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等身大のユゼ

ユゼは、王の8番目の娘である。

ユゼの母は外国出身の妾妃で、中つ国よりもずっとずっと西の出だそうだ。


明るい髪と朗らかな笑い方をしばらく愛され、やがて飽きられてしまった人だ。後宮にはそんな女性がたくさんいる。




ブエノステラの王子には、15を迎えて成人すると、兄弟がそれぞれ違う国に留学するという慣例がある。


始まりは文献によると、放蕩三昧でどうしようもない王子をまっとうにするため、苦労する環境に放り込んだという身もふたもない荒療治であった。その効果がめざましかったので、のちの王子教育に組み込まれたのだ。


多くの人間が外国人を見ることすらなく一生を送る閉鎖的なブエノステラが、比較的冷静な目で外勢を見ているのには、このような下地があった。


王子たちと、王子に付き従って外国生活を送った面々が、国の中枢に複数存在する。


15というまだまだ心身ともに成長中の時期であるので、生活全般を監督する守役、剣術の師、側近候補である年の近い侍従たち、護衛官などと共に暮らし、現地の教育を受けて2年〜5年のうちに帰国する。

この間の異性関係には制限があり、帰国時に女性を連れることは許されない。


慣例に従い少年期を過ごした国を再訪していた父と、伯爵家の末娘だった母は、留学中に淡い恋をして別れ、再会したのだ。


母はユゼに父王との出会いを話してくれたことがある。




あなたの父上は、初めて会ったとき、馬に乗って鷹を従えていたの。エキゾチックで、不思議なくらい魅力的だった。一目で好きになってしまった。


再会したときは運命だと思ったわ。彼は私を馬に上げて人さらいみたいに走っていったの。あとでめちゃくちゃに怒られていたわ。

今思うと、あの馬の上でじゃれてるときが私の恋のピークだった!


ここに来て愕然としたわ。


だって、ほかに奥様がいることすら想像していなかったのに、何人いるのよ。その時は10人いたのかしら。もう、呆然よ。脱力。色々通り越して乾いた笑いが出たものよ。


でも来てしまったものはしょうがないわね。しばらくは相当苦しんだ。彼が王位を就いでから、いまの後宮は王女ばっかり生みすぎだからって女性が更に増えていくの。


でも、自分で選んだことなのよ。陛下について行こうって。好きだからずっと側にいたいと思ったの。それに、いまも好き。

こんな形は想像しなかったけど、確かに彼の側にいるわね。


彼の愛情を独り占め出来ないけど、自由時間がたくさんあって趣味も増えた。近所にはライバル兼友人候補がたくさんいる。

今は悪くないと思っているわ。


母は翠色の目を煌めかせて、カラッと笑っていた。


少し無鉄砲なところがあって、眩しいくらい強い人なのだ。ユゼは母のような人になりたいと憧れてきた。





王宮に戻ったユゼは、導かれるまま小さな会議室に到着した。

部屋には50代くらいのごま塩頭の官吏らしい男が一人だけいて、ユゼに恭しく頭を下げた。

レンは棚から世界地図を取り出してユゼの正面に座った。


「ファレネス帝国が勢力を急激に拡大しております。このことはお聞き及びですか」

「ええ」

「ではこれは不要ですね」

レンはユゼに基礎知識が備わっていることにほっとしたようすで、出したばかりの地図を伏せた。


ええーっ。ファレネスを説明するために地図を出したの。

その程度のこと、王女は全員知っている。こいつ、姉妹まとめて見くびったな?

非常にムカついたし、顔が引きつったと思う。

だがレンは王女の内心など気にしないのだろう。なんのフォローもしようとせずに続けた。


「つい先日、中つ国がファレネス連邦の実質支配下に入りました」

「!!」

衝撃が強くて、一瞬前の心情など消し飛んでいった。


「まだ我が国に音沙汰はありませんが、我々は半年以内にもファレネスの使節団が派遣されてくると予想しています」

「…そんな…」


数千年どっしりと隣に存在した国が、あっけなく終わる。ずっと当たり前にあるものだと思ってきたのに。

遠い場所の出来事に思えたファレネスの台頭が、突然すぐ隣に迫る脅威になった。広大な土地を持つ中つ国は、ブエノステラにとって巨大な緩衝地帯であったのだ。


「こんな危機はこれまでなかったわね。たしかに緊急事態だわ…」

レンは頷いた。

「中つ国も、最初は使節団の派遣からでした。ブエノステラの独立を保持するために、我々は総力を挙げて備える所存です。


そのための布石の一つとして、王女殿下にもご協力いただきたい。あなたに通訳をお願いするのは、ファレネスの使節団に対しハッタリをかますためです。


知的な王女を擁する水準の高い国という印象を与えるためです。一方的に搾取できる格下ではないと思わせなくてはいけません」


うぇぇえ…。

ユゼは自分に課せられた役割の重さに変なうめき声が出そうになった。知的な王女って。

「……そういうことだったのね」

だからレンは血走った目をして、有無を言わさずユゼを連れて来たのか。迫力があるわけだ。納得した。


「そういえば、事情があって母に通訳を頼めないと言ったわね。なぜなの?」

レンは間髪入れずに説明してくれた。


まず、父と母はほとんど駆け落ちだったので、ここにいる経緯を聞かれてはまずいこと。

現地出身の妃よりも、王女が話せるほうがインパクトが強いこと。


これが使節団の通訳に母を抜擢しない直接的な理由だった。


そして今後、イスパーナやファレネスに出向くことになったとしても、母を連れ出すことはないという。


母の一族は、代々続くかつてのラーゲ公国の重臣である。

主家にあたるラーゲ公家は、ファレネス帝国の皇后に次ぐ二番目の妃を排出した名門である。ファレネス皇家の外戚に当たり、第二妃は皇太子を生んでいる。


しかしラーゲ家は以前にファレネスの権威を傘にきた失態を犯し、以来、権門にも関わらず一族丸ごと冷遇されている。


皇子たちの帝位争いもからみ、第二皇子の母である皇后が率先して彼らを牽制しているそうだ。

今母を表に立たせれば、成功すればするほどラーゲ家に利用されたり、皇后に敵視されたりする可能性がある。


ブエノステラはファレネスの政治的抗争に巻き込まれている場合ではない。危険な要素は最初から省いておくべきだ。



「対外的にはご病気ということに致します」


きっぱり言い切って、レンはユゼの理解度をはかるようにこちらを見た。

ユゼは鷹揚に頷く。

「わかりやすかったわ。では母の血筋については、ごまかしたほうがいいのね。よく知らないとか、なんだったかしら程度に。侮られないように、貴族ということは匂わせる」


レンが満足そうに口の端を上げた。

「その通りです。殿下は聡明でいらっしゃる」

バカじゃなくて助かった、という本音が透けて見えた気がする。

会ってたったの小一時間、ユゼの中には猛烈な勢いでレンへの苦手意識が築かれている。


「明日、対策会議が開かれます。殿下は王妃陛下とともにご臨席ください。


二点目的があります。

ひとつは会議をご覧いただいて現状を正しく把握していただくこと。

ふたつ目は内容を随時ファレネス共通語に通訳することで訓練することです。


通訳に関しては専属にこのアカギをお側に付けます。詳しくはこちらにお尋ねください」


ずっと黙っていたアカギがすっときれいな礼をとった。この人は語学教師役だったのか。

「わかりました。よろしくお願いします、アカギ」

「精一杯努めさせていただきます」

聞き分けよく返事をしたユゼを一瞬だけ見て、レンは頭を下げた。


「お時間割いていただきありがとうございます、殿下。明日からよろしくお願い致します。では、少し用がありますので、我々はここで失礼します」


レンとアカギが退出していった扉をぼうっと見ながら、ユゼは二日前の母の様子を思い出していた。




海辺の屋敷に出かける朝のことだ。ユゼが起きた時刻には、お気に入りの乗馬服を身につけて楽しそうに出かけるところだった。同じく乗馬服を着た、仲のいい妾妃2人とお茶を飲んでいたようだ。


“ユゼ、おはよう!わたくしはこれから馬で出かけるわ。あなたは海辺に出かけるそうね。気をつけて。今日も一日幸運がありますように”


遠駆けは母が友人を誘って始めた新しい趣味だ。

母はいつも快活で、よく笑いよく怒り胸を張っている。周りの空気を軽くする天才なのだ。だからかつての恋情が去っても、父王は疲れると母の元にやって来るのだろう。


母の屈託のなさ、内面の強さを誇りに思う一方で、羨むこともある。

生粋の異邦人である母が明るく生きているのに、半分ブエノステラ人であるユゼはいつも自信を持てないでいる。


後宮の姉妹たちと喧嘩すると、とくに舌鋒鋭い姉妹の場合、彼女たちは遠慮のかけらもない罵倒を浴びせてくる。「顔が派手すぎ」「老けてる」「髪が鬼婆みたい」!


仲直りしてから「言いすぎたわ」「ふわふわで可愛い」「大人っぽいってことよ」などとフォローされても、ユゼはジト目になるしかなかった。本人に悪気がないのはわかっている。

ただユゼは、ツヤツヤの黒髪や慎ましい一重まぶた、黒と白の対比が美しい瞳を本当に羨ましく思っているから。

それに事実、王女なのに嫁入り先があるのか心配されている始末だ。


だからたびたびふらっと海を見に行きたくなるのだ。


卑屈になんかなりたくはない。

母のように全部笑い飛ばしてしまいたい。

でも王女としても女としても余りもののように扱われて、どうやって自信を持てばいいのだろう。

こんな私に役目がこなせるの?





精神的にやや疲れて部屋に戻ったユゼを、レダが柔らかい笑みをたたえて部屋で迎えてくれた。部屋には柔らかい色の照明が灯されて、ユゼの好きな香草の香りがほのかに漂っている。


「ユゼさま、お疲れさまでした。お風呂をご用意してありますわ」

ユゼはほっとして心が緩むのを感じた。


「レダ…。私、大国の使節団をおもてなしするのですって」

レダがまぁ、と声を上げた。

「大きなお役目を賜りましたね」

「私でいいのかしら…」

レダは泣き言をこぼすユゼにふわりと笑いかける。


「不安ですか?」

「……」

そんなことを言ったって、やるしかないのだ。


「誰にも口外したり致しません。ユゼさま、どんな気持ちかおっしゃってみてください」

レダがふっと踏み込んできた。


「わからない。実感がないし…戸惑っている。私に何かを成し遂げられるっていう気がしないの。失敗したらどうしよう。こわい」

紛れもない本心だ。口に出してみたら、なぜか唇が震えた。泣きそうだ。

母のように強くあれない。


レダは黙って聞いて、うんうんと頷いた。

「ユゼさま、それはごく普通のことですわ。わたくしもユゼさまの乳母を任された時はとても不安に思ったものです」


レダは弱音を吐いたユゼを、変わらない暖かい目で見てくる。そのまなざしに、毛羽立った心を丸く包まれるような不思議な安心を感じた。

「…あなたは最高の乳母よ」


レダは嬉しそうに美しく微笑んだ。

「ユゼさまにそう言っていただけると、とっても誇らしいですわ。今後とも精進いたします。

さあ、お風呂へお入りください。こんな日はゆっくりお休みするべきです」


優しく促すレダにうん、と頷いた。

明日は頭を使うだろう。早く寝よう。

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