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土曜日が来た。
来てしまった。
平日にある学校は別に嫌いではない。学業が楽しいとか、友達と会えるのが嬉しいとか、そういうのはちっとも分からない俺であるが。名実ともに学生である自分が、勉強という形でその本分を全うできている状態は、多少なりとも安心するものだ。
居場所がないというのは悲しいものだと。いつか、ミキがそう語っていた――自らの兄のことを、話した時に。心が歪んでしまうし、歪んだ心を戻す機会すら失うのだと。
独りでいることが辛いか平気かは人それぞれだが、基本的に生きづらくはなるのだろう。社会の居場所については確約されている俺には、そんな風に想像することしかできないが。ただ、家族というものが社会の縮図であるとすれば、なんとなく。その寂しさ、心許なさが、少しは分かりそうな気がしていた。
だから、学生として在ることも悪くない――ただ、それはそれとして、当然の如く。休日というものは待ち遠しいと感じる。
勉強にも好きや嫌いはあるし。友人関係もまどろっこしいし。やはり俺は、一人でいる時間が最も落ち着くから。学業は嫌いではないが、家で一人でネットサーフィンなどしていた方が気楽だ。
それが常。それが普通。俺も例には漏れないということだ。家庭の事情で休日を嫌う子どももいるだろうし、そういう気持ちも分からないではないが。俺もまた、自由な休日というものを有り難いと感じる人間なのだ。
が。
しかし。
記憶を探っても、こんなことは珍しい。この俺が、今日という休日――つまり土曜日を、こなければ良かったなどと思うなんて。
「はあ……」
西にある駅へと向かう下り坂、疎らな交通量の二両車線の脇に入ると、何度目かも分からない溜め息を吐き出した。
黒川 知世鈴。その約束の当日である。ろくに交友のない相手と休日に会うというそれ自体、俺の苦手とするところなのだが。そういう意味では、夏の双町滞在などはかなりの負担で、テンションもおかしかったりしたのだが。
あの元生徒会長は別格なようだ。妙に緊張してしまう。色々とそれらしい理由を当てはめてはいるものの、何かが違うような気がしてならない。
黒川――元生徒会長。二つ年上の先輩で、文武両道の才媛で、お節介焼きな善人で。好くことはなくとも、嫌う理由もないはずの相手、なのに。
会いたくない。できることなら関わりたくない――そうすべきではない、と。心の中の、どこか分からない場所で、何かが。それでも確かに、語っている。
『え、その格好で行くの!? マジでか! ちょ、金曜の放課後ツラ貸しな、このナンセンスファッションリーダー!』
馬子にも衣装だ、とかなんとか。マツイさんによって拉致され、行ったこともない服屋(ブティックと呼べ! と怒られた)に連れて行かれ、やたら高価な服を一式買わされてしまった。
白のワイシャツに、黒のスラックスとベスト、赤に白いストライプの入ったネクタイ。その上のやたら丈の長いダッフルコート(前は開けとけ! と怒られた)以外は、余所でも似たようなのがもっと安く買えるだろ、と思ったのだが。やれやれ、といった顔のマツイさんに小突かれた。
『というか、こんな真っ赤なネクタイ趣味じゃないんですが』
『ああいうタイプはね! 年下にぐっと押し込まれるとクラッときちゃうんだよ! コロッとね! 殺々っとね!』
意味が分からない。ネクタイの色とそこに何の因果関係があるのか? どうせオカルト雑誌の片隅に書かれた与太話を、訳も分からず信じ込んでいるとかだろう。
『ベルトはこれが合うんじゃないかな? チリ君のことだ、放っておいたら、ぼろぼろの使い古しを何の躊躇もなく流用するに違いない。あとは小物だ、ふと取り出すハンカチに気品があったりするのも重要じゃないかな』
そしてまさかのミキ登場である。どいつもこいつも、人を着せ替え人形か何かと勘違いしているのではなかろうか。同じく、桜さんにやたらとワンピースを着せられていたひのえの気持ちも分かるというものだ。
一体全体、誰も彼も、本当に。何を浮かれてやがるのか。
単に話を聞きに行くだけだ。それも十中八九、ミキ関連の話だ。だから、土曜に行くべきは俺じゃなく、ミキなのではないかと訴えたのだが。当然の主張だと思ったのだが。
『明日は別の約束があってね。非常に残念なんだけど、チリ君の晴れ姿を覗き見にはいけないんだ。とてもとても、とても残念なんだけど』
と、本当に残念そうに、ミキは言っていた。
クソが。
内心悪態を付いている間に、夏臥美駅前の広場に到着してしまった。普段はもう少し遠く感じるのだが、今日に限ってはあっと言う間のように感じられた。楽しい時間はすぐに過ぎるし、嫌な時間は長く感じる。それの派生、亜種なのだろう。
時間の感じ方をコントロールできたなら、人生はもう少し生きやすくなるだろうに。なぜ人間は、そういう機能を標準装備していないのだろう。近い将来、ボタン一つで自分の感情を切り替えて、辛いことも苦しいことも、楽しめるようになれたなら。
ミキもきっと、あんなにも悲観する必要はなくなるのだろう。
そんな人生は間違っている? 生き物の自然な生き方ではない? 艱難辛苦があってこそ人生は豊かだって? ああ、そんな風に言う奴も当然にいて、なんやかんや文句を言ってくるのだろうが。
そう言われたなら、俺はきっとこう返す。
いや、そんな。みんながみんな、お前等みたいに余裕のある生き方してるワケじゃねぇんだよ。
「おえ」
吐きそう。
体調不良で欠席しては駄目なのだろうか。
よく分からない相談事より自分の心身の健康の方が大事なはずではないか。
内科のクリニックの横を通り過ぎる。残念ながら休診らしい。
駅前広場へと侵入する。休日ということもあり、人の数はかなり多い。この寒い中ご苦労なことだ、俺もだけど。
夏にはいい避暑地として機能していた噴水周りのベンチも、この時期では比較的不人気なようだ。待ち合わせには都合がよいのだろう、それでも人は集まるんだけども。
その、水も出ていない噴水が見える位置で、かつ目立たない店舗の陰へと入り込む。
借りた陰は、新しくできた蕎麦屋のようだった。香ばしい醤油ベースの汁の匂い。双町で、カミヤと行った蕎麦屋を思い出す。食べたのは蕎麦ではなくカツ丼だったが。いずれにせよ、もう一度訪れる機会もないのだろうが。
腕時計と、広場にそびえる時計台とを見比べる。針の位置に違いはなく、待ち合わせの三十分前、午前十時半を示していた。
遅れていくという選択肢はない。行かないという選択肢以上にありえない。
人間、自分の命が掛かると本気になるというが。実際、一分一秒の遅れが命取りになるような仕事をこなしてきた経験が身に染みている。
雇い主であるミキの性質が原因だ。
ミキの能力は、その効果範囲を刻一刻と変化させるものだ。
ほんの一秒、ときにコンマレベルの精度でもって、初めて成立する戦術をミキは用いる。それこそ、人間すべてを滅ぼしかねない相手さえ下す、ミキの強さはそこにある。
まさに運命の分岐点。まさしく一生に一度きりの機会を、病的なほどの執念でもって耐え忍び、待ちわび、掴み取る。機械仕掛けから出てくる神、一瞬の一瞬で起こる逆転劇を現実に降ろすのがミキであり。
それについていくには、半歩たりとも遅れられない。かつては、ミキに脅されて守っていた時間も。今では理解と覚悟を持って、契約のように遵守している。
共感だ。
誰かが大切にしているものを、自分の中でも大切にすること。
――思うに。
そんな風にすることが、誰かと共にある、ということなんだろうから。




