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夏夜の鬼 語り残し  作者: 真鴨子規
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「ひゅー! いいぞーこわっぱ! かっこいいぞー!」

「着地に失敗して全身の骨バラバラになれ」

 最初の定位置にまで降りてきた黒猫が、ウザいほど陽気に話しかけてきた。残念ながら、無傷のようである。結構な距離を昇降しているのに、音もなければ、風圧さえ感じなかった。

 当然だ。

 ソレは、モドキ。

 ソレは、擬獣。

 真っ当な生き物などでは、ないのだから。

「はあ――」

 やたらとでかい溜め息が漏れた。

 男の方は、赤い水を垂れ流しながら寝てしまったので、休ませてやることにした。きっと、死ぬほど疲れていたのだろう。

「というか小童、割かしサックリやっちまったな。名前も要件も聞いとらんのに」

「お前が言うのかよ……」

 思いっきり焚き付けたくせに。やっぱりヒゲを全部剃り落とすくらいはやるべきだろうか。

「まあ、正当防衛だろ。無許可で領域侵犯したのもコイツだし、自己責任だ。後始末はミキに任す」

 それでいいと思う。勘だけど、たぶん、それが一番いいと思った。

 それだけ。

 それ以上のことは、考える必要性を感じなかった。

「――ふん。変われば変わるものか」

 身の安全を確信したのか、黒猫がまた饒舌になっていた。

「虫も殺せないような人の子が、たった半年でよくもそこまで。アレも罪深い女よな」

「別に。俺はなんとも思っちゃいない。それより」

 同情されるのが腹立たしい、というのも、今はいい。思いっきりぶん殴ってやりたいのも山々なのだが、今このときは、どうでもいい。

 それよりも。さっき俺が、振りかぶった手を止めた、その理由は。

「これ以上は待たない。その伝言ってのを聞かせろよ」

「忙しない奴よな」

 何をそんなに、生き急いでいるのか。

 などと、問われたところで。俺には答える言葉もない。

 答える義理も、何もない。

 とっくに死んでいる奴に、くれてやれるものなんか、何もないんだから。

「聞かせてやるとも。そのために来たのだから。ただ――」

 区切る文句に、まだ何があるのかとうんざりしたが、

「食い残しは感心しないな、小童」

 辛うじて、水の跳ねる音を拾う。

 すぐさまに、ジャージの男が伏していた一角へと視線を投げた。

「――どこへ?」

 男が、いない。

 血溜まりはそのままに、浸っていた身体の全てが消失していた。

「経験の浅さが出たな、小童。致命傷を与えたからといって、まだ視線を切るべきではなかった」

「クソ猫――」

 コイツ、気付いてて見逃しやがったな。なんてタチの悪い。

「見てたんだろ、何が起きた。いくらなんでも、立ち上がって逃げ出すのを見落とすほど鳥目じゃないぞ」

 可能性は、いろいろと考えられる。

 最初から分身だったとか。仲間が回収に来ただとか。

 最悪なのは前者だが、後者は後者で面倒くさい。

 他に考えられるのは――

「そこそこに面白い見世物だったぞ。人体がドロドロと水に化けて、軟体動物のように這って逃げ出すのは」

 ヒッヒ、と。黒猫は悪趣味に嘲笑う。

 じゃあつまり、当人の能力か。

 水鉄砲を打つだけの愉快な芸人じゃ、流石になかったわけだ。

 付近には排水溝がある。もしもそこから下水に逃げたとすれば――

「水になって逃げる? 首に風穴開けて生きてられるのかよ。なんだそりゃあ無敵か」

 擬獣よりよっぽど化物だろうが。ホラー映画じゃねぇんだぞ。

「制約はあるだろうよ、当然。まずもって手段だな。ヤツはまず、自分に向けて銃を撃ち、それから水に変化した」

「自分を撃った?」

 銃声なんて聞こえなかった――けど。考えてみれば、水鉄砲に銃声なんかあるわけない。ということは、さっき撃ったときに聞こえた音はダミーか。見掛けによらず回りくどいことをする。

「逃していいのかね、小童。消音銃、弾丸は水、最初に陣取ってた場所からして射程もそこそこ。暗殺向きだぞ、アレは」

「…………」

 暗殺向き。

 誰かを、殺しに来た?

 誰を――いや。

 そんなの、考えるまでもない。

「別に」

 握っていた刀を消す。背負うわけでも、腰に差す訳でもなく、なんの不便もない。手荷物にならないあたりは、この『界装具』の数少ない利点であると言えた。

「捨て置くと?」

「なに不服そうに言ってんだ。排水溝から逃げたのを見てたんだろ。じゃあ俺には追うてだてがない。声さえ届かない範囲に出られた時点で詰みだ。ここで悶々としてても仕方ないだろ」

 できないものはできない。それを悩む意味はない。

 終わってしまったものには、何もできないのが道理なんだから。

「まあ――術がないって言っても」

 携帯電話を取り出して、アドレス帳から宛先を選び、十数文字程度の文章を作る。

「俺には、って話だから」

 この町で、誰かの裏をかこうだなんて。思い上がりも甚だしい。

 誰かを呪えば、必ず自分に返ってくる。

 どんなに上手く振る舞って、しっぺ返しを免れようとしても。

 そういう筋違いを、絶対に許さない奴が、この町にはいるのだから。

「……痛ましいよな」

 少し黙りこくったと思えば、黒猫はそんな風にぼやいてきた。

「伝言を聞かせろ。さっきの奴じゃないけど、それ以外はもう喋んな、猫」

 本当に、どうでも良くなる。

 伝言を聞いてこいだなんて、そんな仕事は受けていないのだし。

 ここで握り潰したところで、ミキを妨げるようなことにはならないだろう。

 ――そう。

 そうなんだ。

 多少足踏みさせたくらいじゃあ。

 アイツはもう、止まらないんだから。

「――三鬼 弥生がこの街に来た『本来の目的』については、聞いているか?」

 重苦しい口調で、黒猫は言った。

「は?」

 本来の目的。

 なんだ、それは。

 それは一体、どこ向けの話だ。

「であればまあ、こうとだけ伝えておけ。『アレが動き始めた。そろそろ頃合いだから、急げ』と」

 黒猫が言い終わるやいなや、空気が変わっていくのが分かった。

 頬を撫でる、冷たい風。

 吐く息は薄らと白く、流れるように消えていく。

 慣れ親しんだ――けれど、平年よりは少しだけ寒い、十二月の夜。

 夏の夜が終わりを告げて。

 いつも通り、あるのかないのか分からない暑い秋を越えて。

 この夏臥美町にも。

 冬が、来ていた。

「擬獣とは祖霊。人と混じり非道を成すばかりの、救いのない悪夢ばかりではないということだ。まあ――お前にとっては、どうでもいいことかも知れないが」

 お前にとっては。

 強調されたその言葉が意味する言葉は、間違いなく。

「なんなんだ、お前は」

 もう一度、繰り返す。

 繰り返した自覚すら、あとから追いかけてくる有様だった。

 無様なもんだ。

 きっとアオなら。そんな問いは、浮かんだ時点で解を得られるのだろうに。

 でも。

 だけど。

 それでいい。

 それがいい。

 俺は、俺だから。

 俺は断じて、アオではないのだから。

「――難儀だな、わらべよ。そう言えばお前、あの赤鬼も取り込んでおったろう。アレも鬼のくせに、なかなか危うい境遇ではあったが――ああ、お前は輪をかけて酷い。三鬼 弥生の封印は不完全だ。意図的なのだろうが、その反動は明確に表れている」

 黒い体躯が、夜の藍に溶けていく。

 最初からいなかったかのように、その痕跡さえ残さず、消えていく。

「不憫だな――誰もかも」

 最後に覗いた瞳は、赤く。

 遠くの空を、見つめていた。

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