表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夏夜の鬼 語り残し  作者: 真鴨子規
19/48

19

「久々だな。オレを覚えてるか?」

 そう問いかけてきたのは、金髪の少女だった。

 邦人離れした顔貌は作り物めいて整い、青く輝く瞳は斬りつける刃のように鋭く光る。

 黒いゴスロリ調の洋服で全身を覆い、下に覗く脚はしなやかで、黒いタイツに包まれている。

 身長は小学生ほどしかない。しかしその表情には、子どもとは思えない凄惨さがあった。挑発的というよりは挑戦的だ。自分以外のあらゆる存在を踏み越えて行く、そんな意志の強さ、我の強さが見て取れる。

 先ほど倒れた男の背後から現れたということは、それまで男を持ち上げ隠れていたということだろうか。軽量とは言え、身長差にして四十センチはありそうな大の大人を、あの細腕一本で。

 人間にしか見えない姿でありながら、およそ人間とは思えないその少女を、俺は知っている。その特徴的な外見を、よく記憶している。

 夏休み、双町滞在中に顔を合わせた少女。

 機関――二木の遣い、人ならざる自律人形。その片割れの、黒猫を模した姿のヒトカタ。

 かつてのアオやアカと同様、二木 聯の界装具。

 ミキと共に、天災たる最悪の擬獣の一角を、たった二人で討伐した規格外――

「――ノアール」

「正解だ」

 ふん、と可愛げなく鼻を鳴らし、ノアールは両腕を組んだ。

「まあ、俺は忘れてたけどな、アンタの顔なんか。名前だって……あーいや、確か……そうそう、どっかの二代目錬金術師みたいな名前してるから、辛うじて覚えてたよ。エリーだろ?」

「違ぇよ」

 相変わらず伝言ゲームはバグっている。いや、ここまできたらむしろ、ワザとやっているのではないかと思えてくるほどだ。

「しかし、ここへ逃げ込んでくるってのは驚いた。面倒臭いけど、こっちから会いに行ってやろうと思ってたからな。まあまあいい勘してるよ、アンタ」

 名前の話はもう終わったらしい。

 マジかよ、話の通じる気が全然しない。

「だったらハズレだろ。どのみちお前と顔を合わせるなら、わざわざあんな山道を駆け上がる必要はなかった。骨折れ損だ」

「ところがだ」

 ノアールは、足下に転がっている男の脚をぞんざいに蹴りつけた。敵とはいえ、半殺しとはいえ、死体蹴りはいい趣味とは思えない。

「アンタが向かってた先、あの学校周りな。アンタを追いかけてた連中の三倍くらいが待ち構えてたんだよ。そっち行ってたら挟み撃ち確定、今頃大変だったろうな」

「おい、その男こっちに蹴り飛ばせ。サッカーしようぜ」

 ノアールは、何言ってんだコイツ、と言わんばかりの顔でこちらを見てきた。段差があるから、若干見下ろされる形だ。なんとなく腹立たしい。

「及第点ってのは、じゃあそういう、危機回避したことに対する評価か」

「いいや? そこに関して言えば、どっちかって言えば興醒めだ。女一人抱えたまま大童おおわらわになるアンタを、高みの見物してやるつもりだったからな。本当に、こっち来るなよ、空気読めないヤツ」

 冗談ではなく嫌悪感を丸出しにして、ノアールはこれ見よがしに溜息をついた。

 なんだこいつ。

 ミキとはさぞ気が合うんだろうな。

「逃げ出さなかったことへの評価だよ。守ろうと踏ん張ったことへの賞賛だよ。少しだけ、ほんの少しくらいなら見直してやっていい、そう思っただけだ」

 上から目線の物言いは、正直気持ちのいいものではなかったが。というか普通に、俺には一発くれてやる権利くらいありそうな気がしたが。

 しかし、この状況を考える。

 未だにゾンビたちが追いつく気配はない。男が満身創痍でダウンしているのも芝居ではない。というか、よくよく聞いてみれば虫の息で、放っておいたらたぶん死ぬと思う。

 それは、つまり。

「助けてくれたのか?」

「は?」

 心底意味が分からないという声で、ノアールは眉をひそめた。

「なんか知らないけど暗部の人間がいたから、興味本位で話し掛けたら喧嘩売られたんで、気前よく買っただけだ」

 これっぽっちも面白くなかったけどな――と、ノアールはぼやいて、また一発蹴りを入れた。

「弥生が言ってたのはコイツのことか、と思い出したときにはこの有様だ。まったくさ、人材不足も極まったもんだよ。こんな雑魚で、三鬼 弥生をどうにかできるわけないだろ、バカバカしい」

「それは同感だけど……。お前、立場とか大丈夫か。八剣とか、二木とか」

「知るか。弱いコイツが全部悪い」

 言い分がシンプルすぎて、男に対する同情心が蘇ってくる。喧嘩を売られたと言うが、喧嘩を売らせたの間違いだろうなとほぼ確信できた。

 ミキによれば、機関における二木は、基本的に中立であり続けているらしいが。このノアールの性格からすれば、どちらに対しても楯突く、という意味で中立なのかも知れない。

 いや、ひでぇ。なんてタチが悪いんだ。

「ミキに用があったのか」

「まあな、今朝会ってきた。そのとき言われたんで、ついでにアンタにも会っておこうと思えばこれだ。ああ、結果的に助けたことにはなったのか? よく分からないな」

 よっ、とノアールは、横たわる男を飛び越えて、荒れた石畳の上に着地した。

 思った以上の大ジャンプだった。俺の背丈の遙か上を行く跳躍だった。そのせいで、裾の広いスカートが、ぶわりとまくれあがった。しかし、当の本人は一切気にした風ではない。音もなく着地したあと、慣れた手つきで長髪を梳いた。

「あんなゾンビ連中、逃げるまでもなかったろ。さっさとなぎ払えば良かった。なんでそうしなかった? アンタ程度とは言え、能力者なら簡単なことだろ」

 言いながら、ノアールは無遠慮に近付いてくる。

 カツカツと、ハイヒールの小気味よい音が響く。

 同時に、おぞましい威圧感が増していく。

 或いは、双町で会ったとき以上かも知れない。

 重苦しい空気が、肺の中に充満していく。

「アホか、誰彼構わずぶん殴るお前と一緒にするなよ。単に操られてるだけかも知れない奴に手が出せるか」

「は。アホはアンタだ、このアホが」

 口喧嘩のレベルが著しく下がっていく気がしたが、相手の見た目が小学生なので是非もない。そもそも、そんなことを気にするほどの余裕もない。こっちは必死で、なんとか言葉を吐き出しているに過ぎないんだ。

 とうに完治した頬が、不自然に痛み始める。いつまた殴られるのではないかと、怖くて気が気ではないのだ。

「どうせアンタ、生まれ育った町やそこの住人に、愛着なんか持ってないんだろ。顔も名前も知らない人間なんか、視界から、認識から消えた時点で死んだも同然。アンタって奴は、そういう性分の人間だろ。違うか」

 見ず知らずの、本当に何の関わりもない人間を、害することに躊躇するような性格。例えば、今後ろで寝ている、極めつけのお人好しのような。

 ああ、確かに。俺はそういう善玉な人間では決してない――けど。

「違うな。全く違う」

 確たる意志のもと、ノアールの言葉を否定する。

「お前みたいな人間以外・・・・には分からねぇんだろうけどな。人を殺せば殺人罪で、傷つけるだけでも傷害罪やら暴行罪やら、色んなものが付きまとうんだよ、こっちは。その狭苦しい視野でしかものを考えないのは勝手だけどな。それを他人に、俺に、押し付けてんじゃねぇよ」

 そうやって、しがらみに縛られたまま、生きなくちゃならないのが人間だ。自ら作り上げた社会に、しがみつかなくちゃ生きられない生き物が俺たちだ。

 軟弱者と言いたきゃ言え。

 息苦しいけど。面倒臭いけど。それによって得られる恩恵を、無意識といえども享受している時点で、無視して通ることは誰にもできない。

 真っ当に、生きてる人間なら――

「人間以外はアンタもだろ」

「――――」

 呆れ半分に放たれた、ノアールの言葉は。

 まるで抜き身の刀のように。

 腹の奥へと突き刺さり、貫き通る。

「なんだ、アンタ。まだ人間でいるつもりなのかよ」

「――なんだ、それ」

 どういう意味だ。

 一体全体、コイツは何が言いたいのか。

「前に会ったときも、アンタからは妙な気配を感じたよ。本当に一人なのか、中に誰か飼ってるのか、とかな。今その感覚はないけど、でも妙な感覚そのものは残ってる。アンタが人間? 普通の人間? 一体いつまで、その都合のいい夢を見てれば気が済むんだ」

 ノアールは、ごちゃごちゃと何かを言っているが。

 意味のある言葉など、頭の中には何も入っては来なかった。

 ただ。

 ただ、俺は。

 その先を、次に続く言葉を、思い描くことが――

「いや、分かるよ。オレには分かる。一度手合わせしたからな。一度共闘もしたからな。ああ、分かってる。思い上がるなよエリー、久々だって言ったのはアンタに向けてじゃない」

 ノアールはもう、俺の手の届く場所にいた。

 手を伸ばせば。そのか細い首を、握り締めることさえ、できるような位置に。

「久々だな、赤鬼アカ。なんだお前、随分と見た目が変わったもんだな。面白い趣味だ。そんな人間みたいな皮被って、窮屈だったりはしないのか?」

 急に、親しげに。柔和な笑みなど浮かべながら、ノアールは話しかけてきた。

 目の前にいる俺に、ではなく。

 俺の中にいる何かに、でもなく。

 俺を、俺以外の誰かと、決め付けて。

「違う」

「何が」

「取り消せ」

「何が」

 ノアールは一転、侮蔑を含んだ上目遣いで、俺を睨み付ける。

 いや。本当は、どこを見ているのか、まったく分からない。

 だから、それが。

 その事実が、あまりにも――

「俺は、俺だ。異常者かも知れないけど、あぶれ者かも知れないけど、でも真っ当に生きてる、普通の人間なんだ。アカでもなければ、アオでもない。違う、だから違うんだ。変わったかも知れないけど、前とは違うかも知れなくても、それでも俺は――」

 俺は、人間だ。

 俺は、断じて、断じてなってはいない。

「俺は、俺は――」

 俺は、鬼になんか、なっていないんだ――!

「っ――!」

 一瞬だった。

 何の予兆も、予備動作もなく。ノアールの拳が、俺の胸元に向けて突き放たれた。

 それが俺には、確かに見えたから。

 ギリギリの所で腰を落とし、両手でもって拳を受け止める。

 風船が、炸裂したような音がして。

 辺りから、自然な音というものが消え去って。

 遅れて両手に、全身に、強い痛みと痺れがやってきた。

「ただの人間が、オレを止められるワケないだろ」

 憤怒の表情で、ノアールの双眼が見開かれる。

 受け止めたはずの小さな右手が、異常な力と熱を帯びていく。

 先ほどの突きが、どれほど手の抜かれたものだったのか、今はっきりと分かった。

 尋常なものじゃない。あっさりと力負けして、無様にも膝を石畳に落とす。

 この小さな身体に、この細い腕に、どうしてこんな怪力が出せるのか。目の前にあって、俺の中の常識は、まったく理解できなかった。

「言ってんだよ、オレは。アンタ、それだけの力があって、どうして振るわない。なんで振るおうとしないんだ。そこで転がってる男なんて、オレにとっては小者も小者だったけどな。それはアンタにとっても同じことだろ。目の前で相対して、敵対を決めたアンタの気構え、あれは一体何事だ? 腑抜け腰抜けにも程があったぞ」

 その長い金髪が、逆立つほどの怒気だった。

 ノアールは、今にも暴走しそうな四肢を全力で抑え込むかのように震え、歯を食いしばっていた。

「アンタには、アンタの中にはな――相手を、言語道断の敵対者を、その膨大な力でねじ伏せてやろうって覚悟が、決定的に欠けている。それだけの――あのアカに匹敵するほどの力がありながら、それを悠々と遊ばせている。こうしてオレが、敵意を見せても変わらない。おい、舐めるのもいい加減にしろよ。これ以上の侮辱が他にあるかよ。人間じゃない、それ以外であることも認めない、どっちつかずな半端者の分際で――!」

 ノアールが、後方へ弾け飛んだ。

 もっと正確に言うなら、蹴り飛ばされたのだ。顔面に蹴りを入れられて、その勢いで、冗談みたいに吹っ飛んでいったのだ。

 俺の背後から現れ、ノアールを蹴った『もう一人の俺』は、次の瞬間には姿を消していたが。

 大木のへし折れる音がする。

 本殿に突っ込んだノアールは、どうやらどこかの柱へぶつかったらしい。風化しきった大黒柱を、粉砕するには充分すぎる勢いで。

 それこそ本当に、ジェンガが崩れるように。辛うじて形を保っていた社が、けたたましい音を立てて崩壊していった。

 爆風に乗って粉塵が舞い、辺りが白く染まった。

「好き勝手言ってんじゃねぇぞ。何も知らねぇ輩が、明後日の方向からペラペラギャアギャア、うんざりだ」

 その音も、無残な光景も、俺の胸には刺さらなかった。

 ただ、不快感があった。

 苛立ちのようで、けれど確かにそれとは異質の。

 泣きたくなるような理不尽は慣れっこだ。

 諦めも付いた。前向きになろうとも思えるようになった。

 でも。

 だからって。

 そこへ土足で踏み込まれて、平気なわけがないだろうが。

「――なんだよエリー。やればできるじゃないか、お前」

 土煙の中から、少女の声が響き渡った。

 それは、場違いにも嬉しそうに。歓喜するように。弾む高音のように聞こえた。

「でもダメだな、見るに耐えない。力が蹴りに乗りきってないんだ。お前どうせ、膂力ばっか上げて、技術を疎かにしたクチだろう。ああ、よく見かけるよ、格下ばっかりいびって粋がってる間抜け野郎を。そんな有り様じゃ、一生かかってもオレには届かない」

 風が吹きすさび、煙の濃度が落ち、ノアールの姿が浮かび上がる。

 怪我一つない――どころか、その黒い衣装には埃一つ付いていない。怒りに任せて全力を叩き込んだはずの眉間にも、何の損害も変化もなく。

「前言撤回。落第だ、エリー。お前じゃアカの代わりは務まらない。お前じゃ弥生は守れない。アイツは傑物だけど、人を見る目はなかったわけだ。ん、おいおい、どっかにいたよなそういうヤツ。大昔にいた軍師だったか?」

 風を纏うように――いや。

 風が避けて通るように、ノアールを中心にして渦巻いていた。

 一歩一歩、その挙動一つ一つが、何らかの攻撃に繋がるように思える、圧力。

 気が付けば倒れ伏した自分、そんなものばかりが脳裏を駆け巡る。

 普通じゃない。

 並大抵ではまったくない。

 掛け値なし、文句の付け所もないほど、正真正銘の怪物の覇気。

 その在り方を前にしては、一介の擬獣、下手な能力者なんか比較にもならない。

 今の俺が、敵う未来なんかどこにも見えない。

「弥生が、泣いてお前を斬る羽目になるんなら。なあ、エリー。そのとき死んでも、今死んでも、何も変わらないんじゃないのか?」

 だとしても。

 勝てないとしても。

 何も変えられないのだとしても。

「は――」

 立てた誓いは揺るがない。

 負けを認めることだけはしない。

「何も分かってないな、お前」

 それは、それだけは絶対に、死んでも踏み越えてはならないデッドライン。

 俺は、俺だ。

 俺の生き方を決めるのも。

 俺の死に方を決めるのも。

 全部俺で、俺の責任で、他の誰にも譲らない。

「アイツの涙を次に見るのが、俺の死に際だっていうなら――上出来だろ」

 それが俺で。

 俺の目的で。

 誰でもない、俺自身の意志だから。

 他の何が犠牲になっても、それが叶うならそれでいい。

 俺が戦う理由なんて、それだけあれば充分だ。


「ふう……」

 ノアールは数秒、空を仰ぎ。

 ぐるんと一周、右肩を回して。


「やっぱり殺すか」

「上等だ、クソが」


 そうして、不毛な喧嘩は始まった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ