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夏夜の鬼 語り残し  作者: 真鴨子規
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「重ねて、光栄に思われますよう」

 夏神の社に取り残された二人――チリ君と校倉 重蔵は、辺りに静けさが戻るのを待ってから、鈍重に言葉を交わし始めた。

「我が君は、貴方を敵と仰りました。その正義の刃を掲げ、その名の下に叩き伏せると」

 は――、と。チリ君は、溜め息混じりに眉をひそめた。

 意味の分からない熱を、胸の奥に感じている。それを吐き出すように、言葉として編み出す。

「不意を打って人質取って、上から目線で殺す宣言が正義の所行なのかよ。どんだけ愉快な一向なんだ、お前ら」

 未だ校倉の足下には、制服姿の黒川 知世鈴が倒れている。

 チリ君が校倉を攻めないのに、その実、黒川の存在は無関係だった。

 当然のことながら、校倉 重蔵もまた、ただの人間ではない。

 背筋の折れ曲がった、とても戦闘に向いているとは思えない姿勢でありながら。

 その手に握られている長柄の武装が、どれほどの命をすすってきたかも分からない。

 それは、無骨な杭のようだった。

 見る限り、腐った木材から切り出したような一本槍。長さで言えばチリ君の持つ刀と大差なく、間合いで大きく劣るという風でもない。

 刀を振れば両断できる、それほどに脆そうな界装具。

 けれど、なにか。

 その武器は、何かが変だと。

 まるで擬獣を相手にしたときのような不気味さを、感じずにはいられなかった。

 その杭を『持つ』というより、校倉は地面に突き立て、杖のようにして立っている。

 墓守。

 そう呼ぶに相応しいと、チリ君はうずくまりたい衝動に駆られる。

 死骸のような社の瓦礫と、墓守のような殺人者の一枚絵は、あまりにはまりすぎていて。

 どうしてそんなものに、今自分は立ち向かわなければならないのかと、泣いてしまいたかった。

 本音を言うなら、二人まとめてミキが倒してくれたら良かった。そんな淡い期待を込めて、迷いなく携帯電話を拾い上げたというのに――

「我らは、影」

 校倉が、ぐちゃりと口を鳴らして言った。

 それは、暗い穴の向こう側から漏れ出たような、聴くだけで心を蝕まれそうな声だった。

「八剣という正義の光を受け、大地に生まれた影こそが我らでありますれば。多少の汚名、多少の汚れ仕事は飲み込みましょう」

「――暗部ねぇ」

 絶対正義を標榜する八剣はしかし、機関という尋常ならざる異能を有する組織を御するがゆえ、潔癖ではいられなかったのだろう。

 どれほどの大義を抱えようと。人々を心酔させるカリスマ性を発揮しようと。組織の内外から溢れ出るバグ、そのすべてを取り去りきることはできない。

 次元隧道カブリオル・ポルテ

 二重催幻デュアルヒュプノス

 二重存在ドッペルゲンガー

 怒りの吸血衝動ストリガ

 あの夏、チリ君が関わった、異能者にして一般社会に害を及ぼすものたち。

 八剣からすれば言語道断の悪であろうと、その裁きは必ず法に委ねられる。それがこの法治国家における大前提であり、私刑は決して容認されない。

 八剣も、機関も、どれだけの力を携えようとも。公に、罪人を裁く権限など持ち得ないのだ。

 だからこそ、機関が異能の秘匿を旨とする以上、彼らを秘密裏に処理する機構は必須不可欠だった。

「機関の表側の使命が、擬獣を倒すことだとするならば。裏側を司る我ら暗部の使命とは、正義からはぐれた能力者を狩ること」

 言いながら。

 校倉は、低い姿勢を更に低く、地面に顔面を擦り付けるほどに屈み込む。

「貴方も存外、能力者との戦いには慣れたご様子、されども。貴方と我ら暗部とでは、積み上げてきた屍の数が違う――」

 校倉が前方に跳躍する。

 折り畳んだ全身をバネにして瞬時に加速し、突進する。

 常人に見切れる速さではない。風を切り、大地を踏み砕く異能者の膂力は、人間の限界など優に上回る。

 その速力すべての乗った刺突は、人間の臓器を容易くえぐり取るだろう。生身の人間はもとより、異能によって格段に強化されたチリ君の肉体であっても。

 界装具を手に入れたばかりの彼であれば、この時点で勝負は決まっていた。

「――っ」

 だからこそ、今は違う。

 突如として飛来する凶器から、その視線は片時も外れない。

 失ったものがあり。

 そして得たものがあった。

 もはやチリ君は、単に身体能力が強化されただけの一般人ではない。

 そんなザマでは許されない。

 手にした刀の本来の持ち主――その記憶が、雄弁に語りかけてくる。

『あの程度の相手に、手こずってもらっては困る』と。

 軽い重心移動。

 軸足をあえて崩し、倒れ込む勢いにも逆らわず、そのまま身体を『ずらす』。

 最小限の動作、筋力ではなく重力に従う回避行動、だからこそ速い。初速において先んじられた後手でありながら、チリ君の胴を狙った鋭利な先端は、紙一重のところで空を穿った。

 次の瞬間に映る光景は、必然。

 攻撃をかわされ、無防備に伸びきった校倉の背へ、黒刀が振り下ろされる。

 容赦のない斬撃、猶予のない死を前にして。しかし校倉の表情は変わらない。

 無表情に。

 淡々と。

 まるで死人のように。

 露出した筋肉質の腕が、突出した杭を強引に引き戻し。その柄でもって、難なく刀を受け止めてみせた。

「くそが」

 悪態をついたのはチリ君だった。胸の熱が、そうせざるを得ないほどに膨れ上がっていた。

 激突する武器の反動で互いに距離をとる。荒れ果てた地面を両足で噛み、砂埃が吹き上がる。

 視界が悪い。

 だからこそ、互いにとっては好機。

 いち早く敵の位置を確認し、次の攻撃に天井と構えたチリ君はしかし、一瞬動作を止めざるを得なかった。

 ――いない。

 夜闇の中、土埃舞う戦域であろうと、見失うはずのない相手を、チリ君は見失っていた。

 知らず連想する、校倉と最初に出会ったときの光景。

 そうだ、確かにあのときも。

 いるはずだった黒川 知世鈴を、瞬間的に見失って――

「下――!」

 迫る何かに突き動かされ、チリ君はすぐさま跳躍する。

 その直後――ずるりと、地面から皺だらけの両手が伸び出てきた。

「――モグラかよ」

 チリ君は罵倒のように言って、着地した後方十メートル地点で大きく息をついた。

 白い吐息が晴れるころ。先ほどまでチリ君が立っていた場所には、入れ替わるように校倉が佇んでいた。

「目がいいのではなく、勘が働くご様子」

 不意の攻撃を避けられても、校倉の冷静さは崩れない。

 校倉が外套を払う。僅かにだが、土埃のようなものが落ちたように見えた。

「地面の中を移動できるのか。音もない、揺れもない。掴めば自分以外も引きずり込めるわけだ。本当に――」

 殺しやすそうだな。

 チリ君は苦々しくもそう零す。

 果たして。

 そうだったから殺すのか。

 殺すためにそうなったのか。

 そんなことはチリ君には分からないし、分かったところでどうしようもない。

 ただ。

 そう、ただ――記憶の中の、人殺しを楽しんでいた男の姿が蘇る。

 大義のためだろうが、破綻した利己のためだろうが。積極的に殺しを行うその在り方に、大した違いも見えてこない。

 根本は同じもの。なのに、方や正義を謳うその姿勢が、どうしても――

「他人事のような物言いだ」

 あざ笑う調子の台詞すら、地を這うような声で結ばれる。

「刃の形状など問題ではありますまい。誰が握り、誰に向けるのか、それこそが肝要でありますれば。そら、より正当な大義を掲げた者こそが正義でしょうぞ」

 舌打ちが鳴る。言わずもがな、チリ君によるものだ。

「『お前らが勝手に決めた正当性』に基づく正義だろうが。話にならねぇ」

 苛立たしげに握られた刀が軋む。

 何が正しくて。何が間違っているのか。

 そう簡単に割り切れたなら、どれだけ生きやすいことだろうかと。

 そんな身勝手でいられたのなら、こんな痛みは感じなかったのにと。

 そんな逃避が許されるなら、あんな夏は来なかったのにと。

「ああそうだ、俺たちはみんな異常者だ。凶器をぶら下げて平然と歩いてる、頭おかしい輩の一員だ。だけど」

 それは、チリ君が抱えた、唯一と言っていい小さな願い。

 家族と呼べる誰かと共に、ただ人並みに幸福でありたいと。そのために生き、戦ってきた。

 何度も死にかけた。いっそ死にたいと思うほどの恐怖と絶望に身を蝕まれてきた。それでも決して、命を、希望を捨てはしなかった。

 たとえ腫瘍を抱えようと。病に伏せって生きる必要なんか、どこにもありはしないのだと。

 信じていた。

 信じたかった。

 すがらなくては生きられなかった。

「普通であっていい。普通に生きて、普通に幸せになっていい。異常であろう、なんて望んで生まれた訳じゃない俺たちにとって、それが唯一無二の光だった。なのに結局お前らは、喜んで人を殺して、わざわざ異常に沿おうとする。その理由として、聞こえのいい大義だの正義だのって看板が都合よかったから、大手を振って掲げてるだけだろうが」

 チリ君はようやく、その熱の正体を知る。

 機関、八剣、或いは目の前の校倉。

 命を狙われるミキはともかく、チリ君には、彼らを相手取り戦う理由などなかった。

 任されれば戦おう。倒せと言うならば倒そう。そういう仕事ならば――そう、ミキが願うなら。

 でも。そもそもの話。そんなことはしたくないのだ。

 必要に迫られているだけ。そうしなければ、下手をすれば殺されてしまうから。

 もはや人を殺すことに躊躇いのないチリ君もまた、絶対に越えてはならない一線として、正当防衛という境を見出した。それさえ、断じて望んだ在り方ではない。

 だからこそ怒る。

 さればこそ憤る。

 そう、それは紛れもない怒気なのだ。

 チリ君は間違いなく、この敵に怒っている。

 敵だとか。悪だとか。意味の分からない理屈を振りかざして、好き勝手に巻き込んでくる相手が、好き好んで異常であろうとする連中が。

 憎い。

 憎くて憎くて、たまらない。

 そうやって襲ってくる敵が。

 或いは、そんな機構――擬獣だとか、界装具だとか、誰が決めたかも分からないシステムそのものが。

 どうしようもなく、癇に障って仕方がない。

「殺したいなら、殺したい奴らだけで殺し合って死ね。他人を――俺を! 巻き込んでんじゃねぇよ気狂いどもが!」

 刀が奔る。

 上段から叩き割るように、黒い刀身が振り下ろされる。

 冷気をまとい、冷気を断ち切り、鋼鉄さえ両断せんとする刃は、しかし地面を抉って停止する。

 標的である校倉は、その足元に吸い込まれるように、一瞬にして姿を眩ました。

「歪な」

 境内の端から、校倉の声がする。

「なるほど、巻き込まれただけの一般人。安穏な世界から逸脱した、逸脱させられた、哀れなる被害者。その立ち位置はさぞ生きづらいことでしょうが。されど、ああ、池鯉鮒殿と申したか。貴方――」

 同時に。

 二人同時に駆け出し、そしてぶつかり合う。

 その衝撃に、チリ君の視界が明滅する。

 踏み込んだ脚が大地を揺らし、風圧が辺りの木々をざわめかせる。

「であるならば、貴方には。その憤りを、いの一番に向けるべき相手がいるはずだ」

 ぞわりと。チリ君の背筋に悪寒が走る。

 フードの下に隠れた校倉の素顔。まるで酸でも被ったような、溶け、爛れ、腐り落ちたような皮膚。

 白濁した両目は目脂にまみれ、視界に入るだけで吐き気がした。

 だが、そんなことより何よりも。

 その言葉が。

 その、侮辱が。

「――ッ!」

 怒りが全身を巡る。

 唾競り合いの態勢から校倉を弾き飛ばし。そして今度こそ、地面に逃げる隙さえ与えずに、叩き斬る。

「――――」

 言葉にならない呻きが、校倉から漏れる。

 決して致命傷ほどの深さではない。

 しかし迸る血が、掠り傷ほどの浅さでもないと告げている。

「外野が――」

 その手応えに身震いがする。

 衝突の反動ではない。胸の最奥から湧き上がる、憤怒の熱によるもの。

 無知への怒り。

 理不尽への怒り。

 そして思考停止に対する、底知れないほどの怒り。

 お前らが何を知っている。

 お前らに何が分かるという。

 あの女が。

 鬼と、悪と、お前らが蔑むあの女が、一体――どんな顔で泣くかも知らない、お前らごときが。

「知ったような口を、叩いてんじゃねぇよ――!」

 喉が掠れるほどに。その怒りは煉獄のごとく燃え上がり、言葉となって噴き出した。

「不覚――」

 折れ曲がって隠れた腹部を、校倉は苦しげに押さえている。

 戦闘続行は可能だろうに、荒くなった息遣いは、明らかに戦意を削がれていた。

「ミキが狙いだってんなら、さっさと逃げ帰れ。お前の主とやらはもう手遅れで、無事に行方不明になってる頃合いだろうけどな。今逃げてくれるなら追わねぇよ。少なくとも、俺は」

 それは、紛れもない本音だった。

 この敵は、何かがおかしい。

 違和感がある。言葉にも、戦い方にも、何かイメージと一致しないものがある。根拠のないただの勘だが、そう思わないではいられなかった。

 だから排除したい。自ら去ってくれるのならそれでもいい。そう思っての、チリ君の言葉ではあったが。

「――青い」

 フードから覗く口元が歪む。

 何かを仕掛けてくる気配がして、チリ君は周囲に注意を払う。

 だから、気がついた。

 あの場所。

 最初に校倉が立っていた、あの場所から、いつの間にか――

「池鯉鮒君」

 姿を消した黒川 知世鈴が、背後に立っていたことに。

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