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「み、見つかったぁぁぁぁ!」
などと。
目の前でアズマがうるさいので、宝くじを押し付けてさっさと後ずさった。
「いやぁ! やってくれると信じてたよチリ! さすが名探偵!」
「だからさぁ」
反論しようとして、面倒くさくなってやめた。
俺が見つけたわけではないが。
あの狐面のことを、アズマにどう説明すればいいか分からなかった。
「よかったですね、東さん」
満面の笑みで黒川先輩が言う。
そして、先ほどの会話を思い出す。
また、アズマにも聞くのだろう、その使い道を。黒川 知世鈴は、そういったことを尋ねるのだろうと。
そう、思ったのだが。
「これで、やっと足りますね」
「ほんとに! 今までの節制がようやく実るぞ!」
予想外の会話に、一瞬戸惑う。
どうやら黒川先輩は、アズマの目的を知っていたらしい。
いや、探し物の依頼を受けたときに聞いたのだろう。聞いて当然で、関心の薄い俺だから聞かなかったのだという、それだけのことだった。
どうでもいい。どうせ俺の金ではないのだから。
「じゃあアズマ、俺は帰るからな」
「ああ、ご苦労! 今度なんか奢るよ。何がいい? チリって好物なんだっけ?」
「じゃあ明日の昼飯で、なんか」
また明日。そう言い合って、俺たちは別れた。
とりあえずは、これで解決と見ていいのだろう。
俺の手で渡せ、と。その依頼にどんな意味があったのか、正直俺には分からなかった。推理材料が足りないのだろう、例の勘も働かない。
それでも、俺は安堵した。
分からないことは不安だが。
分かりすぎることも恐ろしい。
間違えるのは嫌だ。先を見通し、何でもかんでも理解して、安定した未来を掴みたいと。その気持ちは分かるが。
見えた未来が、望んだものであるかは、別の話なのだから。
分からないことは、分からないでいいのだ。それが自然で、当たり前で、それが人間なんだから。
「仲がいいんですね」
黒川先輩が、隣で言う。
当然のように付いて来るこの人には、僅かばかりうんざりした気持ちになる。
距離が近い。こちらがいくら離れても、あちらが不用意に近付いてくる。
「別に」
「別に」
言葉が重なる。
思わず見た先輩の顔は、至極愉快そうだった。
長い黒髪を揺らして、口元を緩く押さえている。
「ごめんなさい、つい」
「いえ」
何も言えず、そのまま校門を抜けていく。
市街地を縫うように進み、断続的に設けられたら階段を下っていく。
足下は暗い。
点在する街頭を頼らなくては、そのうち転んでしまいそうな通学路。改善願いは出ているそうだが、恩恵があるのは来年の入学生あたりからだろう。
「随分暗くなってしまいました。もうすっかり冬ですね。夏の頃ならまだ明るくて、この時間でも部活動をしていたのに」
しみじみと先輩は言った。
部によってまちまちではあるが、練習熱心なところは夜の九時くらいまで居残っていたという話だ。
狂気の沙汰である。帰宅部の人間からすれば、彼らは夜行性の怪物じみていた。
「陸上ですか」
「ええ、陸上部。そういえば、池鯉鮒さんもどうですか? あの時の走りっぷりはなかなかでしたし、走るのは気持ちがいいですよ」
「結構です」
即答した。
俺のような人種からすれば、運動部とか体育会系とかって連中は異種族に等しいのだ。混ざって走るなんてとんでもない。
走ること自体好きではないし。
誰かと走る楽しみも知らない。
この人たちは根本的に、俺たちの生態を理解していない。
「またフられてしまいました」
苦笑いを浮かべてから、黒川先輩は空へ向かって伸びをした。
空は、分厚い雲に覆われている。先ほどまでは少し隙間もあったが、今はそれも狭まっていた。
暗がりで。先輩の白い肌は、異物のように輝いて見えた。
「ほとほと人徳がありませんね、私は。やっぱり、生徒会長なんて柄じゃなかったんでしょう」
「そんなものでしょう。どの学校も、どの会長も」
それを何とかしようなどと思い立ち、行動に移したこの人こそが、むしろ希有な存在なのだ。
大抵の人間は、そんなことを気にしないし。気にしないことを、怠慢だなどと言いもしない。
学生が帯びる組織上の役割なんて、結局は形骸化するより他に、行き場のないものだろうに。
「池鯉鮒さんは向いてると思いますよ、生徒会長」
「コンタクト落としたんですか?」
「視力悪くないですよ、私。自慢じゃありませんけど」
そんなものに俺がなったら、引退する前に生徒が足りなくなって廃校するだろう。自信がある。
「そんなことないですよ」
冗談半分で、けれど半分本気で。黒川 知世鈴は言う。
「池鯉鮒さんは、私にないものをいっぱい持っています」
「また雑に」
「自分らしさというか。これが自分なんだっていう信念というか。頼りがいがあると思うんですよ、そういう人って」
それを言うなら。この人こそ、やはり会長職に相応しかったのだ。
悪いものに良い評価を下すのは、簡単なことではない。頭を回して、語彙を選んで。なんて気の遠くなる作業だろう。
確かに。
確かに、そうだ。そういう自分を――『俺』を持ち続けることこそが、俺の目指す理想ではある。
善でもなく。悪でもなく。
ただ俺自身の都合のために、俺自身の人生を全うすること。そうして踏破した道のりと、その果てに背負ったものを生涯抱え続けること。
その結末が、どんなものであろうとも。自分で選らんだ生き方であればこそ、誇ることができるのだと。
「…………」
でも、果たせてはいない。
そこまでの強さを、俺はまだ持てていない。どうすれば持てるのかさえ、見えていない。
猶予はきっと、残り少ない。
「ままならないですね、誰もかも」
先輩が、こちらを見ていた。
影で見えづらくなった表情は、それでも微笑みを浮かべていた。
「みんなが長所を持っていて、みんなが短所を持っている。だから私たちは支え合う。お互いの、足りない部分を補うために。ねえ、池鯉鮒さん――」
そんなことができる二人は、素敵だとは思いませんか。
囁くような声が、強い風にさらわれる。
冷たい、冷たい、乾いた風が。
「ねえ。ねえ、池鯉鮒さん」
二人分の足音が響く。
軽快に。鼓動のように。掠れたガラスのように。
劇場の幕が、下りるように。
「私を、支えてくれる人に、なってくれませんか?」
「――――」
どくん、と。心臓が鳴る。
「もう少し、仲良くなって、みませんか?」
泥沼に足を突っ込んだかのように、立ち止まる。
舌先の痺れを、歯を食いしばって耐えながら、先輩の方を見る。
呼吸は止まり。
意識が広がる。
そこには。
そこには、誰もいなかった。
隣を歩いていたはずの先輩は、視界のどこにもいはしなかった。
爪先に何かが当たる。
視線が落ちる。
先輩が肩に掛けていた鞄が転がっている。
頭の中で警笛が鳴り。
周囲の音が、うるさいくらいに耳に入って。
目の端で、何かが揺れた。
「夜分に、失礼いたします」
ガラガラと、耳障りな男の声だった。
人ならざる野獣が、慣れない人語を無理やり行使しているかのようだった。
感情を抑え、冷静に徹し、状況を把握する。
距離にして二十メートルほど。夜の闇に溶けるような風貌の男は、その子細を伺わせない。
男は大きく背を曲げて、恭しく礼をしているようにも見えたが。そうではないことはすぐに分かった。
その男は、それで直立しているのだ。
前方に酷く湾曲した背骨。異様に膨れ上がった背中は、荷ではなく瘤のようだ。
老いによって背が丸まった老人は時折見かけるが、それとはまた別物だ。そのシルエットは、老体というには屈強に過ぎる。
薄汚れた緑色のフードで隠れた顔は、自ずと醜悪な顔貌を予感させた。
そして――
「おい」
その男が脇に抱えていたのは、人形のように動かない人間だった。
長い髪に隠れた顔を、わざわざ確認するまでもなく。
それは、さっきまで隣を歩いていた、黒川先輩に違いなかった。
「ご安心を」
男は、抑揚のない声で言う。
「危害は加えておりませぬ。加えるつもりもございませぬ。暴れられては敵いませぬゆえ、いっとき眠ってもらっているだけのこと」
だからどうしたと。言ってやろうとして、やめた。
自分の鞄を、先輩の鞄と並ぶように、地面に置く。
「関係ない人間を、巻き込んでんじゃねぇよ蛙野郎」
「――――」
フードの下で、口元が卑しい笑みに歪んだ。
「巻き込むかどうかを決めるのは、わたくしではございませぬ」
そう言って、男は振り返り、道なりに歩き始めた。
ゆったりと。のったりと。死人のような足取りで。
「どうぞこちらへ。我が主がお待ちです」




