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夏夜の鬼 語り残し  作者: 真鴨子規
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「あれ、チリ君」

 鞄を手に、人気のない教室を出ようとしたとき。間の悪いことに、クラスメートと遭遇してしまった。

「目崎」

 特徴のない、しかし人当たりは良さそうな黒縁眼鏡の生徒だった。教室では俺の二つ右隣の席だが、中間の席がずっと空席なため、顔を見る機会の多い奴だ。

「チリ君って、確か帰宅部だったよね。あれ、もしかして東君に頼まれて?」

 大正解である。

 どうやら、目崎もアズマに頼み込まれた口らしい。

 断らなさそうだし、金銭絡みで揉め事にならなさそうな、まさしく無難な人選である。

「よく知らないけど、ものすごい大金が当たったんだってね。早く見つけてあげないと」

「……ああ、まあ」

 しっかり帰り支度を整えた俺に気付いていないのか、あえて見て見ぬ振りをしているのか。目崎は人畜無害な顔をして、凄まじい圧力を掛けてきた。なんてヤツだ。

「そうだな、宝くじなんて当たってせいぜい数百円とか、普通はそんなもんだしな」

「ねぇ、羨ましいよね。そう言えば、そう。僕は買ったことないんだけど、姉さんがバイト代で買ったことがあってね」

「――――」

 表情が動きそうになるのを、気取られないように抑えつけた。

「それで父さんと大喧嘩して……。あ、ごめん、また」

 目崎は苦笑いを浮かべて、慣れたように謝った。

「別に。気にしすぎるなよ」

「ありがとう。だめだね、本当に。あれからもうさ、八ヶ月も経ったのに」

 もう八ヶ月と言うべきか、まだ八ヶ月と言うべきか、俺には分からない。

 最愛の家族を、よりにもよって自殺なんて形で失ったのだ。平然としていろなどと、他人の口から言えるものではない。

 忘れなくてはいけない、でも忘れたくない。心の中で、そういう矛盾が渦巻いた結果、ついつい話題に出してしまう。今の目崎にあるのは、そんな心理だろうか。

 そういうのを煙たがる人間は、クラスでも少なくはない。

 俺だってどちらかと言えば、そちら寄りの感性の持ち主だが。

 目崎の姉の自殺について。春に起こった、謎の集団自殺について。

 今の俺に、文句を零す資格など、ない。

「ミキさんの言ったとおりだったよ。ホント、厄介だよね、こういうの」

 ミキが何を言ったのか、俺は知らないが。

 あいつの存在が、目崎にとって少しでも救いになるのなら。悪態をつく余地などないだろう。

 あらゆる宗教と同じことだ。

 全ては神様の言うとおりだとか。

 信じる者しか救わない神だとか。

 神の愛した俺たちが、神の寵愛を受けられない相手を虐げるのは正義だとか。

 そんな、オカルト以外の何ものでもない盲信であろうと。

 それで救われる誰かがいるのなら、決して無価値ではないのだと。

「そう言えば、チリ君」

 話題を切り替えたかったのだろう。

 そう言えば、などと言いつつ。目崎は全く別の話を振ってくる。

「土曜日、駅前にいたりした? 似た人を見た気がしたんだけど」

「げ」

 思わず声が漏れる。

 というか、恐れていたことが起きた。

「ああ、やっぱり。そうじゃないかなと思ったんだよ。チリ君は出無精なイメージがあったから、自信なかったんだけど」

 すっきりしたとばかりに、目崎は顔を綻ばせた。

 というか、少し不名誉な言い回しがあった気もするが。事実なので不問にしておく。

「びっくりしたよ。チリ君、綺麗な女の人と歩いてたから……。あれ誰? お姉さんとかじゃないよね?」

 好奇心旺盛な子犬のごとく、というか取材記者のような勢いで、目崎は身を乗り出す。

 大人しい割に人当たりがよく、こんな感じで他人への興味が大きい辺りが、俺と目崎の違いだろうか。

 クラスで浮き気味な俺と違って、こいつはほどほどに良い対人関係を持っているように思う。

 俺も、例えば兄弟でもいれば、こんな風になっていたのだろうか、と。たまに、考えないこともない。

「いや、黒川先輩。お前だって知ってるだろ、夏校の元生徒会長で――」

 と、そこまで言って後悔した。

 元生徒会長の上級生と、休日に会って何をしていたんだと。そんな風に問われたら、誤魔化しようがないじゃないか。

 偶然会った、というのは出来過ぎだし。ミキについて相談を受けていた、なんて正直に言ったところで、話が余計にこじれる未来しか見えない。

 いや、あの場にいたならもしかして、あのゾンビ群の中に目崎もいたのか――などと。あれやこれや考えを広げていたんだが。

「…………」

 目崎は、何か。

 腑に落ちないような顔で、俺を眺めていた。

「目崎? 分かるよな? 黒川先輩」

「え、ああうん、もちろん。そっか、あれ、黒川先輩だったのか……」

 納得したような、そうでないような。

 煮え切らない態度のまま、目崎は一言二言の挨拶ののち、立ち去っていった。

「まあ。そうなるか」

 目崎は戸惑っていたが。

 俺はといえば反対に、得心が行っていた。

 目崎の姉の話が、俺にとって聞き捨てならない話であるのと同様に。

 目崎にとって、黒川 知世鈴はある種の特別な存在だったのだろう。

 それは紛れもなく、不運なことではあったと思うが。

「……帰るか」

 どうしようもなく沈んだ気分で、教室を出る、と。

「――――!」

 視界の端に、一瞬だけ。

 狐の面が、映り込んだ。

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