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夏夜の鬼 語り残し  作者: 真鴨子規
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 憂鬱な休日を過ぎれば、憂鬱な月曜日がやってくる。子どもでも知っている常識である。

 学校では友達に会える! 部活もできる! 登校日が待ち遠しくて仕方がない! という強靱な精神力を持ち合わせる人間も少なからずいるのだろうが。俺の視点からすれば、そんな奴らはごく少数だ。全国屈指の変態と言っても過言ではない。まったくない。

 俺は嫌いだ、学校なんて。

 学業は科目にかかわらず好きではないし。

 特段会いたい誰かもいない。

 特に酷いのは昼休みで、未だに開催が続く三鬼 弥生講演会がたいへん鬱陶しい。流行廃りの目まぐるしいのが娯楽の常だというのに、あのイベントには未だ陰りが見えてこない。

 夏と比べれば、確かに嫌悪感は薄れた。

 ミキの弁舌は、頭を空っぽにして聞く分には悪くない。よく通る声も淀みのない語感も、背景音楽としては優秀だ。その時間に付き物だった頭痛も今はなく、踊らされている聴衆の滑稽さにも慣れてきていた。

 ただ、人数が。

 目と鼻の先に、名前も知らない誰かが、しかも大量に押し寄せてくるのだ。俺など視界の端にすら捉えていないと分かっていても。近距離に他人がいるというただそれだけで、おちおち昼寝もできやしない。

 電車通学のクラスメイトは、電車内で座って一眠りできるかどうかが死活問題なのだと訴えていたが。

 そんな、誰とも知らない人間が大勢そばにいる中で、ゆっくり眠れる奴の気が知れない。

 というわけで。最近の俺は、昼休みに過ごす場所を変えている訳なのだが。

「おや、チリ君。君も図書館勢に仲間入りかい?」

 それはそれで、予期せぬ相手と遭遇する可能性があることを、どうしようもなく再認識させられた。

「サチ――幸浦さちうら先生」

 どうも、と会釈をする。

 すると、やたら愛嬌のあるえくぼを浮かべ、眼鏡の中年男性は微笑んだ。

「君は――へえ、ホームズが好きなのかな?」

「いえ別に。暇潰しですし」

 声色に好感が混じるのを感じ取り、すぐさま否定して距離を取る。

 実際、シャーロック・ホームズの邦訳短編集を手に取ったのはたまたまだ。

 ミキの影響だと言えば否定はしない。アイツは、シャーロキアンというわけではないようだが、どうも探偵というものに一種のシンパシーを感じているらしい。時折、ホームズやワトソン、或いはモリアーティなどの人名を口にするのだ。

 興味はないが。別段、他に読みたい本があるわけでもなし。ふと思い立って、このコーナーに足を運んだだけである。

「そうか。らしい(・・・)と思ったんだけどね」

 眼鏡の奥の糸――もとい糸目は見るからに温和で、柔らかく微笑んでいる。

 担任教師としては些か頼りない優男なのだが、まあ悪い人間ではないので、特に嫌いなわけでもない。

 ただ、妙にノリがいいところがあり、そのせいで俺を登校拒否に追い込んだことが二度、三度あったというだけである。無自覚なのが非常に厄介だ。

「先生は――地域資料? 授業の準備ですか」

 そうだよ、と。幸浦先生は、手にしていた市史を持ち上げて、表紙を見せてきた。

 この夏臥美町を含む市の土地柄や営みの変遷が記録された、それなりに分厚い資料集のようだった。背表紙だけなら、図書室に来るたび見かけていたが。読んだことは当然ない。

 十年に一冊ほどの周期で刊行されるある種のシリーズもので、先生が持っている第五巻は最新刊――二年ほど前に出版されたばかりの物だった。

「総合学習で、テーマの一つとして使えるかと思ってね」

「はあ……大変ですね」

「他人事だなぁ。君も読んでみたらどうだい? これから返却しようと思っていたところだからね」

 結構です、と手で制す。

 他人事というか、一切の興味をそそられない。長年住んだ土地だからといって、より深く知りたくなるとは限らないだろう。

 幸浦先生は残念そうに肩を竦める。気の毒ではあるが、相手を間違えた自分の落ち度だと納得して欲しい。

「……あ」

 ただ、ふと。

 少しだけ、気にかかることがあったことを、思い出した。

「一個、質問いいですか」

「おお、なんだい」

 先生は一瞬だけ開眼(比喩でも誇張ではなく)して、食い入るように先を促した。

「この学校の北西方面の山中に、古くからある神社があったんですけど、何か知ってますか?」

 あった。つい二日前には、少なくとも原形を留めていた、あの社のことだ。

 壊したのは外国人の子どもっぽい見た目の余所者である。まったく、酷いことをするものだ。歴史ある建造物を無意味に破壊するなんて乱暴者、善良な一般人である俺からすれば恐怖でしかない。

「ナツガミ様のお社かい?」

 首を傾げながらも、幸浦先生はすんなり回答した。

 夏臥美――いや、夏神か。『夏神様』と、この先生は言ったのだ。

「僕も、資料で読んだことがある程度だけどもね。そういう神社があるという話は知っているよ。確か、昨年の二年生が調査してた中にあったと思うよ」

「…………」

 嫌な予感がした。僅かな違和感だ。

 あまり深入りしないように気を付けつつ、質問を重ねた。

「江戸時代にできた神社でね。元々は稲荷神社の系譜だったんだけど、まあ……あの時代からして、稲荷神社というと全国津々浦々に点在していてね。後年に建立された夏神のお社には、差別化を図ったような形跡が随所に見られたそうだ」

 言葉を選ぶような妙な気配を感じつつも。幸浦先生はスラスラと、普段の授業を思い起こさせるような、丁寧な説明をしてくれた。

「一般的に、稲荷神社で祀られているのはなんだろう。チリ君」

「はあ……狐ですか?」

「いいや。よく勘違いされているけれど、狐は稲荷大明神の遣いに過ぎない。稲荷神いなりのかみ、ダキニ天。豊穣の神、商売繁盛の神様だ。古くは、狐に跨がった姿を描かれることもあった」

 自分で聞いておいてなんだが、これも興味のない話だ。

 歴史や仏教、或いはインド思想なんかの好事家になら、喜ばれる話かも知れないが。残念ながら、俺はそこに当てはまらない。

「差別化っていうのは?」

「うん、それがね、どういう理由なのかは諸説あるんだけど」

 先生は腕時計を一瞥する。授業中にもよく見る仕草だ。

 確かに、もうすぐ昼休み終了の予鈴が鳴る頃合いだった。もうじき締めに入るのだろう。

「夏神のお社は紛れもなく、『狐を祀っていた』んだ。稲荷大明神ではなく、『夏神様』と呼ばれる神狐をね」

 土地神。

 どういう経緯かは分からないが。他の場所では『神の遣い』でしかない狐を、この夏臥美町は『神そのもの』として考えてきた、ということか。

 一般的ではない、と言っても、まあ。信仰なんてものはそもそも荒唐無稽なものだ。源流が由緒正しいものでも、伝聞の果てに全く別物に成り代わっていることもあるし。同系統だと思われていたものだって、実は全然違ったなんてことも、ありきたりな話だろう。

 ある神話の神が、余所の神話体系では別の名前で呼ばれるとか、逆に悪魔になっているとか。切り貼りの激しい継ぎ接ぎだらけ、いかにも人工物らしい話まであるくらいだ。所詮は宗教、真っ当な理屈を追求する方が無理筋と言える。

 世知辛いことだが。結局優先されるのは、伝統よりも時々の都合、ということだ。

 だから、稲荷神社の系譜というのも怪しい話になる。もしかしたら、全く別の起源を持つ可能性だって、なくはないのだから。

「残念ながら、僕は概要くらいしか知らないんだ。お社を見に行ったこともないしね。興味があったら、歴史の林田先生がお詳しいんじゃないかな。ご出身がこのあたりだと聞いたことがある。あとはそう、昨年その件を調査した先輩に聞くのもいい。学生とは思えない完成度の資料ができたと、他の先生たちの間でも評判だった」

 さらりと縦の繋がりを要求してくるあたり、この人も紛れもない教師である。俺の交友関係が極めて狭いことを、担任として把握しているのだろう。面倒臭い話だ。

「そう難しく考えることはないよ」

 苦笑しながら、幸浦先生は俺の方を軽く叩いた。

 別に、表情を変えたつもりはなかったんだが。

「知っての通り、林田先生は少し気難しいところがある。でも、勉強熱心な生徒を門前払いされるような方ではないよ。同じ教職として、尊敬できる人物だと僕も思う」

 それに、と。

 少しだけ誇らしげに。幸浦先生は、次の名前を口にする。

「黒川さんも、下級生思いのいい生徒だ。元生徒会長として馴染みがある分、他の上級生よりも話しやすいんじゃないかな。もうじき卒業してしまうんだから、一度会ってみてはどうだろう」

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