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「長い通勤路だな、小童」
バスを降りて、しばらく。
田園地帯の真ん中を行く俺の前を、黒猫は歩いていた。ふらふらと、まるで猫のような無軌道さで、気まぐれに。
「別に。慣れたよ、とっくに」
「どこでもドアが欲しいよな」
「お前ホントいつ生きてた?」
「どこでも大ほうもいいぞ」
「すげぇマニアックなの持ってきたな、おい」
知っている俺も大概だが。
言い訳をさせてもらえるならば、全てマツイさんのせいである。
「ひみつどうぐ、というならばな」
「え、そこから話繋げんの?」
「物は使いようだぞ、小童」
俺の指摘を無視して、黒猫は言う。
俺の前を行きながら、たまにこちらを振り向きながら。
「ぐうたらでテストは万年ゼロ点、運動神経も壊滅的な小学生が、一体いくつの世界を救って見せたのだろうか」
「映画の話まですんなよ擬獣が……。いや、知らないけど。そんなの制作者の都合でしかないだろ。毎年やってんだから」
「夢のない小童よな」
「だいたい」
だいたい――
そうだ、結局、とどのつまりは。
「そこにいたのが、たまたまアイツだっただけだろ。世界を救おうが誰を助けようが、全部未来の道具のおかげなんだ。それを、何か特別なことのように演出するのが、漫画やアニメらしいご都合主義ってやつだろ」
そうでなければ、あんな凡才未満には何もできない。
勇敢さだとか、寛大さだとか、優しさだとか。それらしい理由を取り繕っては、感動的なストーリーに仕立て上げる。そうでなければ詰まらないから。そうでなければ、物語として成り立たないから。
その過程で、大なり小なりの矛盾や無理は無視を貫く。いかにも創作らしい、まったくいかにもな子ども騙し。
そういったものに胸躍らせた時期が、一瞬たりともなかったとは言わないが。
とっくに過ぎ去っている。その手のフィクションは、俺にとっては白けるだけだ。
「まあ、事実だろうよ」
黒猫は、まるで予想通りだと言わんばかりに鼻で笑い、即答する。
「そして、その事実が全てだ。ただそこにいただけの、借り物の力しかもたぬ矮小な子どもが、世界を救ったのだ」
「大袈裟だな、たかが漫画の話で」
「真実が何であれ、裏の事情がどうてあれ。数多の世界が救われたのだ。死にゆくばかりの命が、その運命から逃れて見せた」
こそばゆい感じが拭えない。子どものままごとに付き合っているような感覚が。
いや、所詮猫の、人外の言うことなのだ。その雰囲気に流されて、真面目に応対することもなかったかも知れないが。
「果たしてそれは、誰にでもできたことだろうか」
黒猫は、止まらずに語り続ける。
「少なくとも、他の誰も、そうしようとはしなかった。仮に、その場にいさえすれば誰にでもできたことだろうと。やったのはあの子どもらだけで、それがなかったら滅びていた。終わっていた、語られることもなく閉じていた、運命は何も変わらなかった」
その奇跡に、どれほどの価値を付けられようか。
振り返った黒猫の瞳が、幾分か明度の落ちた屋外で、冷たく光る。
「貴様の自己嫌悪は病的だよ、小童」
「…………」
それは否応なく、非難の声で。
「なぜ誇らぬ。なぜ胸を張らぬ。お前が乗り越えた地獄を、お前が救った願いを、お前が得た力を、何故そんなにも小さく見積もる。過小評価が美徳だなどと、この国に蔓延る同調圧力に、お前ともあろう者が屈するのか。俺が俺がと、己を貫こうとするお前が」
「は」
なぜ、なぜ、なぜ。
責めるような疑問符に、知らず腹が立った。
「うるさいな」
俺ともあろう者が? それが何だって?
押し付けるなよ。お前が勝手に思い描いた『俺』なんて虚像を。
「睨むな睨むな。責めちゃおらんよ、吾輩」
「責めてるだろ、どう見ても」
「事実を述べているだけだ」
黒猫は無防備にも寝転んで、持ち上げた前足をザラザラと舐め始める。
「己を、己の力を過小評価する。それは即ち、己が力を信じないということに他ならん。そのような者が、なあ小童。万難を退ける救世主になり得るものか?」
「くだらねぇ。さっきの話に戻したらそりゃあ、野比のび太が信じていたのはドラえもんのひみつどうぐって話だぜ。借り物の力を信じる? 自分の力として誇り、胸を張る? 笑わせるなよ。そういうのを、人の褌で相撲を取るってんじゃねぇの」
世界を救った、誰かを助けた――全て結果論だ。
そいつがやったのは、何のことはない。誰かの成果を笠に着て、自分のことのように偽り、或いは誤認しただけ。
単なる間抜けだ。信じがたい物知らずだ。その在り方は、自分を信じるという信念の、それこそ対局にあたるのではないのか。
他人様に恵んでもらった力で、悪党を懲らしめ善良な弱者を助けた、そんな俺は強くて素晴らしくて格好いい?
バカじゃないの?
誰かの施しがなければ何もできない分際で、一体何様を気取っていやがるのか。
ああ、今なら、朏 千里馬の最期の言葉がよく理解できる。
自分一人で生きていくことは、この社会じゃ難しいのかも知れないが。
他人の助けありきでしか生きられない自分に、気付くことすらないような愚昧さ。それを恥ずかしげもなく晒すようなくだらない奴に、俺は決してなりはしない。
「それが、本気で戦わない弁解か? 小童よ」
蹴った。
目の前でふんぞり返っていた猫の横っ腹を、つま先で思い切り。
「乱暴者め。だからお前は小童なのよ、身体ばかりデカくなりおってからに」
しかし、蹴り飛ばした感触はなかった。
次に聞こえた黒猫の言葉は、俺の背後からだった。
「力に遠慮するなと、あの絡繰りに言われたのではなかったか?」
「は、遠慮? 分別を付けてるだけだ」
「戯けめ、己が武器とまで距離を取って何になる。元が他人の力だろうが何だろうが、今それを握っているのは他ならぬ、貴様自身であろうがよ」
黒猫は立ち上がり、俺を見上げる。
瞳孔がスリット状に細くなり、威嚇するように睨め付ける。
「力は力でしかなく、武器は武器でしかなく、道具は道具でしかない。そこに善悪はなく、そこに自己も他己もない。そんなものに意味を見い出し、ごちゃごちゃと屁理屈をひりだす貴様がやっているのは、己の技量のごまかしだ。元は他人の力だからと本気で振るわず、その力を引き出せない自身の力不足から、貴様は目を背けているだけではないか」
――それが、本気で戦わない理由か。
他人の力であろうとも、それを扱う技術は自分だけの物だと。
黒猫は、言う。
容赦なく、雄弁に、語る。
「それなりに頑張って得られる成果は、どこまでいってもそれなりだ。そして小童よ。お前が踏み込んだ世界は、それなりなんぞでは生きられない。握った力は何でも使い、貪欲に抱え込み、全力で踏破しようとしなければ呆気なく死ぬ。望む望まざるにかかわらず、貴様は今、そういう世界に身を置いているのだ」
これから辿るその地獄を、お前はちゃんと見ているのか?
そんな、忠告とも取れるような疑問を、投げるだけ投げて。
黒猫は消失した。
傾く太陽と共に、山の向こうへ隠れるように。
「……うるせぇんだよ、クソが」
俺は。
俺は、もやもやした気持ちを、どこにも吐き出せないまま。
ミキの待つアパートへと、重い脚を引きずって向かった。




