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夏夜の鬼 語り残し  作者: 真鴨子規
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 そこへ到着したとき、時刻は夜九時を回っていた。

 夏神様のお社。

 これで何度目になるだろうか。もはや見慣れた、倒壊したむくろ。人の気配を断ち切った、ある種異界のような空間。

 完全に日の落ちたこのとき、辺りは異様な静けさに支配されていた。

 野鳥の声はなく。

 ざわめく木々の呻き声だけが、不気味な波の音として流れてくる。

 背の折れた男は、丁寧な動作で黒川先輩を横たえた。手を離しながら、しかし何かあればすぐに手が届く、そんな位置に。

「改めて、ご挨拶を――初めまして」

 対面した男は、僅かな挙動で礼をして、言う。

「校倉 重蔵。尊きお方にお仕えする、しがない使用人にございます。以後、お見知り置きを」

 アゼクラジュウゾウ。

 間違いない。それはミキが言っていた名前だ。

「貴方は実に運がいい」

 引き絞るように、校倉は笑う。

「我が主が、貴方にお会いしたいという。単なる一般人の子、機関においても木っ端のような新参者が、その面貌を拝する。まこと、栄誉でございましょう」

 がらり、と。

 見計らったかのように鳴った音を、視線で追いかける。

 星も望めない夜空、普段よりも幾ばくか近い暗闇を背景に。

 積み上がった瓦礫の上で、何者かが仁王立ちをしていた。

「ご苦労でした、校倉。近頃のお前はよい仕事をしてくれますね」

「は――光栄至極に存じます、雅様」

 ミヤビ。

 校倉はそう言って、頭上の女性――いや、少女にひざまずいた。

「まあ、私による普段の指導の賜物、といったところですかしら。さて――」

 黒い瞳が、こちらを見下ろす。

 幼さの残る顔立ちだが、その眼光だけは違う。何か抗い難い、威圧感のような重さを伴っていた。

「お前が、チリとかいう方? まあ、その名に相応しい、薄汚く不遜な出で立ちですこと」

 それは、鷹のような少女だった。

 白のニットワンピースに、腰やら腕やらにゴテゴテと、太いベルトを防具のように巻き付けている。

 その上から羽織る分厚い黒コートも含めて、服装から家柄の良さが窺えた。質感も、光沢も、細部の精巧さに至るまで、まるでテレビの向こうから飛び出してきたような印象を与えてくる。

 歳は、恐らく俺と大差ない。

 背丈も年齢相応か、それよりやや低いくらいか。線も少女らしく細い。ひのえの数年後の体格と思えばそれらしいが、しかし。

 二つ結びにした髪の色は黒。三鬼縁の人間でないことは明白だった。

「確認しますが。私の配下を二人もほふったのは、お前で間違いないですね?」

「大間違いですが」

 何となく敬語で返してしまったが。敬う気持ちは全くない。

 それが気に食わなかったのか。それとも単に口答えと取ったか。ミヤビと呼ばれた少女は、一瞬だけ、不機嫌そうに眉をひそめた。

「別段、仇討ちをしようという訳ではないのです」

 ミヤビは、肩まで垂れ下がった髪を大仰にかきあげながら、言う。

「あのお方から預かった貴重な戦力とは言えども。このような僻地、お前のような雑兵を前に脱落する程度の人材、いてもいなくても大差ありませんわ」

「ああ、それは」

 ありがたい。

 俺が手を下したわけではないとは言え。彼らにはほんの少し、同情心というか、罪悪感のようなものもあったから。

 その仲間が、いなくても同じと言うのなら。

 じゃあ、消して正解だったじゃないか、と安堵できる。

「だから、勘違いなさらないでくださいね。これからお前を殺すのは、あの役立たずどもを惜しむからでも、悼むからでもなく――」

 少女は、中空に手を伸ばす。

 そして掴み取ったのは、一振りの刀。

 純白の鞘に収められた、やや小振りの太刀だった。

「あのお方の下命を遮らんとした大罪、その償いなのですから」

 瞬時に、空気が張りつめるのを感じた。

 視界には特に変化もない。しかし明らかに、何かの――それも多数の気配を感じるようになった。

 囲まれている。

 雑木林の向こう側、ろくに見通しの利かない陰の先に。

 おぞましい無数の目が、こちらを窺っているようだった。

「あのお方って誰? 八剣のお偉方?」

「…………」

 俺の質問に答える気はないらしい。もう、声を聞くことさえ穢らわしいと言わんばかりのしかめっ面だった。

「不遜なり、鬼の下僕の分際で」

 代わりに、校倉の方が、地響きのような声を上げたが。

 ミヤビは品よく片手を持ち上げ、その校倉を制して見せた。

「何か、思い違えてはおりませんこと?」

 ミヤビが、苛立ちを抑えるように声を張る。

一内いちうち、それに九十九つくも。かつての主要十家の系譜などと、考えるのもおぞましい雑魚であろうとも。積み重ねた歴史の一枚さえない貴方ごときが何人束になったところで、その気になれば容易に撃滅できました」

 水鉄砲野郎――一内。そして理科系のゾンビ使い――九十九。

 結果的には呆気なく退場した彼らだったが、それでも難敵であるという見解は、ミキとも一致した話だ。

「あれらの敗因は、お前を憐れんだこと。三鬼 弥生の口車に乗せられたらだけの一般人だと油断した、その結果の敗北ですわ」

 そうだろうな、と俺も思う。

 一内に至っては、最初は仲間として接してきた節もあった。

 そんな状況でさえなければ、出会い頭で俺を殺す気でいたなら。やられていたのは俺の方だ。疑いを向ける余地もない。

「ゆえ、お前にもう勝ち目はありません。もはや我々は、お前を敵とみなしました。廃すべき障害であると。そう――三鬼 弥生の操る鬼の一匹であると」

「――――」

 比喩のつもりで言ったんだろうが。なんなら、上手いこと言ってやったと悦に入っているのかも知れないが。

 言い得て妙というか、これ以上ないくらい、現状を的確に言い表していた。

「は――」

 あの夏の夜の結末。それをミキは、機関には巧妙にぼかして報告している。

 ミキの界装具である赤鬼と青鬼がどうなったかは伝えず、ただ失ったのみであると。

 嘘は言わない。けれど真実は伝えない。相手が喜びそうな情報を開示し、本当に重要な事実から目を背けさせる。

 目の前のあいつも、機関とかいう連中も、大きく勘違いをしている。ミキの持つ最大の武器が、一体何であるのかを。

「むせび泣いて喜ぶことね。この私が――あの方の将来の伴侶たる八坂 雅が、直々に引導を渡すのです。そしてお前の血肉を晒し、その臭いを撒き餌として、豚のようにやってくる白子の売女ばいたの首をも落とす。お前たちがどのような小細工を弄そうとも、その未来を覆すことは叶いませんわ」

 その刀身が露出する。

 僅かな月光すら届かないこの場所で、白刃は自ら発光しているかの如く揺らめく。

 技量は達人。

 能力は不明。

 その迷いのない表情は、一体何人の首をねれば身につくのか。

 声が出ない。口を開けば殺される。

 身体が動かない。界装具を出すどころか、指一本動かすだけで殺される。

 遙か格上の相手が必殺を宣言した以上、逃れる道は完全に閉ざされている。

「絶対正義の名の下に。鬼の因子は――あのお方の敵は、一つ余さず私が殺す」

 次にまばたきした瞬間、俺は斬られているだろう。

 それが、直感的に、本能的に、致命的なまでに理解できた――その刹那に。


「いやいやまったく。八剣の人間はどうしてそう、真面目に手順を踏みたがるのかな」


 場違いなほど陽気な。けれど残酷に冷徹に、せせら笑うような、声が。

「回りくどいことだよ。そんなことをしなくとも、呼ばれればどこへなり赴くんだがね、この私は」

 小気味良い、ヒールの音を引き連れて。

 三鬼 弥生が、参道から姿を現した。

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