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夏夜の鬼 語り残し  作者: 真鴨子規
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「ああ、丁度良かった」

 俺の顔を見るなり、黒川先輩は安堵した表情になった。

 表情になった、という表現の通り、つい数瞬前の彼女は、今と正反対の顔をしていた。そのことは当然、様子を窺いながら歩み寄っていた俺の知るところだった。

 有り体に言って、先刻の黒川先輩は当惑していた。

 その原因はすぐに分かった。彼女が屈んで目線を合わせていた先に、小学生に上がるか上がらないかくらいの背丈の子どもがいたのだ。短い髪型から、恐らくは男か。

 迷子だろう、と察せられた。変な輩にナンパでもされていたら面倒だなとは思っていたが、これはこれで面倒臭い。交番はさほど遠くもないとは言え、そもそも俺は子ども自体が嫌いなのだ。

 そのあり方は、嫌なことばかり思い出させるから。

「貴方の知り合い、だったりは」

「いや、残念ながら」

 確認するまでもなく答える。こんな年頃の知り合いに、心当たりなどまったくない。

 ただ、知り合いの誰かの弟だったりはするかも知れない――と思い直し、一応子どもの顔を見て。

 ぎょっと、した。

 回り込んで覗いた黒い瞳は、ただの一度の瞬きもせず、こちらを見上げていた。

 鼻から上の顔面が、病的なまでの白さに染まっている。人間離れした顔面は、異様の一言に尽き――いや。要するに、その子どもは、狐面を被っていたのだ。

 狐。稲荷。稲を背負って遣わされた神性の一つ。長い歴史と共に人と生きたそれは、馴染みさえある顔であるはずなのだが。

 細長い線の黒目と、それから朱色で引かれた模様は、どうも、全然関係ないのだが。いつかの道化師を、想起させた。

 ――いや。一概に、無関係というわけでは、ないか。

「何も答えてくれなくて、それにこのお面も。ただ――」

 流石に戸惑いを隠せないようで、黒川先輩は両手を胸元に寄せていた。子どもの扱いには慣れていそうなイメージだが、流石にこの相手は厳しいということか。

「探してる親……は、いなさそうですね。こんな目立つナリで、見失うっていうのもなかなかの芸当ですけど」

 若干の憤りも感じつつ、交番の位置を思い起こす。視界には入らないが、通り一つ隔てた向こう側、くらいの距離感だったはずだ。

「交番、行きますか。別に、急ぎの用事ってわけでもなし」

「ええ、そうですね。すみません」

 謝罪されるような話でもない。不要に謝られるのは不愉快でさえあった。

 が、しかしと思い直す。

 マツイさんの言葉では、黒川先輩のお節介焼きは筋金入りだという。そういった性質を、本人が理解していない訳もないのだ――認めているかいないかはともかくとして。

 そういうお節介――今でいえば、迷子を無視してこの場を離れようという選択ができない性格――を、彼女もまた自覚しているのだろう。それを煩わしいと、眉をひそめる手合いがいるということも、だから当然、知っているのだろう。

 そういった意味の謝罪なのだろう、と思うことにした。

「それじゃあ――あら?」

 黒川先輩が、またしても周囲を見渡し始める。

 迷子の親を見つけた――訳ではなさそうだった。

 その事実に、一拍遅れて俺も気付く。

「どこいった?」

 迷子の子どもは、忽然とその姿を消していた。

 焦ったように探し始める黒川先輩を尻目に、俺はあっさりと諦めの境地に至っていた。ああ、こんな風に、親ともはぐれてしまったのだろうな、と思いながら。

「大変……。もしも、事故にでも遭ったら」

 大丈夫でしょう、と言いかけたが。黒川先輩の青い顔を見て、そんな台詞はするんと引っ込んでしまった。広場の周りには、交通量の多い車道もある。小さな子どもが事故に遭うことも、全く珍しい話ではないのだ。

「少し、探しますか」

 面倒だな、などという気配をなるべく出さないようにしながら、提案する。

 別に、顔色を窺わなくてはならない相手ではないのだが。かと言って、あまり交流のない相手と、本心をさらけ出して話をする気にもなれなかった。

 気遣いではなく、自衛手段だ。俺は俺のため、利己的な思惑でもって、慎重に言葉を選ぶ。

「別に、座っていなければできない話でもないでしょう。用件を話しながら、さっきの子どもを探しませんか」

 パッと、黒川先輩は笑みをこぼした。まるで、信心深い人間が、神や仏に出会ったかのような、大げさに過ぎる反応だった。

 その笑顔に、またしてもぎょっとする。明らかに誤解されている気配がする。それでも、それをわざわざ訂正するほど、親しくなりたい気持ちもなかった。

「ええ、ええ、賛成です。貴方はやっぱり、とても他人想いな方なんですね、チリ――」

「いえ、別に。早く行きましょう。まだそこらへんにいるかも知れないんで」

 的外れな感激の言葉を遮って、先を行く。黒川先輩が隣について、機嫌良さそうに頬をゆるめているのを感じながら。

 俺たちは、不自然なほどに人で溢れる駅前広場を、後にした。

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