクを背負っているようには見えない。何らかの儀式、何らかの誓約かによって、この能力と生存とを成立させている。
「討ち滅ぼされなさい、異形なるモノどもの手によって。悪鬼たる三鬼に相応しい、白髪鬼の最期に相応しい舞台で、その生涯を閉じるがいいですわ」
叫喚渦巻き、肺を焦がすような熱風が長髪を攫う。
ミキの持つ刀が。鬼を斬るために生まれた刀が。膨れ上がる標的の氾濫に震えている。
「絶対正義の名の下に。三鬼 弥生――お前を砕き、かつて八剣が残した最後にして最大の汚点を、この八坂 雅が拭いましょう」
あと、呼びかけの一つで。数百万という獣が、ただ一人の女を蹂躙するという、その直前に。
ミキは。
微笑んだ。




