気づいたらドッペル
俺の何かいけなかったのだろうが。
辺境の村の農家の三男として生まれた。口減らしの為に十五歳の頃、村に時々来ていた冒険者の話に憧れて、故郷の村を出て冒険者を目指す。それから十五年程が経った。
上を見れば俺より若くて強い冒険者は数多くいる中、自分の才能に限界を感じていた。それでも、拠点としていた町でそこそこのベテランとして名前は通っており、近所の住民や後輩の冒険者には慕われていたとは思う。不満などない。生来から弱虫で、臆病にくらい慎重で自分の身の丈にあった依頼や討伐しかしてなかった筈だ。少しでも命の危機を感じたらすぐに撤退して十分に用意してからまた挑む。それが俺の方針だった。
なのに俺のこのざまはなんだ?
冒険者ランク4の俺が依頼達成難易度3の討伐依頼を受けて、何故、難易度6のワイバーンと遭遇するんだよ! ワイバーンの目撃情報なんか聞いてないぞ!
一般に冒険者ランクは4がそこそこの中級者として扱われ、討伐難易度の魔物と一対一で勝てるとされる実力だ。
しかしランク5までは俺の年齢までに大きな怪我をせずに十年の月日の間、冒険者を続けていれば到達できるのだ。問題はその2つ上のランク6からは途端に数が少なくなる。もしランク6になれば国中の有名人になり、あちこちでその噂を耳に出来るだろう。この広大なヴォルムス大陸に何百万の冒険者が存在しているが、ランク6冒険者の数は確か数百人程度で自国での扱いは英雄そのものだ。
そんなランク6冒険者と同等の強さを持つ難易度6の魔物、ワイバーンとランク4の俺が相対すればどうなるか。答えは明確。文字通り、瞬殺されるだけだ。逃げる事は出来ない。翼を持つワイバーンから徒歩の俺が逃げ切れる訳がない。竜種の中で最下層の実力と言われるワイバーンだが、そんなものはなんの気休めにもならない。
成人男性の数倍はある巨体に俺のような人間など、紙のように斬り裂いてしまう牙と爪。そして鋼の剣すら弾くと言われる身体を覆う鱗。俺をただ獲物として見ていない蛇のように鋭い瞳。その瞳が俺には戦う事はおろか逃げ出す事すら許されないのだ、と物語っていた。
人は死ぬ前にそれまでの人生の走馬灯が見える事があるという。この世界に生れて約三十年。その積み重ねた人生は圧倒的強者の蹂躙にはより、いとも簡単に砕け散った。ワイバーンの爪が俺に襲い掛かる。俺はそれを何の抵抗もなく受け入れた。ただその爪の一振りで俺の、ロクシー・コーナの人生は幕を閉じた。
目覚めると、俺はどこかの森に立っていた。太陽の光が木々の葉の隙間を通り微かに明るい。全く見覚えのない森だ。少なくとも俺が冒険者として活動していた範囲にこんな森はなかった。俺がいたのは王都近くの山岳地帯だ。よく見ると生息している植物も俺が活動していた場所とは違う。どうなっているんだ? そう呟こうとしたが、声が出ない。いくら出そうとしても不可能だった。思わず喉を右手で押さえてしまう。
その時、気づいた。俺の右手の指が四本になっている事に。どうなっているのか。それは人間の手ではなかった。泥のように濁った茶色の地肌に覆われた細い腕だった。俺はその異形の手で顔を触った。顔には人間にあるべき鼻がなかった。あるのは瞳と口らしき拳ほどの大きさの大きな穴が三つと側面に耳らしき穴のみ。俺は人間ではなくなっていたのだ。
俺はあのワイバーンに殺されて、人間ではない別の生き物に記憶を持って生まれ変わったという事だ。冗談ではない。極まれに人間の中に前世の記憶を持って生まれてくる者もいるというが、俺の場合は、生き物、それも恐らく魔物の類だろう。魔物は魔力が満ちたたまり場のような場所から突然生まれるという話を聞いた事がある。
せめてヒューマン族以外の別の種族、エルフィン族やホビット族のような人間ならまだ良かったというのに。俺は何の魔物に生まれ変わったのだろうか。まだ全身の姿を見ていないので何とも言えないが冒険者として様々な魔物を狩ってきて今の俺の姿をした魔物なんて見た事がない。
とにかく俺は今の自分全身の姿を見ようと水場を探した。
当てもなく森を歩いていると水のせせらぎが聞こえた。その音源を目指して歩く。この魔物の体は足が棒切れのように細長く、歩幅が長いので人間として生きていた頃より若干、歩くのが早く感じられる。
木々の間を抜けて音源に着くと、どうやらそこは川辺だった。ゆっくり近づいて水面に映る自分の姿を確かめる。俺が見たのは全身が濁った茶色で顔の上半分は大きな黒い穴が二つ、側面に穴が二つ。そして枯れた木のように細い胴体と四肢を持つ異形の姿の魔物。そして俺はこの魔物に見覚えがあった。今の俺はドッペルゲンガーだ。俺は魔物の生態を詳しく載っている書物に似たイラストがあったのを覚えている。
ドッペルゲンガーとは他の生物の姿を、自分の姿として真似る「変身」という固有の能力を持つ魔物だ。
ドッペルゲンガーの生態は魔力のたまり場で発生する事と「変身」の能力以外の詳しい事は分かっていない。
そもそもドッペルゲンガー自体目撃される事が少ない。冒険者に見つかっても相手の姿の模倣が僅か数分程度しか出来ないという制限がある。ゴブリンのように徒党を組む事もなく、すぐに討伐されてしまう。討伐難易度は確か3だった筈だ。
そんな弱小な魔物に生まれ変わった俺はこれからどうして生きて行けばいいのか。俺は憂鬱な気分のまま川辺を去っていた。
深い森にいる為に正確な日付感覚が分からないが、俺がドッペルゲンガーに生まれ変わってから数日程度が経った。俺は森の中で凶悪な魔物から避ける為に目立たない洞穴に隠れて過ごしていた。何もせずただぼーっと森の風景を見つめている。魔物が通りがかったら「変身」しても良かったのだが、その気配は全くなかった。ウサギやネズミのような小動物は見かけたが、「変身」の能力は自分と同じ大きさの生き物しか使用出来ないらしい。
俺はそういった小動物を捕らえて食べて生きていた。ドッペルゲンガーも空腹と喉の渇きは感じられるのだ。この身体になった利点の一つに人間のように調理をしなくても生で肉を食える悪食体質になった事だ。ちなみに味覚もなかった。しかも一日に一度少量食べるだけでその飢餓感を抑えられる。燃費が良い身体だ。
そんな数日を過ごしていたある日、ついに俺は初めて魔物を見つけた。
それはゴブリンだった。ヒューマン族の子供程の体格で、魔物の中でも最底辺の強さである。討伐難易度は9。初心者の冒険者でも武器さえあれば討伐が可能だ。しかし奴らは徒党を組む事がほとんどなので一人での討伐は推奨されていない。
俺が見たゴブリンは単独だ。恐らく自然発生したばかりの、生まれたての個体なのだろう。
動物や魔物の違いは、その誕生にある。動物はヒューマン族のように男女が身体を重ねて、子を産む。しかし、魔物は魔力が満ちて溜まり場となったこの森のような場所で自然発生する。
特にゴブリンのような人型の魔物は、その単体では力が弱い癖に、徒党を組んで、発生源が次々と生まれるのだ。厄介な事に生れるのは雄のみであり、どういう訳か性欲はある。他の種族を性別の見境なく襲って、性欲を晴らすのだ。勿論魔物全てがその限りではなく、俺が死ぬ要因となったワイバーンといった、明らかに人型から外れた魔物や、死体から生まれたアンデッド系などはその限りではない。一口に魔物と言っても無限に種類があり、その生態系は複雑怪奇で長年冒険者をやっていた俺も全てを理解していない。ちなみにドッペルゲンガーとなってからは性欲を感じた事はない。ドッペルゲンガーは人型の魔物のように異性を襲うなどの習性はないのだろう。
何故魔物がこんな歪な生態系を持っているのかという問いは学者や研究者連中の間で随分と昔から論争をしているが、未だに答えは出ていない。教会の教えによるとその昔、世界を作った神々がヒューマン族の失敗作として生み出して、今でもヒューマン族に与えた試練として存在しているとされている。(たまに人型の魔物の中には雌が生れる事があり、その魔物が大規模な群れとなって大繁殖する状況もある)
ゴブリンは一人で森をうろついている。あのままでは他の魔物で食われて終わりだろう。しかし俺にとって「変身」を試す為の実験台になる相手だ。簡単に死んでもらっては困る。
俺はゴブリンがいる位置から見られない物陰に隠れて、ひたすらその姿に「変身」するように念じた。すると疲労感が来ると同時に、視線が一気に下がったように感じた。恐る恐る右手を見ると、なるほど、子供みたいな小ぶりな手に鋭い爪が生えたものへと変わっていた。成功だ。「変身」対象がゴブリンなのでそんな相変わらず、嬉しくはないが、それでもあのドッペルゲンガーの姿よりは人間に近い。
しかし「変身」がいつまで持つのか、全く分からない。その時だった。俺の気配を感じたのか、いきなりゴブリンがこちらに振り返ったのだ。思わずギャッと悲鳴を上げる俺。
まずい。見つかってしまった。この身体になってまだ一度も戦闘を経験していない。しかもドッペルゲンガーの素の状態の戦闘力は子供にも劣ると言われている。まだゴブリンに「変身」したままの方が勝機はある。逃げるという手もあるがどの道この森で生きる以上、いつかは魔物と戦わなければならない時は来る。その時の為にここで戦闘経験は積んでおきたい。
俺は「変身」したままゴブリンに向かって走った。
見た目は同族である為か全く襲ってくる気配はない。俺は小さなこの拳を思いっきり振りかぶって、ゴブリンの顔面に叩きこんだ。
ドッペルゲンガーに痛覚はないのは、この数日間生きていて分かっている。本来なら痛むはずの右手を、先程とは別の箇所に叩きこむ。この二発でゴブリンは耐えきれず倒れこんでしまった。俺は追い打ちをかける為に馬乗りになり何度も殴りつけた。ゴブリンは激しく抵抗してきた。
返り血で拳や顔が汚れるか構わない。人間だった頃、冒険者として何度も、魔物どころか盗賊などの悪党の人間を殺してきたので罪悪感など湧かない。顔の原型がなくなるまで殴って、やがて抵抗する気力すらなくなると俺は両手でその首を一気に絞めた。
これでゴブリンは死ぬ。そう思った時だ。今まで感じてなかった飢餓感が湧いてきたのだ。このゴブリンを食いたい。食って自分の腹を満たしたい。ゴブリンは食用ではない。そもそも魔物は一部を覗いて食用に適さないのだ。
首を絞めたまま謎の衝動に駆られたと思うと、俺の腹に穴が開いたのだ。黒く底なし沼のような暗い穴。
俺はコイツを食いたい。食ってこの謎の飢餓感を満たしたい。俺は口ではなく、その腹に空いた穴がゴブリンを吸いこんでいった。死にかけで抵抗もせず、ずるずると腹の中に入っていく。この身体にどこにそんな容量があるのか分からないが、やがてゴブリンの身体全てを俺は腹の中へと収めていたのだった。そして頭に浮かんだのが、謎の記憶だ。
この森で生まれて、ただ一人フラフラとさ迷っていると、ようやく見つけたゴブリンの仲間。しかしそいつは急に襲ってきた。その正体はドッペルゲンガーで首を絞めてきたのだ。抵抗するも段々と意識が消えて……そこで記憶は途絶えた。
今のは、俺が食ったゴブリンの記憶か? 何が何だか全く分からない。そしてその記憶は消える事なく俺の頭の中に残っている。嫌な感じだ。たった今食った相手の記憶が残るなんて後味が悪すぎる。
何故、俺の腹に穴が開いてそこからゴブリンを食いだしたのか? そもそも今まで感じた事のない飢餓感は何だったのか? まだ見つかっていないドッペルゲンガーの隠された能力なのだろうか?
ここで俺はある事に気づいた。本来なら、魔物となった事で混乱と恐怖でも感じてもいいだろうに、俺は何も感じていない。淡々と新たな身体について受け入れていた。魔物になって感情の起伏が亡くなったのだろう。時間だけはあるのだ。この身体についてまだまだ検証をする必要があるらしい。
書くしかねぇ!