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夏夜の鬼 語り残し  作者: 真鴨子規
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 その白雪のような髪は、夜闇すら吸い込むかのようだった。

 漂白されたようなその色は、夏においては空虚で、不可思議で、不気味で。

 やがて到来した冬においては、無垢で、孤独で、寂しげで。

 彼女は変わらない。この一年はもちろん、彼女が彼女として生まれたそのときから、一瞬たりとも変わらない。

 弱い自分を生かすため、走り続けてきただけ。

 人として。生き物として。当たり前のように。

 世の理不尽に、誰かの悪意に、軋む自分自身を見失わないため。生まれ持ったその白髪を、隠すことはしなかった。

 特異なそれを。異質なそれを。例え奇異の目に晒され、悪意の迫害に苛まれようと。そこにこそ己はあるのだと、みっともなくも誠実にすがり続けた。

 そればかりか、彼女が黒い衣装を好むのは、髪の色を誇張するためのようにさえ思えた。

 彼女――三鬼 弥生もまた、自分というものを必死で守り続けている。

 俺が俺を大事に思うのと、同じように。

「――何度見ても、おぞましい髪の色ですこと。老婆の方がまだ愛嬌もありますわ」

 唾棄するように、雅は吐き捨てた。

 刀は抜き身のまま、しかし俺に対する害意は逸れているようだった。

 当然の判断である。

 そもそもの標的はミキで。そもそもの脅威はミキの方で。

 そして、ミキの腰にもまた、見慣れない刀が備えられていたから。

「重蔵――前言撤回ですね、よもや気取られるとは」

「は。面目次第もございません」

 空気が張りつめる。雅も校倉も、特段焦燥の色は見せなかったが、その心中は何となく分かる。

 ミキの登場は、奴らにとって完全に誤算。

 今この時点で相対するならば、最初から、数にものを言わせて叩き伏せるのと変わらない。

「あまり、従者を責めるものではないよ」

 芝居がかった口調で、歌い上げるようにミキは言う。

「そこの彼の仕事は完璧だった。私も、私の頼る情報筋も、君たちの動向を掴みきることはできなかった。ああ、だからこそ賞賛を。命が危険に晒された中で、冷静に打てる手を打ったこと、心から感謝し、そして尊敬するよ――チリ君」

 何のことはない。ミキを呼び寄せたのは俺自身だ。

 もう侮らない、敵と見做したなどと吠えておきながら、見下している時点で不十分だ。

 俺のドッペルゲンガーの能力を、奴らがどれほど解明していたかは分からないが。

 俺が置き去りにした鞄から、もう一人の俺が携帯電話を取り出し、ミキに連絡を入れる。その可能性に気が付かない程度の警戒心では、あってないようなものだ。

「二対一なんてゴメンだってだけだ。いや、でもミキ、お前が構わないなら、あの二人ともお前に任せて、俺は家に帰りたいんだけど」

「構う構う。君ね、このシチュエーションで定時退社は大物過ぎるだろう。報酬はきちんと払うから。だからチリ君、私を一人にしないでおくれよ」

 俺たちは、変わらない。

 いや、俺に関して言えば、いつ首が飛ぶか分かったものじゃないこの状況で、今にも脚が震えだしそうなんだが。

 でも、ミキがそこにいる。

 ミキがそこで、笑っている。

 それならまったく問題ない。

 俺より強い程度の人間が、何人束になろうとも。ミキが負けるはずがないのだから。

「礼節を重んじて名乗りましょう」

 ミヤビと呼ばれた少女が、仕切り直すように声を上げる。

「八坂 宗次が次女、八剣 一臣の許嫁、八坂 雅。機関暗部の一員にして、此度編成された討伐四象の筆頭」

 敵と言い放ってはいながらも、俺に対するよりは数倍は丁重に。しかし、慇懃無礼な印象はあえて拭わないままに。八坂 雅は自らをそう名乗った。

「ご丁寧にありがとう、八坂 雅。三鬼家長女、三人目の子、三鬼 弥生――まあ、名乗るまでもないのかも知れないが」

 言いながら、ミキは口角を僅かに口角を上げる。

 嬉しそうだった。またぞろ、いつか見た映画のような名乗り合いで、興が乗ったのだろう。

「ああ、そうか。暗部所属では、情報も少ないわけだ。名前だけは何度か聞いたこともあったんだが。しかし、いや本当に、私を殺しに来たのが一臣の直属、それもまさか許嫁とは驚いた。彼とは友好的な関係を築けていると、私は信じていたんだがね」

 肩をすくめて舌に乗る、それらの言葉とは裏腹に。ミキは、この状況を楽しむように微笑んだ。

「くだらない」

 ただ、相手はそうではないらしかった。

「自身は被害者だとでも? 裏切られた犠牲者だとでも? 冗談はおよしなさい。貴方のような悪そのものと、対話を重ねてきたあの方の心労を思えば、微塵も配慮に値しませんわ」

 悪そのもの。

 鬼とは、あく

 かつて争い、そして敗北した三鬼という一族への、吐き気を催すほどの差別思想。

 幾たびの戦争の果て、平和を向かえたはずのこの世界で。数百年も昔の悪しき概念が、未だ色濃く受け継がれている証左が、目の前に存在している。

「その刀、鬼斬丸ですね。今年の春、八剣家管轄の倉より、何者かによって収奪された宝刀そのもの。やはり貴方が首謀者でしたか」

「さて? 身に覚えのない話だ。元より鬼斬丸は、三鬼に返還されるべきもの、そういう誓約だったはず。真打ちは消失したとかたって、影打ちだけ寄越したのはどこの誰だったのかな」

「盗っ人猛々しいとはこのこと。有力筋の情報から、実行犯が貴方の実兄であったことは周知の事実です。それを殺して奪ったのでしょう。あの兄にしてこの妹あり。我欲のためなら、肉親でさえ平然と手に掛ける。とても同じ人間とは思えない、鬼畜外道極まる行い。よもや三鬼がそこまで醜悪だったとは、さしもの私も想像しておりませんでした」

 侮蔑などという言葉で、その態度は言い表せない。

 親の仇でも見るような――いや、恐らく。

 そういう最悪な事態すら招きかねない災厄を、ねめつけているに相違なかった。

 結局のところ、八剣にとっての三鬼は、そういう存在なのだ。

 十戒という共通の敵を倒すため、必要悪として関係を保つ必要性も、最早ない。

 三鬼 弥生は、死を望まれている。

「ふん。よく語ってくれるじゃないか、ミヤビ嬢。実に好ましいよ。このまま朝まで言葉を紡ぎ合えたなら、とても有意義な時間を過ごすことができそうなんだが」

 それでも、ミキ本人に悲壮感はない。

 ミヤビの発する殺意も、その瞳に宿る蔑視も、火を見るよりも明らかだろうに。

 ミキは、この場の誰より明るく、上機嫌で。本心として、この会合を歓迎している様子だった。

「紡ぎ合う? 語り合おうと? 悪い冗談ですわ。そんな無意味なことを、なぜこの私が」

「無意味? 私と君が言葉を交わすこと、そこに意味がないとなぜ言い切れる?」

「知れたこと。尽くす言葉など何一つ、ハチドリの涙ほどもありませんわ――これから死にゆくお前ごときに」

 突き刺すような言葉に、俺の心臓はいちいち反応する。高鳴り、怯えて、思わず一歩後ずさる。

「あのお方の敵を殺す、か」

 含むように笑って、ミキが言う。

 その様子から、なんとなく。俺にも状況が飲み込めてくる。

 ミキの顔に、ほんの少し。悲しさが見えてしまったから。

「そうして君は、いったい何人を殺してきたのだろうか。いったい幾つの死地を、単身駆け抜けてきたのだろうか」

 ミキが問う。

 一人や二人では決して足るまい。

 八剣の側から見た悪を殺し、その死骸を山のように積み上げてきた。

 子どものお使い程度で済むはずもない。八坂 雅という年端も行かない少女の、溢れ出る自信の裏打ちとなるもの。そして、それを手にするまでに斬り伏せてきた屍の数。想像を絶する地獄に違いない。

 その心情は、俺やミキには分からないだろう。言い聞かされても、満足に理解もできないのだろう。

 でも。

 そうだとしても。

「問答無用」

 ミヤビは瓦礫を踏み締めて、残骸の山を下りてくる。

「私は狩る者、駆逐する者、あらゆる悪の断罪者。幾つ? 何人? そんなものの興味など、とうの昔に消え去りました。貴方であろうと同じですわ、三鬼 弥生。今宵、物言わぬ数字にして差し上げましょう」

 話はそこまで。

 対話のできない相手と、それでも対話しようなどというミキの悪癖をもってしても、ここが限界だ。

 確かに、別に構うことじゃない。

 そもそも今回は、そうやって時間を稼ぐ必要だってないのだ。

 でも、ああ、ほらやっぱり。

 ミキの笑みに、影が落ちている。

「そっち、任せていいか、ミキ」

 もちろん、とミキは頷く。

 その声から、彼女の心境を推し量ることは、早々に諦めた。

 ともあれ、避けられないなら戦わないと。

 敵の手の内は不明だが。状況からの推察はできる。

 八剣の側近が、弱いはずはないし。

 敵にも味方にも高飛車な態度のミヤビが、自分より優秀な部下を抱えるとも考えづらい。

 理解する。

 渋々ながら、納得する。

 ――校倉 重蔵。

 それが、今このとき、俺が倒すべき相手の名前だと。

「済まないね、チリ君」

 ふいの言葉に、ミキの方へ視線が吸い寄せられる。

「ここ最近、私は君に頼りっきりだ、チリ君。本当に、君は強くなった。私なんかよりずっと、ずっと」

「は」

 皮肉だと、すぐに分かった。

 ミキの顔は、誇らしげでもなく、恩着せがましくもなく。嬉しそうな気配もまるでなくて。

 そうだ。

 自虐だと、すぐに分かった。

「君ともまたじっくり、話がしたいな。仕事の話じゃなくて、特別なことじゃなくて、そういう小難しい話じゃなくて。ねえ、チリ君。いろんな話をしよう。普通で、ありきたりで、つまらない、ただの人間がするような話をしよう」

「――――」

 単なるあがきかも知れない。

 結局、無為に終わるかも知れない。

 遅かれ早かれ、誰だろうといつかは死ぬ。

 抗うなんて無謀なことだ。俺たちの力じゃ無理なことだ。

 積み上げたものが、やり続けてきたことが、報われないことなんて、ありふれている。

 でも。

 でも、だからって。諦めることはもうしない。

 それが無意味でないのだと、今の俺にはもう、ちゃんと分かっているから。

 無理でも、無茶でも、無謀でも。無駄ではないと信じてる。

「終わったら、あの場所で待ってる」

 我ながら、クサい台詞が出たものだと思ったが。

「それは、難しい話だね、チリ君」

 ミキが、また嬉しそうだったから。

 まあ、いいか。

「私が君の帰りを待っている。今までずっと、そうしてきたように」

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